上 下
215 / 218
森林の破壊者編

 過去編 狐と竜とマレビトと。 その4

しおりを挟む
 
 たん、たん、たんっと跳躍音を残しながらココノビは木の枝から枝へと跳んでいた。
 彼女は枯れた森の中央部を目指しながらも、きょろきょろと辺りを見回して警戒を怠らない。
 
 相手は黒い半流動体だ。
 暗がりに紛れるのはお手の物であり、樹から下がるツタに紛れたり、気付かぬ所にびっしりと根付いていることも多い。
 拾い上げたミカンの裏がカビに覆われているように、樹の裏に回ってみればヒュージスライムの欠片が蠢いていたなんてことも往々にある。
 
 蜘蛛の巣に飛び込む羽虫のようになったら笑えない。
 ココノビは耳と、目と、そして五感を合わせて気配を辿って警戒する。
 
「さてさて、どこから湧いて出るかしら?」
 
 熱いものに触れた人は反射的に手を戻すが、それはヒュージスライムも同じことだ。
 
 確かに森はヒュージスライムにとって食料の宝庫と言える。
 枯れ葉が堆積し、徐々に腐りながら土へと還る腐葉土は隙間だらけで菌糸を増やしやすいことこの上ないだろう。
 しかしそれは同時に弱点にもなる。
 
 ココノビは先程の律法で木々や腐葉土の水分を奪った。
 本来は単独でも大火災を起こせる力まで起こせる四節の相加術を、物を乾燥させるという一点のみに集中させて次の準備にしたのである。
 
 そうとなれば腐葉土は庭掃除で集められた枯れ葉の山と変わらない。
 樹も腐葉土も合わせて大炎上した大地では末端の菌糸など生きてはいられなかった。
 生物としての本能のみで生きるヒュージスライムはこのような危険に晒されれば本体の周囲に末端を全て集めて縮こまるのだ。
 
 琥珀色の視線は焔に揺れる景色の先の先まで鋭く見通す。
 
「見つけたっ……!」
 
 すでにそれは隠れてすらいなかった。
 少しでも本体の防壁を増そうと地表に無数の触手を広げ、シカなどの動物を取り込もうとしている。
 さながら地中に巣食ったイソギンチャクのようだ。
 
 触手に捕えられた動物は狂ったように断末魔を上げていた。
 皮膚に癒着する触手を引きちぎり、何とか逃げ出すがその先でも何重にも絡みつかれ、体が溶け合っていく。
 それはあたかも雪人形が溶かされていくかのようだ。
 
 骨を残し、赤い血や肉がどろりととろけて流れていく。その過程に相当な痛みが生じるのだろう。
 溶けた肉は黒ずんだヒュージスライムの液に混ざるが、毛や骨はなかなか混ざり合わない。
 けれどもそれらも液に触れていれば徐々に形を失っていった。徐々に形を失いながらも、取り込まれた獲物の息はなかなか途絶えなかった。
 
「いつもながら、見るに堪えませんわ……!」
 
 断末魔を上げるシカに炎を投げる。
 いつまでも苦しむよりは一思いに殺された方が楽だろうという優しさだ。
 
 実際、同じように飲まれた人間はそう言っていたのだからきっと間違ってはいない。
 ……そう思っている。
 残念ながら殺してくれと叫ぶ人は痛みに絶叫するばかりで、それで本当に良かったのか答えを返してくれた人はいなかった。
 
 もし間違っていたのだとしたら、この森だけでなく一体いくらのものに謝ればいいのだろうか。
 
「存外、膨れ上がっていますわね。生命力豊かな森だったせいでしょうか。早めに殺さないと外に漏れるかもしれませんわね」
 
 辺りに伸びる触手の数はかなりのものだ。
 樹上の枝から枝に跳んでいるからいいが、地表を走っていたら躱す隙間さえなかったかもしれない。
 
 伸ばした触手の中心点――核はどこにあるだろうかと目を走らせた。
 炎に炙られたヒュージスライムは熱がるように体を不定型に歪めているので中心を掌握し辛いのである。
 ああ、もういっそのことハチのように力技で周囲全てを焼き尽くしてやろうかと、焦れたココノビは木の枝に止まってより注意深く観察をしようとした。
 
 うねうねとまるでイソギンチャクのように触手を揺らすスライムはそこらかしこで火に巻かれた動物を捕食し、無事な樹を吸収し、どこまでも貪欲に膨れ上がろうとしている。
 だがそんなに強い力を持つというのに燃え上がる炎には縮み上がり、震える無様さといったらありえない。
 それはまるで生き物の尊厳を踏みにじっているかのようで、ココノビは顔をしかめた。
 
「――背後に忍び寄るなんて誇りの欠片もない!」
 
 呟き、跳んだ瞬間に彼女が立っていた場所に幾本もの触手が食いついてきた。
 枝に突き立った触手は瞬く間に根を張り、同化をしようとする。粘菌生物あるまじき素早さだ。
 
 けれどもそれは彼女の稲穂色の毛一本さえ捉えられない。
 弧を描いて宙を飛んだココノビは手掌で炎の群れを操ると、それを一思いに焼き払う。そこには詠唱もなかった。
 
 この場を炎で満たしたのはヒュージスライムを集めるためだけではない。自由に操れる炎を律法で作るためだ。
 本来、どんな存在だってこんなことはできない。
 マレビトと魔物の間に生まれた半人半魔にのみ許された業だ。
 
 人のように一点集中の高火力も操れれば、魔物のように持続して律法を操ることもできる。
 その強みは他の追随を許さない。肉体的な強さもあるが、彼女が化け物たる所以はそこにある。
 
 だが、そんなことを考慮できる頭をこのスライムは有していなかった。
 逃げた獲物をバカ正直に追うためにまた無数の触手を向けてくるのみである。
 
「向かってくるというのならそこから攻め返してやりましょうか」
 
 垂直に立った幹を足場に跳ねたココノビは攻撃を存分に引きつけると木の葉のようにふわりと躱し、同時に切り裂く。
 一回目を凌いだ先でまたさらに同じような触手が襲い掛かってくるが関係なかった。彼女とヒュージスライムでは速度が違い過ぎる。
 
 間合いに侵入され、手の届く範囲にまで迫られたとしても変わらない。
 スライムが触手で捉えたはずの彼女は、何度繰り返しても残像だけを残して消え失せる。
 そして、すれ違い様に触手を切り落としていくのだ。
 
 稲穂色の影が縫う度に黒い触手はばらばらと無数に落ちていった。
 
「ああ、なるほど。あなたはそこにいるのですか」
 
 周囲を見回しながら移動を繰り返していけば自然と判る。
 本体の塊があれば当然、そこからの攻撃は熾烈になるので一目瞭然であった。
 ――となれば後は簡単なことである。
 
「地に隠れるならどうぞ。燻り出すだけですわっ!」
 
 地上に敵の姿はない。となればまだ地下に身を隠しているのだろう。
 
 ココノビは刃を振り上げた。
 渦巻く炎は全て彼女の眷属だ。将が発する号令に従う兵のように指示を受けた炎は巻き上がり彼女の武器に絡みつく。
 
 それは凄まじい熱量だった。まともな人間では呼吸するだけで喉が焼けるし、目も開けられなかっただろう。
 煌々と燃え上がる炎が地面に突き立てられると土は灼熱し、爆ぜる。それは最早、噴火のようだった。
 
 飛び散る土に混じり、ヒュージスライムの肉体も飛ぶ。あれだけ近付くなと他人に忠告した彼女はいつ触れてもおかしくない状況にいた。
 いや、事実、炎によって巻き上げられた一部は確かに彼女に触れていた。
 
 だが、彼女がスライムに食われることはない。 
 この炎が満ちた空間で、脆弱なスライムが生き残るなんて最初から不可能なのだ。ヒュージスライムの律法もあくまで同化や消化――生きた細胞の能力の延長である。
 生物も木々も燃える灼熱地獄で半液体が生きていられるわけがなかった。
 
 ココノビは突き立てた大薙刀を抉り込み、地面に埋まったヒュージスライムの核を焼き切ろうとする。
 
 すると周囲から悲鳴が溢れた。
 木々が痛みを耐えかねるように体を擦り合わせる。
 虫がぎちぎちと音を上げ、まだ飲み込まれきっていない動物達の口から断末魔が上がる。
 
「……っ!」
 
 耳障りだ。
 本当に耳障りだった。
 これが人の口で起こった時には本当に悲痛だったことが思い出される。
 
 だからこそ彼女は一握りの容赦も加えず、全力で炎を滾らせた。
 
「消えなさいっ!」
 
 ぶちりと何かの殻を破る感触を抜けると大薙刀は一気に沈み、攻撃に何とか耐えようとしていたスライムの素体もそれを機に飛び散った。
 
 と、同時。
 まるで電撃が走ったかのようにスライム全体が震えると途端に弛緩し、地面に広がる。
 これまでの異常な同化の反動なのか黒い体はその形すら保てなくなり、じゅうじゅうと炎に焼かれて消えていくのだった。
 
しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは

竹井ゴールド
ライト文芸
 日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。  その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。  青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。  その後がよろしくない。  青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。  妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。  長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。  次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。  三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。  四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。  この5人とも青夜は家族となり、  ・・・何これ? 少し想定外なんだけど。  【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】 【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】 【2023/6/5、お気に入り数2130突破】 【アルファポリスのみの投稿です】 【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】 【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】 【未完】

ギフト争奪戦に乗り遅れたら、ラストワン賞で最強スキルを手に入れた

みももも
ファンタジー
異世界召喚に巻き込まれたイツキは異空間でギフトの争奪戦に巻き込まれてしまう。 争奪戦に積極的に参加できなかったイツキは最後に残された余り物の最弱ギフトを選ぶことになってしまうが、イツキがギフトを手にしたその瞬間、イツキ一人が残された異空間に謎のファンファーレが鳴り響く。 イツキが手にしたのは誰にも選ばれることのなかった最弱ギフト。 そしてそれと、もう一つ……。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

『収納』は異世界最強です 正直すまんかったと思ってる

農民ヤズ―
ファンタジー
「ようこそおいでくださいました。勇者さま」 そんな言葉から始まった異世界召喚。 呼び出された他の勇者は複数の<スキル>を持っているはずなのに俺は収納スキル一つだけ!? そんなふざけた事になったうえ俺たちを呼び出した国はなんだか色々とヤバそう! このままじゃ俺は殺されてしまう。そうなる前にこの国から逃げ出さないといけない。 勇者なら全員が使える収納スキルのみしか使うことのできない勇者の出来損ないと呼ばれた男が収納スキルで無双して世界を旅する物語(予定 私のメンタルは金魚掬いのポイと同じ脆さなので感想を送っていただける際は語調が強くないと嬉しく思います。 ただそれでも初心者故、度々間違えることがあるとは思いますので感想にて教えていただけるとありがたいです。 他にも今後の進展や投稿済みの箇所でこうしたほうがいいと思われた方がいらっしゃったら感想にて待ってます。 なお、書籍化に伴い内容の齟齬がありますがご了承ください。

最強Fランク冒険者の気ままな辺境生活?

紅月シン
ファンタジー
旧題:世界最強の元Sランク勇者は、Fランクの冒険者となって今日も無自覚にチートを振りまく  書籍版第三巻発売中&コミカライズ連載中です。  史上最年少でSランクの称号を手にし、勇者と呼ばれた少年がいた。  その力によって魔王との長きに渡った戦争を終結へと導き、だがそれを見届けた少年は何も言わずに姿を消してしまう。  それから一年。  魔王ですら手を出すことを恐れたとされ、人類が未だその先へと足を踏み入れることを許されていない魔境――辺境の街ルーメン。  人類の最前線などとも呼ばれるそこに、一人の冒険者が姿が現した。  しかしその冒険者はFランクという最下位であり、誰もがすぐに死ぬだろうと思っていた。  だが彼らは知らなかったのだ。  その冒険者は、かつて勇者と呼ばれていた少年であったということを。  何だったら少年自身も知らなかった。  そう、少年は自分が持つ力がどれだけ規格外なのかも知らず、その場所にも辺境の街とか言われているからのんびり出来るだろうとか思ってやってきたのだ。  かくして少年は、辺境(だと思っている魔境)で、スローライフ(本人視点では確かに)を送りながら、無自覚に周囲へとチートを振りまくのであった。 ※書籍版三巻発売に伴い、第三章と整合性が取れなくなってしまったため、取り下げました。

間違い召喚! 追い出されたけど上位互換スキルでらくらく生活

カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
僕は20歳独身、名は小日向 連(こひなた れん)うだつの上がらないダメ男だ ひょんなことから異世界に召喚されてしまいました。 間違いで召喚された為にステータスは最初見えない状態だったけどネットのネタバレ防止のように背景をぼかせば見えるようになりました。 多分不具合だとおもう。 召喚した女と王様っぽいのは何も持っていないと言って僕をポイ捨て、なんて世界だ。それも元の世界には戻せないらしい、というか戻さないみたいだ。 そんな僕はこの世界で苦労すると思ったら大間違い、王シリーズのスキルでウハウハ、製作で人助け生活していきます ◇ 四巻が販売されました! 今日から四巻の範囲がレンタルとなります 書籍化に伴い一部ウェブ版と違う箇所がございます 追加場面もあります よろしくお願いします! 一応191話で終わりとなります 最後まで見ていただきありがとうございました コミカライズもスタートしています 毎月最初の金曜日に更新です お楽しみください!

ウロボロス「竜王をやめます」

ケモトカゲ
ファンタジー
100年に1度蘇るという不死の竜「ウロボロス」 強大な力を持つが故に歴代の勇者たちの試練の相手として、ウロボロスは蘇りと絶命を繰り返してきた。 ウロボロス「いい加減にしろ!!」ついにブチギレたウロボロスは自ら命を断ち、復活する事なくその姿を消した・・・ハズだった。 ・作者の拙い挿絵付きですので苦手な方はご注意を ・この作品はすでに中断しており、リメイク版が別に存在しております。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。