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~季節イベント~

ウォルヴァンシア・バレンタイン②

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 王宮医務室を逃げ出した私達が次に向かったのは、回廊から少し外れた場所に入口がある森の図書館へと向かいました。滅多にその図書館を使う者は少なく、そこに至る道もまた薄暗いのです。
 暫く歩いていくと、日差しに照らされた小さな図書館が現れました。
 ユキ姫様は迷わず錆びた音を響かせる扉に手をかけて中へと入って行きます。

「ユキ姫様、ここには何をしに?」

「丁度夕食前で、誰かさんが隠れてゴロゴロしてそうだな~と思いまして」

「え?」

 日差しの届かない暗い奥へと歩いていくと、ユキ姫様が本棚の奥で寝そべっていた男性を発見し、その名を呼びました。

「カインさん!!起きてくださーい!!」

 元気の良い目覚ましボイスが、室内に響きました。
 さすがに大きかったのでしょうね、男性が小さく呻き「うるせぇ……」と悪態を吐きながら身を起こしました。
 そして、私の視界にもそのお顔がよく見えるような位置まで起き上がると、寝ぼけた様子で何度か目を瞬いていました。この方は、イリューヴェル皇国からの滞在者で……第三皇子のカイン・イリューヴェル様。
 本当は一ヶ月の遊学で来られていた方ですが、陛下の計らいにより長い間、この王宮に滞在されています。
 夜の闇を思わせる漆黒の御髪がサラリと流れ、起きぬけの眼は気だるげな色気に満ちていて……。
 やめよう、なんだかこのまま見ていると、あの深紅の瞳の余波にやられてしまいそうだ。
 私は本棚の影に隠れると、お二人の会話を黙って聞いていました。

「お前な……、せっかく気持ち良く寝てたっつーのに、なんなんだよ」

「用があるから探してたんです。ほら、起きてください。あんまり寝てると、トドになりますよ!」

「……トドってなんだ?」

「私の世界にいた、ある動物です。他にも、ナマケモノとか色々いますよ!」

「……意味わかんねぇ……」

 困惑気味に呟いたカイン様が、その場に座り直す気配が伝わってきました。
 ユキ姫様が、私の方に来てカゴから少し大きめの包み紙の箱を取り出しました。
 ……これは、あの凝った作りのチルフェートじゃ……ないですね。
 私は少し残念そうに肩を落とすと、ちらりとそのチルフェートの行方を見守りました。
 そろーり……。
 カイン様は本命ではないらしい。それを心のメモに書き記して……。

「いつもお世話になっているお礼です。甘さは控えめにしてあるので、多分大丈夫です」

「……俺に?」

「カインさんのは、クッキー仕様にしてみました。お口に合えばいいんですけど……」

「……」

 ユキ姫様からチルフェートを受け取ったカイン様が、ユキ姫様と手元の箱を交互に見て黙りこみました。
 あ、目元がわずかに和んでいきましたよ……!
 あれですね、ニヤけそうになっているのを必死に堪えているかのような、そんな感じ!
 箱の包み紙を目の前で丁寧に剥がすと、かぱっと蓋を開き中身を取り出します。
 丸い形をしたクッキーにチルフェートがたっぷりと染み込んでおり、チルフェチップもまぶされています。
 それをひとつ手に取ると、サクッと小気味良い音が響きました。

「……ん、……美味い」

「ふふ、良かった」


「流石だな。俺の味の好みがバッチリわかってやがる」

 指先についたチルフェートを舌でぺろりと舐め取ると、カイン様は箱に蓋をしました。
 そして、私達に背を向けると、またその場に寝そべり始めたのです。

「カインさん、また寝ちゃうんですか?もうそろそろ夕食の時間ですよ」

「……もうちょっと寝てぇんだよ。……これ、サンキュ」

「どういたしまして!」

 瞼を閉じる瞬間、カイン様がユキ様に向けてボソッと照れくさそうにお礼の言葉を投げてきました。
 ゴソッと音がすると、去り際、私の目にカイン様がユキ姫様から頂いた箱を大事そうに抱いて眠る姿が映りました。……なるほど、カイン様、あとでじっくり幸せを噛み締めながらお召し上がりになるんですね。
 そして、その背の向こうに隠したのは、夕陽にも負けないくらいの赤い顔、そうでしょう?
 私はニヤリとほくそ笑むと、扉に向かうユキ姫様のあとを追いかけました。
 本命は、残念ながらカイン様ではありませんでしたねぇ……。
 それを思うと、今一人で幸福に浸っているであろうカイン様に同情を禁じえませんが、……となると、次に残されたのは……。やはり、あの方、なんでしょうか?




 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「ユキ姫様、アレク様は団長室におられるそうです~!」

 騎士団に辿り着いた私は、ユキ姫様の来訪を訓練場の向こうの副団長様に伝えに走りました。
 訓練はもう終わっていましたし、夜の任がある者はそこに向かう途中で歩いていきます。
 それをチラチラと観察しながら副団長室に向かうと、丁度そこで後片付けをしていた団員の一人が、副団長、アレク様は団長の執務室にいるよと教えてくれました。
 そのあと、すぐに団長室に向かいユキ姫様の来訪を知らせると、アレク様が嬉しそうに口元を笑みの形に和ませました。め、珍しい……。あんな風に優しく微笑むなんて……。
 王宮を守る騎士達とは面識がありますが、この副団長様の方は遠くから見るだけの存在でした。
 真面目そうで、話掛けづらいというか、主に忠実な騎士!といった風格の漂う男性ですからね、勿論、その笑顔はレアものと言えるでしょう。

「失礼します。お仕事中にごめんなさい」

「いや、もうほとんど終わっているから、気にしなくていい。それより、何かあったのか?」

 ソファーにユキ姫様をエスコートすると、アレク様がその隣に当然のように腰を下ろしました。
 ちなみに、私は医務室の時のように促されてはいないですし、お二人の表情が見える位置に立ち、事が終わるまで黙って控えていることにしました。
 ついに……、本命の瞬間……。気づかれないようにニヤけるのを必死で抑えています。
 しかし……、そんな私の期待を裏切るようにユキ姫様が私の持つカゴから取り出したのは……、

(え?カイン様に渡したのと同じくらいの大きさの箱……。青い包み紙に……、違う、あの本命仕様じゃない!)」

 まさかのまさかです!!
 室内にいた、アレク様を始めとした、ルディーさま、ロゼリア様に手渡したのは、どれを見ても、本命チョコ以外の物で……。私は頭の中にたくさんの?を浮かべて、メイドの表情の裏で大変困惑していました。
 ルイヴェル様、カイン様、ここにきてアレク様……。
 該当しそうな人が三人とも全て本命外!?
 えーと、えーと、あと、何人残っていたかしら……。
 必死に本命の該当者を探そうと思考をフル回転させましたが……、

(レイル殿下……、えー……、確かに仲はよろしいですけれど……)

 一番可能性が薄い相手でもある。
 いやいや、世の中どんな時も意外性というものが存在するのだ。
 私だって、ほぼユキ姫様のお傍にはいないのだ。
 ならば、私の知らないところでうっかりラブロマンスが綴られていたとしても不思議ではない。
 大穴、といえばそうだけども。

「本当にアレクさんや皆さんにはいつもお世話になっています」

「サンキューなぁ、姫ちゃん! あぁ、美味そうだなぁ。鍛錬のあとの甘いもんって良いよな~」

「私も、後ほど有難く食べさせていただきます。ユキ姫様、本当にありがとうございます」

 ソファーに座ってチルフェートの箱片手に盛り上がっているのは、私達、ウォルヴァンシアの民の平穏を守ってくれている騎士団の長、白銀の髪が特徴的な、アメジストの色合いを抱く瞳のルディー・クライン様です。
 あっという間に箱を開封して、中身をもぐもぐと嬉しそうに口に含んで堪能している。
 実年齢はもっと高いと言われても、その姿はまさに元気で無邪気な少年そのもので、たまにこの方が騎士団長であることを失念してしまう時があります。

「ユキ、この量を作るのは大変だっただろう? すまいな、気を遣わせて……」

 大事そうに青い包み紙の箱を胸に抱いた副団長、アレク様は、もうユキ姫様しか見えない!とばかりに、彼女にだけ幸せそうな視線を向けている。
 多分、彼には周りの光景は完全に見えていないのだろう。
 ユキ姫様の手をとり、愛おしそうにその大きな手で包んでいらっしゃる。
 すみませーん、メイドもおりますー。ルディー様もロゼリア様もいらっしゃいますよー。
 そう声をかけたいが、あえて黙っている。
 だって、メイドですから。余計なことは申しませんよ。

「アレクさんは焼き菓子が好きでしょう? だから、それにちなんで、チルフェートを混ぜ込んでみたんです。美味しいかどうかは、ちょっと不安なところですけど」

「ユキが作るものは、俺にとって、他のどんなものよりも、味わい深いものだ。大切に食べさせてもらう……。ありがとう」

「はい」

 だから、私達もいるんですって!!
 こちらにまで伝わってくるような恥ずかしいオーラに、そろそろ立っていられなくなりそうだ。
 真面目一直線かと思っていたのに、副団長様はなかなかに曲者ですね。
 ご自分の世界に入り込まれるのがとてもお上手です。
 だけど……、カイン様同様……、それ、本命仕様じゃないですよ……。
 甘い空気から一気に現実に引き戻された私は、瞳に同情の色を浮かべた。
 可哀相に……。あんなにお一人で盛り上がっていらっしゃるのに……うぅっ。


 ――けれど、本当にユキ姫様の本命は一体誰なんでしょうか?
 カゴの中に眠っている特別ラッピング仕様のチルフェート菓子の入った袋を見下ろした。
 レイル殿下、ぐらいしか残っていないけれど……、
 でも、それもやっぱり、なんだかしっくりこない、そんな心境だったのです。
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