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第五章 ラスターシャの王子

心優しき妖魔の王

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「ショウ?」
 夢現で目覚めるとそこにショウがいた。
 信じられないと眼を見開く。
 夢かと思ったが目の前のショウはホッとしたように息をついた。
「目が覚めたんだな、ラーダ。よかった。俺も心配してたんだ。もう2日も眠ってるから」
「俺、死んだんじゃなかったのか?」
「死んでないよ。俺が死なせないから」
「ショウ」
 死ねなかったと思う心の片隅で、ショウが変わっていないことを喜ぶ自分がいる。
 それともショウは気付いていなかったんだろうか?
 ショウとふたり、あの屋敷に住んでいたころに戻れたら。
 そう思って首を巡らせると、やはりグレンに監禁されていた部屋だった。
 ショウがいるということは突き止めたか、白状させたか、どちらかだろう。
 元々王子としての器でグレンはショウに負けていたのだし。
 自分の孫がラスターシャの王子に負けている。
 それはちょっと変な感じがした。
 昔、昔の出来事だ。
 ラスターシャの国王がまだ君臨していた頃、ラーダは度々、レジェンヌにやってきては長居する癖があった。
 だが、初めてラスターシャの国王と相対したとき、ラーダは誓っていた。
 この国では宴は起こさない、と。
 それを守ることを知っていたから、レジェンヌ側も不意に現れるラーダに特に警戒はしなかった。
 そんなとき問われたのだ。
 魔族がこの国に関わる理由を。
 ラーダが宴を起こさない理由を。
 そしてラーダは答えた。
 すべてはラスターシャ王家のせいだと。
 その言葉を引き金として当時の国王は一族揃って国を捨てた。
 死ぬまで継承権を放棄できない立場故に、臣下たちにもなにも告げずある日、突然。
 その当時のラーダはまだ妖魔の王らしく振る舞っていたので冷たく考えただけだった。
 国のために自分たちを犠牲にするなんてバカだと。
 ラーダがあんなことを言わなければ、余計なことを教えなければ、ラスターシャ王家は国と王位を捨てたりしなかった。
 そのことはメイディアで聖妃となってから、とても気にしていた。
 自分が幸せになったからこそ、かつて不幸にしたラスターシャの王子たちの行く末が気になった。
 メイディア諸国連合の発端はラーダである。
 今ではサルシャが引き継いでいるが。
「俺さ、メイディア諸国連合の後見を受けることにしたんだ」
「え?」
 ショウがメイディア諸国連合の後見を受けてくれる?
 俺が発端となって動き出したメイディア諸国連合の?
 それはどんな言葉よりも嬉しい赦しの言葉だった。
 ラスターシャの王子を擁立したい。
 それがラーダの夢だったから。
 そうしたらラーダの罪も許される気がして。
 都合がよすぎるかもしれないが、それだけを願っていた。
 なのにショウがメイディア諸国連合の後見を受けてくれる?
 これこそ夢ではないのだろうか。
 長い間の夢が叶うなんて。
「ラーダが元気になって魔族の件が片付いたら、俺はメイディアへ行くよ。レジェンヌに凱旋するために」
「ショウ」
「ラーダは元気になることだけ考えてくれよ。俺はそれしか望まないから」
 優しいショウの笑顔。
 でも、なにか引っ掛かる。
 ただ優しいだけじゃなくて、なにもかも知っていて優しくしているような、奇妙な違和感。
「ショウは俺の……」
「ラーダ。あんまりしゃべるんじゃない。まだ体調よくなっていないんだから」
 ショウに叱られてラーダは黙り込んだものの、納得できてはいなかった。
 わかっていて牽制されたような気がして。
 それからしばらく黙っているとグレンが部屋に入ってきた。
「目が覚めたのか、ラーダ。よかった」
「今更、善人ぶらないでよね。もう遅いよ」
「そこまできついこというなよ、ラーダ。彼だって後悔してるんだから」
「だって」
「すぐには許せないだろうけどわかってやれよ」
 おまえの孫だろ? と続けそうになって、ショウは黙り込んだ。
 さすがにこれは口に出せない。
「いや。ショウ。これは言われて当然なんだ。おれは確かに責められても仕方のないことをしてしまった。許してくれとは言えない。自業自得なんだ」
 本当に改心しているらしいネジュラ・グレンに、ラーダはショウと彼の間でなにがあったんだろう? と首を傾げる。
 解せないが、どう考えてもショウが彼の考えを改めさせたとしか思えない。
 本当にふたりの間でなにがあったんだろう?
「それでメイディアとは連絡が取れたのか? 連絡がきたから階下に降りていたんだろ?」
「ああ。父上とは連絡が取れた。魔族の件が片付き次第、ショウ王子をお連れしろとのご命令だ。最悪の事態のときは魔族の件が片付いていなくても、ショウ王子の身の安全を優先しろとも言われた」
「……それは」
「レジェンヌに留まることは危険なんだ。そんな判断をされてしまうことも、仕方のないことだ。あなたの生命には換えられない」
 でも、それではショウのためにレジェンヌの民たちが犠牲になることになってしまう。
 それは嫌だった。
 かといって身の安全を気遣われているわけだから、ショウからはこの意見に逆らえないのだが。
 その場合待っているのは「死」だけなので。
「魔族の件が片づけばいいんだな?」
「なにか策があるのか?」
「ひとつだけ」
「なんだ?」
「これはメイディアの協力なしでは成り立たないし、俺の存在も隠してもらわないといけないんだけど、闇世と地上の次元が繋がっているから、魔族たちがやってくるんだ。
 これ以上、魔族の数を増やしたくなければ、その次元を閉じてしまえばいい。それで一時的にでも魔族の件は片づくはずだ。後は地上に残っている魔族を一掃すればいいから」
「しかしそんなことどうやって」
「魔門、つまり俺を利用するのさ」
「え?」
 意外なことだったようでグレンは絶句していた。
 それはショウにとって命懸けの行動だからだ。
 レジェンヌ側にバレたらショウの生命はないだろう。
「次元の穴を塞ぐだけなら魔門の力は必要ない。常時開いている次元の扉まで閉じないと、この計画は意味がないんだ。だから、魔門の力が必要になってくる。ただ」
「ただ?」
「それには並外れた魔力を持った奴が必要なんだ。俺にもある程度の魔力を持った奴は見抜けるけど、残念ながらここにきてから、それに相応しい魔力を持った魔法使いとは出逢っていない」
「あれ? どこかで聞いたような計画だな」
「は?」
「そうだ。初対面のときに妖魔の騎士が言っていた方法だ。奴も言っていた。自分が考えている方法を実行に移すには、強い魔力を持った奴が必要だって。魔門のことかと納得していたが、もしかして奴の言っていた方法とおまえの計画は同じものかも」
「妖魔の騎士か」
 言ってからチラリとラーダの顔を見る。
 疲れが取れていなかったのか、また眠ってしまっているが、果たして今のラーダにそれだけの余力があるだろうか。
 回復してきてはいるようだが、まだそんな強大な力が使えるほどの体力を取り戻したようにも見えない。
 あまり無理はさせたくないのだが。
「機会がいつ作れるのかわからない。だが、妖魔の騎士に出逢ったときに言ってみよう。それで協力してくれるなら、これ以上、危険な場所に滞在しなくて済むし」
「……そうだな」
 ラーダなら協力すると言ってくれるだろう。
 ラーダは元々ショウには協力的だった。
 あのときも、あんなに弱っていたのにショウを助けに来てくれた。
 ショウが命懸けで頼めば、どんなに弱っていても頷くだろう。
 できるだけ無理はさせたくないが、ラーダの正体を見抜いていることを伏せているかぎり、正面から反対できない。
 どうすればいいんだろう。
 この計画を実行に移すにはラーダの協力が必要不可欠なのだが。
 自分からは動けない。
 ジレンマ、だった。




「へえ。それで妖魔の騎士の協力が、ね」
 翌日になって目覚めたラーダに事情を打ち明けたのはグレンだった。
 ショウはどこか遠くを見ていて自分からはなにも言わなかった。
 やっぱりバレてるのかな? と思う。
 だから、ラーダがこんなに弱っているときに自分からは頼めないとか。
 でも、ショウがなにも言わないなら、気付いていない可能性もあるから、ラーダからは言えないし。
 気付いていないのなら気付かれたくないから。
 ショウは変わらないと信じたい。
 でも、信じるのも怖い。
 好きになってしまったから、この気持ちが叶わないと突き付けられるのが怖いのだ。
(そうだ。俺、ショウが好きなんだ。この気持ち。どうしよう。伝えられるものなら伝えたいけど、俺にそんな資格あるのかな? ラスターシャ王家から国も王位も取り上げた俺に。妖魔であるこの俺に)
 グレンは、ネジュラ・ラセンは妖魔であることも承知してラーダを選んでくれた。
 あのときと同じことが起きるかどうか、ラーダには自信がない。
 そもそも同性同士みたいな付き合い方だったのだ。
 今の段階でショウに意識されているとは思えない。
 伝えたら正体がバレていなくてもフラれるかもしれない。
(フラれたらどうしよう。俺……)
 泣きそうになっていると不意にショウが振り向いた。
 勘は鋭いのだ、ショウは。
「どうしたんだ、ラーダ? そんな顔で俺を見て」
「……なんでもない」
「なにがなんでもないんだよ? 今にも泣きそうな顔してるよ?」
「ショウが苛めるよぉ」
「は? 心配してるだけだろ、俺は。どうして苛めてるなんて言われないと……」
 ふたりのやり取りを見ていたグレンは、ショウの余りの朴念仁ぶりに呆れていた。
 ショウはラーダの気持ちに気付いていないのだ。
 ラーダの方はおそらくショウが好きだから、これからのことを考えて、あんな顔をしてるんだろう。
 そのことに気付かないショウは、かなりの朴念仁だ。
「おまえ。かなりの朴念仁だな、ショウ」
「は? なんでそっちから責められないといけないんだ?」
 真剣にわけがわからないと言いたげである。
 だが、これは割り込んでも仕方ないと、グレンからはなにも言わなかった。
 泣いていても仕方がないと、ラーダはふっと息を吐いた。
 窓辺に黒衣を身に纏い、黒い幅の広い仮面をつけた妖魔の騎士が現れる。
「さっきの話の件だが」
「妖魔の騎士っ!?」
 ショウも驚いて振り向き、すぐにそれが幻影であることを知った。
 いや。
 分身というべきだろうか。
 どんな力を使っているのかは知らないが、あれはラーダではない。
 敢えて言うなら身代わりだ。
 ラーダは昼の姿と夜の姿で同時に存在しなければならないとき、こういう手を使うのか。
 上手い手だ。
 これなら余程力のある魔法使いでもないかぎり、彼が偽者だとは気付かないだろうから。
 でも、ラーダは平気なんだろうか。
 こんな状態で力を使ったりして。
 気になったので振り向けば、やはり顔色が悪くなっていた。
(無理をして)
 心配そうに瞳が陰る。
 しかしここでは身代わりのラーダを見た。
「いつから話を聞いていたんだ?」
「ついさっきだ。どうやらラスターシャの王子が、メイディアに合流したようだったからな。俺の方からも気を付けて見ていたんだ」
「……どうして」
「その王子は知らないだろうが、ラスターシャ王家の者と俺とは友好を結んだ間柄だ。だから、この間もすぐに助けに入ったんだ」
「そうだったのか。それでレジェンヌには宴の記録がなかったんだな?」
「そういうことだ。レジェンヌでは宴はやらないと誓ったからな」
 知らないことはあるものだ。
 ショウが知らないということは、おそらく歴代の世継ぎたちも知らなかっただろう。
 代々語り継がれていたなら、ショウも聞いているはずだから。
 ということはラスターシャ王家の者と妖魔の騎士が友好を結んだのは、かなりの昔だということだ。
 それなのに今も守ってくれるなんてラーダは律儀だ。
「俺で力になれるならなろう。機会を作ってくれれば俺はその場に現れる」
「妖魔の騎士」
「それがラスターシャの王子の望みなのだろう?」
「でも」
「余計な心配はいらない。不都合はなにもないからな。闇神に楯突いたところで今更だ」
 そういう意味じゃないんだ、ラーダ。
 俺はおまえの身体を心配してるんだよ。
 言いたくて言えなくてショウは唇を噛む。
「そちらの準備が整ったら俺は現れる。約束は違えない。安心していればいい」
 言いたいことだけ言ってラーダの姿は消えた。
 ふっと姿が消えたのだ。
 限界がきたのかとショウがラーダをみると、ラーダは大きく息を吐き出していた。
 やっぱり堪えたらしい。
 そんな状態でも協力すると言ってくる。
 申し訳ない気分で一杯だった。
「よかったね、ショウ。妖魔の騎士が協力してくれることになって。これで百人力だよ。きっと現場でも護ってくれるから」
 ショウにはこのラーダの言葉はこう聞こえていた。
『どんなことがあってもショウは俺が護るから』
 と。
 半死半生の状態だったのはつい昨日のことだというのに、そんなことを言ってくれる。
 本当に申し訳なかった。




 それから準備が整うまでにかかった日数は3日。
 これはレジェンヌに関わることなのだが、ショウが関わっているため、グレンはレジェンヌ側の介入を断った。
 これには一揉めあったらしいが、一先ず、現場にはレジェンヌの者は立ち入れなくなっている。
 その現場にショウはやってきた。
 屋敷にラーダを残して。
 ラーダは気を付けてと言っていた。
 それはショウが言いたい言葉だったのに。
 大地に魔方陣が敷かれている。




 この準備はすべてメイディア側の魔法使いたちがやってくれたのだ。
 ショウの指導の元に。
 魔門はそういう意味の知識も持っているので。
 すべてが整って四半刻、妖魔の騎士はまだ現れない。
 ラーダの現状を知るショウは心配していたが、グレンは怒っていた。
 現れると言った妖魔の騎士が現れないことで。
 その頃、ラーダはやっとの思いでショウの屋敷に辿り着いたところだった。
 体力が根こそぎ奪われていて、ここまで転移するのも大変だったのだ。
 まず姿を変化させるのにしばらくかかった。
 ラーダは姿を変えないと妖魔としての力は使えないので、かなり頑張ったのだ。
 その後の転移もショウの屋敷までもたなくて、何度か繰り返す羽目になった。
 こんなに弱っていたなんて、ラーダ自身も思っていなかった。
 ショウがリョガーザを栽培していなかったら、一体どうなっていただろう。
「案外、死ねたかもしれないな」
 冷たい声で呟く。
 もうすっかり妖魔の騎士の姿だ。
 全身を包む黒衣に素顔を隠す黒いマスク。
 素早く動かないと倒れるかもしれない。
 ショウに迷惑はかけられない。
 レジェンヌ側だって今回のやり方には疑問を感じているだろう。
 そこからショウの存在を探り当てないとも限らない。
「行くか」
 呟いてラーダの姿は消えた。




「遅いっ。奴はまだなのかっ!?」
 グレンが部下に問い質している。
 そのとき、ショウが呟いた。
「心配するな。もう来たよ」
「……え?」
 グレンが振り向いた瞬間、ショウの隣に妖魔の騎士の姿があった。
「遅いっ。なにをやっていたんだっ!?」
「そう怒鳴るな。こっちにも都合ってものがあるんだ」
「グズグズしていたらレジェンヌ側にばれるだろうがっ。そのくらい考慮しろっ」
「グレン。怒るなよ。仕方のないことなんだから」
「ショウはちょっと寛大すぎるぞ」
「そうかな?」
 庇ってくれたショウにラーダが複雑な視線を向けている。
 やっぱりバレているのだろうか、と。
「では始めるか。ラスターシャの王子は中央に立って、地面に両手を当ててくれ。かなり苦しいだろうが耐えてくれ」
「わかってるさ。どのくらい苦しいかはね。でも、これも王子の務めだろ」
 言ってショウは魔方陣の中央に立って、それから屈み込んだ。
 地面に両手を当てる。
 魔方陣に直接、気を送り込むためである。
 それを見届けてラーダも魔力を解放した。
 強大な気が膨れ上がる。
 それがすべてショウへと集中し、ショウは想像を絶する苦痛に耐えていた。
 気を抜けば地面に倒れそうになる。
 でも、ラーダはもっと辛いはずだ。
 そう思って耐えていた。
「凄いですね」
「そうなのか? おれにはよくわからん」
「魔力の高まりは現在最高峰です。こんな力を人間が扱えるなんて、本当に魔門は凄いですね」
 エスタの感心する声にグレンは曖昧に頷いた。
 グレンは魔法使いではないのでよくわからないのだ。
「王子」
「我々を裏切るのですか」
「王子」
 妖魔の騎士に縋ろうとした魔族たちも、力の巻き添えになって消滅していく。
 それだけ凄い力が行使されているということだ。
 現在まで魔族の介入がなかったのは、メイディアの魔法使いたちの手柄だった。
 ショウに言われた通りの方法で結界を張り、今まで防いでいたのである。
 邪魔をされてはなんにもならないので。
 隙をついて入り込んできた者たちも次々と消滅していく。
 ショウもラーダも限界にきていたが、今は耐えなければとどちらもが気力と体力を奮い立たせていた。
「次元の扉、封印っ!!」
 事の終わりをラーダが宣言する。
 その次の瞬間、力が収縮していった。
 ショウがその場に座り込む。
 自分もかなり辛かったが、ラーダは大丈夫なのかと見れば、ラーダは長居は無用とばかりに姿を消してしまった。
 一言の言葉もなく。
 その余裕もなかったのかもしれないが。
(なるほどね。どこで着替えてるのか知らないけど、あの姿からいつもの姿に戻って更にグレンが戻るまでに屋敷に戻っていないとならないから、無駄なお喋りなんてしている暇はないってことか)
 なかなかラーダも大変だ。
「あいつも一言くらい声を掛けてから消えればいいのに」
「俺たちの前に姿を見せること自体、異例のことなんだ。無理もないさ」
「平気か、ショウ?」
「ああ。術を受けてる最中は辛くて仕方なかったけど今はなんともない」
「なら戻ろうか。長居は無用だ」
「わかった」
 言ってからショウは立ち上がった。
 グレンたちと一緒に引き上げていく。
 その後ろ姿を見ている影があった。
「ラスターシャの王子はいつもメイディアの者と一緒にいるな」
「はい。離れませんので仕掛ける隙がありません」
「離れないなら離すまで」
「では……」
「このどさくさを狙うぞ」
「はい」
 答えてふたつの影は消えた。
 不吉な言葉を残して。




 それは屋敷に戻って落ち着いた頃に起きた。
「ショウ。どうやらおまえに客らしい」
「客? なんで俺がここにいるって知ってるんだ? 知人には知らせてないのに」
「さあ? だが、確かに知人らしいぞ。ここではおまえの名前は出さないようにしているのに確かにショウと言ったらしいから」
「わかった。逢ってくるよ。ラーダを頼むよ、グレン」
「引き受けた」
 短い言葉を交わしてグレンとは別れた。
 屋敷に戻ってみると、やはりラーダは昏倒していた。
 その手当てを終えたところだったのである。
 だれだろう? と、玄関へと急ぐ。
 客がいると言われて玄関へときたが、だれも居なかった。
 扉を開けて怪訝な顔になる。
 それから扉を閉めようとして、強い力で扉を反対側から引っ張られた。
 思わず慣性に従って倒れそうになったところで鳩尾に一発食らってしまった。
 急激に意識が遠くなる。
 不意をつかれたことを自覚したときには意識はほとんど消えかけていた。
(……ラーダ)
 消えそうな意識で名を呼ぶ。
 そこまでが限度だった。
「ショウ!?」
 反射的に飛び起きた。
 クラリと目が回る。
「ショウがどうした、ラーダ?」
「ネジュラ・グレン? ショウは? ショウはどこっ!?」
「ショウなら知人が逢いにきて玄関の方へ」
「知人? おかしいよ。ショウの知人なら一般人のはず。メイディアの王子が滞在中の屋敷にやってくるなんておかしい」
 言われてグレンも青くなった。
 あのときは伏せていた名前を出されたから納得してしまったが確かにおかしい。
「だれかっ!! だれかいないかっ!?」
「どうなさいました、王子?」
「エスタっ。すぐに玄関を調べてくれっ。ショウを探してくれっ」
「承知しました」
 反問はなかった。
 王子の態度からただ事ではないと悟り、すぐに行動に出ていた。
 ラーダは落ち着かない気分だった。
 すぐに動きたい。
 でも、グレンの前で夜の姿にはなれない。
 どうしよう……。
 答えはすぐに出た。
 戻ってきたエスタが青ざめて報告したからだ。
「ショウがどこにもいない?」
「門兵たちも気絶させられていました。これは連れ去られたと思うべきではないかと」
「王宮か」
 呟いてからグレンは立ち上がった。
「出掛ける支度をっ」
 グレンが出ていくまでの間、ラーダはなにも言わなかった。
 ただその眼がきつい。
 今にも真紅に染まりそうだった。
 ラーダはわざと動かなかった。
 連れ去った以上すぐには殺さないと判断して。
 そうしてグレンが出ていくのを待ってショウの屋敷へと転移した。
「ショウ。必ず助ける。必ずだ」
 呟く声は妖魔か。
 それとも昼のラーダか。
 ショウの行方は闇に消えたまま。
 ラーダはショウの気配を追って転移した。





 ぴちゃん。
 遠くで水音がする。
 寒い。
 ここはどこだろう?
 手が上に引っ張られたまま動かない。
 脚は膝をついていて苦しい態勢だった。
 上に引っ張られる両手首に枷のようなものを感じる。
 そこに全体重がかかって痛い。
 切れたのか血が流れるのを感じる。
 首筋に手が伸びて、なにかがビリッと感電したような感じがした。
 小さな落雷。
 それに意識を揺さぶられた。
 うっすらと目を開ける。
 目の前に見知らぬ初老の男がいた。
 狂気に染まった眼をしている。
 その傍には軍人らしい男の姿。
 初老の男は憎々しげな顔をしている。
 伸ばした片手をもう一方の腕で押さえていた。
「だれでもよい。そなたが名を知る必要はない」
 そなた……。
 そしてこの扱い。
「現王家の国王か」
「将軍。双頭のラジャの首飾りを奪うのだっ」
「はっ」
 軍人らしい男の手が伸びる。
 しかしその手が首飾りに触れた瞬間、またビリッと小さな落雷があって男は手を引っ込めた。
「っ」
「おまえたちバカだな。双頭のラジャの首飾りは、その資格のない者には触れることもできない呪いが掛かってる。大昔に初代のラスターシャの国王が神から貰ったと言われている呪いだ。おまえたちが触れることなんてできるわけないだろう」
 両手首からは途切れることなく、赤い血が滴っている。
 両手首に全体重が掛かっていることもあるのだが、嵌められた鉄の鎖に刺のような細工がされているのだ。
 それが体重を掛けられる度に手首を傷めるのである。
 手首の傷は侮ると命取りになる。
 死ぬときに手首を掻っ切るのはありふれた方法だ。
 このまま途切れることなく血が流れ続ければショウも危なかった。
 国王たちが手をくだすまでもなく死んでしまうだろう。
 だが、ショウには国王たちがそんな手間を掛けるとも思えなかった。
 グレンたちが関わっていることを知られているのだ。
 時間を掛ければ奪回されてしまう恐れがあることを彼らも承知しているだろう。
 どうやらここは地下牢らしい。
 両足にも枷があって立ち上がりたいのだができない。
 せめて手首に体重が掛からないようにしたいのだが、それができないのだ。
 脚は壁際に引っ張られていて、どうしても身体が前のめりに倒れる。
 手首の血が首にまで到達したのか、首飾りが赤く染まっている。
 その瞬間、淡い光を放ち出した。
 黄金の光である。
 国王と将軍は怯えたように一歩後ずさった。
「泥簿猫のように王位をくすねていったくせに爽快なことをしてくれる」
「王位を捨てたのはそちらだ」
「そうせざるを得ない事情があったんだ。でも、それは間違いだった。今のおまえたちを見ているとそれがわかるよ」
 手首の傷が深くなりショウの気が遠くなる。
 両腕を伝ってくる血の量が、どんどん多くなる。
 それと共に首飾りが放つ光も強くなった。
「双頭のラジャの首飾りの、このような反応の伝承など聞いたことがあるか?」
「いえ。ただ双頭のラジャの首飾りには伝説がございます。持ち主である世継ぎの王子に真の危機が迫ったとき、双頭のラジャの首飾りは、その真の力を発揮する、と」
「神から授かった伝説の秘宝、か」
 だからこそ王位の証である双頭のラジャの首飾りを現王家の者たちは手に入れようと必死に努力したのだ。
 だが、今までそれは成功しなかった。
 世継ぎの王子を殺すことも。
 世継ぎの王子を殺すことに成功するとき、その王子には大抵息子がいたのだ。
 そしてその息子を殺すことはできないのである。
 首飾りも息子に譲られた後だったのが常だ。
 それ故に現王家は恐れてきた。
 ラスターシャ王家の真の世継ぎの君を。
 どうしても殺せない世継ぎを。
 このショウという少年が、その世継ぎ。
 彼さえ殺せばおそらく今度は首飾りの受け継ぎはなされない。
 この年齢では息子はいないだろうから。
 だから、こんな回りくどい方法を選んだのだ。
 首飾りを所持した王子は殺せないと知っていたから。
「俺は……死なない。こんなことで死んだりしない」
 言ってからショウの目が閉じられた。
 身体からも力が抜ける。
「死んだか?」
「いえ。まだ息はあります」
 か細いがショウは確かに息をしていた。
 大量の出血をしている身で手当ても受けられずに。
 ぴちゃん、ぴちゃん、と落ちる水の音は、実はショウが流す血の音だった。
 ショウはぼんやりしていたので気付けなかったのだ。
 自分から滴る血が音を立てていることに。
「斬ってしまえば」
「無駄だ。おそらく首飾りに護られて刃を跳ね返すのがオチだ。自然と死んでくれるのを待つしかない。……メイディアはどうしている?」
「王への目通りを願っているようです。王子自ら」
「そうか。まだここを突き止めてはおらぬか」
 次第にショウの回りに血溜まりができていた。
 それが池のように広がっていく。
 それと共に首飾りの光は更に強くなり、今では目を向けられないほどの強さだ。「アヌ、ン、ソバト、ヌバリ……」
 ショウがなにか呟いている。
 だが、国王も将軍もその言葉に聞き覚えがなかった。
「ラジャっ!!」
 か細い声がその最後の部分を叫んだ。
 風が渦を巻き、地下牢に吹き荒れる。
 ふたりが目を閉じた瞬間、聞いたこともない獣の声がした。
 恐る恐る目を開ける。
 そこにはショウを護るように幻獣が立っていた。
 伝説の双頭のラジャが。
 首飾りに封印されていた双頭のラジャが覚醒めたのだ。
 ショウの流す大量の血と、そしてショウ自身の召還によって。
 双頭のラジャはラスターシャの王子が真の危機に陥り、召還した場合に限ってその封印が解かれるのである。
 もちろんそれはいくら魔門といえど命懸けのことではあったが。
 生命の危機に陥ったときにだけ発動する最強の魔法。
 それこそが魔門が魔門と呼ばれるべき理由。
 国王も将軍も怯えて声もなかった。
 へたり込んで身を寄せ合っている。
 双頭のラジャの一方の顔が、ショウの足元を睨む。
 すると足枷が音を立てて外れた。
 続いてもう一方の顔が手枷を睨む。
 するとこちらも音を立てて外れ、ショウはその場に崩れ落ちかけた。
 それを双頭のラジャが背中で受け止める。
 ショウの手首からは止めどない血が流れている。
 それを止めようとでもするように、双頭のラジャが手首を嘗めた。
 その度に傷が塞がっていく。
「ラスターシャの王子。すぐにやめるんだっ。死ぬぞ、おまえっ」
 叫んだのは現れたラーダだった。
 夜の姿ではあったが。
 伝説に名高い妖魔の騎士の姿に国王は失神し、将軍は国王を抱き止めながら震えていた。
「ラ、ダ?」
 微かな声が名を呼ぶ。
 その瞬間、双頭のラジャの姿は掻き消えた。
 まだショウの傷は塞がっておらず、手首からは大量の血が流れている。
 抱き止めたラーダはそれを見て、そっと掌を当てた。
 力が注ぎ込まれ、応急処置がなされていく。
「よくもラスターシャの王子を傷つけてくれたな……」
 ラーダが振り返る。
 その真紅の瞳は燃えているようだった。
 自分の体調が悪いことなど忘れていた。
 あの魔法が作動したということは、ショウが本当に危なかったということなのだ。
 許せるはずがなかった。
「おまえたちなど消えろっ。消えてしまえっ」
 叫んだとき、国王と将軍の姿が塵と消えた。
 それは単純な力の結果である。
 ラーダの力がふたりを塵と化したのだ。
「ショウ。しっかりして、ショウっ」
 ラーダの姿が昼のラーダへと戻っていく。
 想像以上に強い力を発揮し、姿を維持できなくなったのだ。
 黒衣もマスクも脱ぎ捨てて、その下に着ていた服だけになる。
 それから袖を破って応急処置を施した。
 ショウの顔からは血の色が失われ真っ青だった。
 大量出血したためだとすぐにわかった。
 どうしてもっと早く助けに入れなかったのかと自分を責める。
 それからショウを担いで歩き出した。
 グレンと合流しなければ、ショウの身は安全とは言えないのだから。
 自分の身体のことなど構っていられなかった。
 どうせ自分は妖魔だ。
 人間より丈夫に出来ている。
 なら無理をすることがなんだというのか。
 大きなショウを担いで歩くのは大変だったが、グレンがいるだろう謁見の間を目指した。
 気が遠くなりそうな辛さだったが耐えた。
 ただショウのためだけに。
「国王陛下はまだかっ!! メイディアの世継ぎを無視するとは、あまりにも礼儀知らずだろうっ!!」
 グレンが叫んでいるのが聞こえてきた。
 ここまで人目につかず移動できたラーダは体力の限界にきていた。
「国王なら死んだよ。ネジュラ・グレン」
「ラーダっ!?」
 叫んで振り返ったグレンは、そこにショウを担いだラーダの姿を見た。
 ラーダの肩にうつ伏せたショウの顔は見えないが怪我をしているらしいことはわかる。
 両手首にしっかり手当てがなされていた。
「ショウっ!! しっかりしろ、ショウっ!!」
「応急処置はしたんだけど出血が多すぎた」
「そんな……」
 今にも倒れそうなラーダから受け取って、抱き起こしたショウの顔色は蒼白だった。
「国王が死んだってなにがあったんだ」
「ショウはラスターシャの王子。その身に真の危機が迫ったとき、双頭のラジャの首飾りはその真の力を発揮する。聞いたことない? この伝説」
「ある。双頭のラジャについて習うときに、必ず出てくる言葉だ」
「それが起きたんだよ。国王と、それと将軍らしき軍人は双頭のラジャに殺された。ショウを護るためにね」
 幾分ラーダは脚色していた。
 まさか自分で殺したとは言えないので。
「今はショウが回復してくれるのを待つしかない。俺たちにできることはそれだけだよ」
 ショウが助かることを信じるしかないのだとラーダが言う。
 グレンはなにも言えなかった。
 腕の中のショウがあまりに冷たくて、それが冷たい現実を示唆しているようで怖かった。
 ショウの体力は限界まで落ちていた。
 血を失いすぎたのだ。
 おまけに禁断の魔法まで使って、まだ余力があると思う方がどうかしている。
 グレンはショウがラスターシャの王子だと明らかにし、メイディアの後見の元素早く事態を収めた。
 現王家は正式なる世継ぎに対する反逆罪で次々と捕らえられ、現王家派の者たちも次から次へと捕まっていた。
 旧王家を慕っていた人々はショウの帰還を大歓迎し、倒れているショウの身をとても気遣ってくれていた。
 事件の起きた当日、ショウを診た医師は今夜が峠だといった。
 この言葉にはラーダも震えて声もなかった。
 この時代の医療では足りない血を増やすことができなかったのだ。
 後はショウの体力次第だと言われ、だれもが祈る。
 ショウの無事を。
 だが、ショウの危篤状態はすぐには治らなかった。
 血が足りないから、すぐに危篤状態に戻るのだ。
 現在の医学ではどうしようもないことである。
 ラーダはショウが危篤状態の間、ずっと付き添っていた。
 ラーダ自身も衰弱していたが自分のことは放置していた。
 グレンが何度心配しても「大丈夫だから」と言い張って。
 ショウが危篤状態から脱したのは実に2週間後のことであった。
 体内の血が少しずつでも増えていくことで、危篤状態から脱したのである。
 それはある春の日のことだった。
「あれ、俺……」
 不意に意識が戻って驚いた。
 見慣れない天蓋。
 見慣れない部屋。
 枕元を見ればラーダが眠っていた。
 顔色は良くなっていてホッとした。
 でも、どうして自分が寝ているのかがわからない。
 起きようと上半身を起こすと目が回った。
 力が入らず頭もクラクラしてその場に倒れる。
 その音に気付いたのか、ラーダが目を覚ました。
「ショウっ」
「ラーダ。俺、どうしたんだ?」
「憶えてない? 現王家の国王に捕まって、酷い扱いを受けたんだよ。両手首に酷い怪我を負って、大量出血を起こしたんだ」
「思い出した。それで俺は禁断の魔法で双頭のラジャを召還して」
 言いかけて思い出した。
 本当に危なくなったあのとき、禁断の魔法をやめるように忠告してくれたのはラーダだった。
 妖魔の騎士の姿をしていたが。
「妖魔の騎士が助けてくれたんだよな」
「えっと、それは」
「あのとき、あいつが止めてくれなかったら、今頃、俺は生きてなかったかも」
 禁断の魔法は本当に命懸けなのだ。
 使える限度というのがある。
 伝説によれば至上神の二重神、天麗神によって授けられた幻獣だというが。
 あのとき、ショウは限度を越えて使おうとしていた。
 そのくらい危なかったのだ。
 反対から言えば禁断の魔法に頼らなければ生命の維持が難しかったのである。
 その瞬間になれば召還の呪文はわかるからと、父にも母にも言われていたが、ああいうことだとは思わなかった。
 あのとき、自然とその呪文が口をついで出たのだから。
 あの場に妖魔の騎士が現れて、処置をしてくれなかったら、たぶんショウの生命はなかっただろう。
 ラーダは生命の恩人だ。
 ああ。
 なんだ。
 そうか。
 ショウは可笑しくなってきた。
 ラーダが行方不明になってからの10日間、ショウは生きた心地がしなかった。
 そしてラーダが妖魔の騎士だとわかったときも、驚きはしたが抵抗もなく嫌悪感も感じなかった。
 それはとても単純なことだったのだ。
 ショウはラーダが好きだった。
 一緒に暮らしている間に好きになっていたのだ。
 相手の素性も知らないままに。
 だから、妖魔の騎士だとわかった後も好意は消えなかったのである。
 なんて簡単なことに長い間気付かなかったんだろう。
 笑えてくる。
「ショウ。死にかけたっていうのに、なに笑ってるの? 俺がどれだけ心配したかわかってる?」
「ごめん。それからありがとう、ラーダ」
「……え?」
 急にお礼を言われてラーダが照れた。
 真っ直ぐにラーダの緑と赤の斑の瞳を見詰めて、ショウが微笑む。
「俺を助けてくれてありがとう、ラーダ」
「ショウ」
「知ってたよ」
 一言の言葉が重くてラーダはなにも言えない。
 ただ泣きそうにショウを見詰めるだけ。
「ラーダが妖魔の騎士だってこと、俺は知ってた」
「……ショウ」
「知ってても傍にいてほしかったんだ」
「それ、どういう意味?」
 頬を染めてラーダが訊ねる。
 どういう意味の言葉か知りたかった。
「どこにも行かずに俺の傍にいてくれよ。ネジュラ・ラセン王のことも承知してるよ。それでもラーダが必要なんだ。俺にはラーダが必要なんだ。傍にいてくれよ。これからもずっと」
「まるで求婚だよ、ショウ」
 泣き笑いの顔でラーダが言う。
 ショウが受け入れてくれるのが嬉しかった。
 まさかこんなことを言ってもらえるとは思わなかったので。
「うん。そのつもりだから」
 あっさり言われてラーダは真っ赤になった。
 なにを言えばいいのかもわからず、取り敢えずおろおろしている。
「好きな人ができたら、すぐに求婚するって決めてたんだ。いつまで生きられるかわからない身の上だ。いつ死んでしまうのかわからないのなら、好きな人ができたら、すぐにでも結婚したい。ずっとそう思ってた」
「その心配はもうないよ。ショウはもうすぐこのレジェンヌの王になる人なんだから」
「……え?」
「現王家の問題なら片付いたよ。メイディアが代表で片付けてくれた。ショウが危篤状態に陥っている2週間の間に。それくらいしかしてやれないからってグレンが。後見になるって言ったのになにもしてやれず、こんな怪我まで負わせた自分には、それくらいしかしてやれないからって。今も重臣たちを纏めてくれているよ。メイディア諸国連合の君主代理として」
「そうだったんだ?」
 メイディアが正式にショウの後見役についてくれた。
 それはショウの即位を意味した。
 いつの間に話がそこまで進んでいたんだろう。
 ちょっと眠ってた間に。
「それでも俺の気持ちは変わらないよ、ラーダ」
「……ダメだよ。俺は妖魔だよ? 血に餓えた妖魔の王だよ? ショウには似合わないよ」
「ネジュラ・ラセン王が相手のときは結婚してるじゃないか」
「それは……グレンの命懸けのプロポーズに負けたというか」
「グレンって? あのグレン?」
 不思議そうなショウにそう言われ、ラーダは「違う。違う」と慌てて片手を振った。
 さすがにそんな誤解は避けたい。
「ネジュラ・ラセンのことを俺はそう呼んでたんだ。グレンとは幼馴染みでね。妖魔としての自分を封じているときに出逢って親しくなったんだ。でも、グレンは王子だってこと隠しててさ。それで俺に偽名のグレンを名乗ってたんだ」
「へえ。じゃあグレンの名前ってそのままネジュラ・ラセン王を意味してるんだ?」
「苦労したと思うよ、本人は」
「でも、命懸けの求婚っていうなら、俺だって十分命懸けなんだけど」
「……え?」
「ラーダがグレンに捕まってたとき、俺は自分の身も省みず探しに行ったよ?」
「それは……」
 確かにそうだ。
 あのとき、ラーダもショウの身を心配した。
 王宮に近付きすぎることで。
「正体がわかってもそれで嫌うことも軽蔑することもしなかったし。ラーダは俺のことが嫌いなのか? だから、受けられないって言ってるのか?」
「そうじゃないけど。ショウの気持ちは嬉しいけど、でも、俺は」
「煮え切らないな。嫌いじゃないなら、どうして受けられないんだよ?」
「ラスターシャ王家の者から、国と王位を奪ったのは……俺だから」
「は?」
 意外なことを言われ、ショウの目が点になった。
 言葉の意味が理解できない。
「遠い昔のことだよ。俺はその頃、まだ妖魔の王だった。人の心を理解しない。だから、ラスターシャの国王に問われたときに言ってしまったんだ。この国が必要以上に魔物に事件を起こされる理由は、ラスターシャ王家にあるって」
「その話なら知ってるよ。だから、ラスターシャ王家は国と王位を捨てたんだ。魔門は相応しい位置にいてこその魔門。国王の座にあるかぎり、その力を発揮し続ける。だから、王位を国を捨てるしかなかった。すべて国のために。それを教えたのがラーダだったって?」
「俺がそんなことを言わなければ、殺されずに済んだラスターシャ王家の者が大勢いたはずなんだ」
「……ラーダ」
「そんな俺にショウの求婚を受ける資格はないよ」
 俯いて握った拳を震わせるラーダを見て、起き上がれないショウは、唯一動かせる手を動かした。
 その瞬間、癒えない傷から痛みが走ったが、それを我慢してラーダの手を握った。
 ラーダがビクッと震える。
「それは違うよ、ラーダ」
「どうして?」
「おまえがそうしなかったら、俺が生まれることはできなかったからだよ」
「え?」
「俺の母は東洋の人だって言っただろ? 普通にラスターシャ王家の世継ぎとして父上が生きていたら、たぶん結婚することなんてできなかったと思う」
「……あ」
 確かにそうだ。
 伝統を重んじるラスターシャの王子が、東洋の女性を妃に迎えることはできなかっただろう。
 それができたのは隠れ住んでいたからだ。
 即位しない王子だったから、好きな女性と結婚できた。
 もし普通に王家に生きていたら、ふたりが結ばれることはできず、ショウがこうして誕生することもなかっただろう。
 ショウが誕生できたのは、かつてラーダが罪を犯したから。
 ラスターシャ王家から国と王位を奪ったから。
 不思議な縁だった。
「俺のことが嫌いなら断ってくれていい。でも、少しでも好きなら、好きだと思うなら考えてくれよ、ラーダ」
「でも、ショウは由緒あるこの古王国、レジェンヌの王になる身だよ? それも伝説のラスターシャの王子として。とても周囲が認めるとは思えないけど」
「大丈夫だよ」
 ショウはケロリと言い切った。
「ラーダはメイディアの聖妃ラーダ・サイラージュ妃の血縁だから。グレンもそれを証明してくれるよ。そうしたら反対する奴なんていなくなるから」
「ショウ。あのね……それって詐欺じゃない?」
 嘘だとわかってて言い切るショウが憎らしい。
 なんて頭が回るんだろう?
「今すぐ決められないなら、すぐに答えをくれなんて言わない。でも、考えてくれよ、ラーダ。俺のことが少しでも好きなら、考えるくらい考えてくれてもいいじゃないか」
 押しの強いショウにラーダはタジタジである。
 これが夜の姿なら幾らでも痛烈に言い返すが、昼のラーダにはそういう真似はできない。
 ショウの妙な迫力に押されてどうにも困る。
「考えるだけだからね?」
 嫌いだって言えなかったから、ほんとは嬉しかったから、結局そう言っていた。
 ショウは嬉しそうに笑ってくれたけど。
「それより手首、痕が残るかもしれないって」
「そうなんだ?」
「うん。傷がかなり酷いからって。ごめんね? 俺がもっと早くショウの居場所を突き止めていたら、あんな目に遭わなかったのに」
「ラーダのせいじゃないよ。ラーダだってあのときは五体満足な身体じゃなかったんだから。それにラスターシャ王家に伝わる聖水を使えば、痕も薄くできるはずだから」
「そんなのあるんだ?」
「うん。傷を治すと言われてる聖水だよ。門外不出なんだけどね」
「色んな物が伝わってるんだね、ラスターシャ王家には」
「まあね」
「それよりもう眠って? まだ顔色良くないんだから」
「わかったよ」
 答えてショウは目を閉じた。
 元気になったら大変だと思いながら。
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