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~蜜愛の館(婚約編)

蒼麗侯爵様と子犬の話15

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 ◇◆◇◆◇フェルディナス伯爵邸・門前◆◇◆◇◆

 ――Side フィニア


 明日の王都へと帰還を目前にした日の事、私達はフィニーの飼い主であるフェルディナス伯爵夫妻に招かれ、再びこの場所へと戻って来た。
 本当は、このままフィニーに会わない方が、落ち着き始めた自分の心にも良いのではないかと思っていたのだけど、アルディレーヌに促された事もあり、私は伯爵家への訪問を決めた。
 けれど、馬車を下りた先に見えた伯爵邸の扉の向こうから、何か騒がしいざわめきのような気配が……。

「あの、何かあったのでしょうか……」

 レアンドル様の隣にいたブランシュちゃんが、不安そうに扉の向こうを見ながら困惑した視線を私達へと送って来る。
 見れば、伯爵邸の前には、何頭かの馬が繋がれており、その鞍に描かれた紋章から、近隣の町に常駐している警備隊が来ている事がわかった。
 
「物盗りでも入ったんでしょうかね……」

 私と共に扉へと歩み寄り、少し開いたその先で起こっている事を確かめるべく、セレイド様が扉を開き、先に中へ一人で入った。
 私達もその後に続いて、恐る恐る足を踏み入れてみる。
 広々とした玄関ホールの中には、青ざめた顔色の伯爵の奥様と、その肩を抱き、警備隊の青年に何かを説明している伯爵の姿が見えた。

「伯爵、こちらの方々は……」

 伯爵夫妻に事情を聞こうと歩み寄った私達を、長身の警備隊青年達の中から、一番年上と思われる三十代前半ほどの、少し……神経質そうな顔をした男性が訝しむように出て来た。
 闇に紛れる様な首下までの髪と、私達を見つめる深い海の底を思わせる蒼の瞳。

「王都から観光旅行に来られている、グレイシャール侯爵と、クレイラーゼ公爵、そして、その同行者の方々です」

 伯爵夫妻が私達の傍へと移動し、力無くそう紹介すると、警備隊の青年達と共に、男性の視線が私達を観察するように、その目が険しげに細められた。
 これは……、敵意? 何だか、歓迎されていないような、少し棘のある気配を感じるのだけど。

「初めまして。警備隊の隊長を務めさせて頂いております。ディダルヴァート・オルニスと申します……」

 ディダルヴァートと名乗ったその男性は、伯爵に促され、昨夜、このお屋敷に起こった出来事を説明してくれた。
 伯爵夫妻と家人達が眠りに包まれていた真夜中の事、音もなく窓の一部が破壊され、中の鍵を外し、得体の知れない数人の物盗りと思わしき者達が伯爵邸に侵入した。
 それは、伯爵夫妻や家人に一切気付かれる事なく行われた犯行だったけれど、耳の良い飼い犬達を欺く事は出来なかった。
 飼い主を起こし、屋敷内に起きている異変を知らせた犬達は、屋敷内のある一室に向かい駆け込むと、金品を漁っていた男達と遭遇。
 すぐに、伯爵や家人達が武器を手に物盗り達を捕えようと行動に移ったけれど、犬達の助けもあり優勢に見えた伯爵達は、物盗りの中の一人が仕掛けてきた得体の知れない煙に包まれた瞬間、その場の全員が意識を失ってしまった……。
 
「催眠ガスの類を使われたようです。殺されなかっただけ、運が良かったと言うべきでしょうが……」

 ディダルヴァートさんは溜息と共に渋面を作り、その後に起こった出来事を語り続ける。
 誰一人、その身を傷付けられる事なく済んだ伯爵家の者達は、翌朝……、恐ろしい光景を前にしたのだった。

「金品の類が数点盗まれたようですが、
 翌朝目を覚ました伯爵達は、飼っている犬達が何頭か消えている事に気付いたそうです」

「犬……」

 まさか……、口許を片手で覆い、不安と共に震える声音でそう口にした私の耳に、伯爵から確定してほしくなかった内容が語られる。

「父犬と、子犬が二匹……、それ以外は全て、どこを探しても見つからないのです」

 青ざめ、涙を浮かべ項垂れていた伯爵の奥様が、伯爵の胸に縋り付き嗚咽を抑え込む。
 
「まさか……、フィニー……も」

 湧き上がった不安を裏付けるように、玄関ホールへとやって来た父犬と、二匹の子犬……。
 伯爵夫妻の足下に擦り寄り、元気を失ったように小さく鳴いている。

「フィニーが……いない」

 どれだけ似ていようと、私はフィニーを見間違えたりなんかしない。
 この二匹の子犬は……あの子じゃない。
 
「フィニア、大丈夫ですか」

 フィニーがいないショックで目眩を起こしかけた私は、セレイド様の胸の中に倒れ込み、足下から冷え込んでいくような寒気に襲われてしまった。
 フィニーは、母犬や他の子犬達と一緒に、物盗りを追って行ったのだろうか……。
 もし、物盗りの者達の誰かが銃でも持っていたら……フィニーっ。

「捜さないと……、フィニーや子犬達をっ」

「フィニア、ちょっと落ち着きなさいな。
 こうやって警備隊が来てるんだから、すぐに捜索してくれるわよ。
 ……そうよね?」

 ギロリ……。私の肩に手を添え、警備隊の面々を迫力のある眼力で見遣ったアルディレーヌに、ディダルヴァートさん以外の警備隊の人達がビクリと肩を揺らし、コクコクと頷いて見せた。
 だけど、物盗りが入ったのは真夜中の事。時間が経ち過ぎている……。
 これから探し始める事で、また時間がかかってしまう事も考えると……。

「伯爵、申し訳ありませんが、客間をお借りしても良いでしょうか」

「ええ、構いません。私達が招いておきながら、こんな事になってしまって……。どうかゆっくりと休まれていかれてください」

「有難うございます。では、アルディレーヌ嬢、ブランシュ嬢、フィニアの事を任せてもいいですか?」

「わかったわ」

「はい」

 フィニーが無事でいるかどうかを案じる気持ちでいっぱいになってしまっている私を支え、アルディレーヌとブランシュちゃんが、お屋敷の使用人の方に案内され後を付いて行く。
 
「すみません、私の妻も一緒に……お願い出来ますか?」

 背中にかかった伯爵の声に、私達は頷き、ブランシュちゃんが奥様を気遣うように支え、奥にある客間へと向かって歩みを進めた。



 ◇◆◇◆◇フェルディナス伯爵邸内◆◇◆◇◆

 ――Side セレイド


 フィニア達を見送った後、俺達は物盗りが侵入したと思われる部屋へと移った。
 ディダルヴァートと名乗った警備隊の隊長が統率する部下達が室内を調べており、物盗り達の行方を追う手掛かりはないかと調査に励んでいる。
 
「あそこが侵入口、ですか」

 窓辺へと近付き、器用にも、人の手が通れるように円形にくり抜かれた窓の一部に視線を落とすと、クレイラーゼ公爵が顎に緩く握り込んだ手を当て、同じようにその部分を見つめる。

「随分と器用な物盗りがいたものだね……。綺麗に丸くくり抜いて中の鍵を開錠するとは、上品なやり方もあったものだ」

「人様の邸宅に侵入する輩の、どこが上品なんでしょうね? ですが、余程手慣れている……と、ある意味感心したくなる方法で侵入したようですが」

「……なぁ、セレイド、レアンドル」

 窓辺に集まって侵入口を観察していると、俺とクレイラーゼ公爵の間からグラーゼス殿下が顔を出し、何かに思い当たったように声をかけてきた。
 
「この丸い穴……、何か思い出さないか?」

「思い出す……、何をですか?」

「おい、そこの……え~と、ディダルヴァートだっけ? 夜盗、物盗りの線で手配書がまわってる奴らのリストは持って来てるのか?」

 後ろを振り返り、俺達の行動に不満そうな視線を送っていた警備隊の隊長に声を投げたグラーゼス殿下に対し、相手がこの王国の王子だと知らないディダルヴァート氏が、部下からリストを受け取り近寄ってくる。
 王国内で問題となっている犯罪者達のリストは、どこの町の警備隊にも配布されており、それぞれにリスト化して、すぐに照合出来るようにしているはずだ。
 ディダルヴァート氏が寄越したリストも、きちんと犯罪者の名前順に整理されているようだ。
 それを受け取った殿下がパラパラと捲り、あったあったと声を上げた。

「真似ただけかもしれないが、……侵入のやり方が似てると思わないか?」

「……『マルヴェルカ』ですか」

「確か、一時期、王都中を荒らし回っていた物盗りの一団だね。残党が王都の外に逃げ延びた、と……聞いてはいたけど、そういう事なのかい?」

 マルヴェルカ……、それは、クレイラーゼ公爵の言う通り、三年程前に王都を騒がせていた物盗りの一団の名前だ。
 貴族達の屋敷を主として狙い、一団の中に上手く立ち回れる者がいたお蔭か、その被害件数は二十を超えていた。
 一団を統率していた男と、主たる人物達が捕まったと聞いているが……。

「一団がバラバラになってしまったせいか、残党も大人しくしているようだと思っていたけれど、まさか、王都から遠く離れた場所でまたやってくれるとはね……」

「金に困ったのか、人から取る事にまた味をしめたのか……。まぁ、いずれにせよ、尻尾を出した以上、今度こそ王都で捕まってるお仲間の所に、……放り込んでやるべきだよな」

「いっそ死刑でも良い気はしますがね。俺の愛しい人を悲しませ、今も不安の底に突き落としている輩には、とっておきの責め苦を提供してあげるべきでしょう……」

 フィニアとフィニーの仕返しを心に決めた俺は、自分でも凶悪だと思える笑いを小さく零し、眼鏡の真ん中に指先を添えた。
 本当の家族との生活に戻れたフィニーを、身を切る思いで大切な子犬を伯爵夫妻の許に帰したフィニアの涙と深い想いを……、踏み躙るように引き裂いた代償は高くつく。

「おやおや、残党達も君の恨みを買っては、……この屋敷で仕事をした事をさぞかし後悔する事になるだろうね」

「何か……物盗り達に同情したくなってきた」

「……マルヴェルカ、か」

 やれやれと苦笑するクレイラーゼ公爵と、そんな必要もないのに物盗りなどに同情の念を抱く殿下。
 そして、二人とは正反対に、全く動じる事なく、部下達へと指示を出し始めるディダルヴァート氏。
 マルヴェルカの残党と思わしき者達を捕まえる捜査に加わる事を伝え、一度は拒まれたものの、俺の丁寧な申し出を繰り返した事で、了承を得た。
 
「いや、セレイド……、あれ、申し出って言わないだろ。お願いにもなってない、……脅迫紛いの、んぐっ」

「やめておいた方が良いよ。俺達までグレイシャール侯爵の怒りに触れてしまうからね。あぁ、ディダルヴァート殿、俺と、こちらのグラーシェル殿も捜査に協力するから、……そんなに迷惑そうな表情を浮かべないでくれないかな?」

「……お好きにどうぞ。ですが、私達の邪魔だけは……なさらないようにお願いいたします」

 初対面の相手である俺達を、いや、伯爵夫妻に対してもだろうが、貴族という立場の者を好意的には思っていない視線と声音で、渋々頷かせられたディダルヴァート氏が念を押してくる。
 ……あまり深くは追及したくないが、恐らく、貴族に対して何らかのわだかまりがあるのだろう。
 まぁ、それは俺にとってはどうでもいい事だ。
 敵意のような視線と、歓迎されない言葉を向けられたところで、俺達の心に害を成される事はない。
 けれど、ここに辿り着いた時、玄関ホールに入って来た俺達、……フィニアに対しても同じ視線と気配を向けていたから、捜査協力の了承を得る時に、ディダルヴァート氏には心ばかりの精神的圧力をかけておいたから、まぁ、良しとしておくか。
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