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第八章 運命の岐路
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「あんた名前は?」
「ユリスと申します。殿下のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「ルイだ。父さんが生死も知れなかった俺にそう名付けてくれたんだ」
この問答は息子の名前も知らないキャサリンのために、ユリスが気を回したのだが、彼女は感激しているようだった。
「ルイ。とても良い名だわ。陛下らしい名付けだこと」
「母さんは名付けたい名前とかなかったのか?」
「貴方がお腹にいる頃に陛下とお約束したのです。産まれてくる子には陛下が名を名付ける。代わりにわたくしは健やかな子を産むことだけに専念すると。あの頃はそれほど生易しくはありませんでしたけれど」
「母さん」
「貴方を産んだ後わたくしは一時的な仮死状態にありました。それを海賊たちは死んだと誤解して海に弔ったのです」
「そこをあんたが?」
「運が良かったんだと思います。あの状態で彼女の生死に気付くのは、奇跡的な確率だったと思いますから」
この話はラスには母が冤罪である証拠に思えた。
神という存在が、もしいるのだとしたら、今こうして自分たち親子が、生きて再会していることが、母が冤罪である証拠に思えた。
「父さんが見抜いた通り、母さんはやっぱり冤罪なんだ」
「ルイ?」
「じゃなきゃ俺たちが再会できるわけない」
ラスに抱きつかれてキャサリンも目を閉じる。
溢れる涙を堪えるために。
「もう逢えないと思ってた。でも、逢えた!」
「そうですね。この奇跡を神の慈悲と言わずになんというのでしょうか。冤罪だからこそ神様は、わたくしたちを巡り合わせて下さったのでしょう。ルイ。わたくしは貴方が生きていてくれて、こんなに立派に育ってくれて、それだけで涙が止まらないほど嬉しいのです」
この言葉を聞いてユリスは、彼女はもう妻のベアトリスではなく、皇帝リカルドの皇后キャサリンなのだと実感した。
口調が完全に出逢った頃に戻っている。
なによりも息子を抱く彼女は、ひとりの母親で、その夫は皇帝リカルドしかいないのだと理解した。
結局自分は弱っていた彼女の心の隙につけ込んだだけで、彼女の心は最初からリカルド皇帝の元にあった。
そう思い知らされて、彼女のために死にたいという自分の望みも、もしかしたらエゴなのかもしれないと感じ始めた。
皇后として生きていけるなら、彼女の足枷になりたくないのなら、ここで別れるべきではないのかと。
そんなことを考えて俯くユリスにラスは戸惑いながらも声を掛けた。
「母さんを助けてくれたこと。感謝してる。どんな言葉でも言い表せられないほど。でも、もうそろそろ母さんを返してくれないか? 父さんと俺のところに」
ラスにとっても父も母も、失ってもう得られないと諦めていた存在だった。
今更両親を恋しがるほどガキじゃない。
そう強がりあの人の側へ母を引き渡した方が、母は幸せに生きられるのかもしれない。
でも。
リカルドの顔を思い出したら、そんなこと言えなかった。
どんなに必死になって探していたか。
出逢ったとき人違いされたから、身に染みて知っている。
わかっていて無視することは、どうしてもできなかった。
「頼むよ」
会釈程度だったがラスに懇願され、ユリスは覚悟を決めてキャサリンを振り向いた。
「きみはどうしたいんだい? ベアトリス?」
「ユリス」
「きみの命がかかった一生の問題だ。どんな結末を迎えても、後悔しない道を選んでほしい。その結果が私との別れなら、それがきみの選択なら受け入れるよ」
「きみはどうしたい?」眼差しだけで、もう一度そう尋ねられて、キャサリンは迷って瞳を揺らした。
やがてその唇から放たれた言葉は、
「今までありがとう。ユリス。わたくしはあの人の下へ戻ります。あの人の下でこの子のために生きたい。それがどんな結末を招いたとしても。だから、お別れです。今まで本当にありがとう。ユリス。いえ。ユリス様」
これがユリスを生かす唯一の道だとキャサリンにもよくわかっていた。
口にした言葉にも嘘はない。
危険な境遇の我が子を置いて、何故自分だけが安全地帯に逃げられようか。
しかし口には出せない動機もある。
一度は愛した人だから、どうか生きてほしいと。
そんなキャサリンの言えない言葉を想いをユリスは、しっかりと受け止めた。
「わかりました。お別れですね。キャサリン様」
「はい」
精一杯の笑顔でキャサリンは応える。
別れに泣き顔はダメだから。
あの人の中で綺麗な想い出となるよう、キャサリンは粗末なドレスに身を包んだまま、優雅に一礼してみせた。
「スッゲー。姫さんがいる」
近くにいた水夫がそんなことを言っている。
ユリスは彼女の気持ちを受け止め、船に向かう。
アドミラルから去るためだ。
その後ろ姿を見送るマリアが、ポツリと呟いた。
「陛下のためなら他に道はなかったんざんしょ。しかし最善の道はどうだったんでしょうかねえ」
その言葉はヴァンにもマックスにも重く響いた。
これからの皇帝一家の歩む道が、茨の道であることくらいわかっていたので。
「ユリスと申します。殿下のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「ルイだ。父さんが生死も知れなかった俺にそう名付けてくれたんだ」
この問答は息子の名前も知らないキャサリンのために、ユリスが気を回したのだが、彼女は感激しているようだった。
「ルイ。とても良い名だわ。陛下らしい名付けだこと」
「母さんは名付けたい名前とかなかったのか?」
「貴方がお腹にいる頃に陛下とお約束したのです。産まれてくる子には陛下が名を名付ける。代わりにわたくしは健やかな子を産むことだけに専念すると。あの頃はそれほど生易しくはありませんでしたけれど」
「母さん」
「貴方を産んだ後わたくしは一時的な仮死状態にありました。それを海賊たちは死んだと誤解して海に弔ったのです」
「そこをあんたが?」
「運が良かったんだと思います。あの状態で彼女の生死に気付くのは、奇跡的な確率だったと思いますから」
この話はラスには母が冤罪である証拠に思えた。
神という存在が、もしいるのだとしたら、今こうして自分たち親子が、生きて再会していることが、母が冤罪である証拠に思えた。
「父さんが見抜いた通り、母さんはやっぱり冤罪なんだ」
「ルイ?」
「じゃなきゃ俺たちが再会できるわけない」
ラスに抱きつかれてキャサリンも目を閉じる。
溢れる涙を堪えるために。
「もう逢えないと思ってた。でも、逢えた!」
「そうですね。この奇跡を神の慈悲と言わずになんというのでしょうか。冤罪だからこそ神様は、わたくしたちを巡り合わせて下さったのでしょう。ルイ。わたくしは貴方が生きていてくれて、こんなに立派に育ってくれて、それだけで涙が止まらないほど嬉しいのです」
この言葉を聞いてユリスは、彼女はもう妻のベアトリスではなく、皇帝リカルドの皇后キャサリンなのだと実感した。
口調が完全に出逢った頃に戻っている。
なによりも息子を抱く彼女は、ひとりの母親で、その夫は皇帝リカルドしかいないのだと理解した。
結局自分は弱っていた彼女の心の隙につけ込んだだけで、彼女の心は最初からリカルド皇帝の元にあった。
そう思い知らされて、彼女のために死にたいという自分の望みも、もしかしたらエゴなのかもしれないと感じ始めた。
皇后として生きていけるなら、彼女の足枷になりたくないのなら、ここで別れるべきではないのかと。
そんなことを考えて俯くユリスにラスは戸惑いながらも声を掛けた。
「母さんを助けてくれたこと。感謝してる。どんな言葉でも言い表せられないほど。でも、もうそろそろ母さんを返してくれないか? 父さんと俺のところに」
ラスにとっても父も母も、失ってもう得られないと諦めていた存在だった。
今更両親を恋しがるほどガキじゃない。
そう強がりあの人の側へ母を引き渡した方が、母は幸せに生きられるのかもしれない。
でも。
リカルドの顔を思い出したら、そんなこと言えなかった。
どんなに必死になって探していたか。
出逢ったとき人違いされたから、身に染みて知っている。
わかっていて無視することは、どうしてもできなかった。
「頼むよ」
会釈程度だったがラスに懇願され、ユリスは覚悟を決めてキャサリンを振り向いた。
「きみはどうしたいんだい? ベアトリス?」
「ユリス」
「きみの命がかかった一生の問題だ。どんな結末を迎えても、後悔しない道を選んでほしい。その結果が私との別れなら、それがきみの選択なら受け入れるよ」
「きみはどうしたい?」眼差しだけで、もう一度そう尋ねられて、キャサリンは迷って瞳を揺らした。
やがてその唇から放たれた言葉は、
「今までありがとう。ユリス。わたくしはあの人の下へ戻ります。あの人の下でこの子のために生きたい。それがどんな結末を招いたとしても。だから、お別れです。今まで本当にありがとう。ユリス。いえ。ユリス様」
これがユリスを生かす唯一の道だとキャサリンにもよくわかっていた。
口にした言葉にも嘘はない。
危険な境遇の我が子を置いて、何故自分だけが安全地帯に逃げられようか。
しかし口には出せない動機もある。
一度は愛した人だから、どうか生きてほしいと。
そんなキャサリンの言えない言葉を想いをユリスは、しっかりと受け止めた。
「わかりました。お別れですね。キャサリン様」
「はい」
精一杯の笑顔でキャサリンは応える。
別れに泣き顔はダメだから。
あの人の中で綺麗な想い出となるよう、キャサリンは粗末なドレスに身を包んだまま、優雅に一礼してみせた。
「スッゲー。姫さんがいる」
近くにいた水夫がそんなことを言っている。
ユリスは彼女の気持ちを受け止め、船に向かう。
アドミラルから去るためだ。
その後ろ姿を見送るマリアが、ポツリと呟いた。
「陛下のためなら他に道はなかったんざんしょ。しかし最善の道はどうだったんでしょうかねえ」
その言葉はヴァンにもマックスにも重く響いた。
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