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第三章 東宮女御と斎宮女御
東宮女御と斎宮女御 -15
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彰胤は、二日経っても桐壺には訪れなかった。宴の準備に奔走しているから、待っていて欲しいと宗征を通じて言伝は来たものの、宵子の心は落ち込むばかりだった。
宴の日は、もう明日に迫っている。宵子側で準備すべきことは、ほとんど終わっているが、彰胤の準備を手伝えるわけではないし、そもそも話すら出来ていない。
「女御様、こちらは遣いの者に梨壺へ届けさせましょうか」
「そうね。時間がないものね」
今朝方、藤壺からあるものが宵子宛てに届けられた。それは彰胤にとって必要なものなのだが、直接渡すことは今のままでは難しそうだ。
諦めて遣いに頼むと決めたのに、渡殿を歩いて来る足音が聞こえてきた。思わず御簾越しにそちらを見ると、急いでこちらに向かって来る彰胤の姿が見えた。
「女御! 遅くなってごめん」
「いえ。こちらを東宮様に」
挨拶もそこそこに、宵子は彰胤へ例の届け物を差し出した。出鼻をくじかれたような反応をした彰胤だったが、渡された紙の束に目を通していた。
「これは……」
「斎宮女御様から、お菓子の礼にといただきました。……おそらくは主上から東宮様へのものでございましょう。表立っては出来ないので、妃を通じてお渡しになったのかと」
それは、朔旦冬至の宴に出席する者たちの名簿だった。彰胤は、この名簿が揃わず苦戦していたと聞いた。淑子にもその話はしたが、そこから帝へ話が行き、この完全な名簿がここへ届いたのだ。
「ありがとう。名簿がないから席次も決められなくて……あれ、席次までもう決めてあるのかい。でも、これは、一体どういう並びなんだろう……?」
「席次は、斎宮女御様がお決めになられたそうです。並びはおそらく、十二宮かと思います」
「十二宮? ああ、生まれ星で性格を言い当てるものだね」
「わたしがお教えしたので、面白がっていらっしゃるようで」
知らない者が見たら、何の順番か分からず、無秩序に並べられているように感じるだろう。淑子は、そこが面白いんですのよ、と言っていたと遣いから聞いた。
「斎宮女御様らしいね。せっかくだからこのまま使わせていただくよ。これでようやく、俺の分の準備も終わったよ」
彰胤は、仲子たち女房に席を外すように言った。桐壺には彰胤と宵子の二人だけになった。そして姿勢を正して宵子に向き直ると、そのまま頭を下げた。
「本当に、すまなかった。準備が上手くいっていなくて、まともに話も出来ないままで」
「いえ。わたしが余計なことをしたのは、事実でございますから。東宮様の隣にいるべきは、斎宮女御様のような御方で――」
「それは違う。あの方のようになる必要はない。俺は、斎宮女御様ではなく、君に傍にいて欲しいと思ったのだから」
彰胤は、宵子の言葉を遮るようにしてそう言った。まっすぐな言葉に一瞬嬉しく思ったが、先日の『こんなことをしなくてもいい』という言葉が頭を過ぎって、困惑した。どうして、あんなことを。
「ごめん。この前は誤解をさせるような言い方をしてしまったね。しなくてもいい、と言ったのは、入内の事件から鷹狩、今回の宴の準備と、女御が全然休めていないと思ったからなんだ。無理をさせているんじゃないかと、心配で」
彰胤は、言いながら落ち込んでいってしまった。言葉が足りていなかったね、と小さな声で言って、しゅんとしてしまった。
「離れで一人過ごしていた時よりも、仲子や女房たちと準備をしていたここ数日は、とても楽しかったです。なので、ご心配には及びません。ありがとうございます」
宵子は、ただ心配してくれていただけと分かった喜びと、彰胤を元気付けるために、明るく返した。
「そうだね、君ならそう言う。でも違うんだよ、君のためとかじゃない。これは俺のわがままなんだよ」
彰胤の深く黒い瞳が、宵子を捉えた。怒っているわけではない、なのに、惹きつけられて時が止まったかのような錯覚に陥る。
「もっと君を甘やかしたい」
彰胤の唇から紡がれたその言葉に、宵子の頬は一気に熱くなった。茶化した様子など微塵もなく、真剣な顔で言われては、どう返したらいいのか分からない。
「美しい着物も、美味しい菓子も、ゆったりとした時間も、もっとあげたいんだ。もっと甘やかしたい。君に笑っていて欲しい。幸せであって欲しい」
想像を超える甘い言葉たちに、宵子は混乱していた。こんな時、妃としてどうすれば。淑子の助言を一生懸命思い出す。言いたいこと、は誤解が解けたからもう大丈夫。後は。
彰胤は、二日経っても桐壺には訪れなかった。宴の準備に奔走しているから、待っていて欲しいと宗征を通じて言伝は来たものの、宵子の心は落ち込むばかりだった。
宴の日は、もう明日に迫っている。宵子側で準備すべきことは、ほとんど終わっているが、彰胤の準備を手伝えるわけではないし、そもそも話すら出来ていない。
「女御様、こちらは遣いの者に梨壺へ届けさせましょうか」
「そうね。時間がないものね」
今朝方、藤壺からあるものが宵子宛てに届けられた。それは彰胤にとって必要なものなのだが、直接渡すことは今のままでは難しそうだ。
諦めて遣いに頼むと決めたのに、渡殿を歩いて来る足音が聞こえてきた。思わず御簾越しにそちらを見ると、急いでこちらに向かって来る彰胤の姿が見えた。
「女御! 遅くなってごめん」
「いえ。こちらを東宮様に」
挨拶もそこそこに、宵子は彰胤へ例の届け物を差し出した。出鼻をくじかれたような反応をした彰胤だったが、渡された紙の束に目を通していた。
「これは……」
「斎宮女御様から、お菓子の礼にといただきました。……おそらくは主上から東宮様へのものでございましょう。表立っては出来ないので、妃を通じてお渡しになったのかと」
それは、朔旦冬至の宴に出席する者たちの名簿だった。彰胤は、この名簿が揃わず苦戦していたと聞いた。淑子にもその話はしたが、そこから帝へ話が行き、この完全な名簿がここへ届いたのだ。
「ありがとう。名簿がないから席次も決められなくて……あれ、席次までもう決めてあるのかい。でも、これは、一体どういう並びなんだろう……?」
「席次は、斎宮女御様がお決めになられたそうです。並びはおそらく、十二宮かと思います」
「十二宮? ああ、生まれ星で性格を言い当てるものだね」
「わたしがお教えしたので、面白がっていらっしゃるようで」
知らない者が見たら、何の順番か分からず、無秩序に並べられているように感じるだろう。淑子は、そこが面白いんですのよ、と言っていたと遣いから聞いた。
「斎宮女御様らしいね。せっかくだからこのまま使わせていただくよ。これでようやく、俺の分の準備も終わったよ」
彰胤は、仲子たち女房に席を外すように言った。桐壺には彰胤と宵子の二人だけになった。そして姿勢を正して宵子に向き直ると、そのまま頭を下げた。
「本当に、すまなかった。準備が上手くいっていなくて、まともに話も出来ないままで」
「いえ。わたしが余計なことをしたのは、事実でございますから。東宮様の隣にいるべきは、斎宮女御様のような御方で――」
「それは違う。あの方のようになる必要はない。俺は、斎宮女御様ではなく、君に傍にいて欲しいと思ったのだから」
彰胤は、宵子の言葉を遮るようにしてそう言った。まっすぐな言葉に一瞬嬉しく思ったが、先日の『こんなことをしなくてもいい』という言葉が頭を過ぎって、困惑した。どうして、あんなことを。
「ごめん。この前は誤解をさせるような言い方をしてしまったね。しなくてもいい、と言ったのは、入内の事件から鷹狩、今回の宴の準備と、女御が全然休めていないと思ったからなんだ。無理をさせているんじゃないかと、心配で」
彰胤は、言いながら落ち込んでいってしまった。言葉が足りていなかったね、と小さな声で言って、しゅんとしてしまった。
「離れで一人過ごしていた時よりも、仲子や女房たちと準備をしていたここ数日は、とても楽しかったです。なので、ご心配には及びません。ありがとうございます」
宵子は、ただ心配してくれていただけと分かった喜びと、彰胤を元気付けるために、明るく返した。
「そうだね、君ならそう言う。でも違うんだよ、君のためとかじゃない。これは俺のわがままなんだよ」
彰胤の深く黒い瞳が、宵子を捉えた。怒っているわけではない、なのに、惹きつけられて時が止まったかのような錯覚に陥る。
「もっと君を甘やかしたい」
彰胤の唇から紡がれたその言葉に、宵子の頬は一気に熱くなった。茶化した様子など微塵もなく、真剣な顔で言われては、どう返したらいいのか分からない。
「美しい着物も、美味しい菓子も、ゆったりとした時間も、もっとあげたいんだ。もっと甘やかしたい。君に笑っていて欲しい。幸せであって欲しい」
想像を超える甘い言葉たちに、宵子は混乱していた。こんな時、妃としてどうすれば。淑子の助言を一生懸命思い出す。言いたいこと、は誤解が解けたからもう大丈夫。後は。
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