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~番外編・グラーゼス×アルディレーヌ~
【番外編】逃避恋愛事情4
しおりを挟む――Side アルディレーヌ
「縁談?」
「あぁ、丁度良く……、と、こう言ってはなんだが、ヴァルグ伯爵家の長男が花嫁選びをしたいそうでな。その花嫁候補の一人に、お前を指名してきている」
ヴァルグ伯爵家、か……。
そこの長男っていうと……、確か、あぁ、そうだわ。
十代の頃はグランティアラ王国の騎士団に在籍し、数々の武勇を馳せたとか何とかいう噂があって、伯爵家の次期当主でなければ次期騎士団長の座もあり得た男。
私も、社交場や一年に一度ある武術大会の場でその男を見かけた事があるし、何度か言葉を交わした事もある。服越しにもわかる、鍛え上げられた身体。
一見して怖そうな気配があるけれど、話してみれば華のある男だった。
ダリュシアン・ヴァルグ……。私よりも十は年上の男だけど……、まぁ、許容範囲かしらね。
貴族の娘は、良縁に恵まれなければ何十歳も年上の男に嫁がされる事もあるし、それに比べれば幸せな要素が満載だわ。
でも……、お父様から呼び出されてその話を聞かされた私は、特に心が浮き立つ事もない。
グラーゼスの馬鹿にとんでもない目に遭わされてから一ヶ月程……。
顔を合わせる事や、強引な手口で会いに来られる事もなかったけれど、……私の頭の中には、毎日のようにアイツが居座っている。
私を、いつものように素直な声音で呼ぶグラーゼスの姿や、私に蹴り飛ばされても笑っている能天気な姿、今まで二人で過ごしてきた日々が巡り……、最後には必ず、あの馬車内で見せた男の顔になる。艶を滲ませた切なげな声、あの場所で私に触れた、グラーゼスの温もり。
思い出す度に、……抑え込んで目を背けている自分の中の何かが、甘く、疼いてしまう。
「まぁ、お前の気が進むのであればだが、一度考えてみなさい。もしも、互いに気が合ってそういう事になれば、……殿下の件も一気に片が着くだろうしな」
「……お父様」
「ん?」
「私が……、アイツを選んだら、……シャルドレア家はどうなるのかしらね」
「アルディレーヌ? お前、何を言って」
自然と、唇から小さく、頼りなく紡がれた私の言葉。
怪訝そうに眉を顰めたお父様が、私の座っている方のソファーへと歩み寄り、肩に手を置いてきた。その感触と、お父様が私の名をもう一度口にした事で、ようやく我に返る事が出来た。
私……、今、何を言ったの? 私が、グラーゼスを……、選んだら、って……。
あり得ない事を何故口走ったのか……、自分でも、よく、わからない。
「ご、ごめんなさい……。何でもないわ」
「アルディレーヌ……」
心配そうな顔になったお父様に少しだけ笑みを浮かべて返事を伝える。
ヴァルグ家の長男との縁談……、他に候補がいるとしても、良い機会だ。
ダリュシアンと結婚すれば、グラーゼスにはもうどうする事も出来なくなる。
もう、……追いかけられずに、心を乱されずに、済む。
「お父様……、私、受けるわ。その縁談」
「……」
これがお父様とシャルドレア家が望んでいた答え。私の答え。……そうでしょう?
何か言いたげなお父様の視線から逃れ、私は自分の部屋に戻った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――Side グラーゼス
「セレイド~……、これで今日の分は終わり、だよなぁ?」
「ええ。お疲れ様でした、殿下。馬車馬のように働いて下さったお陰で、予定よりも早く有意義な時間を過ごせそうですよ」
入室してきた文官達に書類の山を預け、一段落ついたとソファーに倒れ込む。
セレイドの言う通り、最近の俺は仕事を早く片付けて行動する為に普段以上の稼働率を見せている。何日も、何日も、頑固な父上を説き伏せる為の時間を確保する為に。
アルディレーヌは俺を嫌ってないし、意識してないわけでもない。
それは、あの日に馬車の中で見せてくれた最高に可愛い反応が物語っている。
最初はただ話をするだけだったっていうのに……、アルディレーヌのツンとした態度を見ていたら速攻でキレた。あの余裕ぶった仮面を剥ぎ取ってやりたくて、何が何でも俺を男として意識させたくて……、無理矢理アイツの唇を奪って……。
あの時の、アルディレーヌの潤んだ瞳や、俺とのキスで感じながら漏らしていた可愛い声。
あぁ、何度思い出しても胸がドキドキする。アルディレーヌの女としての部分を引き出せた喜びが凄まじくて、調子に乗ってあんな事までしてしまった。
正直、あの場で強引に抱いてしまいたいとも思った。
けど、それをやったら確実に嫌われる。平手や張り手、飛び蹴り回し蹴り、そんなもんじゃ済まないレベルだが……、他の男に奪われるよりも早く、アルディレーヌを抱いて自分のものにしたいと思ったのは事実だ。
アルディレーヌの実兄、アドルフォンが乗り込んで来なければ……、危なかったかもしれない。
真剣に俺の事を見てくれない想い人に怒りが募って、意地になっていただろうからな。
「はぁ……、会いたい」
「殿下……、まさかとは思いますが、まだ、面倒な恋愛騒動を続けていらっしゃるんですか? 諦めの悪い人ですね」
クッションを抱き締めながらセンチメンタルに陥っている俺に、セレイドは相変わらず容赦がない。面倒って何だよ、俺は正真正銘、アルディレーヌに対して本気の本気、大真面目なんだぞ!!
王家とシャルドレア家の関係を、俺とアイツが結婚しても問題ないように案を考え、それを連日父上にぶつけてるってのに……、駄目だ駄目だの鉄壁具合。
昔から続いている関係性や役割を変えるのはタブーだとか、言いたい事はわかるぞ。
けどな、それを変えなきゃ、俺とアルディレーヌは結ばれないんだ!!
「セレイド……、前にも言ったけど、お前も本気の恋をしてみろよ。絶対に、世界のどこかにいるから。お前だけの唯一が」
「だから、それはあり得ないと何度も言っているでしょう? 本気の恋とやらに狂って道を踏み外すなど、愚の骨頂ですよ」
「踏み外しても構わないくらい……、本気の恋ってのは自分を変えるものなんだよ」
「……はぁ、価値観が違うのですから仕方ありませんね。で? 一向に叶う様子がないとお見受けしますが、これからどうするんですか?」
愛を否定するくせに、幼い頃からの付き合いがあるせいか、セレイドはさっさと執務室を後にはしない。一応帰り支度だけは済ませ、ソファーに座りなおして長い足を組みかえている。
どうせ、俺が何を言っても否定するし、反対するんだろう?
それなのに、話だけは聞いてやる、って態度がセレイドらしいというか……。
「……アイツとは、その、家の繋がりで縁がある事は説明したが、結構付き合いが長いんだ。家族みたいな、というか、友人関係が一番近い、か。ともかく、俺にとってアイツはどんな女よりも近い存在で……、一緒にいると、凄く、嬉しいんだ」
最初は、本当にただの興味だけだった。
女としては見ていなかったし、年下の割に頭もまわるし、面白い物語を作る令嬢だと……。
好奇心だけで接していたあの頃……、二人で過ごす時間が長くなるにつれて……。
確か、俺が十八の歳だ。アルディレーヌの身体もだんだんと丸みを帯びて、女性らしい膨らみがドレス越しに見られるようになった頃。
十四歳になって正式に社交界デビューが許されたアルディレーヌが王宮の舞踏会に足を踏み入れた時の事だ。
王子として話しかけるわけにはいかなかった俺は……、アイツが初めて家族以外の男といる姿を見てしまった。その細腰を抱き寄せ、ダンスに誘う貴族の男達。
俺と一緒にいても、大抵は執筆している世界にどっぷりと沈み込んでいるはずの、アルディレーヌのその目が、俺ではない男を見る。社交辞令の言葉を口にし、舞踏会の華やかな輪の中に溶け込んでいく。社交界にデビューするという事は、アルディレーヌの存在が数多の貴族達に知られ、気に入られてしまう可能性がある事だと、あの時初めて思い知った。
「アイツの事は、それまで妹……、いや、姉? とにかく、俺にとって大事な家族みたいなものだと思っていたんだ。他の令嬢達相手だと、王子として色々と気を張ってたし、素のままで接してきた女がいなかったのも事実だけど、……それを抜きにしても、俺にとってアイツが特別だって事に、あの舞踏会の夜から暫くして、気付いた」
「家族のような存在に向ける親愛と、勘違いしている可能性は?」
「散々やった」
「おや、これは失礼。ですが、俺個人の意見として言わせて貰えば、殿下のそれは恋愛対象として認識出来る相手が彼女しかいなかった、そうとしか思えませんね。素を見せられる他の女性が多くいれば、意識はそちらにも向いていたはずです」
本当にこいつは……。そんなもしもの今を仮定したところで、なんの意味もないだろうに。
恨みを籠めた目でセレイドの方を見やれば、案の定、呆れを宿した溜息を吐く姿が見えた。
叶わぬ恋に身を焦がす……。それが、セレイドにはやはり理解不能なのだろう。
たとえ誰かを本気で愛したとしても、いずれはその熱は冷め……、裏切りへと変わる。
だから、セレイドは俺の抱えている想いを理解しないし、成就を願う俺の努力を、無駄だと思っている。わかってほしいけれど……、やっぱり、まだ無理なんだろうな。
「好きなんだよ……、アイツの事が」
「……はぁ、恋は盲目という言葉もありますが、今の殿下は重症のご様子ですね。では、こうしましょう」
「え?」
「殿下、俺と一緒に今から城下へ行きましょう」
「何で?」
「息抜きです。ひとつの事にばかり目を向けている今は、殿下の心にも身体にも良くありません」
いやいや、今から父上とまた押し問答で面倒な時間を過ごす予定があるのに、そんな事をしてる暇は……。断ろうとした俺だったが、有無を言わせぬセレイドの迫力に圧され、結局城下に向かう事になってしまった。グランティアラの第一王子としての姿ではなく、黒髪に染めた……、グラーシェルという名の男として。
偽りの姿だが、けれど、何の立場にも縛られない、俺自身として。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「せ、セレイド~……? こ、これは、一体」
「グラーシェル、何事も経験が大事というでしょう? 貴方は、もっと色々な女性を知る事から人生をやり直した方がいい。さぁ、思う存分に一人の男として楽しんで下さい」
グランティアラ王国、その王都内にある……、一軒の店。
いや、店、というよりは……、貴族の屋敷そのものなんだが。
上等の屋敷と広い敷地全体が店の役割を果たしているらしく、意外な光景が広がっていた。
カラフルな風船や飾りつけの施された庭園には幾つもの白い丸テーブルや椅子が置かれており、座っているのは主に男ばかり。そして、その周囲には動物の耳や尻尾を模した仮装品を身に着けたエプロンドレスの女性達が多く行き交っている。
テーブルにメニュー表と、……こっちは、女の子の写真がずらりと載った一覧表。
「ここは、世の男達の疲れを癒してくれる素晴らしい場所なのですよ。俺も友人達とたまに来るんですが、中々に良いサービスをしてくれます」
「……い、いかがわしい店じゃない、よな?」
「勿論ですよ。ちゃんと国から認可の下りた健全な店です。ほら、皆楽しそうでしょう?」
ケモ耳尻尾で接客を行う店に、下りたのか……、認可。
まぁ、ただ仲良く話をしているだけのようだし、害はない、か。
……にしても、自分達の給仕役を選べるとはなぁ。
セレイド曰く、上級会員の自分が一緒に来ているから、どんな子でもすぐに呼ぶ事が出来る、と。
おい、セレイド……、お前は普段、俺の知らないところでどんな世界を開拓してるんだよ。
意識がどこか遠くに飛びそうな気がしたが、来てしまった以上は誰か給仕役を選ぶべきなのだろう。……だが、一覧表のどの子を見ても、俺の心は動かない。
それどころか、アルディレーヌがエプロンドレスを着て目の前に現れてくれたら最高に幸せだなぁ、などと考えてしまう始末! あぁ、完全に末期の重症、本気の恋につける薬はない。
「……適当に、茶を飲んで帰りたい」
「おやおや、やる気のない事ですね。では、俺が選ばせて頂きましょうか」
「はぁ、好きにしてくれ」
どんなに綺麗でも、可愛くても、妖艶でも、俺にとっては意味がない。
手慣れた様子で給仕役を選ぶセレイドに呆れながら、真昼の青空を見上げる。
今頃……、アルディレーヌは何をしているのだろうか。
いつものように執筆をしているのか、女友達と出掛けているのか、それとも……。
俺と交わしたキスの感触を忘れていなければいい……。
俺の事だけ考えて、あの時の快楽を思い出しながら……、身体を疼かせていればいいのに。
無視をされて、一連の事をなかった事にされるよりも、良い意味でも悪い意味でも俺の事で頭をいっぱいにしていてくれればいいのにと、そう思う。
あぁ……、アルディレーヌに会いたい。こんなとこでお茶してる時間が物凄く無駄に思える。
と、俺がげんなりと何度目かの息を吐いた後、セレイドが選んだ給仕役の少女達が嬉々とした営業スマイルでやってきた。――しかし。
「何でお前だけ……、俺と仕様が違うんだよ!!」
「はい? ここは『アニマル・カフェ』ですからね。動物の要素を兼ね備えた女性達が主な給仕役ですが、本物の動物がいないとは言ってませんよ?」
「キュゥ~!」
「ミュゥッ、ミュゥ~!!」
両サイド、可愛い系と美人系の巨乳メイドに嬉し恥ずかしテイストなもてなしを受けている俺の困惑を他所に、セレイドが愛でているのは正真正銘の可愛い小動物達!!
くそっ、羨ましいぞ……、セレイド!! 俺もそっちの可愛いもふもふが良い!!
ってか、上級会員になるほど、まさかお前はメイドそっちのけで動物達ばかり可愛がりに来てたのか!?
セレイドの腕の中には桃色のウサギが心地良さそうに収まっており、膝の上には子犬やら猫やら……。
「疲れていると、癒しが欲しくなるんですよね~。あぁ、よしよし、俺に会いたくて堪らなかったのですね? ふふ、俺も寂しかったですよ」
「ふふ、グレイシャール侯爵様ったら、いっつもこうなんですよ~。私達の事なんか適当にしか相手にしてくれなくて、うぅっ、すっごく寂しいんです~」
「そ、そうなのか……」
「お客様は違いますよね? 私達の事……、可愛がって下さいますわよね?」
「あ、あの……、お、お手柔らかにっ」
何で俺だけがこんな目に!!
妖艶な豹耳メイドに顎先を指で持ち上げられ、ウサ耳の可愛い系メイドにはケーキをフォークで一切れ分口元に持ってこられ、――ぁあああっ!! こんなの俺は望んでなぁあああい!!
それからの一時間は……、本当に、本当に、ギリギリのラインでの攻防を余儀なくされ、俺はハーレム状態の責め苦に内心で悲鳴を上げ続ける事になったのだった。
――そして、ぐったりと疲れ果てた体(てい)で店を出た後、思いもよらぬ光景を目にする事になったのは、それからすぐの事。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ん~、この独特の香り、アイツの傍にいるようで落ち着くなぁ」
三階建ての大型文具用品店。ここはアルディレーヌがよく足を向けている気に入りの場所で、俺も何度か一緒に来た事がある。
今みたいに黒髪の変装姿で……、アイツと執筆に必要な万年筆や用紙を選んだり、二階にあるカフェスペースで話をしたり。
あぁ、そうだ。アルディレーヌの誕生日には、俺が自分で選んだ万年筆を贈ったりしていたな。
大喜びをするようなタイプじゃないけど、ラッピングを開けてそれを目にした時のアルディレーヌは、確かに心から喜んでくれていた。
あの幸せな日常は……、アイツが俺を選んでくれない限りは、二度と巡って来ないんだろうな。
「……先程の場所よりも、随分と楽しそうですね? グラーシェル」
「そりゃあ勿論。メイドは確かに可愛いと思うが、俺にはアイツが一番だからな。それに……、ここにいると、アイツの傍にいられるようで、なんか楽しいんだ」
「楽しい、ですか……。ふむ」
一階のフロアに入荷してある新商品コーナーを眺めていた俺の隣に立ち、セレイドが何かを思案しているかのように顎へと指先を添えた。やっぱり、理解し難い、って顔だな。
セレイドには理解出来ない、いや、多分……、そういう相手に巡り会えていないから、過去のトラウマもあって壁を作っているだけなんだろう。
なぁ、セレイド……、確かに人は、裏切りを犯す事もあるし、愛だって永遠じゃないかもしれない。だけど、そんな事なんかどうでもよくなるくらいに翻弄されて、苦しみながらも幸せを感じられるのが、誰かを愛するって事なんじゃないのか?
遥か先の不幸や悲劇なんか知らない。ただ、今を大事にしたいだけなんだ……。
「……俺には、貴方の言っている事も、抱えている想いも、やはり理解は出来ません。けれど、ただひとつわかるのは……、貴方が後悔しない生き方を選んでいる、という事だけです」
「セレイド……」
「本当は、陛下に頼まれたのですよ。貴方が他の女性を見るように、何でもいいから気を逸らしてくれ、と。今日も、あのカフェだけでなく、日が暮れたら夜会にも誘う気でいました。ですが……、俺には荷が重すぎたようですね。俺はもうここで失礼しますから、後はお好きにどうぞ」
仕事を、国王直々に下した命(めい)を、セレイドは苦笑を零しながら放棄した。
俺の肩に手を添え、理解は出来ないがと再度前置きして呟く。
「駆け落ちの手引きが必要になりましたら、貴方の臣下としてではなく、友として手を貸しますよ」
「セレイド……、お前」
王家に忠誠を誓うグレイシャール侯爵家の当主としてではなく、俺の友として……。
そう言ってくれたセレイドの垣間見せた情の深さに涙腺が緩み、俺は衝動的にフロアのど真ん中で友の身体を抱き締めにかかった。
「うぅっ、セレイドぉおおおっ!! お前、冷酷非道に見えても、やっぱり俺の友達だな!! あぁっ、もうっ、大好きだぁあああっ!!」
「ぐっ……!! や、やめてくれませんかっ? 俺はノーマルなんですっ、くっ、離れ、ぐぐっ」
「セレイドぉおお」
スリスリスリスリスリ!!
と、調子に乗って感激していたら、その場で張っ倒されてしまった。
息を乱して荒ぶるセレイドの靴の踵にグリグリと背中を踏み付けられ、ついでにその懐から取り出された鞭でビシーン!! バシーン!! と……。うぅっ、痛い、痛いけど、セレイドの友情に喜びが止まらない!!
フロアにいた店員や客達が思いっきり引いているけどな!!
「はぁ、はぁ……っ、貴方のような男に好かれた女性に、心底同情しますよっ」
「うぅ~……、ちょぉ~っと感情が昂ぶって力は入り過ぎただけじゃないか。そんな全力で嫌がんなくてもっ」
「抱き着いてきた事自体が大問題なんですよ!! ……ふぅ、もう付き合いきれません。俺は帰ります。好きなだけここで想い人の面影でも匂いでも追い求めてください! では!!」
女や動物相手には拒まないくせに、なんて差別だ……。
だが、あれもきっとセレイドなりの照れ隠しなんだろうな。ふふ、そう思ったら、踏み付けられて鞭打たれた身体の痛みなんかどうって事ない。
よいせっと勢いをつけて立ち上がり、俺は遠くなっていくセレイドの背中に手を振って見送りの言葉を笑顔と共に投げかけたのだった。
そして、今度は二階に行ってみるかと上機嫌で歩みを進めた先で……。
「アルディ、レーヌ……?」
ブラウンの絨毯が広がる、沢山の棚が並んだ二階のフロア。
文筆業や画家をやっている者達の役に立つ資料本が商品として並ぶその場所を歩いていると、奥の方に見知った顔を見つけた。
普段よりも、女らしく着飾った装いのアルディレーヌが……、窓際の方で、俺ではない誰かに、笑いかけている。
荒々しいクセのある黒銀の髪を撫でつけている、俺よりも年上に見える……、軍人のように鍛え上げられた身体つきの美丈夫。
俺は咄嗟に棚の陰に隠れた。……あれは、ヴァルグ家の嫡男、だよな?
ダリュシアン・ヴァルグ……、何故あの男が、アルディレーヌと一緒にいるんだ?
俺以外の男とアルディレーヌが友好を築いている話なんか聞いた事も、そんな光景を一度も見た事なんかなかったのに……。
仲睦まじく寄り添っている二人の姿は、本物の恋人同士のようにも見えて……。
簡単に自分の肩をあの男に抱かせているアルディレーヌに、胸の奥で嫌な感覚が湧き上がってくる。不快な黒い熱……、棚の陰から見える幸せそうな一枚絵のような光景を、今すぐに引き裂いてしまいたいという、醜い衝動。
それを抑えきれなくなった俺は、――二人の許へと歩みだしていた。
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