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4.「いらっしゃいませ! 開店です!」

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ニーナは言い返すことも、怒ることも諦めつつある自分が心底嫌いだった。



 クーリッヒ邸から更に王都の中心部に進むと、王城の付近には貴族御用達の華やかな香水店やブティックが建ち並んでいる。

 輝かしい軒並みを横目に小型の台車を引くニーナが向かうのは、そこから少しはずれた路地の奥にある広場だ。

 この広場では事前に出店料を支払えば誰でも店を開くことができる。



母が寝たきりになった頃から約六年、ニーナは自作の香水をここで販売し、クーリッヒ家の実質的な大黒柱として生活費を稼いでいる。

 個人営業のため材料の仕入れから調香、制作、販売まで全て自分でやらなければならない。体力も気力も必要な大変な仕事だが、ニーナは一日の中で香水に携われる、この時間が一番充実していると感じていた。



――この時間だけは自分を好きになれる気がする。



「あっ! ニーナ! こっちこっち!」

「リリィ!」

 ニーナは大きく手を振るリリィに駆け寄った。

リリィはニーナと同じ二十歳で普段はある男爵家でメイドをしている。境遇も似ていることからすぐに意気投合し、タイミングが合えば出店料を折半して一緒に店を開いているのだ。明るく元気なリリィと一緒に居ると楽しくて、元気になる。ニーナにとって唯一の、大切な友人だ。



「今日はいい天気だし沢山お客さんくるといいね! 早く準備しちゃお!」

「うん。そうね。じゃぁ、私がテントをはるからリリィは香水の準備をしてくれる?」

「まかせて!」

 リリィは得意げに親指を立て、ニーナの引いてきた台車から香水のはいった小瓶を取り出し検品を開始する。幼い子供のように無邪気な友人の姿を微笑ましく思いつつ、その横でニーナもせっせとテントや香水を乗せるテーブルを設置し、開店は着々と進めた。

 

 ほどなくして、ニーナが額の汗を拭い腰に手を当てる。

「――よし、完成ね」

 芝生の上に佇む柔らかな白色のテントに、淡い色のレースで彩った入り口。中は狭いがニーナとリリィが各自持参した香水が並べられている。テントは遮光性が強く店内は薄暗いがそれは直射日光を遮る役目と演出を担っている。



ふたりの店主は香水を並べたテーブルの奥に立ち、寝る間を惜しんで調合した最高傑作たちを前にニーナは開店を知らせる第一声を上げた。

「いらっしゃいませ! ニーナとリリィの香水店、開店です! 陰と陽、どちらでもご希望の魔力をお詰めします!」



 ニーナの声は口調も手伝って少々遠慮がちに聞こえるが張ると良く通る。その声に呼び止められたかのように止まった人々の足は、次第にぞろぞろと店の前に集まり、ニーナ達の香水をそれぞれ眺め始めた。

 老若男女、様々な人が行き交うこの広場で今日はどんな人が香水を手に取ってくれるのか、どんな香りを求めているのか想像するだけで楽しい。



「こんにちは! この香水ください!」

不意に上がった本日最初のお客様の声にニーナは自然と身を屈めて確認した。

テーブルに掴まった小さな手の奥から、背伸びした少年のお客様がひょこっと現れる。



「いらっしゃいませ。この赤いベリーの香水でいいのかな?」

 小さなお客様が選んだのはニーナの作った香水だ。

「うん! おかあさんにあげるんだ!」

「プレゼントなのね。素敵ね。魔力は陰と陽どちらにする?」



 少年はうーんと唸ったあと、さらに身を乗り出して応えた。

「おかあさん、最近ちょっと元気がないんだ。だから陽がいいな」

「陽ね、わかったわ。なら私が注ぐからちょっと待ってね」



――魔力には属性があり、大きく分けて『陰』と『陽』がある。

 陰というと暗いイメージを持つかも知れないが実際の効果は『落ち着き』や『集中力』の増進だ。そして陽は言葉通り『体力回復』や『気分高揚』がある。

 効果は香水に込められた魔力量と相性にもよって異なるが、薬ではないためそこまで気にする必要はない。そして、ニーナの属性は少年が希望する陽だった。



 ニーナは優しく頷くと、ベリーの香水を胸に抱き深く息を吸った。全神経を集中させ、手の中の瓶へ祈りを捧げる。

「――優しさの盾となり、尊き者をお護りください」

 ニーナが囁いた瞬間、手の中の香水が光り、摘みたてのベリーの香りに包まれた。

「わあ……! すごい……!」

店内が薄暗いこともあり、香水瓶の中はまるで暗闇に太陽の光が差し込んだ瞬間を切り取ったようで、少年は目を奪われている様子だ。



(どうか、この小さなお客様のお母様が元気になる手助けになりますように)

ニーナは強く願った。顔も名前も知らないお客様だが、元気のない母を心配する子供の気持ちは痛いほど理解できる。どれだけ不安で、どれだけ歯がゆいのか。

 ただ少し疲れているだけでありますように。そしてその疲れを少しでも癒やせますように。

流れ星に願う子供のようにいくつも願いを並べたニーナの手の中でようやく落ち着いた輝きになった香水は星屑を浮かべたように輝いている。



 最後の仕上げに赤いリボンを巻くと少年に香水瓶を渡した。

「はい、お待たせしました。落とさないように気をつけてね」

「ありがとう! お代、これで足りる……?」

「ええ、もちろん。寧ろ多いくらいよ。これで十分。またのお越しを」

 ニーナは渡されたお代から一部を少年に返すと手を振って見送った。



「ニーナ」

 少年の姿が完全に見えなくなり、ニーナが接客中に訪れた客の接客を終えたリリィが、店内がふたりきりになるやいなやにっこりと微笑んだ。

愛らしい笑みだが全く目は笑っていない。



「なーにが寧ろ多いよ! 全然足らないじゃないの! それなのに更に返しちゃうなんて! あんなに沢山魔力込めたんだから通常の倍は貰わないと……! ニーナの香水だし口出すことじゃないかもしれないけど、生活がかかってるんだから安売りしちゃだめだよ!」



 リリィの言っていることはもっともだ。

 実際、少年から渡されたお代では定価の半分にも満たない。それに、魔力の量も多めに込めたため、本来であれば通常価格より高価なのは当然だった。ニーナが香水を販売しているのは慈善活動ではなく商売だ。父と継母との生活を支える大黒柱であるニーナは相手が誰でどんな事情を抱えているのであろうと正規の価格で販売するのが正しいのだろう。



 リリィはそんなニーナの甘さを友人として、同業者として心配してくれている。

「リリィ、ありがとう。でも大丈夫よ。魔力だけは人一倍有り余っているし、お代も先日貴族様の気まぐれで購入頂いたときに三倍の価格にしたし」

 ニーナが肩を竦めて笑うと、リリィも少し不服そうにまったく、と笑った。

「でも確かにニーナの魔力量はすごいよね。私なんて一つ詰めただけでもう休みたくなっちゃうもん」



 確かにニーナの魔力量は一般的な猫族に比べて膨大だ。通常であれば一人で一瓶詰めればその都度休憩しなければ体が持たない。

だが事実、魔力量の多いニーナは先程魔力を大量に詰めたばかりだというのに全く疲れを感じていなかった。

「うーん……きっとそれが普通なんだと思うわ。高級店では数人がかりで一つの香水に魔力を込めるっていうし」

「ニーナならひとりで出来ちゃいそうね!」



 嬉しいはずの友人の言葉にニーナは少しだけ瞼を伏せた。今朝両親に言われた嫌味がまだ胸の奥に残っているのか、今できる精一杯の情熱を注いで調合したはずの香水たちが少し色褪せて見えてしまう。

(事実、何件か面接に行ったこともあったけど、全て『クーリッヒ家の不義の子』扱いで門前払いだったわ)



 ニーナとリリィの作った香水は、一般的に出回っている香水より容量が多く、瓶は至ってシンプルで実用的だ。香りも人気が高く、尚且つ香料が安価で手に入りやすいものを中心としている。貴族が贔屓にするような店では香水が手に届かない大衆向けに作られた香水を、王城付近の貴族御用達の香水店と比べるのもおかしなことだが、ニーナが逆立ちしても嗅ぐことすら出来ない材料を使用し最先端の製法を学ぶことができるのが純粋に羨ましい。



 ないものねだりをしてしまう自分が情けなくてニーナはあいまいに笑って返した。

 そんなニーナの落ち込んだ表情を見かねたリリィがぱんっと手を叩いて明るく切り出す。

「じゃあ、もしそんな高級店に勤める調香師たちに会えるって言ったらどうする?」

「えっ、本当?」

ニーナは友人の言葉に顔をあげて目を輝かせた。



「ほんとほんと。それも王城付近の超高級店のエリートたち!」

「どこかで実演販売のイベントでもするの? 行ってみたい!」

高級店に勤めるエリート調香師の話を聞けるななんて滅多いない。

宝物を発見した子供のようにはしゃぐニーナの手をとったリリィは満面の笑みで目的を告げた。



「よかったあ! 合コンなんだけど人数が足らなくてって誘われたの!」

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