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私はヒロインになれない(4)

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宮殿へ足を踏み入れた瞬間、普段とは違う空気を感じた。
 いつも忙しなくキビキビと笑顔で働いている使用人たちの表情が硬い。
 動きも最小限で、細心の注意を払っているのが見て取れる。
 一体、どうしたの。そう声をかけるよりも先にドカンッ! と響いた破壊音と、大きなため息に視線が集まった。

(嘘でしょ……)
 音の方へ向かったソフィーを制止する手を振りほどき、元々向かう予定だった場所へ足を速める。

 この時間なら、エルバートはいつも執務室に籠もっているはずだ。
 重厚な扉を開けると、子犬のような笑顔を向けるエルバートがいる、はずだった。
 ソフィーが目にしたのは砕け散る執務室の扉と宙を舞う破片と、何かが焦げ付くような臭いと煙。
 投げられた石のように飛び出してきた男性が壁に打ち付けられ落ちる。それがポールであると気づいたのは、ゆっくりと距離を詰める怒りの化身のような彼が芝居がかった声でその名を呼んだからだ。

「ポール。こんな時にまで僕を怒らせたいの?」

 子供をあやすような声色でありながら、淡々とした口調は獰猛な獣が獲物を追い詰める様に似ている。
 冷たい汗が背中を伝う。声が出ず、息の仕方を忘れてしまいそうなほど圧倒的な緊張感に、無意識に手が震えてしまう。

 ハッと視線を移せば、周りにいた使用人たちは皆、その場にひれ伏していた。
 まるで、神の許しを請う人のように。
 エルバートは皇帝として圧倒的に最強なのだと、信奉者のような台詞を使用人から何度も聞かさせたことがある。
 この国のすべては彼の手の中にあるのも同然だと。あまりに盲目ではないかと流していたけれど、きっとそれは事実なのだろうと今思い知らされる。

「僕は先帝とは違うからね。記憶のある人間を無断で連れてくるなんて許容できない」

 手を引いていたはずのシンデレラさえ、膝をつき祈りを捧げるような姿をとっている。立たせよう、という気になれないのはそれほどの余裕が自分にないからだ。悪い予感が当たってしまった。

(ポールがシンデレラを連れてきたんだわ)

 まさか断罪の現場を目撃するとは思わなかった。

「まさかお前に裏切られるとは思ってなかったなぁ。覚悟はできてるんだよね」

 侍従は俯いたまま応えない。それに痺れを切らした皇帝はハッと鼻で笑い煽る。

「まさか、僕に勝てると思ってる?」
「……滅相もございません。帝国一の魔法使いと呼ばれていた私にオリジナルの高度魔法を叩き込み、帝国の管理システムまで構築し、ただの驕ったジジイだと自覚させたのは紛れもない、陛下ではございませんか」

 その声に怒りはない。ただ諦観と、どこか満足げにさえ聞こえる。

「あっそ」

 立てるよね、と侍従を見下ろす皇帝の目は状況とはかけ離れていると感じるほど平静かつ冷徹だ。今にもポールの頭を踏みつけそうな雰囲気と異なり理解が追いつかない。しかも、皇帝が告げたように侍従はよろりと立ち上がり、恭しく下臣の礼を取った。

「どのような罰でも受け入れる所存です……本望でございます」
「……恍惚とした顔が気持ち悪いな」

 舌打ちした皇帝は、ふうっと一仕事終えたように深呼吸をした。それを合図に周りに使用人と共にひれ伏していた兵がポールを捉え、どこかへ連行しようとする。
 くるり、と跳ねるように踵を返した皇帝がまずその瞳に写したのは愛しの婚約者だった。

「さてと、残念なことにまだ仕事があるから、ソフィーに癒やされるのはまだ先になりそうだなぁ」

 甘やかに名前を呼ばれても、まだ脳が処理できないでいる。近づいてくるエルバートにソフィーは表情を硬くして、身構えた。
 伸ばされた手に身が竦んでしまった。恐怖が抜けない。いつもなら少しでも抵抗するそぶりがあればさらに強い力で抱き留められるのに、エルバートはそれをしなかった。
 頬に触れる寸前、行き場をなくしたような手がそっと離れる。

「ふたりでソフィーの部屋にいて」

 それだけ言い残して靴先が視界から離れていく。
 ソフィーは足音が完全に消えるまで顔を上げることができなかった。
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