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3.「ちょっとニーナ! 私を飢えさせる気!?」

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竜と猫の国と呼ばれるウィルデン王国にはある古い伝説がある。



 遙か昔、この国を囲う神々の森を護っていた孤独な竜のもとに、数人の混血が迷い込んだ。混血は猫と魔女の間に生まれた者だった。

 混血の猫は深いキズを負っており、竜はその猫の傷を癒やす加護を与え、そのお礼に猫は己の魔力で香玉をつくり竜に渡した。

その香りは孤独な竜の心を癒やし、やがて竜と混血の猫はともに生きることを選んだ。それから竜と猫は共に暮らし、他国への牽制のため、竜は王となり土地に加護を与えて資源豊かな国を作り上げた。

猫はそれらを使って国を発展させ、今日の平和なウィルデン王国が存在している。



――猫族、とはいっても耳や尻尾が生えているわけではない。長い年月のなかで猫の血は薄れ、姿形は人間そのものである。時折猫の姿になれるだけの魔術士だ。



 魔力の扱いが上手くできない子供のうちは猫化してしまうこともあるが、歳を重ねると自然にしなくなる。老若男女、猫族が揃って猫化するのは、二十五年に一度の『赤い満月の夜』だけである。



 そんな神々しい歴史ある国で大多数を占める猫族である、調香師・ニーナ・クーリッヒの朝は早い。



 朝鳥が鳴く前には起床し、家事の邪魔にならないよう、栗色の長い髪を後ろで一つに結ぶ。それから家中の掃除をして、朝食のスープを作る。毎日の日課だ。

 そろそろ野菜のスープにも飽きてきたので本当は魚を焼きたいが服や髪に匂いがついてしまってはこの後の仕事に支障が出てしまう。ここは我慢だとニーナは鍋をかき混ぜた。



「――魚のことを考えたら余計お腹が空いてきたな……もしかして魚の香りとか案外使えたりして……」

 すぐに香水のことを考えてしまうのは最早職業病だ。そんないつも通りの朝に、いつも通りの甲高い怒号が響く。

「ちょっとニーナ! 朝食はまだなの!? 私を飢えさせる気!?」 



 一食くらい抜いても飢え死にしないのはもう何年も家計の事情で一日一食を強いられている自分が身をもって実証済みだと口にするのを堪えて、皿にスープとパンをリビングで苛立つ継母のもとへ運んだ。



 「申し訳ありません。お持ちしました、お継母様」

 継母は古い家に似つかない豪華なドレスを身に纏い、宙に浮かせた化粧道具を指先で操って唇に紅を塗る。

 ニーナは思わず溜息をつきそうになった。

もう何年も前に仕立てた膝下の質素なドレスを手直ししながら着ている自分と違い、継母が纏っているものはいつも豪華だった。今着ているドレスも、化粧品も恐らく流行最先端のものだろう。

また借金をしたのだと、考えただけで頭が痛くなる。



――お化粧も自分の手でしないほど魔力が余っているのなら、自分の食事くらい自分で運べばいいのに。

 以前、それを口に出してしまったら頬が腫れ上がるほど平手打ちをされたのだけど。



「まったく……相変わらずとろいんだから。大体、わざわざ当てつけがましく運んでこなくても魔法で浮かせてくればいいでしょう? 応用が効かないところなんて本当あの不義女にそっくり。あんたたちのせいでクーリッヒ家は没落したのよ」

「それはっ、何度も申し上げた通りお母様は――」



 継母の一言にニーナはカッとなって声をあげた。

自分が黙っていればそれでいいと身にしみているニーナだが、母のことを悪く言われるのは絶対に嫌だった。



 ニーナは確かに、男爵である父と調香師の母の間に生まれた。だが、遊び人で派手好きの父の浪費が激しく既に没落しかけていたクーリッヒ家を支えていたのは幼心にも分かるほど母だった。

そして母が病で倒れると、父はあっさり母を見捨て外に愛人をつくったのだ。

 そして五年前に母が亡くなってすぐ、愛人だった継母が後妻としておさまった。

 そのうえ娘の外見が父に全く似ていないことを理由に、不義の子と一方的に決めつけ使用人のように扱っている始末。



――自分たちの行為を正当化するための当てつけよ。お母様は不義なんてしていない。

 刃向かったニーナには平手打ちが飛んでくるのが恒例だが、継母の表情はニーナの背後をみて穏やかになる。



「あなたぁ。いい朝ね」

「ふたりとも朝から元気だなあ。ニーナ、父さんにもスープちょうだい」

 寝起きの父だ。父は顔がいい。顔だけが取り柄と言っても過言ではないほどで、継母がどれだけ機嫌が悪くても視界に入っただけで上機嫌にさせる。父は金色の長髪を揺らして軽い口調でニーナに食事を催促した。



「はい。お父様」

「お父様って、それやめろよー。もう貴族じゃないんだからさあ」

 からかい口調の父の一言に継母も含みのある笑みを浮かべる。

「あら。この子にクーリッヒ家の血がはいっていたことがあったのかしら」

「それはさあ……まあ、お前に罪はないよ。ニーナ」



 コレで話はおしまいだと言わんばかりの父の笑顔にニーナは黙るしかなかった。

この手の話で父に庇ってもらえたことなど一度もない。今更期待しているわけではないけれど、これ以上話しても今は何の意味もない。



「……そろそろ仕事に行って参ります」

 ニーナは恭しく二人に頭を下げると逃げるように家を飛び出した。 

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