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五冊目 時は進む、あなたと共に
時は進む、あなたと共に―1
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「失礼する」
よく通る凛とした声と共に、物書き屋の戸が開けられた。部屋で休憩していた柳は、急いで店の方へ行き、客を出迎えた。
「ようこそ、物書き屋へ。……え」
柳は、客の姿を見て、思わず声を漏らした。聞こえてきた声の印象よりも、遙かに若い。というより幼かった。十歳ほどのその少年は、首元までボタンが並んだ紺色のロングコートを着て、アタッシュケースを持っている。一見すると、小さな執事のようにも見える外見に、柳は目を奪われた。
「執筆を依頼したいんだが」
一言発しただけで固まってしまった柳に、訝しみながら少年は声をかける。柳は、ハッとして店主の表情に戻った。
「はい、かしこまりました。では、こちらにどうぞ」
奥のテーブルへと、手で示して案内する。少年は、柳についていきながら、興味深く店内を見回している。
「ここも、だいぶ様変わりしたなあ」
「もしかして、以前ご来店していただいていましたか。すみません、気づかずに」
「いや、来店は初めてだ」
「?」
柳は、少年の言葉の意味が理解出来ず首をかしげる。ひとまず、椅子に座ってもらった。話を聞こうと柳が口を開く前に、テーブルに頬杖をついた少年が小さく笑みを浮かべて尋ねた。
「あいつは――桜子はいるか?」
「……!」
店に初めて来たと言うのに、桜子のことを知っているこの少年は、一体。以前の変質者の件もある。柳は無意識のうちに警戒を強めていた。
「待て、俺は」
そのとき、桜子がリズミカルな足音とともに、やっなぎ~と妙な節をつけて柳の名前を呼びながら降りてきた。足を止めて、来客に気がつくと、おおーと声をあげた。赤地に鞠がいくつもデザインされた着物をなびかせて、客に近づいた。飴玉をモチーフにしたバレッタがキラキラと光っている。
「灯。久しいのう、百年ぶりか?」
「八十年くらいだと思うが?」
「そんなもんじゃったか」
桜子の反応からして、知り合いであることが分かり、柳は肩の力を抜く。同時に、桜子たちの会話の内容を聞いて、あることに思い至る。
「あの、桜子さん、もしかしてこの方も……付喪神、ですか」
三人の間に何とも言えない間が流れる。桜子と灯は顔を見合わせて、ふっと小さく笑った。
「なんだお前、気づいていなかったのか」
「すみません、瞬時の見極めはまだ難しくて……」
柳は、申し訳なさそうにうなだれる。その柳の腕を桜子がバシバシ叩いて、何故か自慢げに紹介をする。
「こいつは、柳じゃ。万年筆の付喪神じゃよ」
「ほー、万年筆か」
灯に、観察するように見つめられた。柳は、背筋を伸ばして、その視線に応えた。
「改めまして、柳と申します。物書き屋の店主をしています。開化したのは、三十年ほど前、だと思います。そのあたりの記憶が曖昧なので、確かではありませんが。若輩者ですが、よろしくお願いします」
「記憶が……?」
灯が眉をひそめて呟いた。そのまま桜子の方を見るが、その視線に気づいていないのか、桜子は表情を変えなかった。
「まあいいか。俺は灯だ。行燈、今で言うランプの付喪神だ。この姿を得たのは、だいたい三百年前か」
「わたしの方が百年先輩なのじゃ」
灯の自己紹介に対して、桜子が腕を組んで得意気に笑う。桜子が四百年、灯が三百年、改めて年数を聞くと、開化して三十年の柳にとって、二人とも遙か上の先輩であることを実感する。
「桜子さんと灯さんは、長い付き合いなんですか?」
「いや、昔に何度か会ったことがある程度だからな。まあ、長いと言えば長いか」
桜子は肩をすくめるだけで、そのことに関しては何も言わなかった。気心が知れた仲、ということは雰囲気でよく分かる。灯は、再び店内をぐるりと見まわした。
「それにしても、だいぶ中の雰囲気が変わったな。家の付喪神ともなれば、朝飯前か」
「まあのう。半分くらいは手作業じゃがな。柳の」
「……苦労してんだな」
灯が、なんとも言えない笑みを浮かべて柳を見た。桜子の奔放さを知っている顔だった。その顔を見て、柳は灯に親近感を覚えた。
「はい」
素直に答えた柳の足に、桜子の蹴りが飛んできた。
「痛っ」
「柳、紅茶じゃ」
少し不機嫌になった桜子の声に促されて、柳は客になんのおもてなしもしていなかったことに気がついた。灯に希望に沿えるように、柳は少しかがんで尋ねた。
「どんな紅茶がいいですか?」
「ほう、お前、紅茶を淹れるのか。俺もコーヒーには凝っているが、紅茶のことは分からん。任せる」
「かしこまりました」
柳は急いでキッチンに入り、一口サイズのチョコレートを持ってきた。紅茶はシンプルにアールグレイを準備する。
「ショコラボンボンです。アールグレイはチョコと相性がいいので、ぜひご一緒に。すぐにお持ちしますね」
色とりどりのキラキラとした包みのチョコを見て、桜子、そして灯の瞳が嬉しそうにきらめくのが見えた。なんだかんだ似ているらしい。
「これはわたしが食べるのじゃ」
桜子は、ひと際綺麗な金色の包みのチョコを手に取る。見る限り、金色はその一つしかないようだった。灯が不満を露わにして言った。
「いいや、俺が。少しは客をもてなせよ」
「嫌じゃー。おぬしなんか、もてなすに値せぬわー」
「なんだと、このクソババア!」
「むっ!? ならば、おぬしはクソジジイじゃ!」
「そんなに年いってねーよ!」
柳は、そのやり取りを少し離れて見ていた。自身よりも遙かに年上のものたちだと分かってはいるが、何せ見た目が十歳の少年少女なのだ。可愛らしい子どものケンカに見えてしまう。
「ふふっ」
出来上がった紅茶を零さないように、二人にばれないように、声を抑えたつもりだったが、聞こえてしまったらしい。桜子と灯が同時にこちらを向いた。
「笑うでない!」
「笑うな!」
よく通る凛とした声と共に、物書き屋の戸が開けられた。部屋で休憩していた柳は、急いで店の方へ行き、客を出迎えた。
「ようこそ、物書き屋へ。……え」
柳は、客の姿を見て、思わず声を漏らした。聞こえてきた声の印象よりも、遙かに若い。というより幼かった。十歳ほどのその少年は、首元までボタンが並んだ紺色のロングコートを着て、アタッシュケースを持っている。一見すると、小さな執事のようにも見える外見に、柳は目を奪われた。
「執筆を依頼したいんだが」
一言発しただけで固まってしまった柳に、訝しみながら少年は声をかける。柳は、ハッとして店主の表情に戻った。
「はい、かしこまりました。では、こちらにどうぞ」
奥のテーブルへと、手で示して案内する。少年は、柳についていきながら、興味深く店内を見回している。
「ここも、だいぶ様変わりしたなあ」
「もしかして、以前ご来店していただいていましたか。すみません、気づかずに」
「いや、来店は初めてだ」
「?」
柳は、少年の言葉の意味が理解出来ず首をかしげる。ひとまず、椅子に座ってもらった。話を聞こうと柳が口を開く前に、テーブルに頬杖をついた少年が小さく笑みを浮かべて尋ねた。
「あいつは――桜子はいるか?」
「……!」
店に初めて来たと言うのに、桜子のことを知っているこの少年は、一体。以前の変質者の件もある。柳は無意識のうちに警戒を強めていた。
「待て、俺は」
そのとき、桜子がリズミカルな足音とともに、やっなぎ~と妙な節をつけて柳の名前を呼びながら降りてきた。足を止めて、来客に気がつくと、おおーと声をあげた。赤地に鞠がいくつもデザインされた着物をなびかせて、客に近づいた。飴玉をモチーフにしたバレッタがキラキラと光っている。
「灯。久しいのう、百年ぶりか?」
「八十年くらいだと思うが?」
「そんなもんじゃったか」
桜子の反応からして、知り合いであることが分かり、柳は肩の力を抜く。同時に、桜子たちの会話の内容を聞いて、あることに思い至る。
「あの、桜子さん、もしかしてこの方も……付喪神、ですか」
三人の間に何とも言えない間が流れる。桜子と灯は顔を見合わせて、ふっと小さく笑った。
「なんだお前、気づいていなかったのか」
「すみません、瞬時の見極めはまだ難しくて……」
柳は、申し訳なさそうにうなだれる。その柳の腕を桜子がバシバシ叩いて、何故か自慢げに紹介をする。
「こいつは、柳じゃ。万年筆の付喪神じゃよ」
「ほー、万年筆か」
灯に、観察するように見つめられた。柳は、背筋を伸ばして、その視線に応えた。
「改めまして、柳と申します。物書き屋の店主をしています。開化したのは、三十年ほど前、だと思います。そのあたりの記憶が曖昧なので、確かではありませんが。若輩者ですが、よろしくお願いします」
「記憶が……?」
灯が眉をひそめて呟いた。そのまま桜子の方を見るが、その視線に気づいていないのか、桜子は表情を変えなかった。
「まあいいか。俺は灯だ。行燈、今で言うランプの付喪神だ。この姿を得たのは、だいたい三百年前か」
「わたしの方が百年先輩なのじゃ」
灯の自己紹介に対して、桜子が腕を組んで得意気に笑う。桜子が四百年、灯が三百年、改めて年数を聞くと、開化して三十年の柳にとって、二人とも遙か上の先輩であることを実感する。
「桜子さんと灯さんは、長い付き合いなんですか?」
「いや、昔に何度か会ったことがある程度だからな。まあ、長いと言えば長いか」
桜子は肩をすくめるだけで、そのことに関しては何も言わなかった。気心が知れた仲、ということは雰囲気でよく分かる。灯は、再び店内をぐるりと見まわした。
「それにしても、だいぶ中の雰囲気が変わったな。家の付喪神ともなれば、朝飯前か」
「まあのう。半分くらいは手作業じゃがな。柳の」
「……苦労してんだな」
灯が、なんとも言えない笑みを浮かべて柳を見た。桜子の奔放さを知っている顔だった。その顔を見て、柳は灯に親近感を覚えた。
「はい」
素直に答えた柳の足に、桜子の蹴りが飛んできた。
「痛っ」
「柳、紅茶じゃ」
少し不機嫌になった桜子の声に促されて、柳は客になんのおもてなしもしていなかったことに気がついた。灯に希望に沿えるように、柳は少しかがんで尋ねた。
「どんな紅茶がいいですか?」
「ほう、お前、紅茶を淹れるのか。俺もコーヒーには凝っているが、紅茶のことは分からん。任せる」
「かしこまりました」
柳は急いでキッチンに入り、一口サイズのチョコレートを持ってきた。紅茶はシンプルにアールグレイを準備する。
「ショコラボンボンです。アールグレイはチョコと相性がいいので、ぜひご一緒に。すぐにお持ちしますね」
色とりどりのキラキラとした包みのチョコを見て、桜子、そして灯の瞳が嬉しそうにきらめくのが見えた。なんだかんだ似ているらしい。
「これはわたしが食べるのじゃ」
桜子は、ひと際綺麗な金色の包みのチョコを手に取る。見る限り、金色はその一つしかないようだった。灯が不満を露わにして言った。
「いいや、俺が。少しは客をもてなせよ」
「嫌じゃー。おぬしなんか、もてなすに値せぬわー」
「なんだと、このクソババア!」
「むっ!? ならば、おぬしはクソジジイじゃ!」
「そんなに年いってねーよ!」
柳は、そのやり取りを少し離れて見ていた。自身よりも遙かに年上のものたちだと分かってはいるが、何せ見た目が十歳の少年少女なのだ。可愛らしい子どものケンカに見えてしまう。
「ふふっ」
出来上がった紅茶を零さないように、二人にばれないように、声を抑えたつもりだったが、聞こえてしまったらしい。桜子と灯が同時にこちらを向いた。
「笑うでない!」
「笑うな!」
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