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1章 最強中年は敗北を求める

第1話 最強中年は敗北を求める

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 最終コーナーであるヘアピンを抜けてホームストレートに躍り出た。
 のレースのライバルは10m先。
 逆転可能な距離ではあるがドラフティングの恩恵を受けるには遠すぎる。
 コーナーからの立ち上がりで、腰を挙げてペダルに力を込める。
 サイクルコンピューターサイコンが843Wを表示する。
 最終周回でへばった体にしては上出来なパワーを立ち上がりでかけられた。
 ヘアピンコーナーで時速30kmまで落ちた車速が時速45kmまで一気に上がる。
 9m……6m……4m……徐々に距離が詰まる。
 時速45km程度で追いつけるって事は、相手も相当疲れてるって事だ。
 体格から推測すると相手はオールラウンダーだと思う。
 それなら勝つのはスプリンターの私だ。
 ゴールまで残り150mーー相手が重い腰を上げてゴールスプリントを始める。
 私もすかさず腰を上げてスプリントを開始する。
 サイコンの最大パワー欄に975Wと表示された……この程度しかパワーがでないなんてバテすぎだろ!
 サラ脚ならホビーレーサーでも上位といえる1300Wのパワーを誇るのにな。
 915W……827W……678W……パワーがたったの4秒で600W代まで落ちる。
 速度は一瞬時速55kmまで上がったが、パワーの減少に合わせて時速50kmまで下がっている。
 それでもライバルの背後から飛び出し隣に並べた。
 残り50m……これ以上落ちるな私のパワー!!
 足の力だけでは足りない。
 腕でバイクを振りながら、上半身の力を広背筋、脊柱起立筋せきちゅうきりつきんを通して大臀筋だいでんきんに伝える。
 もう隣のライバルなど見ている余裕はない。
 見据えるのは計測用のセンサーが引かれたゴールライン。
 全身が悲鳴を上げ激痛が走る……それでも!!
 あと10cm……これでラストだあああああっ!
 全力で最後の一踏みを行う。そして、通過したゴールライン。
 隣を見るとのライバルが悔しがっていた。
 あぁ、私が勝ったのだな。
 嬉しさがこみ上げるがガッツポーズは取らない。
 手放し走行は危険だから禁止されているのだ。
 こんな疲れ切った状態では、ガッツポーズどころじゃないってのが本音だけど。
 コースから出てゼッケンと計測用のチップを返却してレース仲間の元に戻る。
 そして、20分後に張り出されたレース結果をみる。

【ビギナークラス】
 9位 中杉なかすぎ 猛士たけし

 初の1桁順位だ!
 普通の人にとっては一番下のビギナークラスで9位なんて、喜ぶ程の事ではないのだろう。
 最後ゴール前で一人追い抜いたけど、9位じゃレースで勝ったとは言えない。
 私にとっては嬉しい事なのだ。
 ここで真剣に戦う若者達と全力で戦って敗北出来る……それがこの上なく嬉しい。
 私だって1年前にロードバイクに出会わなければこんな事は思わなかっただろうーー

 *

「落ち着いて下さい部長! 部長が本気だしたら新人が潰れちゃいますよ!!」

 部下の主任に注意される。少し仕事で張り切っただけなんだがな。
 この程度で潰れるって一体何と戦えるんだ?
 仕事には勝ち負けがあるんだよ! そんなひ弱でどうする?
 私が新人の頃はパワハラ部長を倒すと言って必死に仕事していたけどな。
 社長からも生意気だからあいつの鼻を折ってやれと言われていたくらいだ。
「鼻をへし折ったくらいで俺を倒せると思ったか」と言い返して社長を怒らせたのも良い思い出だ。
 39才になって社長が代替わりした頃には部長となり、社内で『最強』と言われる様になった。
 社員の誰もが中杉さんに聞けば何でも解決出来ると褒め称える。
 だが優越感はない。最近は少し本気で仕事しただけで、周囲の社員がギブアップする。
『最強』とは退屈なものだ……仕事は不完全燃焼で、自宅でも動画投稿サイトで動画をダラダラと見る日々。
 そんなある日。オススメ動画に「ゴールスプリント集」というタイトルの動画が表示された。
 サムネに写る沢山の自転車競技の選手。選手が何十人も集まっているけどスタート直後の写真かな?
 暇だし興味本位で動画を再生した。
 再生と同時にサムネに写っていた何十人もの選手が、自転車を振りながら物凄い速度で動き出した。
 そして、暴走するバッファローの群の様な集団のままゴールラインを通過した。
 なんだよ……この凶暴な競技は! 自転車ってこんな風に走るものだったのか。
 表示された速度を見て更に驚愕する。
 時速75km……肘がぶつかるくらいに密集しながら時速70km以上の速度で走っていたのか!
 しかも自転車で!!
 私は運命を感じた。
 このスポーツなら……ロードレースなら、今の私の本気を受け止めてくれるのではないか?

『ロードバイクを手に入れたい』

 そう思った私は直ぐに近場でロードバイクを売っているお店を探し始めたのであった。
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