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~番外編・レアンドル×ブランシュ~
公爵様の蜜愛と、無垢なる天使の戸惑い5
しおりを挟む――Side ブランシュ
「やっぱり……、そういう類の物だったのですね」
レアンドル様との一件から一週間後、私はアルディレーヌお姉様のお屋敷にお邪魔していました。
あの上級淑女養成教室でヴァルド様から買い与えて頂いた髪飾り……。
危惧した通り、アルディレーヌお姉様の調べで悪事に利用される品だという事がわかったのです。
「盗聴と盗視の効果なんていうふざけた品でね、勿論あの髪飾りだけが特別ってわけじゃなくて、それを取り扱っていた商人の品、全部って感じかしら」
「きっと……、あの上級淑女養成教室の裏の顔と繋がっているんでしょうね」
「裏の顔、ですか?」
ティルムの実という甘い果実を使って作ったパイをサクリとフォークでひと口分に切りながら、アルディレーヌお姉様の隣に座っていたフィニアお姉様が困った顔つきでそう言われました。
上級淑女養成教室の……、『裏の顔』。
確かに、アルディレーヌお姉様とフィニアお姉様は、あの養成教室に通いながらも、心から楽しんでいる様子には思えませんでした。
時々、何かを探っているような、私にはわからない話をしていたようにも思えます。
「あの……、そろそろ私にも話してくださいませんか? お姉様達の邪魔になっていけないと思い、ずっと聞かずにおいたのですが」
「別に隠すつもりじゃなかったのよ? ただ、アンタの場合、レアンドル様絡みで色々と落ち込んでたでしょう? だから、私とフィニアだけで動いてたってわけ」
「ごめんなさいね、ブランシュちゃん……。実はね、グラーゼス殿下のお力になる為に、あの上級淑女養成教室で情報を集めていたの。でも、ブランシュちゃんのお蔭で証拠になりそうな品物のひとつも増えたし、あとは殿下にお任せしておけば大丈夫」
それはつまり、淑女を育てるという名目で、あの養成教室が裏で悪い事をしていた、という事なのでしょう。麗しい殿方が揃えられた養成教室……、令嬢の皆様がその真実を知れば、悲しまれるに違いありません。
花が咲き誇るかのような形を模して作られたクッキーを白いお皿からひとつ摘み上げ、私は溜息をつきました。
「最近、王都内で面倒な事件が起こってるでしょ? 貴族の娘が姿を消しただとか、家人に気づかれず財が盗まれた、とか……。あまりにも被害件数が多いから、グラーゼスが秘密裏に調査をするって言いだしたわけ。表沙汰にはなっていないけど、重要な処理を盗まれた貴族もいるらしいわよ」
「そう、……なのですか」
「一番多いのは、財を盗まれたって被害ね。どう考えても屋敷内の情報が全部漏れてるとしか思えない仕様でお金や貴金属を奪われているらしいわ。誰にも気づかれずにね」
強盗でないだけマシ……、と言ってはいけないのですが、怪我をしたり命を奪われた方は出ていないという言葉に、私はほっとしました。
けれど、誰にも気づかれずに……、その意味深な物言いに、私は首を傾げるしかありません。
グランティアラ王国では、以前にマルヴェルカという盗賊団が貴族達の屋敷へと盗みに入り、王都を騒がせておりました。彼らはすでに王国騎士団が捕らえ、刑に服している事になっていますが……。実は、国王陛下の手足となって働いていらっしゃる事を知ったのは、つい最近の事です。
ですから、現在貴族の方々に被害を出しているのは別の一団とみて、間違いないのでしょう。
「養成教室のオーナーと、一部の男達……、それから、出入りの商人も組んでるのは間違いないわね。やたらと気前の良い講師が多かったし、それも情報収集の為だと思えば納得出来るものだけど、潜り込ませてる奴の仕入れてきた情報からすると、令嬢の行方不明事件も、あの教室が絡んでるようだし」
「そ、そちらも、ですか?」
「あまりこういう言い方はしたくないのだけど……、私達女性は、あらゆる方面で利用価値があると思うの。特に貴族の令嬢ともなると、身代金目的だったり……」
「人身売買とか、吐き気のするような利用法が盛りだくさんだものね」
どうしてそんな恐ろしい事を……。
盗みと、令嬢の皆様を利用した悪事なんて……。
無意識に、膝の上に添えていた両手を怒りのあまり痛い程に握り込んでしまいます。
きっと今頃、攫われた令嬢の方々は助けを求めて救出の手を待っていらっしゃるはず……。
何もお力になれない私ですが、彼女達が無事であるように祈るばかりです。
「大丈夫よ、ブランシュ。今夜、グラーゼスが王国騎士団と一緒に乗り込む予定だから、令嬢達の居場所もすぐに割れるだろうし、後は全部男達に任せておけば万事OKよ」
頭上に軽く放り投げたクッキーをぱくりと頬張り、そう笑ったアルディレーヌお姉様に頷く。
グラーゼス殿下の命を受けた騎士団の方々が動いて下さるのなら、きっと、大丈夫……。
どうか上手く、無事に全てが良い形で終わりますように。
アルディレーヌお姉様の自信満々なお言葉に安堵しながら、私はティーカップへと手を伸ばすのでした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――Side レアンドル
「追え!! 一人残らず捕らえろ!!」
その晩、俺は上級淑女養成教室が開かれている屋敷へ突入した騎士団の捕縛劇を、グランティアラ王国の第一王子グラーゼスと共に見つめていた。
騎士団員達の怒号が飛び交い、邸内は荒々しい物音や叫び声が溢れている。
この教室を隠れ蓑として使っていたようだが、内部に潜り込んでしまえば、後ろめたい情報は幾らでも出てくるものだ。
アルディレーヌ嬢とフィニア嬢、そして、ブランシュが気づいてくれた証拠と共に、グラーゼスは今夜の突入を決行した。
潜り込ませておいた間者のお蔭で、屋敷の外に……、貴族の屋敷に向かっている一団も、今頃は待ち伏せを受けて一網打尽にされ始めている事だろう。
「美しく、誰もが振り向く高貴な蝶になりたいと願う女性達の心を利用するとは、万死に値する愚行だよ……」
養成教室の講師陣の中には、裏には関係のない者もいるが、それに関しては間者の方ですでにリスト化されてグラーゼスの手元にある。
事前に今夜の件を知らせて逃がすという手もあったが、念には念を……。
一度は騎士団に捕縛されてしまう事になるが、グラーゼスの方でフォローを準備している事だし、不快な思いをさせてしまう事に関しては目を瞑ってほしいところだ。
俺とグラーゼスは騒々しい光景を目にしながら屋敷の奥へと向かい、騎士団長たる黒髪の男が室内を苛立たしげに見まわしている姿と出くわした。
「申し訳ありません……、殿下」
「……親玉を、逃がした、という事か?」
詳しい報告を受けずとも、俺もグラーゼスも騎士団長の言わんとしている失態を察する事が出来た。騎士団長がこの奥の部屋に辿り着いた時にはもぬけの空(から)状態……。
淑女養成教室のオーナーを務める男がいたはずの部屋には、小さな宝箱がひとつ、手に取れと言いたげに机の上で待っていたらしい。
「音声を留めておける魔術道具のようです。触れる事により再生される類のものですが……」
「再生済みか?」
「はい。殿下にお聞かせするには、無礼以外の何物でもない品ですが……、如何いたしましょうか」
「構わない。やってくれ」
不快そうに小さな宝石箱の中に収まっている涙型のクリスタルを見下ろした騎士団長が、その表面へと手を伸ばした。
淡い青の光がクリスタルから徐々に輝きを増し、室内を穏やかな波を思わせる動きで彩り始める。
『初めまして、グランティアラの番犬諸君。我が屋敷のゴミばかりを相手にした気分はどうかな?』
「何……?」
『この国での仕事も簡単過ぎて飽きてきた頃だったのでね……。最後の盗みを終え次第お暇させて頂くつもりだよ。あぁ、ゴミに関しては好きにしてくれたまえ』
どこかで聞いたような、不快さを煽る男の声……。
ゴミと呼んだのは、この屋敷内に残っていた仲間達の事なのか、待ち伏せをされている一団の事も入っているのか……。そのねっとりとした低い声音に、俺達は眉を顰めた。
『可憐なる蕾をこの腕に抱く瞬間が楽しみだ……』
人を嘲り嗤う男の声は、やがて淡い青の光の収束と共に消えていった。
「間者を潜り込ませていたのがバレていた、って事だな……」
「殿下、残っている気配の余韻から見て、今から追えば間に合うかと」
教室の参加者としてこの屋敷に出入りしていたアルディーレヌ嬢とフィニア嬢の事ではなく、講師陣の中に潜ませておいた男の動き。それを見抜かれていたのか……。
俺達が用があるのは、使い捨ての駒ではなく、組織の中枢を担う者達だ。
今そいつらを国外に逃がしては、最悪の場合、攫われた令嬢達の行方が永遠に掴めなくなってしまう。だが、……残されていた音声にあった、最後の盗み、とは一体。
「可憐なる蕾……、か」
宝石か、それとも、女性を指す言葉だったのか……。
口元に指先を添えて考え込んでいると、騎士団員の一人が大慌ての様子で飛び込んできた。
「た、大変です!! 王都の数か所で、火の手が上がっています!!」
「火事、だと……?」
団員からの報告で、騎士団長が険しげに声を低める。
屋敷の外へと走り、庭に出たその瞬間……、夜空の漆黒を侵食するかのように揺らめく紅蓮が視界を埋め尽くした。
すでに、王宮から魔術師団や残っている騎士団が総出で火を消しに出始めている事だろうが、一体、何故、今……。
一か所ではなく数か所、王都のいたる所で火災は起きているらしい。
「王都の混乱を利用する気だね、これは……」
「そうみたいだな……。盗みの際に人を害していないからといって、その方面で無害なわけもない、か。マルヴェルカとは大違いだな」
「彼らは本物の義賊だったからね……。容赦はいらない相手だろう」
「騎士団長、少数精鋭の強行軍になるが、行ってくれるか?」
突然の火災騒ぎで、割ける人員は限られているのが腹立たしい事だ。
グラーゼスの優先事項としては、まず先に、自国の民の安全を守るのが先となる……。
民の命を犠牲としない為に、最強だと謳われている騎士団長に無理を頼む。
一国の王子からその命を問われる形で向けられた漆黒の髪の騎士団長は、静かにその任を請け負った。
「あの声の主は、最後の仕事をしていくと言っていた……。現時点で、王都の門は全て閉じられている……。だとすれば、その盗みを働くのは王都の中、そして、門が開くのは朝方。それまでにどこかで身を潜めるはずだ。グラーゼス」
「あぁ……。だが、この火事騒ぎで門の守りに穴が出来ている可能性もある。時間との勝負だな」
「道すがら、騎士団、魔術師団、両団に指示を与えていきます。それでは」
集まって来た騎士達を連れ、漆黒の騎士団長は屋敷の外へと駆け抜けて行った。
それを入れ替わりで魔術師団の一人がグラーゼスの許へと辿り着き、現在の火災状況が綴られた取り急ぎの書類を寄越してくる。
「……、……、……、ん?」
「どうしたんだい? グラーゼス」
書類に記載されている火災箇所をチェックしていたグラーゼスが、不意に視線の流れを止めるのが見えた。その手が小刻みに震え、俺の方へと青ざめた顔で振り向く。
「レアンドル……、急げ」
「グラーゼス?」
「パティーリア子爵家が……、炎に呑まれた」
「――っ!?」
予期せぬ言葉に、俺はグラーゼスの手から書類を奪い取り、各火災箇所の状況が簡易的に綴られたそれに目を走らせた。……パティーリア子爵邸に、大規模の火災、あり。
それぞれに火災の度合いは違うが、俺の愛するブランシュの屋敷は、その中でもかなりの被害に遭っていると書かれている。
ブランシュの……、彼女の家が、炎に?
「ブランシュ!!」
屋敷の外へと駆け出し、待たせておいた黒馬に勢いよく飛び乗った後、パティーリア子爵邸へと向かって全速力で王都を駆け抜けた。
恐らく、王都内の火の手のまわり方から見て、最初から混乱を生む準備をしていたのだろう。
そして、ブランシュの住んでいるパティーリア子爵邸もまた、あの男達が逃げ延びる為の駒として……。いや、待て。
互いに信頼し合っている黒馬が俺の焦る気持ちを察して駆け抜ける中、ふと生じた違和感。
先程、あの養成教室の屋敷に残されていた声の主……。
あの男が言っていた、可憐な蕾をその腕に抱く時……。
パティーリア子爵邸に向かいながら、嫌な予感が全身を駆け巡った。
「あの男か……!!」
彼女を強引に自分の屋敷へと連れ帰ったあの日、美しい装飾品と令嬢達が集まる場所で、ブランシュに触れていた男……。
思い出すのも忌々しいが、微かに覚えているあの男の声が、さっき聞いた音と重なった。
考え過ぎなのかもしれない……。だが、もしも、可憐な蕾がブランシュの事を指しているのであれば、今起きている火災は、もうひとつの意味を持っているのかもしれない。
手綱を握る手に、さらなる力が籠っていく……。
「ブランシュ……!!」
どうか、どうか……、無事でいてくれ。
俺の予感が、現実にあってほしくはない想像が、この目に映らぬように。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――Side ブランシュ
「けほっ……、はぁ、……うぅ」
喉の奥が……、内側から焼き裂かれていくかのように、苦しい。
夕食後、二階の書物部屋で過ごしていたら、いつの間にか眠ってしまっていて……。
気が付いたら、遠くに人々の悲鳴が小さく聞こえ、私は紅蓮の世界に閉じ込められてしまっていました。眠っている間にかなりの量の煙を吸ってしまったのか、本棚に身を預けて座り込んでいるのが精一杯で……、逃げる事さえ出来ず。
「どう、して……。けほっ、ごほっ、ごほっ」
何が原因で屋敷が炎に呑まれたのか……、それすらもわからず、私は咳を繰り返します。
この書物部屋に来た時は、火種など、どこからも感じられなかったはずなのに。
お父様やお母様、メイドの皆さんや爺や達は無事なのでしょうか……。
唯一逃げ道として残されている、けれど、逃げるには相当の勇気を伴う窓辺を見つめながら家族達の事を案じていると、外から何か物音が聞こえてきました。
硝子窓の一部が何らかの方法によってくり抜かれ、内側の鍵へと誰かの手が。
「だ、……れ」
「おや、こちらにいらっしゃいましたか……。我が愛しの姫君」
「貴方……、は」
その手に細長い棒を持った男性……、あの養成教室で出会ったヴァルド様が、炎を恐れる事なく室内へと足を踏み入れてきます。
何故この方が……、私の屋敷に? それも、火事の起きている場所へ……。
ヴァルド様は私の傍に歩み寄り膝を着くと、持っていた細長く青い棒を軽く振るってみせると、それをステッキのように長い物へと変えられました。
そして、迫りくる炎へとそれを向け、―― 一瞬で、脅威を退けてしまったのです。
ステッキの先から躍り出た氷を含んだ風、魔術で生み出されたそれが、炎に勝ったのでしょう。
「怖がらせてしまいすみませんでした。ですが、貴女をお連れするには必要な事だったのです。どうかお許しを。マイ・レディ……」
「な、何を……、仰って、ごほっ、はぁ、……ヴァルド、様」
「ご安心を。これを最後に、二度と貴女を恐ろしい目になど遭わせたりいたしません。私の傍で、貴女という可憐な蕾が花開く様を、守り続けましょう」
ぞっとする程に、ヴァルド様の浮かべている微笑みは狂気じみたものでした。
あの養成教室にいる時から、私を見るヴァルド様の瞳の奥には得体のしれない恐怖の片鱗を感じ取っていましたが……、今のそれは、以前とは比べ物にならない程に恐ろしいものです。
私をその腕に抱き上げ、窓辺へと向かうヴァルド様。
一緒に行ってはいけない……、本能的にそう感じました。
けれど、私の力は弱い……。普段でさえそうなのですから、火事のせいで弱っている今はもっと非力なのです。どんなに抗おうとしても、ヴァルド様の行動を邪魔する効果は発揮出来ません。
ついに窓枠へとヴァルド様の足がかかり……。
「ブランシュ!!!!!!!!!!!」
パティーリア子爵邸から攫われる寸前、書物部屋の扉を蹴破って飛び込んで来たのは、涙が滲む程に朧気でもはっきりと存在を感じ取る事が出来る……。
「レアンドル様ぁああっ!!」
息を乱し、炎の脅威に晒された衣服や肌を晒し現れた、私の愛しい御方。
レアンドル様を呑み込もうと炎の脅威が迫りましたが、その右手が荒々しく宙を薙いだ瞬間、炎は冷たい水でも浴びせかけられたかのように大人しくなり、道を開けたのです。
「おやおや、王子様の御登場でも気取っているおつもりかな? 彼女を助けたのは私……、二人目の王子が必要ないというのに」
「その達者な口ごと串刺しにされたくなければ、ブランシュを解放して投降しろ。火事を自作自演して王子を気取る男に許されるのはそのくらいの事だ」
「ふふ、私は演出するのが好きなものでね。何事も、劇的に、派手に立ち回りたいのだよ」
レアンドル様の殺気に満ちた視線に晒されても、ヴァルド様は引く様子を見せません。
向けられている怒りを煽るかのように、私の額へと口づけ、夜着越しに身体のラインを撫でまわしてくる手の動き……。それを見たレアンドル様が、奥歯を噛み締め腰の鞘から剣を引き抜きました。
「戯言と、その下種な動きを今すぐにやめて貰おうか……。俺の愛しいブランシュに触れた罪、その腕を斬り落としても余りある」
「余裕のない男だ……。花開く前の蕾が放つ芳香は、私のような男には堪らないというのに。あぁ、この怯えている愛らしい顔も、――調教のし甲斐がある」
「ヴァ、ヴァルド……、様っ」
獣のように舌でご自身の唇を舐め上げたヴァルド様に、生理的嫌悪がどんどん募っていきます。
この方に攫われてしまったら、きっと私は一生後悔するような酷い目に遭わされる。
絶対的な予感と共に、私は涙の滲む目で身を捩りました。
「慈悲の必要もない……。グラーゼスには悪いが、この場で俺の怒りを受けて貰う事にしよう」
炎に照らされ銀の輝きを妖しく揺らめかせたレアンドル様が、私を逃がすまいと腕に力を籠めているヴァルド様に鋭い視線を据え、ゆっくりとこちらに足を進めてきます。
けれど、傍目には武器を持っていないように見えても、ヴァルド様にはあのステッキがあります。
氷を含んだ風を生み出す魔術道具……。
「レアンドル、様っ!! けほっ、はぁ、……ステッキに、気を付け、んんぐっ」
「お辛いでしょうに、無理はいけませんよ? 我が愛しの蕾……。それに、私の武器はこれだけではありません」
私の口を塞いだヴァルド様がステッキを一瞬で小さくしてしまうと、それをくるりと器用に手の中でまわし、手品のように別の道具を出現させました。
今度は、赤い……、小さな宝石。その色とヴァルド様の不吉な笑みに、まさか!? と息を呑んだ直後、レアンドル様の目の前に激しい炎の壁が現れたのです。
「くっ……!!」
「淑女養成教室の講師も楽しい仕事ですが、本業は魔術師なんですよ。私は……」
「レアンドル様っ!!」
荒ぶる波のように壁を作った炎の向こうで、レアンドル様が先程もそうしたように何度も右手を払いますが、炎の勢いは引きません。
「ある程度、炎による被害を抑える指輪をしているようですが……、生憎と今彼の目の前にある炎は、私の生み出したものですからね。魔力を注いでいる限り、幾ら抑え込もうとしても無駄」
「そんなっ!! ヴァルド様、やめてください!! レアンドル様!! レアンドル様ぁああっ!!」
何とかしなければ!! あの生きた炎はヴァルド様の思うがまま。
愛する御方が目の前の障害と戦う様を見つめながら、私は助けに行きたくて手を伸ばし続けます。
けれど、炎の勢いは強まるばかりで、私にはどうする事も……。
(いいえ、炎を操っているのは、このヴァルド様……。手の中の宝石を奪えれば、きっと)
レアンドル様が苦しそうにしている姿を愉しげに見つめているヴァルド様の左手。
何とか出来ないだろうかと、私は隙を窺いますが……、突然私の考えを読んでいるかのように、狂気を抱くその視線が私へと落ちてきました。
顔を至近距離まで近づけられ、ニヤリと、怖気の走る笑みを向けられます。
「いけませんよ、我が姫君……。あの男の目の前で、貴女を攫っていく。その愉しみを奪ってはね」
「や、やめっ!! やめてくだ、さいっ!! 私は、レアンドル様のものです!! 貴方に攫われたりなんて……、絶対に嫌です!!」
「そうですか……。では、仕方ありませんね。――貴女の気がかりとなっているあの男を殺しましょう。今、この場で」
「なっ!!」
道を開けぬように立ちはだかっていた炎の壁が巨大な蛇のように姿を変え、疲労と傷を抱えているレアンドル様へと凶暴な大口を開け、構えの姿勢をとりました。
今度は道を塞ぐのではなく、レアンドル様をその炎の体躯へと呑み込み、焼き殺す為に。
「い、いやぁ、いやあああっ!! やめてください!! やめて!! レアンドル様に手を出さないで!!!!!!」
「ふふ、錯乱した姿も見ごたえがありますねぇ……。では、大人しく私の花嫁となって頂きましょうか。あの男の手ではなく、私の手を取り、花開く為に」
「わ、私、は……」
そうしなければ、レアンドル様を確実に殺してやると視線で語るヴァルド様に、私は身を震わせながら小さく頷くしかありませんでした。
顎を持ち上げられ、近づいてくるレアンドル様以外の唇……。
受け入れなければ、愛しい御方を殺されてしまう。
瞼をきつく閉じ、覚悟を抱いた私でしたが……。
「ブランシュ!!!!!!!!!」
悲痛なレアンドル様の叫びに目を見開き、胸の奥で沸き上がったのは、愛しい御方以外にこの身を許してはいけないという強烈な抵抗の意志でした。
たとえどんな理由があっても、レアンドル様は私がほかの男性にこの身を捧げる事を喜んだりはしない。命が助かっても、私の愛しい御方の心に消えない傷をつけてしまう。
それは、駄目。絶対に……、何があろうと、――駄目!!!!!!
ヴァルド様の唇が触れるその寸前、渾身の力を振り絞って顔を俯けた私は、嫌悪感を押し殺して大胆な行動に出たのです。
レアンドル様以外に触れるなんて嫌。けれど、今は手段を選んでいられない……。
そんな衝動のままに、ヴァルド様の無防備になっている首筋へと力の限りに噛み付き、その肉を抉る程に喰らい付いたのです。
「――っ!! 姫、君っ」
「んっ!!!!!!!!!」
予想外の不意打ちで、ヴァルド様の力が緩み、左手に浮いていた赤い宝石が絨毯に零れ落ちました。それと同時に、レアンドル様の行く手を阻み、攻防を繰り広げていた巨大な炎の蛇が目的を見失かったかのように消え去っていきます。
その隙を見逃さず、懐から暗器の類らしき細く鋭いそれを取り出したレアンドル様が、素早くヴァルド様の肩口へと投げ付け、剣を手に飛び込んできました。
「ぐあぁあっ」
「ブランシュ!!!!!!!」
首と肩を傷つけられても、まだ何かしようとするヴァルド様から私を奪い返し、背後にあった窓の外へと、レアンドル様がその長い足で蹴り飛ばしました。
バランスを失ったヴァルド様の身体は夜闇の中へと放り出され、私はその後に何が起こるのかを予感して、現実逃避と共に瞼を閉じたのです。
けれど、予想していた恐ろしい音は聞こえず……、レアンドル様が窓の外に顔を向けると。
「しぶとい奴だ……。やはり眉間を狙った方が良かったか」
「れ、レアンドル……、様」
上品なレアンドル様らしくない、吐き捨てるような物言いに吃驚してしまった私ですが、ヴァルド様が死んではいない事を知り、不謹慎にもほっとしてしまいます。
自分の家の敷地内で誰かが死ぬ事自体抵抗があるとも言えますが、相手が誰であれ、どうしてもその死を願えないから。甘いと言われてしまいそうですが、それが私なので、無理に変える事も出来ません。
「すまなかったね……、ブランシュ。怖い思いをさせてしまった」
「レアンドル様……。いいえ、助けに来て下さって、本当に、ありがとう、ござ……」
「ブランシュっ」
突然の騒動で緊張しきっていた私の心は、愛しい御方の温もりで安堵しきってしまったのでしょう。ずるりと身体から力が抜け、崩れ落ちそうになってしまったところをレアンドル様の腕に強く抱かれ支えられました。
ヴァルド様に向けていたのとは違う、涙を堪えているかのような表情には、私に対する心配そうな気配が滲み出ています。
私などよりも、炎の中へと駆け付けてくださったレアンドル様の方がお疲れのはずなのに、不謹慎にも、愛する御方の心が自分だけに注がれている事に喜びを感じてしまう私は、本当に我儘でどうしようもない娘ですね。
「大丈夫だよ、ブランシュ……。少しの間、眠っていなさい。その間に、……全て、終わらせておくからね」
「良い、ので、しょうか……」
「あぁ。君を攫おうとしたあの男も、グランティアラの本気には敵わないさ。然るべき罰を受けさせる為に、必ず捕らえる。だから、安心しておやすみ。俺の愛しいブランシュ」
そっと額に優しいキスを落とされて、今度こそ私は精神的な疲労による眠気に逆らえず、意識を心地良い闇に落としたのでした。
愛する御方の温もりに抱かれて、幸せな揺り籠の中で……、穏やかに。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――Side レアンドル
「往生際の悪い男は、どの姫君にも門前払いをされると思うのだけどね?」
窮地から間一髪のところで救い出したブランシュを医師団に預け終えた俺は、グラーゼスと合流し、王都に巣食った害虫の後始末に本腰を入れていた。
あの男の残した血の匂い、常人には嗅ぎ分けられないその痕跡も、魔術師団の団長から言わせれば、獣の匂いよりも追いやすいと嘲笑され、逃げ込んだアジトを突き止める事が出来た。
王都の外れにある廃屋、その地下に……、男達の隠れ家は息を潜めていたのだ。
廃屋の周囲を取り囲み、一気に攻め入った地下には、傷を負ったあの男と、主たる幹部格の者達が憎しみの籠った目で俺達を出迎えた。
「さぁ、これでチェックメイトだ。……お前は俺の愛する人を傷つけた。彼女の流した涙、心に負った傷、絶命するまで斬り刻んでやる、と言いたいところだが……、それは令嬢達の居場所を吐かせた後にしてやる。感謝してもらおうか」
「お~い……、レアンドル~……、目が完全にイッちゃってるぞ~……。怖い人のオーラ全開だぞ、お前。むぐっ」
「君は黙っていなさい」
「ちょっ!! 騎士団長~!! レアンドルが酷いんだけど~!!」
今は、自身を抑えられる程の余裕はない。
余計な口を挟んできたグラーゼスをひと睨みで黙らせると、全面的に抗う意志を見せている男達に剣を構えた。
とりあえず、攫われた令嬢達の安否を探れる程度の瀕死状態までならこの煮え滾る怒りをぶつけてもいいはずだ。そう自分に言い聞かせ、ブランシュの味わった恐怖と苦痛を胸に抱え、先陣を切って斬り込んでいく。
「あ~あぁ……、本当に殺さずに済むのか……、アイツ。おっと!!」
「ぐあああっ」
「レアンドル様の場合、人を生かす剣ではなく、人を殺す剣技に秀でておられますからね……。いざとなれば、不肖ながら、この私が御止めいたします」
「頼む。死なない程度にだったら、不意打ちでどつきまわしてもOKだからな」
などと、閉ざされた戦場内で刃を揮う俺に対して散々な声が漏れていたわけだが、あの男をこの手で甚振り尽くすと決めた俺には当然聞こえもしなかった。
後(のち)に、東方で言うところの、阿鼻叫喚の地獄絵図となって幕を閉じたこの一件は、幹部達や頭(かしら)の捕縛に参加し、その目で一部始終を見てしまった者達の間では、決して口にしてはいけないと、暗黙の了解が交わされたそうだ。
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