上 下
34 / 51
第3章 志の原点

第33話 息づいているもの ①

しおりを挟む
 明け方、日原は目を覚ました。
 大動物の共同飼育をしている生徒の朝は早い。どうもその玄関開閉音が微妙に聞こえたのが影響したらしい。

 まあ、睡眠時間的には十分だ。
 以前のように犬の散歩や大動物の世話をベランダから眺めた後、予習をするでもいいだろう。

 これもよくあることだ。
 そう思って身を起こそうとしたところ、肩から腕にかけて引っかかる重みを感じた。
 どうやらコウがクッションから抜け出てベッドで寝ていたらしい。もしかしたら、手ごね作業もしていたのかもしれない。

 くすりと笑みを漏らしながら体を向け、撫でようとその体に触れた。
 すると違和感に気付く。

 ――体温が、低い。
 普段感じる温もりより冷たいというレベルではない。冬に凍えた手足のように冷ややかさの方が目立つ体温だった。

「……あっ」

 胴体が冷えかけているだけではない。脚先はもっと冷たく、関節は曲がりにくかった。乾いた鼻先に触れても吐息は感じ取れない。
 そして、心音を聞こうと体を起こした時、噛まれていたのかコウの口に引っかかっていた服が滑り抜けた。

 半開きの口は、開いたまま閉じようとはしなかった。
 これがどういうことなのかは、理解できる。

「~~っ。……そっか。うん、そうなんだね……」

 身を起こして抱きかかえ、引きつったようになりかけた口を閉じさせる。
 伸びようとしていた関節も、ゆっくりと曲げほぐして楽に寝る格好に近づけてやった。

 死後硬直は咬筋や脚の伸展がわかりやすく出ると聞く。
 生物の教科書で見た限りでは、死後数十分から数時間で出てくるのだっただろうか。この体温といい、蘇生がもう無駄なのは理解できた。

 とうとう、お迎えが来てしまったらしい。
 喉奥のひりひりとした疼きで堰き止められていた息を吐く。

「おはようじゃ、ないね……。また、おやすみになっちゃったか……」

 もしかしたら口からは感情が漏れ出ていたのかもしれない。
 悲しいなどと真っ当な思いに結びつく前に流れ出てしまい、過程をすっ飛ばして涙腺や喉が反応していた。

 すでに腎不全の状態で引き取り、四月から十月まで生きた。
 残った腎機能の割合にもよるが、半年以内に亡くなる子が多いと聞く中では延命できた方だろうか。

 世話としてはよくやった。
 なら、最期の時は苦しませなかっただろうかと気になる。

 単なる推測でしかないが、苦しんではいないように思えた。
 以前も先程と同じく腕に乗っかり、前脚で揉み込みながら服を吸っていたことがある。コウの死に様はまるで、そのまま死後硬直したかのようだった。

 苦しみ悶えたのではない。
 甘えた格好で眠るように逝ったのなら、それは良い最期だったと思える。

 そう、良い最期だ。
 コウは苦しまずに息を引き取り、自分は最後の瞬間まで傍にいたいと思える飼い主でいられた。そんな事実が伝わり、心に沁みる。

 事実を一つ一つ理解していくと、ぽたぽたと涙が滴り落ちた。
 悲しいとか辛いといった感情は追いつかない。先程からずっと、その感情を捉える前に溢れて漏れている。

 そんな時、廊下を歩く音が聞こえた。

「おはよう、日原君! 昨日の勉強でクッチーから聞いた話でも――」

 渡瀬の声だ。
 彼女は週に何度も来ていることもあって、玄関のドアをかけ忘れているといちいち鍵を開ける手間を省くためにもそのまま入ってくる癖がついた。

 いつものようにリビングにいると思ったのだろう。すたすたと歩く彼女は廊下を通り過ぎようとしてこちらに気付いた。

「うあっ、まだ寝てるところだったの? ごめんね!? って、どうかした……?」

 ベッドで上体を起こした状態でコウを撫でたまま、返答をしない。そんなところに違和感を覚えたのだろう。
 息を飲んだ彼女は日原が流している涙によって事実に気付いたようだ。

「もしかして、コウちゃん……」
「……うん。この夜に。まだ少し体温が残っているくらい」

 涙を拭って渡瀬に目を向けると、彼女は鼻をすすった。
 自分のペットがそうなったように涙を浮かべ、へたり込むとコウの体を撫でる。

「そうなんだ。うん、頑張ったね。コウちゃん……」

 全然近寄ってもらえなかったところから徐々に仲良くなったという積み重ねが彼女にもある。それらを撫でながらに思い出しているのだろう。
 涙を浮かべると、嗚咽を堪えながらうつむいていたのだった。

 ――それから半日後。
 コウの遺体は大学の設備で火葬する運びとなった。

 獣医学部棟に隣接されたこの炉は随分と立派だ。
 というのも、そもそも解剖残渣を処理するための炉だったかららしい。

 引き出された火葬台車にコウの遺体を乗せ、最期の別れを前にその体を撫でる。
 見送りには渡瀬の他、鹿島と朽木も加わってくれていた。また、火葬設備は担任の武智教授が動かしてくれている。

 入学から約半年間、仲の良い三人もほぼ毎日顔を合わせていたのだ。心が強そうな鹿島ですら、見送りで撫でた後は目頭を押さえていた。

 保健所から引き取るパートナー動物は病気を患った高齢ペットが多い。見送る辛さがあるとは言われていたが、覚悟しきれるものではなかった。

「では、始めるぞ」
「……はい」

 火葬台車が収められ、教授は炉を稼働させた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

独り日和 ―春夏秋冬―

八雲翔
ライト文芸
主人公は櫻野冬という老女。 彼を取り巻く人と犬と猫の日常を書いたストーリーです。 仕事を探す四十代女性。 子供を一人で育てている未亡人。 元ヤクザ。 冬とひょんなことでの出会いから、 繋がる物語です。 春夏秋冬。 数ヶ月の出会いが一生の家族になる。 そんな冬と彼女を取り巻く人たちを見守ってください。 *この物語はフィクションです。 実在の人物や団体、地名などとは一切関係ありません。 八雲翔

夏の終わりに

佐城竜信
ライト文芸
千葉彰久は完璧超人だ。 ほりが深くて鼻筋の通った美しい顔をしている。高校二年生ながらにして全国大会への進出を決めたほどの空手の達人でもある。子供の頃から憧れている幼馴染のお姉さん、鏑木真理の手伝いをしていたから料理や家事が得意であり、期末テストでは学年3位の成績を取ってしまったほどに頭がいい。 そんな完全無欠な彼にも悩みがあった。 自分は老舗の酒屋の息子であるが、空手を生かした生計を立てるためにプロの格闘家になりたい、という夢を持っているということだ。酒屋を継ぐという責任と、自分の夢。どちらを選択するのかということと。 そしてもう一つは、思春期の少年らしく恋の悩みだ。 彰久は鏑木空手道場に通っている。彰久の家である千葉酒店と鏑木空手道場はどちらも明治時代から続く老舗であり、家族同然の関係を築いている。彰久の幼馴染千里。彼女は幼いころに母親の死を間近で見ており、たまに精神不安を起こしてしまう。そのため彰久は千里を大切な妹分として面倒を見ているのだが、その姉である真理にあこがれを抱いている。 果たして彰久は本当の自分の気持ちに気が付いて、本当に自分が進むべき道を見つけられるのか。 将来への不安を抱えた少年少女の物語、開幕します。

幕末女史と移り気の少年

喜岡 せん
ライト文芸
放課後の図書室。興味本位で始めた部活も飽きてきて、サボり目的で足を運んだのが全ての始まりだった。 「どうして彼らは最期まで戦ったんだろう」 これは、『女史』とオレの、ちょっとした思い出の話。

夏休みの夕闇~刑務所編~

苫都千珠(とまとちず)
ライト文芸
殺人を犯して死刑を待つ22歳の元大学生、灰谷ヤミ。 時空を超えて世界を救う、魔法使いの火置ユウ。 運命のいたずらによって「刑務所の独房」で出会った二人。 二人はお互いの人生について、思想について、死生観について会話をしながら少しずつ距離を縮めていく。 しかし刑務所を管理する「カミサマ」の存在が、二人の運命を思わぬ方向へと導いて……。 なぜヤミは殺人を犯したのか? なぜユウはこの独房にやってきたのか? 謎の刑務所を管理する「カミサマ」の思惑とは? 二人の長い長い夏休みが始まろうとしていた……。 <登場人物> 灰谷ヤミ(22) 死刑囚。夕闇色の髪、金色に見える瞳を持ち、長身で細身の体型。大学2年生のときに殺人を犯し、死刑を言い渡される。 「悲劇的な人生」の彼は、10歳のときからずっと自分だけの神様を信じて生きてきた。いつか神様の元で神様に愛されることが彼の夢。 物腰穏やかで素直、思慮深い性格だが、一つのものを信じ通す異常な執着心を垣間見せる。 好きなものは、海と空と猫と本。嫌いなものは、うわべだけの会話と考えなしに話す人。 火置ユウ(21) 黒くウエーブしたセミロングの髪、宇宙色の瞳、やや小柄な魔法使い。「時空の魔女」として異なる時空を行き来しながら、崩壊しそうな世界を直す仕事をしている。 11歳の時に時空の渦に巻き込まれて魔法使いになってからというもの、あらゆる世界を旅しながら魔法の腕を磨いてきた。 個人主義者でプライドが高い。感受性が高いところが強みでもあり、弱みでもある。 好きなものは、パンとチーズと魔法と見たことのない景色。嫌いなものは、全体主義と多数決。 カミサマ ヤミが囚われている刑務所を管理する謎の人物。 2メートルもあろうかというほどの長身に長い手足。ひょろっとした体型。顔は若く見えるが、髪もヒゲも真っ白。ヒゲは豊かで、いわゆる『神様っぽい』白づくめの装束に身を包む。 見ている人を不安にさせるアンバランスな出で立ち。 ※重複投稿作品です ※外部URLでも投稿しています。お好きな方で御覧ください。

好きなんだからいいじゃない

優蘭みこ
ライト文芸
人にどう思われようが、好きなんだからしょうがないじゃんっていう食べ物、有りません?私、結構ありますよん。特にご飯とインスタント麺が好きな私が愛して止まない、人にどう思われようがどういう舌してるんだって思われようが平気な食べ物を、ぽつりぽつりとご紹介してまいりたいと思います。

しぇいく!

風浦らの
ライト文芸
田舎で部員も少ない女子卓球部。 初心者、天才、努力家、我慢強い子、策略家、短気な子から心の弱い子まで、多くの個性がぶつかり合う、群雄割拠の地区大会。 弱小チームが、努力と友情で勝利を掴み取り、それぞれがその先で見つける夢や希望。 きっとあなたは卓球が好きになる(はず)。 ☆印の付いたタイトルには挿絵が入ります。 試合数は20試合以上。それぞれに特徴や戦術、必殺技有り。卓球の奥深さを伝えております。

可不可 §ボーダーライン・シンドローム§ サイコサスペンス

竹比古
ライト文芸
先生、ぼくたちは幸福だったのに、異常だったのですか? 周りの身勝手な人たちは、不幸そうなのに正常だったのですか? 世の人々から、可ではなく、不可というレッテルを貼られ、まるで鴉(カフカ)を見るように厭な顔をされる精神病患者たち。 USA帰りの青年精神科医と、その秘書が、総合病院の一角たる精神科病棟で、或いは行く先々で、ボーダーラインの向こう側にいる人々と出会う。 可ではなく、不可をつけられた人たちとどう向き合い、接するのか。 何か事情がありそうな少年秘書と、青年精神科医の一話読みきりシリーズ。 大雑把な春名と、小舅のような仁の前に現れる、今日の患者は……。 ※以前、他サイトで掲載していたものです。 ※一部、性描写(必要描写です)があります。苦手な方はお気を付けください。 ※表紙画:フリーイラストの加工です。

相馬さんは今日も竹刀を振る 

compo
ライト文芸
大学に進学したばかりの僕の所に、祖父から手紙が来た。 1人の少女の世話をして欲しい。 彼女を迎える為に、とある建物をあげる。   何がなんだかわからないまま、両親に連れられて行った先で、僕の静かな生活がどこかに行ってしまうのでした。

処理中です...