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森林の破壊者編
過去編 狐と竜とマレビトと。 その4
しおりを挟むたん、たん、たんっと跳躍音を残しながらココノビは木の枝から枝へと跳んでいた。
彼女は枯れた森の中央部を目指しながらも、きょろきょろと辺りを見回して警戒を怠らない。
相手は黒い半流動体だ。
暗がりに紛れるのはお手の物であり、樹から下がるツタに紛れたり、気付かぬ所にびっしりと根付いていることも多い。
拾い上げたミカンの裏がカビに覆われているように、樹の裏に回ってみればヒュージスライムの欠片が蠢いていたなんてことも往々にある。
蜘蛛の巣に飛び込む羽虫のようになったら笑えない。
ココノビは耳と、目と、そして五感を合わせて気配を辿って警戒する。
「さてさて、どこから湧いて出るかしら?」
熱いものに触れた人は反射的に手を戻すが、それはヒュージスライムも同じことだ。
確かに森はヒュージスライムにとって食料の宝庫と言える。
枯れ葉が堆積し、徐々に腐りながら土へと還る腐葉土は隙間だらけで菌糸を増やしやすいことこの上ないだろう。
しかしそれは同時に弱点にもなる。
ココノビは先程の律法で木々や腐葉土の水分を奪った。
本来は単独でも大火災を起こせる力まで起こせる四節の相加術を、物を乾燥させるという一点のみに集中させて次の準備にしたのである。
そうとなれば腐葉土は庭掃除で集められた枯れ葉の山と変わらない。
樹も腐葉土も合わせて大炎上した大地では末端の菌糸など生きてはいられなかった。
生物としての本能のみで生きるヒュージスライムはこのような危険に晒されれば本体の周囲に末端を全て集めて縮こまるのだ。
琥珀色の視線は焔に揺れる景色の先の先まで鋭く見通す。
「見つけたっ……!」
すでにそれは隠れてすらいなかった。
少しでも本体の防壁を増そうと地表に無数の触手を広げ、シカなどの動物を取り込もうとしている。
さながら地中に巣食ったイソギンチャクのようだ。
触手に捕えられた動物は狂ったように断末魔を上げていた。
皮膚に癒着する触手を引きちぎり、何とか逃げ出すがその先でも何重にも絡みつかれ、体が溶け合っていく。
それはあたかも雪人形が溶かされていくかのようだ。
骨を残し、赤い血や肉がどろりととろけて流れていく。その過程に相当な痛みが生じるのだろう。
溶けた肉は黒ずんだヒュージスライムの液に混ざるが、毛や骨はなかなか混ざり合わない。
けれどもそれらも液に触れていれば徐々に形を失っていった。徐々に形を失いながらも、取り込まれた獲物の息はなかなか途絶えなかった。
「いつもながら、見るに堪えませんわ……!」
断末魔を上げるシカに炎を投げる。
いつまでも苦しむよりは一思いに殺された方が楽だろうという優しさだ。
実際、同じように飲まれた人間はそう言っていたのだからきっと間違ってはいない。
……そう思っている。
残念ながら殺してくれと叫ぶ人は痛みに絶叫するばかりで、それで本当に良かったのか答えを返してくれた人はいなかった。
もし間違っていたのだとしたら、この森だけでなく一体いくらのものに謝ればいいのだろうか。
「存外、膨れ上がっていますわね。生命力豊かな森だったせいでしょうか。早めに殺さないと外に漏れるかもしれませんわね」
辺りに伸びる触手の数はかなりのものだ。
樹上の枝から枝に跳んでいるからいいが、地表を走っていたら躱す隙間さえなかったかもしれない。
伸ばした触手の中心点――核はどこにあるだろうかと目を走らせた。
炎に炙られたヒュージスライムは熱がるように体を不定型に歪めているので中心を掌握し辛いのである。
ああ、もういっそのことハチのように力技で周囲全てを焼き尽くしてやろうかと、焦れたココノビは木の枝に止まってより注意深く観察をしようとした。
うねうねとまるでイソギンチャクのように触手を揺らすスライムはそこらかしこで火に巻かれた動物を捕食し、無事な樹を吸収し、どこまでも貪欲に膨れ上がろうとしている。
だがそんなに強い力を持つというのに燃え上がる炎には縮み上がり、震える無様さといったらありえない。
それはまるで生き物の尊厳を踏みにじっているかのようで、ココノビは顔をしかめた。
「――背後に忍び寄るなんて誇りの欠片もない!」
呟き、跳んだ瞬間に彼女が立っていた場所に幾本もの触手が食いついてきた。
枝に突き立った触手は瞬く間に根を張り、同化をしようとする。粘菌生物あるまじき素早さだ。
けれどもそれは彼女の稲穂色の毛一本さえ捉えられない。
弧を描いて宙を飛んだココノビは手掌で炎の群れを操ると、それを一思いに焼き払う。そこには詠唱もなかった。
この場を炎で満たしたのはヒュージスライムを集めるためだけではない。自由に操れる炎を律法で作るためだ。
本来、どんな存在だってこんなことはできない。
マレビトと魔物の間に生まれた半人半魔にのみ許された業だ。
人のように一点集中の高火力も操れれば、魔物のように持続して律法を操ることもできる。
その強みは他の追随を許さない。肉体的な強さもあるが、彼女が化け物たる所以はそこにある。
だが、そんなことを考慮できる頭をこのスライムは有していなかった。
逃げた獲物をバカ正直に追うためにまた無数の触手を向けてくるのみである。
「向かってくるというのならそこから攻め返してやりましょうか」
垂直に立った幹を足場に跳ねたココノビは攻撃を存分に引きつけると木の葉のようにふわりと躱し、同時に切り裂く。
一回目を凌いだ先でまたさらに同じような触手が襲い掛かってくるが関係なかった。彼女とヒュージスライムでは速度が違い過ぎる。
間合いに侵入され、手の届く範囲にまで迫られたとしても変わらない。
スライムが触手で捉えたはずの彼女は、何度繰り返しても残像だけを残して消え失せる。
そして、すれ違い様に触手を切り落としていくのだ。
稲穂色の影が縫う度に黒い触手はばらばらと無数に落ちていった。
「ああ、なるほど。あなたはそこにいるのですか」
周囲を見回しながら移動を繰り返していけば自然と判る。
本体の塊があれば当然、そこからの攻撃は熾烈になるので一目瞭然であった。
――となれば後は簡単なことである。
「地に隠れるならどうぞ。燻り出すだけですわっ!」
地上に敵の姿はない。となればまだ地下に身を隠しているのだろう。
ココノビは刃を振り上げた。
渦巻く炎は全て彼女の眷属だ。将が発する号令に従う兵のように指示を受けた炎は巻き上がり彼女の武器に絡みつく。
それは凄まじい熱量だった。まともな人間では呼吸するだけで喉が焼けるし、目も開けられなかっただろう。
煌々と燃え上がる炎が地面に突き立てられると土は灼熱し、爆ぜる。それは最早、噴火のようだった。
飛び散る土に混じり、ヒュージスライムの肉体も飛ぶ。あれだけ近付くなと他人に忠告した彼女はいつ触れてもおかしくない状況にいた。
いや、事実、炎によって巻き上げられた一部は確かに彼女に触れていた。
だが、彼女がスライムに食われることはない。
この炎が満ちた空間で、脆弱なスライムが生き残るなんて最初から不可能なのだ。ヒュージスライムの律法もあくまで同化や消化――生きた細胞の能力の延長である。
生物も木々も燃える灼熱地獄で半液体が生きていられるわけがなかった。
ココノビは突き立てた大薙刀を抉り込み、地面に埋まったヒュージスライムの核を焼き切ろうとする。
すると周囲から悲鳴が溢れた。
木々が痛みを耐えかねるように体を擦り合わせる。
虫がぎちぎちと音を上げ、まだ飲み込まれきっていない動物達の口から断末魔が上がる。
「……っ!」
耳障りだ。
本当に耳障りだった。
これが人の口で起こった時には本当に悲痛だったことが思い出される。
だからこそ彼女は一握りの容赦も加えず、全力で炎を滾らせた。
「消えなさいっ!」
ぶちりと何かの殻を破る感触を抜けると大薙刀は一気に沈み、攻撃に何とか耐えようとしていたスライムの素体もそれを機に飛び散った。
と、同時。
まるで電撃が走ったかのようにスライム全体が震えると途端に弛緩し、地面に広がる。
これまでの異常な同化の反動なのか黒い体はその形すら保てなくなり、じゅうじゅうと炎に焼かれて消えていくのだった。
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