上 下
209 / 218
お嫁さん騒動編

 一周年記念 お昼ご飯をあげました

しおりを挟む
 
 手錠が掛かって困ること。
 それは休憩の姿勢や着替えである。
 
 まず、前者ではずっと手を前に合わせた状態なので肩や腕の筋肉が凝り固まってしまうし、かといって手錠に重さを乗せて休むと手首や前腕に端が食い込んでヒリヒリと痛んでしまう。
 
 後者は言わずもがな。腕が通らないので、胸や腰を帯などで止める肩開きのドレスや水着のように体に巻くタイプでなければ無理であった。
 尤も、リズは一日や二日程度は着替えられなくとも別に気にしないのでその点については何の問題もなかった。
 
 しいて言うならば、彼女が最も困った事態は手錠がはまってから数時間後に訪れた。
 
「えーと、召し上がれ……?」
 
 時はちょうど真昼。
 調理はもちろん風見が行ったのだが、出された料理を前にしてリズは料理と彼の顔をじとりと見比べていた。
 
 言わんとするところは判る。彼も料理し、彼女が食卓に座ってからその問題点に気付いた。
 が、それでも良い解決方法が見当たらないのでとりあえずは試してみてくれないかと視線で語っている。
 
 互いに無言のままであったが彼女はたっぷりと間を挟んだ後にこくんと頷いた。言葉がなくてもその辺りは通じてくれるらしい。
 
「……いただきます」
 
 出された食べ物に文句を言うほどリズは厚顔ではない。静かにスプーンを取ると、よく煮込まれたスープを掬おうとした。
 けれど手錠をはめられたままでは逆手に握ろうと、準手に握ろうと上手くいかない。
 何とか震えを堪えて掬い上げてもスプーンの先を口に運ぶのがなかなか難しいのだ。これは実践してみればよく判る。
 
 首や手首を痛めそうになり、さらには中身が胸に零れたところで彼女は諦めた。
 他の焼き物にしても、フォークで口に運ぶのが大変過ぎて全く食べた気がしない。
 
 唯一まともにできるのはコップを取るくらいだが、両手でお上品に飲むのを強要されているようでこれもまた気に入らなかったらしい。
 リズは眉間に一つ二つと追加でしわを刻み、訴えかけてくる。
 
「なあ、シンゴ。これはわざとじゃあるまいね?」
「いや、これでも考えたんだぞ。ご飯類も麺類も大変だろうし……。スープの具材とか焼き物ならフォークとかスプーンで食べられそうと思ったんだけどなぁ」
「それともあれか。お前は口を使って食えと言うのかな。……なるほどね、そうやって身分を判らせるための物か。足にもつけられていたら這い蹲って食わざるを得なかったかもね」
 
 例えばうつぶせ状態で家の柱を股に通し、足枷をつけてしまえばどうだろう。
 立つに立てなくなるし、遠くにエサ皿を置かれたなら芋虫のように這って食うしかなくなる。手を拘束するよりよほど屈辱的なはずだ。
 本来はそのように使い、調教する物だったのかもしれない。
 
 ただ、口で食べる場合もよくよく考えてみれば厳しいのではなかろうか?
 そもそも風見が用意したのは調理したてで湯気が出る料理ばかりだ。その香りは食欲をそそられ、リズとしては文句をつけるつもりなんて毛頭なかった。
 けれども直接口でとなると火傷しかねない熱さである。試しに彼女は舌先をつけてみたところ、慌てて引っ込めてもひりりと痛んでしまったくらいだ。盛られた具材の山を崩せばさらに熱い面が出てくるだろう。
 
 そんなところまで見れば手助けしてやらないわけにはいかなかった。リズが我慢して犬食いを始める前に風見は立ち上がる。
 
「はいはい、判ったよ。じゃあ口まで運んでやったら食べられるよな」
「うん、それならいいね。ならついでに私は熱いのは嫌いだからちゃんと冷ましてから放り込んでもらえると助かるかな」
「……おでんを用意してやるべきだったな。巾着とこんにゃくとか」
 
 もののついでだと面倒事をさりげなく増やしてくれる彼女には少々イラッとしたが、わざとなのだろう。ふふんと鼻で笑っていた。
 お犬様が満足そうで何よりである。今度もぜひ、同じシチュエーションでご馳走してあげたいものだ。
 
「ふぅーん。んむ、肉が美味いね。野菜にもよく味が染みているよ」
 
 スープを掬って丁寧に食べさせてやると彼女は、まったりと咀嚼をして一口一口を楽しんでいた。
 普段は安酒と、食えるものさえあるなら困らない。しいて言うなら干し肉でもあれば良しという感じの彼女なのに今日は喉から声を出すくらいであった。
 
 そしてたまにしたり顔ならぬ、したり眼が風見を一瞥する。
 他人の困った顔が蜜の味である彼女らしいことだ。「俺も食べたいんだけど……」と声を出した瞬間、「ダメに決まっている」と言うのが楽しみなのだろう。
 
「シンゴ、次はそこの肉が欲しい」
 
 すかさず次のオーダーを入れてくる辺り、彼女は周到だ。席に戻る間なんて与えない気である。
 普段の素振りから言って、このまま彼女の好きにさせていては風見が食べられるのは当分先になってしまうだろう。
 
 風見はこのまま良いように悪戯されるばかりか――?
 いや、そんなことはない。
 そっちがその気で来るならと彼も仕返しをするつもりでフォークを手に取った。
 
「お前は本当に肉好きだな。野菜も食べろよ?」
「出されたものは残さずに食べるよ。それが礼儀だからね。だが冷め過ぎたら不味いから早めに食べるんだ」
 
 香ばしく焼けたガーリック。その風味がよく絡まった肉はシンプルに塩味をつけて最後の香りづけとアクセントのために醤油が掛けられたものだ。
 焦がし醤油とニンニクの香りは風見もリズもつい唾液が染み出てしまうくらいであり、それを取った瞬間、すでに心理戦は始まっていた。
 
 わざとらしく香りを嗅いで喜ぶ振りをする彼女であったが、唾液腺が刺激されてもう待ちきれなくなったらしい。あんと口を開けて食べに来た。
 見事に術中にはまってくれる。
 こうして肉の香しさで集中力を乱すのもまた風見の作戦の内だ。
 
 口を開けて待つ彼女に何気ない様子でそっと差し出し――口が閉じる寸前に風見は、肉をくいっと引き戻す。
 かちんと歯が鳴った音がした。
 
「むっ……」
 
 途端、本当に手を出してきたかと敵意が彼女の瞳に浮き上がる。
 逃げられた肉に食らいつこうと彼女はさらに牙を剥いてフォークを狙ってくるが、またひらりと。
 二度目を躱した時点で彼女は警戒態勢に戻った。
 
「……おい、シンゴ。何故逃げる……」
「いや、何となく普段の仕返しに。目の前であぐあぐしている姿もかわいいなと思って」
「目の前でエサを吊るして弄ぶなんて趣味の悪いやつめ……」
 
 あんと口を開けてこられても流石にこればかりは風見の反応の方が上だ。こんな状況では勝てないと戦況を把握できているのだろう。
 リズはくっと悔しそうに歯噛みしていたが目の前の香りに食欲が負けているのかいつものような気の強さはなかった。
 少しふて腐れたように耳を垂らせた彼女は風見の手からフォークをさっと奪い取ると彼の口の前に肉を差し出してくる。
 
「私ばかりが食べるのが不満というなら言えばいいだろうが。ほら。交互なら何の文句もないだろう」
「え? あー……」
 
 自分の口に運ぶのは大変だが、他人の口に運ぶなら苦労はないのだ。
 突然の反撃に彼は戸惑った。
 
 もしや同じことを仕返しに来たのかとも考えたが、彼女のしおらしい耳や尾を見るに、そんな雰囲気ではない気がする。
 彼女が反撃を狙っている時は耳や尾がまさに虎視眈々と緊張を孕んでいるものだ。今はどうやっても風見が優勢なので反撃に出るに出れないのだろう。
 
 それに、差し出された肉は今にもソースが垂れそうである。
 精神的な言い訳はそれで充分であった。風見はその肉を口で迎えに行き――肩透かしのようだが普通に食べてしまえた。
 
 まず口に広がる香ばしい香りと醤油のソースは肉と絶妙にマッチしている。噛めば噛むほど溢れる肉汁も含め、我ながらよく味付けをしたものだと味を堪能しながら頷いていた。
 
「うん、美味いな」
「シンゴが作ってくれたからね。ほら、次は私だ」
 
 くるりとフォークの刃先をひっくり返した彼女は風見の手にそれを握らせてくる。
 
「肉だよ、肉。その次はスープだ」
「俺の分がなくなるんだけど……」
「そこまでは知らんよ。早い者勝ちに決まっている」
 
 早くと催促するようにリズは爪で机を叩いた。
 まあ、これくらいは可愛げのあるわがままである。やれやれと息を吐いた風見は口を開けて待つ彼女に自分の分の肉も運んでやるのだった。
 
しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

婚約破棄の後始末 ~息子よ、貴様何をしてくれってんだ! 

タヌキ汁
ファンタジー
 国一番の権勢を誇る公爵家の令嬢と政略結婚が決められていた王子。だが政略結婚を嫌がり、自分の好き相手と結婚する為に取り巻き達と共に、公爵令嬢に冤罪をかけ婚約破棄をしてしまう、それが国を揺るがすことになるとも思わずに。  これは馬鹿なことをやらかした息子を持つ父親達の嘆きの物語である。

【完結】そして、誰もいなくなった

杜野秋人
ファンタジー
「そなたは私の妻として、侯爵夫人として相応しくない!よって婚約を破棄する!」 愛する令嬢を傍らに声高にそう叫ぶ婚約者イグナシオに伯爵家令嬢セリアは誤解だと訴えるが、イグナシオは聞く耳を持たない。それどころか明らかに犯してもいない罪を挙げられ糾弾され、彼女は思わず彼に手を伸ばして取り縋ろうとした。 「触るな!」 だがその手をイグナシオは大きく振り払った。振り払われよろめいたセリアは、受け身も取れないまま仰向けに倒れ、頭を打って昏倒した。 「突き飛ばしたぞ」 「彼が手を上げた」 「誰か衛兵を呼べ!」 騒然となるパーティー会場。すぐさま会場警護の騎士たちに取り囲まれ、彼は「違うんだ、話を聞いてくれ!」と叫びながら愛人の令嬢とともに連行されていった。 そして倒れたセリアもすぐさま人が集められ運び出されていった。 そして誰もいなくなった。 彼女と彼と愛人と、果たして誰が悪かったのか。 これはとある悲しい、婚約破棄の物語である。 ◆小説家になろう様でも公開しています。話数の関係上あちらの方が進みが早いです。 3/27、なろう版完結。あちらは全8話です。 3/30、小説家になろうヒューマンドラマランキング日間1位になりました! 4/1、完結しました。全14話。

おばあちゃん(28)は自由ですヨ

美緒
ファンタジー
異世界召喚されちゃったあたし、梅木里子(28)。 その場には王子らしき人も居たけれど、その他大勢と共にもう一人の召喚者ばかりに話し掛け、あたしの事は無視。 どうしろっていうのよ……とか考えていたら、あたしに気付いた王子らしき人は、あたしの事を鼻で笑い。 「おまけのババアは引っ込んでろ」 そんな暴言と共に足蹴にされ、あたしは切れた。 その途端、響く悲鳴。 突然、年寄りになった王子らしき人。 そして気付く。 あれ、あたし……おばあちゃんになってない!? ちょっと待ってよ! あたし、28歳だよ!? 魔法というものがあり、魔力が最も充実している年齢で老化が一時的に止まるという、謎な法則のある世界。 召喚の魔法陣に、『最も力――魔力――が充実している年齢の姿』で召喚されるという呪が込められていた事から、おばあちゃんな姿で召喚されてしまった。 普通の人間は、年を取ると力が弱くなるのに、里子は逆。年を重ねれば重ねるほど力が強大になっていくチートだった――けど、本人は知らず。 自分を召喚した国が酷かったものだからとっとと出て行き(迷惑料をしっかり頂く) 元の姿に戻る為、元の世界に帰る為。 外見・おばあちゃんな性格のよろしくない最強主人公が自由気ままに旅をする。 ※気分で書いているので、1話1話の長短がバラバラです。 ※基本的に主人公、性格よくないです。言葉遣いも余りよろしくないです。(これ重要) ※いつか恋愛もさせたいけど、主人公が「え? 熟女萌え? というか、ババ專!?」とか考えちゃうので進まない様な気もします。 ※こちらは、小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

またね。次ね。今度ね。聞き飽きました。お断りです。

朝山みどり
ファンタジー
ミシガン伯爵家のリリーは、いつも後回しにされていた。転んで怪我をしても、熱を出しても誰もなにもしてくれない。わたしは家族じゃないんだとリリーは思っていた。 婚約者こそいるけど、相手も自分と同じ境遇の侯爵家の二男。だから、リリーは彼と家族を作りたいと願っていた。 だけど、彼は妹のアナベルとの結婚を望み、婚約は解消された。 リリーは失望に負けずに自身の才能を武器に道を切り開いて行った。 「なろう」「カクヨム」に投稿しています。

30年待たされた異世界転移

明之 想
ファンタジー
 気づけば異世界にいた10歳のぼく。 「こちらの手違いかぁ。申し訳ないけど、さっさと帰ってもらわないといけないね」  こうして、ぼくの最初の異世界転移はあっけなく終わってしまった。  右も左も分からず、何かを成し遂げるわけでもなく……。  でも、2度目があると確信していたぼくは、日本でひたすら努力を続けた。  あの日見た夢の続きを信じて。  ただ、ただ、異世界での冒険を夢見て!!  くじけそうになっても努力を続け。  そうして、30年が経過。  ついに2度目の異世界冒険の機会がやってきた。  しかも、20歳も若返った姿で。  異世界と日本の2つの世界で、  20年前に戻った俺の新たな冒険が始まる。

実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは

竹井ゴールド
ライト文芸
 日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。  その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。  青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。  その後がよろしくない。  青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。  妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。  長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。  次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。  三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。  四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。  この5人とも青夜は家族となり、  ・・・何これ? 少し想定外なんだけど。  【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】 【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】 【2023/6/5、お気に入り数2130突破】 【アルファポリスのみの投稿です】 【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】 【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】 【未完】

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。