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~番外編・グラーゼス×アルディレーヌ~

【番外編】逃避恋愛事情1(全20話)

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※グラーゼス×アルディレーヌの、両想いになる前のお話です。
 どうぞよろしくお願いいたします。



――Side アルディレーヌ


「アルディレェエエエエエエエエエヌ!!」

「げっ!!」

 帰りの馬車に乗ろうとしたその瞬間、王宮の中から大迷惑この上ない大声をあげながら爆走してくる男の姿を見た。
 あ~あぁ……、今回は逃げられると思ったのに、やっぱり、こうなるのね。
 王族の正装に身を包み、息を切らしながら私の腕を捕らえたのは、この国の第一王子、グラーゼス。一応、品行方正の物腰穏やかな王子様、っていう評判を背負ってる男なんだけど……。

「はぁ、はぁ……っ、ひ、酷いぞっ、アルディレーヌっ。俺が父上と話している間にトンズラとかっ」

「はぁ……、別に逃げてないわよ。親子水入らずにしてあげただけ」

「話が終わるまで待っててくれてもいいだろ~……。大体、今夜はそのまま俺の部屋に泊まるって、いつも約束がっ」

「気が向かない場合は無理、って、言ってるわよね? いつも」

「ううっ……」

 冷ややかに睨んでやれば、グラーゼスは一歩下がって悔しそうな音を漏らした。
 全く……、何度同じやり取りを繰り返せばいいんだか。
 私とこの男、グラーゼス・グランティアラが恋仲になってから、早一年と少し。
 最初は付き合う気なんか全然なくて、二度に渡る告白も足蹴にしてやったっていうのに……、最後には、結局……、落とされてしまった。
 グランティアラ王国、第一王子の恋人。
 国中の令嬢達が夢見る、女性にとって最高位を望める立場。
 正直言って、私にとっては面倒でしかない、――未来の王妃となる為のチケット。
 それを手にしてしまった私に課せられた、グラーゼスの恋人としての義務的なイベント。
 ――それが、今夜私がこなしてきた、グランティアラ王族との夕食の席。
 別名、未来の王妃を家族で囲ってしまおう大作戦!! ってやつだけど、その苦行が終わると、次はグラーゼスの部屋で恋人同士の時間が待ち構えてる、ってわけ。
 でも、今夜は国王陛下からの遠回しな猛攻が激しすぎて……、早く帰って寝たいのよねぇ。

「明日また執務室に行ってあげるから、ハウス」

「犬扱い!? うぅっ、アルディレーヌ~っ、せめて、せめて、俺の部屋で一泊っ。何もしないからっ、一緒に寝てくれるだけでいいからっ」

 こっちを見ながら微笑ましそうにしている女官達の方を指差し、もう一度同じ言葉を繰り返す。

「ハウス!!」

 恋人同士は一緒にいるだけで幸せとか、癒し感が増すとか聞くけど、今夜の私は違うのよ。
 一人で、誰にも邪魔されない自分の寝床で、ゆっくりと眠りたいの。
 それを邪魔する奴は、たとえ相手が恋人であろうと容赦しないわよ……。

「あ、ぅぅっ……、ほ、本気で機嫌悪い、っていうか、疲れてるんだな、アルディレーヌっ」

「ふぅ……、相手がアンタの家族となると、私にも色々とあるのよ」

 次期国王たる第一王子が選んだ、未来の伴侶。
 グラーゼスの家族からしてみれば、『シャルドレア伯爵家』の娘(私)がその相手となってしまった事に関しては、色々と心中複雑でしょうに……。
 最初の戸惑いも何のその、今では吹っ切れてしまったのか……、遠回しな『催促』が凄まじい。
 王宮料理人の腕を思う存分味わう余裕もなく、食事の席が終わる頃にはこの通り、へろへろよ。
 だから、早く帰って寝たいんだけど……、まだ諦める様子がないわね。
 
「アルディレー」

「申し訳ありません、グラーゼス殿下。アルディレーヌお嬢様の御身を慮って下さるのなら、どうか、今宵は屋敷への道をお許しください」

 諦めかけている、けれど、まだ諦められない。
 そんな表情で私を抱き寄せようとしたグラーゼスとの間に、すかさず割り込んで来たのは、シャルドレア伯爵家の執事、ファシュレ。私の専属執事で、たとえ相手が王族であろうと、その目に媚びる気配や怯えの類は浮かばない。
 元々は、私の実兄付きの執事。それを自分の専属とする事になったのは、グラーゼスの事がきっかけだった。
――『シャルドレア伯爵家』と、『グランティアラ王家』。
 一伯爵家として国に在り続け、陰から王家を守護する一族。
 それが、私の生まれた、私が育ってきた、シャルドレア伯爵家の在り方。
 国王陛下の障害となる不穏分子に対し、その存在を気取られずに、陰で動く手足。
 表向きには、フィニアの婚約者であるセレイド様の家、『グレイシャール侯爵家』が、表と裏において、グランティアラ王家を支える柱として在り続けている。
 けれど、シャルドレア伯爵家は違う。王家と親密な様子は見せず、ただの臣下として在る家のひとつ……、そのはずだった。
 グラーゼスが私と出会い、私と過ごす日々の中で……、特別な想いを抱くまでは。

「アルディレーヌ……」

「そんな捨て犬っぽい目をするんじゃないわよ。大丈夫、ちゃんと明日、アンタの所に行ってあげるから。だから、今夜は大人しく戻りなさい」

 わかってる。グラーゼスが私に甘えたがる理由も、不安そうに私を見る理由も。
 必死に私を繋ぎとめたいと、そう、思っている事も……。
 
「……わかった。今夜は引き下がる。おやすみ、アルディレーヌ」

「おやすみ、グラーゼス。良い夢を。行くわよ、ファシュレ」

「かしこまりました、お嬢様」

 ファシュレの手を借り馬車に乗り込むと、黒馬の嘶きと共に、帰りの道を進み始めた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「はぁ……」

「相当に、お疲れのご様子ですね。アルディレーヌお嬢様」

 馬車の中でようやくひと息つけたというか、逃亡に成功したというか……。
 黒馬の嘶きと、身体に感じている、心地良い揺れ。
 普段はそうでもないけど、グランティアラ王族の方々との食事の席となると……、やっぱり、精神的な圧力や疲労感が半端ないのよね。
 最初はあんなに反対していたくせに……、覚悟を決めると、とことん攻めてくる。
 私がグランティアラ王家に嫁ぐ事で、自分達の手足が動かし難くなる事も、全て承知の上で。
 目の前の席に座っているファシュレも、それをよくわかっている……、のに、微笑ましそうに私を眺めていられるのは、根が図太いからに違いないわ。

「お互いにとって不利益だってのに、……よくやるわよ、あの一家は」

「ふふ、仕方ありませんよ。グラーゼス殿下と同じように、陛下も心を決められると、一直線の方のようですし」

「吹っ切れすぎ……。はぁ、このままだと、本当に嫁ぐ事になっちゃいそうよねぇ」

「お嫌ですか?」


「……さぁ、どうかしらね」

 口元を羽根付きの扇で隠し、視線を外に逃がす。
 グランティアラ王家に嫁ぐという事は、王妃として、国の母になるという事。
 その重責がどれ程のものか……。生憎と、私は夢見る令嬢の類とは正反対だから。
 自分を『縛る』事になる、王妃という『枷』に関しては、……楽観的ではいられないのよ。
 けど、ファシュレにはお見通しなんでしょうね。
 どうせ逃げられない、逃げようとしない。アルディレーヌ・シャルドレアは、グラーゼス・グランティアラを切り捨てる事は出来ない、って。

「もし、アルディレーヌお嬢様が王家へ嫁ぐ事を本気で拒まれるのなら、私から旦那様にお願いいたしましょうか? 当家の姫をお守りください、と」

「ファシュレ、私の足元で四つん這いになりなさいな。――遠慮なく踏みつけてやるから」

「ふふ、お断りいたします。私はグラーゼス殿下と違って、ノーマルな気質ですから」

 主人からの命令でも、あっさりと拒むその図々しさとふてぶてしさがまた、この執事の腹の底がどんな色かを物語ってるわね。
 まぁ、ウチの家族も同じようなものだけど、答えのわかっている問いを笑顔で向けてくるところが、本当に腹立たしいわ。

「ですが……、そろそろ、答えを出すべきではないでしょうか? あまりふらふらとなさっていると、我が国の次期国王陛下が大暴走をなさりかねませんし……」

「ファシュレ~……、ちょっと黙ってなさい。本当に現実化したらどうしてくれるのよ……」

「それもまた、お嬢様次第でしょうね」

 グラーゼスを切り捨てるのか、覚悟を決めて、王妃としての未来へ歩むべきなのか。
 優柔不断のままでいられる時間は、あまり多くはない。
 私が迷いを抱き続ける限り、後手にまわるのは、お父様や兄さん達。
 どちらの道に舵をとるのか、いい加減に答えを出さなきゃ……、グラーゼスも、不安を大きくするばかりだわ。
恋人状態という、曖昧な繋がり。いつでも解消できる関係。
まだ……、逃げ出す事の出来る、崖の近くに立っているかのような今の自分。

「はぁ……」


 本当に、最初はグラーゼスの事を受け入れる気なんて、微塵もなかったはずなのに……。
 諦めを知らない男の一途さと、その面倒さを脳裏に思い浮かべながら……、私は瞼を閉じた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 ――今から二年近く前の事。
 私がまだ、グラーゼスを国の第一王子として、ただの友人として見ていた頃の話……。

「それでは、私は用事がありますので失礼しますわ。カルネイス伯爵」

「もう、行ってしまわれるのですか? もう少しお話をしていたかったのですが」

「ふふ、それはまた、次の機会に」

 とある貴族の屋敷で社交辞令の一曲を終えた私は、別室に誘おうと甘い口説き文句を吐き始めた貴族の男を軽やかにかわし、バルコニーの方へと向かって急いだ。
 情報収集と貴族付き合いの一環とはいえ、欲を出してくる男の多さには辟易とするわ。
 遊びの相手か、それとも、本命を追い求めての事なのか。
 どちらにしても、その気のない私にとっては意味なしってところね。
 それに、私がいなくなっても、社交の場となっている広間には大勢の『蝶』が群れている。
 私への興味なんて、すぐに消え失せてしまう。そういう場なのよ。
 
「はぁ~……、疲れた」

 バルコニーへと避難した私は、一番奥の太い手摺りに両腕を添えながら溜息を吐いた。
 情報の収穫はまぁまぁってところだけど、もう少し、頑張ってみるべきかしら?
 グランティアラ王家からの『仕事』。それを引き受けた、私の生家である、シャルドレア伯爵家。
 その家に生まれた私も例外ではなく、時折こうやって、情報集めの仕事を任される事がある。
 華やかな衣装を身に纏い、貴族達の社交場を『蝶』のように舞いながら、必要な情報を引き出す役目。まだ年若い私には、深みに首を突っ込むなって命令が出てるから、危ない目に遭う事はないけれど……、今はあまり、こういう場所には来たくないのよね。
 冷たい夜気に息を溶かしながら、ある男の名を呟く。

「……グラーゼス」

 私の屋敷によく足を運んでくる、能天気な明るい男。
 あの男の事を思い出すと……、らしくもなく、胸の奥が切ないような、そんな疼きを覚えてしまう。
 私が執筆した原稿や、製本されたそれらを読んでは、楽しそうに感想を口にしてくれていた、子供のような純粋さを纏う、――この国の第一王子。
 次期国王位が約束されている男と、数ある伯爵家の、ただの娘。
 幼い頃に出会った私達は、主と臣下、という関係よりも、友人に近い心の繋がりを持っていた。
 ただの、友人。それ以上でも、以下でもない、私達の関係。……少なくとも、私はその関係を望んでいた。

「説得……、上手くいってるのかしらねぇ」

 シャルドレア伯爵家の当主と、グランティアラ王家の国王陛下。
 その二人が、この一ヶ月間、必死になって続けているのが、グラーゼスへの『説得』。
 誰に知られる事もなく、ひっそりと続けてきた、私とグラーゼスの友人関係。
 それを、あの男は何を考えているのか、ぶち壊しにかかってきた。
 一ヶ月と少し前の、王宮で開かれた舞踏会の場において……。
 今みたいに、バルコニーで休んでいた私に、あの大馬鹿者は……。

「楽観的過ぎる奴だとは思ってたけど……、本当に阿呆だわ、アイツ」

「――誰が阿呆だって?」

 グラーゼスのしでかしたド阿呆な所業に関して記憶を掘り出していると、すぐ耳元で声がした。
 お生憎様ね、私は普通の令嬢と違って、みだりに慌てたりしないのよ。
 背後から両手を手摺に伸ばしているその人物を振り返る事はせず、冷ややかに返事を返す。

「王子としての仕事以外、外出禁止じゃなかったかしら?」

「お前に会いたくて堪らなかった……、愛故の逃亡だって、察してくれないのか?」

「あら、それじゃあ、アンタの愛とやらを受け止めてくれる女の所に行ったらどう?」

「自分にとって都合の悪い事は聞かなかった事にするわけか? ……あの時のように」

 私の背後に陣取っている、諦めの悪い男。
 その声音は、普段のものよりも低く、苛立ちを必死に抑え込んでいる事が丸わかりだわ。
 まぁ、『逃げた』私に対する怒りだと思えば、当然かもしれないけれど……。

「さぁ、何の事かしらねぇ? それよりも、国の第一王子が夜会に顔を出している事が知られれば、『蝶』達が喜ぶんじゃないかしら? 行ってあげたら?」

「俺の捕まえたい『蝶』は、現実逃避が好きらしくてな? こうやって捕まえておかないと、すぐに飛び立ってしまう」

 手摺りに添えられていたその両腕が、私の身体を包み込むかのように抱き締め、次第に力を強めていった。
 ……はぁ、一ヶ月間の努力が台無しね。見つかった以上観念するしかないんでしょうけど、直接対決でこの男の心を折れるのかどうか。
 私を自分の作り上げた『檻』の中に閉じ込め、首筋に顔を沈み込ませてくる諦めの悪い男……、グランティアラ王国第一王子、グラーゼスの名を呼ぶ。

「私は何も聞いてないわ。だから、アンタも……、何も言ってない」

「アルディレーヌ、俺はっ」

「何もないの。私達の間には、何も、ね」

 肩口を擽る、グラーゼスの切なさを含んだ吐息は熱く、触れているだけでも毒だと感じられるもの。
 友人関係のままでいられれば良かったのに……。歳はグラーゼスの方が上だけど、私達は、友人であると同時に、逆転した姉と弟のような関係でもあった。
 それでいい。そのままで、いたかった……。
 けれど、グラーゼスはその関係を徐々に、自分の中で別のものへと変えていってしまったのだ。
 そんな事……、私は望んでいなかったのに。グラーゼスは……。

「もう帰るわ。アンタはゆっくりしていきなさいな。頑張って探せば、良い女が見つかるかもしれないわよ」

「ふざけるな!!」

「――っ」

 その拘束から逃れようと身を捩った直後、グラーゼスの怒声がバルコニーに響き渡った。
 今までに……、一度も聞いた事がない、本気の、心からの、激情。
 身体をくるりと回されたかと思うと、私はグラーゼスの胸へと押し付けられる形で抱き締められた。

「俺は……、お前の中で、そんなに無価値な存在なのかっ」

「ぐ、グラーゼスっ、ちょっ、は、離しなさいっ。苦しいでしょうがっ」

「俺の方が、ずっと、ずっと……、苦しかったっ。あの時、お前に告白をなかった事にされて、会っても貰えなくなって、振られるよりも……、ずっと、ずっと、苦しくて、堪らなかった……っ」

 変わってしまった、グラーゼスの……、私に対する心の在り方。
 気付かなかったわけじゃない。気付いていたけれど、……気付かないふりを、したかった。
 グラーゼスにとっての私が、一人の女になってしまった事を。
 だから、あの日……、王宮で催された舞踏会の最中、今と同じ状況で想いを告げられた時、逃げる道を選んだ。
 そうしなければ、捕まってしまう、と、そう思ったから……。
 でも、グラーゼスからしてみれば、勇気を振り絞っての告白だったのよね。
 返事を貰う事も出来ず、なかった事にされてしまえば、……こんな風に傷付いてしまう。
 
「もう一度言わせてほしい……、アルディレーヌ」
 
 ええ……、わかっているわ、グラーゼス。
 今度は逃げずに、アンタの想いを受け止めて……。

「俺と、――俺と、結婚してほしい」

「グラーゼス……、悪いけど、無理だわ。私ね、好きな人がいるのよ。だから、これからも良い友人でいてちょうだい」

 ニッコリと、私にしては珍しい満面の笑みで告白の返事を告げると……。
 
「……へ?」

 兄さん達が他国から持ち帰った土産物のひとつ、埴輪(はにわ)と呼ばれる人形と同じような表情で、グラーゼスはポカンと口を開けたのだった。
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