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第三章 東宮女御と斎宮女御
東宮女御と斎宮女御 -1
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宵子は、緊張しながら渡殿を歩いていた。いつも渡殿を歩くのは梨壺までの短い距離だから、長いと余計に緊張が増してくる。
今、向かっているのは藤壺。藤壺は、帝が住む清涼殿からもっとも近い殿舎で、つまりは帝の寵愛を受ける女性が暮らす場所。現在その殿舎を賜っているのは、斎宮女御と呼ばれる人。
「ねえ、命婦、斎宮女御と称されるということは、以前は斎宮の任をなさっていたのよね」
斎宮とは、伊勢神宮に奉仕する内親王。清浄潔白な、つまり未婚の女性から選ばれる。そして、その代の帝の世の安定を祈る役割を担う。
「はい。先々帝の御代の時に斎宮を務めておられ、退位の際に宮中へ戻って来られました。そして当時、東宮だった今上帝の妃となられたのでございます」
「やっぱり緊張するわ……」
「大丈夫でございます! と言いたいところですが、あたしも緊張してきました」
緊張しているのが、宵子だけではないと分かって、少し安心した。内親王という尊い生まれで、しかも斎宮を務めた清廉な境遇。自分とは違いすぎて恐れ多い。
藤壺に着くと、女房に中へと案内された。調度品や小物にいたるまで、隅々まで手入れが行き届いていて、洗練されている。女房の数も、梨壺や桐壺よりも遥かに多い。
「よく来てくれたわ」
几帳の向こうから、斎宮女御――淑子内親王が現れた。身に纏っているのは、黄菊の襲。内側から、青、淡黄二枚、淡蘇芳二枚、蘇芳、と外へ向けて色が鮮やかになっていき、色付いた紅葉を表している。
「お初にお目にかかります。東宮女御でございます」
宵子と仲子は、深々と礼をして淑子と対面した。すると、淑子は、あらまあ、と声を上げた。
「そんなにかしこまらなくていいわ。だって、わたくしの妹のような人でしょう? 会ってお話がしたかったんですもの」
「妹なんて、恐れ多いことでございます……」
「夫の弟の妻、ならわたくしにとっては妹よね。あら、でも二の宮の養女なら、義理の……姪、かしら?」
こてん、と首を傾げる仕草が可愛らしい。
宵子は、ちらりと淑子の目を視た。凶星はかなり先の日付に弱い光が視えるだけ。点滅する方の凶星も視られない。淑子に差し迫った凶兆はなく、宵子や東宮に向けて何かを企んでいる悪意もない。
本当に、宵子と話がしたかったらしい。朔の姫とわざわざ、と思うが、それを口にするのはきっと失礼にあたると言葉を飲み込んだ。
「斎宮女御様、こちらは本日お持ちした菓子になります」
仲子が、漆塗りの箱を差し出した。藤壺に招待されるからと、用意してもらったお菓子だった。
「あら、嬉しい。開けてもいいのかしら」
「もちろんでございます」
箱の中には、唐果物が入っている。唐果物は、米粉と水と蜜をこね合わせて生地にして、それを様々な形を作り、油で揚げるお菓子。梅や桜、柳、藤、躑躅、山吹などの花が敷き詰められている。
「まあ! なんて可愛らしいのかしら。箱の中が花畑のようだわ」
「お気に召していただけて、何よりでございます」
仲子が、少し緊張が解れてきたようで、にっこりと笑ってそう返していた。
「一緒に食べましょう、ね?」
唐果物を一つ摘まみ上げて、小さく一口食べている様子でさえ、上品で絵になる。朗らかで可愛らしい、それでいて滲み出る品の良さ、望月――満月のような人だ。
きっと、『妃』というのはこういう方のことを言うのだろう。本当は、このような人が、彰胤の隣には相応しい。新月の宵子では、釣り合わない。最初から分かっていたことだ。
でも、彰胤の隣に相応しい人になりたい。そう、思ってしまう。
「どうしたの、食べないの?」
「あっ、いえ、いただきます」
つい黙って考えていたから、淑子に不審がられてしまった。取り繕うように、口に運んだ唐果物は、藤の花で見た目も可愛くて、さくさくとした食感と甘味が心地いい。
「美味しいです」
「良かったわー、お菓子が緊張をほぐしてくれて」
にこやかに淑子は言った。唐果物を気に入ってくれたようで、また次に手を伸ばしている。
「ところで、あなたは星に詳しいのよね。ぜひ聞かせて欲しいと思っていたの」
淑子の言う星に、どこまでのことが含まれているのか、分からない。さりげなく仲子を見ると、すばやく耳元で教えてくれた。
今、向かっているのは藤壺。藤壺は、帝が住む清涼殿からもっとも近い殿舎で、つまりは帝の寵愛を受ける女性が暮らす場所。現在その殿舎を賜っているのは、斎宮女御と呼ばれる人。
「ねえ、命婦、斎宮女御と称されるということは、以前は斎宮の任をなさっていたのよね」
斎宮とは、伊勢神宮に奉仕する内親王。清浄潔白な、つまり未婚の女性から選ばれる。そして、その代の帝の世の安定を祈る役割を担う。
「はい。先々帝の御代の時に斎宮を務めておられ、退位の際に宮中へ戻って来られました。そして当時、東宮だった今上帝の妃となられたのでございます」
「やっぱり緊張するわ……」
「大丈夫でございます! と言いたいところですが、あたしも緊張してきました」
緊張しているのが、宵子だけではないと分かって、少し安心した。内親王という尊い生まれで、しかも斎宮を務めた清廉な境遇。自分とは違いすぎて恐れ多い。
藤壺に着くと、女房に中へと案内された。調度品や小物にいたるまで、隅々まで手入れが行き届いていて、洗練されている。女房の数も、梨壺や桐壺よりも遥かに多い。
「よく来てくれたわ」
几帳の向こうから、斎宮女御――淑子内親王が現れた。身に纏っているのは、黄菊の襲。内側から、青、淡黄二枚、淡蘇芳二枚、蘇芳、と外へ向けて色が鮮やかになっていき、色付いた紅葉を表している。
「お初にお目にかかります。東宮女御でございます」
宵子と仲子は、深々と礼をして淑子と対面した。すると、淑子は、あらまあ、と声を上げた。
「そんなにかしこまらなくていいわ。だって、わたくしの妹のような人でしょう? 会ってお話がしたかったんですもの」
「妹なんて、恐れ多いことでございます……」
「夫の弟の妻、ならわたくしにとっては妹よね。あら、でも二の宮の養女なら、義理の……姪、かしら?」
こてん、と首を傾げる仕草が可愛らしい。
宵子は、ちらりと淑子の目を視た。凶星はかなり先の日付に弱い光が視えるだけ。点滅する方の凶星も視られない。淑子に差し迫った凶兆はなく、宵子や東宮に向けて何かを企んでいる悪意もない。
本当に、宵子と話がしたかったらしい。朔の姫とわざわざ、と思うが、それを口にするのはきっと失礼にあたると言葉を飲み込んだ。
「斎宮女御様、こちらは本日お持ちした菓子になります」
仲子が、漆塗りの箱を差し出した。藤壺に招待されるからと、用意してもらったお菓子だった。
「あら、嬉しい。開けてもいいのかしら」
「もちろんでございます」
箱の中には、唐果物が入っている。唐果物は、米粉と水と蜜をこね合わせて生地にして、それを様々な形を作り、油で揚げるお菓子。梅や桜、柳、藤、躑躅、山吹などの花が敷き詰められている。
「まあ! なんて可愛らしいのかしら。箱の中が花畑のようだわ」
「お気に召していただけて、何よりでございます」
仲子が、少し緊張が解れてきたようで、にっこりと笑ってそう返していた。
「一緒に食べましょう、ね?」
唐果物を一つ摘まみ上げて、小さく一口食べている様子でさえ、上品で絵になる。朗らかで可愛らしい、それでいて滲み出る品の良さ、望月――満月のような人だ。
きっと、『妃』というのはこういう方のことを言うのだろう。本当は、このような人が、彰胤の隣には相応しい。新月の宵子では、釣り合わない。最初から分かっていたことだ。
でも、彰胤の隣に相応しい人になりたい。そう、思ってしまう。
「どうしたの、食べないの?」
「あっ、いえ、いただきます」
つい黙って考えていたから、淑子に不審がられてしまった。取り繕うように、口に運んだ唐果物は、藤の花で見た目も可愛くて、さくさくとした食感と甘味が心地いい。
「美味しいです」
「良かったわー、お菓子が緊張をほぐしてくれて」
にこやかに淑子は言った。唐果物を気に入ってくれたようで、また次に手を伸ばしている。
「ところで、あなたは星に詳しいのよね。ぜひ聞かせて欲しいと思っていたの」
淑子の言う星に、どこまでのことが含まれているのか、分からない。さりげなく仲子を見ると、すばやく耳元で教えてくれた。
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