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第一章 禁じられた森で
第三話 唐突な提案
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一頻り泣いた後、明日花はみよと茂の前で号泣したことが恥ずかしくなった。みよと茂が優しく微笑んで見つめてくるものだから、余計に居た堪れない。
「ケーキが残ってるぞ。遠慮せずに食べなさい」
茂は何事もなかったかのように、明日花にキャロットケーキを勧めた。明日花は小さく笑みを漏らし、再びケーキを食べ始めた。優しい味のケーキは、明日花を慰めてくれるようだった。
「お茶が冷めてしまったわね。淹れ直しましょうか」
「大丈夫だよ。冷めても美味しいもん」
明日花はカモミールティーが入ったカップを掴んで引き寄せた。
「そう? じゃあ、私もケーキをいただこうかしら」
みよは茂の隣の椅子に腰を掛けた。嬉しそうに笑ってケーキに手を付けるみよを見て、明日花も釣られて笑った。
しばらく、ケーキとカモミールティーを楽しんで、明日花は自分の気持ちを話したくなった。上手く話せる自信はなかったけれど、両親の離婚に関する不安を、自分の胸だけに留めておける自信もなかった。誰かに聞いてほしい。でも、誰でもいいわけではなくて、本音で話しても、否定せずに受け入れてくれる人がいい。それはきっと、みよと茂に違いなかった。
「あのね、わたし」
言葉が痞えた。上手に話せなくても、話したかったのに。自分の気持ちを口に出す前に、気持ちを表す言葉が、どこかに消えてしまう。また泣きそうになって、正体不明の何かが、明日花の気持ちをぐちゃぐちゃに塗り潰してくる。
「明日花ちゃん、お散歩をして来たら?」
「えっ、散歩?」
思わず、間の抜けた返事をした。みよの唐突な提案に、明日花は戸惑いを隠せなかった。どうしていいかわからずに、みよを見つめていると、みよは口の端を軽く持ち上げた。
「あのね、近所に明日花ちゃんと同い年の女の子がいるのよ」
「そうなの? 知らなかった」
でも、わたしが散歩することと、何の関係があるんだろう?
明日花は眉間に皺を寄せる。すると、みよは悪戯に笑った。
「その子と一緒に散歩してらっしゃい。実はね、その子にはもう頼んであるの」
「ええっ!?」
明日花は素っ頓狂な声を上げた。まさか、初めましての女の子と散歩を勧められるなんて! しかも、その子にはもう頼んであるだなんて、突然過ぎる!
「でも、その子に迷惑だよね? いきなり知らない子と散歩って、ハードルが高いもの」
「その子は大丈夫だって言ってたわよ?」
「嘘だあ……」
情けない声が出た。先ほどまで胸に渦巻いていた不安を押しのけて、緊張感が身体中に纏わりついてくる。
「『都合がいい時に連絡ください』って。とっても優しい子よ」
「うう……わかった。その子と外に行ってくる」
明日花は渋々頷いた。みよの表情が輝く様子とは裏腹に、明日花の心はどんよりと曇った。
大人って、子供の年が近ければ、すぐに仲良くなれると思っている節がある。実際は、そんなに甘い世界ではないのに。子供の世界に夢でも見ているのかな。
明日花は肩を落とした。本当は行きたくないけれど、断るわけにもいかなかった。断れば、みよの頼みを引き受けてくれた女の子にも申し訳ないし、みよの印象が悪くなるかもしれない。明日花は年齢的に見ればまだ子供だけれど、大人の対応くらいはできるのだ。
みよがリビングを出た。廊下に置いている固定電話で、女の子に連絡をするのだろう。明日花は残り少ないケーキをフォークでつついた。
「おばあちゃんは明日花が心配なんだよ。夏休みの間、ずっとこっちにいるだろう? 遊び相手の一人でもいなければ、つまらないだろうってなあ」
「おじいちゃんたちがいるのに?」
「そう言ってくれるのは嬉しいんだがなあ。やっぱり、年の近い女の子同士が楽しいだろうとおじいちゃんたちは思うんだよ」
「夏休みの宿題だってするもん。時間はあるようでないんだよ」
不貞腐れたように話すと、茂は豪快に笑った。
「明日花は大人だなあ」
「中学生だからね」
明日花はふふん、と胸を張った。まだまだ子供扱いされているとは感じるけれど、褒められたら、やっぱり嬉しい。
本当に、わたしが大人だったら。お母さんとお父さんは、わたしも二人の話し合いに混ぜてくれたのかな。
ふと、暗い感情が胸に舞い戻ってきた。気を抜くと、明日花を支配しようと虎視眈々と狙っている悪魔が襲い掛かってくるようだった。呼吸が浅くなって、悲しみや不安以外、頭に入ってこなくなる。
「明日花ちゃん。これからお友達が来てくれるわよ」
嬉しそうなみよの声が、明日花を現実に引き戻した。
「十分くらいで着くと思うわ。外に出る準備をしないとね」
「途中で疲れたら、すぐに帰って来ていいんだぞ」
「じゃあ、ここに来た当日に散歩なんて勧めないでよ……」
明日花は苦い笑みを漏らした。みよと茂の家で過ごす初日は、感情の浮き沈みが激しくて、何だか疲れる。
けれど、どうしてか、楽しい。
明日花の荷物は、明日花が寝泊りする部屋に、茂が運んでくれることになった。お気に入りのライトグリーンのポシェットを肩から提げて、玄関へ足を運ぶ。
うう、緊張する。いったい、どんな子だろう。仲良くなれるかな。
「いってらっしゃい、明日花ちゃん」
みよと茂に見送られ、明日花は微かに震える手で引き戸を開けた。
「ケーキが残ってるぞ。遠慮せずに食べなさい」
茂は何事もなかったかのように、明日花にキャロットケーキを勧めた。明日花は小さく笑みを漏らし、再びケーキを食べ始めた。優しい味のケーキは、明日花を慰めてくれるようだった。
「お茶が冷めてしまったわね。淹れ直しましょうか」
「大丈夫だよ。冷めても美味しいもん」
明日花はカモミールティーが入ったカップを掴んで引き寄せた。
「そう? じゃあ、私もケーキをいただこうかしら」
みよは茂の隣の椅子に腰を掛けた。嬉しそうに笑ってケーキに手を付けるみよを見て、明日花も釣られて笑った。
しばらく、ケーキとカモミールティーを楽しんで、明日花は自分の気持ちを話したくなった。上手く話せる自信はなかったけれど、両親の離婚に関する不安を、自分の胸だけに留めておける自信もなかった。誰かに聞いてほしい。でも、誰でもいいわけではなくて、本音で話しても、否定せずに受け入れてくれる人がいい。それはきっと、みよと茂に違いなかった。
「あのね、わたし」
言葉が痞えた。上手に話せなくても、話したかったのに。自分の気持ちを口に出す前に、気持ちを表す言葉が、どこかに消えてしまう。また泣きそうになって、正体不明の何かが、明日花の気持ちをぐちゃぐちゃに塗り潰してくる。
「明日花ちゃん、お散歩をして来たら?」
「えっ、散歩?」
思わず、間の抜けた返事をした。みよの唐突な提案に、明日花は戸惑いを隠せなかった。どうしていいかわからずに、みよを見つめていると、みよは口の端を軽く持ち上げた。
「あのね、近所に明日花ちゃんと同い年の女の子がいるのよ」
「そうなの? 知らなかった」
でも、わたしが散歩することと、何の関係があるんだろう?
明日花は眉間に皺を寄せる。すると、みよは悪戯に笑った。
「その子と一緒に散歩してらっしゃい。実はね、その子にはもう頼んであるの」
「ええっ!?」
明日花は素っ頓狂な声を上げた。まさか、初めましての女の子と散歩を勧められるなんて! しかも、その子にはもう頼んであるだなんて、突然過ぎる!
「でも、その子に迷惑だよね? いきなり知らない子と散歩って、ハードルが高いもの」
「その子は大丈夫だって言ってたわよ?」
「嘘だあ……」
情けない声が出た。先ほどまで胸に渦巻いていた不安を押しのけて、緊張感が身体中に纏わりついてくる。
「『都合がいい時に連絡ください』って。とっても優しい子よ」
「うう……わかった。その子と外に行ってくる」
明日花は渋々頷いた。みよの表情が輝く様子とは裏腹に、明日花の心はどんよりと曇った。
大人って、子供の年が近ければ、すぐに仲良くなれると思っている節がある。実際は、そんなに甘い世界ではないのに。子供の世界に夢でも見ているのかな。
明日花は肩を落とした。本当は行きたくないけれど、断るわけにもいかなかった。断れば、みよの頼みを引き受けてくれた女の子にも申し訳ないし、みよの印象が悪くなるかもしれない。明日花は年齢的に見ればまだ子供だけれど、大人の対応くらいはできるのだ。
みよがリビングを出た。廊下に置いている固定電話で、女の子に連絡をするのだろう。明日花は残り少ないケーキをフォークでつついた。
「おばあちゃんは明日花が心配なんだよ。夏休みの間、ずっとこっちにいるだろう? 遊び相手の一人でもいなければ、つまらないだろうってなあ」
「おじいちゃんたちがいるのに?」
「そう言ってくれるのは嬉しいんだがなあ。やっぱり、年の近い女の子同士が楽しいだろうとおじいちゃんたちは思うんだよ」
「夏休みの宿題だってするもん。時間はあるようでないんだよ」
不貞腐れたように話すと、茂は豪快に笑った。
「明日花は大人だなあ」
「中学生だからね」
明日花はふふん、と胸を張った。まだまだ子供扱いされているとは感じるけれど、褒められたら、やっぱり嬉しい。
本当に、わたしが大人だったら。お母さんとお父さんは、わたしも二人の話し合いに混ぜてくれたのかな。
ふと、暗い感情が胸に舞い戻ってきた。気を抜くと、明日花を支配しようと虎視眈々と狙っている悪魔が襲い掛かってくるようだった。呼吸が浅くなって、悲しみや不安以外、頭に入ってこなくなる。
「明日花ちゃん。これからお友達が来てくれるわよ」
嬉しそうなみよの声が、明日花を現実に引き戻した。
「十分くらいで着くと思うわ。外に出る準備をしないとね」
「途中で疲れたら、すぐに帰って来ていいんだぞ」
「じゃあ、ここに来た当日に散歩なんて勧めないでよ……」
明日花は苦い笑みを漏らした。みよと茂の家で過ごす初日は、感情の浮き沈みが激しくて、何だか疲れる。
けれど、どうしてか、楽しい。
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うう、緊張する。いったい、どんな子だろう。仲良くなれるかな。
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