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壱 出会いの章

61話 小さな亀裂

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(よし、このくらいあれば大丈夫かな?)

 あらかた薬草を取り終えた緋夜は立ち上がって先に終えていたメディセインとピクリとも動かず木に寄りかかっていたガイのそばに戻ってきた。

「お待たせ~……って、アードはどこに行ったの?」
「そういえば見当たりませんね」
「あいつならお前らが素材集めているうちにどっか行ったぞ」

 ガイの言葉に緋夜は顔をやや曇らせる。その様子を不思議に思ったメディセインが顔を覗き込んだ。

「どうされましたか?」
「うーん、アードって命を狙われていたから、一人になって大丈夫かなって思っただけ」
「いくらなんでも人の気配が残ってる場所で事を起こす馬鹿はいねえよ。そこまで遠くに行った気配はしてねえし」
「なら大丈夫……あ」

 視線を向けた先にアードが歩いてくるのが見え、緋夜はほっと息をついた。それにめざとく気づいたアードが不思議そうに首を重ねる。

「ヒヨ? どうしたの」
「ううん……なんでもない」
「アードさんのことを心配していたのですよ。命を狙われていますからね」
「ああ、そうなんだね。君って結構心配性?」
「そういうわけでは」
「「あるだろ/ありますよ」」
「……なんでそこ重なるの?」
「本当に自覚がないのですね」
「面倒くせえな」
「……なんか貶されている気がするけど……まあ、いいや」

 僅かな諦めを滲ませながら緋夜は砦の方角を向いた。先程まで微かな賑やかさがあった森の中はいつの間にか木々の擦れる音が響くだけになっている。

「そろそろ戻ろう。あとは私たちだけだよ」
「だろうな。戻ったらお前のそれもなんか進展あるだろ」

 ガイは緋夜の腕を見下ろしながら気怠げに言った。不思議なことに腕まで広がっていた痛みは和らぎ、僅かだが跡も薄れている。

「魔属性は陽の光に弱いんだよ。ただ影響を受けただけだったら抑えることができる」

 気休め程度だけど、とアードは少しばかり小声で続けた。しかし緋夜にはその情報だけでも僥倖だった。幾分か痛みが和らいだことで緋夜の心にゆとりができる。

「じゃあ行こうか」

 そう言って先頭を歩き出す緋夜の足取りは先ほどよりも軽かった。


     ♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎


 緋夜たちが砦へ戻ってすぐファスから呼び出しを受けた。思っていたよりも早い呼び出しに緋夜たちは一瞬顔を見合わせ、頷くと伝令役の騎士の後を静かに追う。
 建物に入り日光が当たらなくなった途端、再び腕に痛みが再発した。どうやら症状の緩和は陽に当たっている間だけで、アードの言う通り気休めにしかならないらしい。痛みといっても今のところは本当に浅く針で刺される程度のもので平常時であれば無視できるレベルのものだ。しかし原因が原因なのでどうしても気になってしまうのも事実。できればなんらかの進展があってほしいと願わずにはいられない。

「失礼します団長。統星の傍星すまる かたぼしの皆様をお連れしました」

 すぐさま室内から声がかかり、緋夜たちは中へと通される。そこには切羽詰まった険しい表情で書類を握るファスの姿があった。嫌な予感しかせず視線で会話をする4人にファスは静かに座ってくださいとだけ言い、すぐに沈黙してしまう。
 重苦しい雰囲気の中でファスが感情の伴わない声で告げる。

「厄介なことになりました」

 まるで頭痛を抑えるように頭に手を添えながら吐かれた言葉に心臓が嫌な音を立てた。

「魔属性に汚染された可能性があるとすぐさま確認をとったところ、彼らから非常に濃い魔属性の反応がありました」
『!』

 予想はしていた事態ではあるが、全く嬉しくない内容に4人の表情も一気に険しくなる。緋夜はモルドール父娘の隔離されてある部屋を思い出し、僅かに拳を握った。

(あそこには、窓がなかった)

 窓がないということはすなわち太陽光での浄化ができないことを意味する。このままでは侵食が進む一方だ。そのことをファスも理解はしているだろうがあの場所以外に隔離できるところはない、といったところだろう。

「できれば他の場所へと移したいのですが、あそこ以上の隔離場所はこのネモフィラにはありません。特殊な結界も張られているため、まだ外に漏れてはいませんが時間の問題でしょう。既に結界自体にも侵食の形跡がありましたから」
「魔属性は結界も侵食できるですか?」
「はい。魔属性は生き物を壊すだけでなく、魔法さえも塗り替えてしまいます。ですから堕ちてしまった場合はどうにもならないのですよ」
 
 その言葉で緋夜は納得した。実は少しばかり疑門を抱いていたのである。影響を受けただけならば光と聖の二属性で対処可能なのに対し、堕ちた場合は問答無用で討伐されるのか。

「では堕ちた存在には光も聖も意味をなさない、と?」
「ええ。ですがこちらの場合は少々意味合いが異なります」
「?」

 緋夜は首をかしげる。魔属性は属性を侵食するということだったので、てっきり光も聖も染められるのかと思っていたのだが。続いたファスの説明は違っていた。

「光属性は魔属性に侵食されてしまいますが、聖属性の場合は相殺する、という言い方が正しいでしょう」
「相殺……」
「ええ。聖属性は他の属性とは違い、魔属性と対極なのです。ですから聖魔がぶつかると全てが無になります」

 早い話がプラマイゼロ、ということだろう。しかし、と緋夜はまたもや疑問を抱いた。

「聖魔で相殺されるなら魔属性は対処できるのでは?」
「いいえ。聖属性と魔属性は互いを相殺できるほど影響が強い属性です。そんな属性の衝突で生まれる力に生き物はおろか魂も耐えきることができないと言われています」

 緋夜は驚きのあまり目を見開く。ファスの話が本当であれば、その言葉が意味するものは。

「つまり堕ちた存在が塵となるというのは聖魔の衝突に耐えきれないから……?」
「ええ。魔属性に対抗できるのは聖属性のみです。その聖属性も浄化することは叶わず魔属性を相殺するだけ。よって堕ちた者が助かる術は存在しません」
「……聖属性は使える者が滅多にいないのですよね?」
「はい。何百年に一人いる程度の稀有な属性で、今のところ確認されているのは聖女として名を残している数名だけです」
「では聖属性が存在しなかった時に魔属性の影響が出た時はどう対処していたんですか?」
「それは……」

 ファスは微かに目を泳がせ、口に出すことを躊躇っているかのように唇を動かし。

「魔属性による影響が確認されているのはいつの時代も聖属性を持つ者がいる時でした」
「えっ!?」
「は?」
「はい?」

 思わずと言ったふうに緋夜は驚きの声を発し、これまであまり会話に加わらなかったガイとメディセインも驚愕を露わにした。ファスも神妙な顔で3人に同意する。

「お気持ちは判ります。そのようなことが偶然に起こりうるのか甚だ疑問ではありますが、記録ではそのようになっていますよ」

 偶然ではないだろう、というのが4人の正直な感想だった。しかしこれは考えても仕方ないとすぐさま頭の片隅へと追いやり、話を続ける。
 しかし、あまり希望にない話をしていたためなのか、室内の空気は葬式会場となっていた。物音を立てるのでさえ憚られるような永遠とも思える静寂が支配する。沈黙という支配を最初に解いたのはアードだった。

「一つ聞いておくけれど、まだ完全に堕ちきってはいないのかな?」

 突然の質問に一瞬目を瞬かせたファスだがすぐに頷く。

「はい。完全には堕ちていません」
「だよね。堕ちきっていたらとっくに結界も侵食されて牢の外で暴れ出しているだろうし。時間の問題ではあるけど魔物暴走スタンピードが終わるまで持ち堪えられればいい」
「その通りですね。魔属性の影響を受けてしまった場合、魔物の討伐の危険度は一気に跳ね上がりますから」

 真剣な表情で会話をするアードに緋夜は違和感を抱いた。一瞬、アードの表情が曇ったように見えたのだ。あまりにも一瞬だったため緋夜の見間違いだと思うが、なぜか緋夜の頭から離れない。

(なんでだろう?)

「ひとまずの報告は以上です。みなさんお疲れでしょう。次の戦闘までゆっくりお休みください。特にヒヨさんはくれぐれも無茶をしないように」
「はい。お気遣いありがとうございます」
「あれから腕の痛みはどうですか?」
「日光にあたったことで少しばかり良くなりました」
「それはよかったです。こちらも全力で対処にあたりますから今しばらく耐えてください」
「はい。耐えてみせますよ。思っていたよりも進行は遅いみたいですし」
「そうですか。……だいぶ長くなってしまいましたね。お話はこれにて終わりとしましょう」
「はい、それでは失礼します」

 ファスに軽く頭を下げ、部屋を出たところで緋夜たちは詰めていた息を吐き出した。それぞれの顔にはわずかな疲労が滲んでいる。

「……内容が濃すぎてあまり頭に入っていない」
「なかなか笑っていられない事態になってきましたね」
「ひとまず部屋戻るぞ。ここじゃ誰かに聞かれる可能性が高い」
「……賛成」

 余計な気疲れのせいであまり足の進まない緋夜たちは、度々立ち止まりながらもなんとか宿泊部屋まで戻ってきた。

「……はあ」
「緋夜さん、大丈夫ですか?」
「大丈夫……だったらいいんだけど」
「魔属性なんて関わることねえと思ってたんだけどな」

 ガイの言葉に緋夜は目を合わせることもなく、深いため息を吐き出した。各々が脱力している中、アードだけは何故か難しい顔をしていた。

「? どうしたの?」
「いや、一つ気になってね」
「何がです?」
「あのさーー」

 3人の視線を受けたアードが何かを口にしようとしたその時、室内にノックの音が響いた。

「? 誰か来た?」
「なんですか、間の悪い」

 来客を告げるリズミカルな音に扉の一番そばにいたメディセインが文句を言いながら扉を開ける。そこに立っていたのは『煽動の鷹』の面々だった。ここに来てからもほぼ交流のなかった彼らの突然の訪問に疑念と警戒を募らせる。

「『煽動の鷹』の皆様ですね」
「ああ、今少し時間いいか?」

 伺いを立ててはいるがしかしその言動は命令に近いもので、否ということを許さない響きがあった。彼らのその態度に緋夜はますます警戒を募らせる。面倒が増えている今、これ以上のトラブルは避けたい緋夜はさっさと済ませるため『煽動の鷹』を招き入れた。

「それで、一体どのようなご用件でしょう?」

 前置きもなく直球で言葉を投げる緋夜にリーダーであるケレイブが険しい表情で言い放つ。

「長居をするつもりはないので単刀直入に言おう。君たちは先駆け人を舐めているのか?」


 






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