上 下
237 / 255
☆*:.。. o番外編o .。.:*☆

3

しおりを挟む


バタバタと駆ける足音が電話を通して晴樹の耳に届く。

晴樹はその様子を窺うように耳を澄ませた。

聞き覚えのある、立て付けの悪い引戸を蹴って開ける音が騒々しく聞こえる。

「はあっ…た、只今、実家に到着ですっ…」

息を切らせた苗からの報告に晴樹は静かに溜め息を吐いた。

「苗…、」

「あい…」

また怒られそうな予感がする…

晴樹の静かな口調に苗はごくりと唾を飲んで返事をした。

「一週間くらいで終わらせて帰るから…」

「うん…」

「頼むから大人しく待ってろよな──」

「……」

スーツの上着を椅子に掛けると晴樹はベットに腰掛けてネクタイを緩める。
携帯を耳に充てたまま、晴樹は最後まで静かな口調だった。

「返事は?」

「わかりました…」

晴樹は小さく息をついた。

「じゃ、今から寝るから…」

「うん…おやすみなさい」

「……」

「……兄さん?」

「……苗…」

そう呼び掛けてきた後に、受話口からチュッとキスの音が響いた。

「──…?」

「……っ…てか、お前も返せよっ!?恥ずかしいだろ俺だけこんなことしたら!」

「あ、ごみん…ここ日本の田中家だから。あは…」

「──っ…」


無言の苗に電話口で真っ赤になりながら喚き散らした晴樹に新妻は結構冷たかった──。



「わかったよっ…」

半ば不貞腐れたように晴樹は返す。

「兄さん…」

「なんだ…」

「…か、帰って着たら…あのっ…」

「──…」

小さく呟く苗に不機嫌だった晴樹はふっと笑みを浮かべた。

「そうだな…わかった。…帰ってからな…」



帰ったら……

二人でたくさんのキスをしよう──


どんなことでも乗り越えられるように…


離れていた時間を二人で語り、埋めていければそれでいい──


晴樹は苗におやすみを告げると柔らかな笑みを浮かべたまま静かに電話をベットのサイドテーブルに置いた。

晴樹は置いた電話を見つめる

……っ…

「うあ──っ!!…とか思いつつすげぇ不安なんだけどっ苗!?」


そして頭をかきむしり急に吠えていた。


取り合えず取引が決まった会社への挨拶参りと創設式のレセプション。あと一週間内の予定をこなせば日本への帰国が許される。

のんびりなんかしていられない。


“向こうにいる間、苗のことは任せてください”


「何を任せろっつーんだよっ!?」
晴樹は悟の言った言葉に不安を憶え静かな部屋で苦味渋った表情を浮かべていた。



「部屋はもう片付いたの?」

帰ってきた苗にオカンは聞いた。苗は頷きながら悟からの手土産を差し出す。

「あら、餅まんの抹茶味っ?」

何気に嬉しそうな笑みを溢す。

「もうすぐお昼だからこれは後ね」

「うん、お昼は何する?」

春休み真っ只中。

家族がそろっている平日の田中家で苗は力仕事のように腕を捲る。

10人分の食事──
それはある意味体力作りとでも言えるのではないか?

「悟ちゃんの分も忘れずにね」

「──…っ!」

オカンの言葉に冷蔵庫を物色していた苗はハッと顔を上げた。

…そうだ、忘れてた──

悟ちゃんこれから家でご飯食べるようになってたっけ……



「……むぅ…」

苗は引っ張り出した食材を前に包丁を握り締めてむぅっと鼻息を洩らす。


何も起きないだよね……



田舎から上京してきた幼馴染みの変わり様に苗は一抹の不安を覚える──


だいたい悟ちゃん彼女居るのにどうしてこっちに着ただかね?…

「…ハッ──!」

苗は何かを思い出した。


そか、…衣替えの時期だ……


そしてまたむうっと唸っていた……。

苗が居る田中家の台所からは、美味しそうなカレーのいいにおいが漂い空に広がる。



冷蔵庫の食材処理も兼ねた煮込み料理。カレーは大家族にはうってつけのメニューでもある。

窓の外から香るカレーの香りはベットの上で一休みする悟の鼻にも送られてくる──

悟はうつ伏せに寝転んだまま枕をぎゅっと抱き締めた。


「苗──…」


気取ってキスをしたものの、悟は苗にした自分の行為に目をきつく閉じていた。


「やっと傍に居られる…」

小さく呟く。

幼い頃はずっと一緒にいた──

ほんの二、三年の間ではあったが苗が小学校に上がるまでずっと田舎で二人一緒に過ごした。

悟の胸には小さな頃の苗との思い出がたくさん溢れている。

そして…


小さな頃の苗の思い出しかない──。


離れてからは夏に帰省する苗と逢うのが楽しみで、そしてまた帰っていく苗を見送ることが辛かった。


悟はうつ伏せのまま壁に掛けた学生服に目を向ける。

一学年違うだけ。

そんなのいままでの距離に比べたらどうってことはない──

悟は枕の下に忍ばせた写真を手にしていた。

「苗…ずっと…この日を待ってたから──」
去年の夏に撮った写真。

苗との短い夏の思い出は悟の胸に確りと記憶されていた──


◇◇◇


賑やかな田中家で三つ子達は大好物のカレーにがっつく。

苗、お手製のカレーが出来たと連絡を貰った悟は田中家にお邪魔していた。

「悟兄ちゃん、こっちでも剣道するのか?」

カレーを頬張りながら聞く陸に、悟はうーんと暫し考えた。

「こっちの学校のレベル次第かもな…見学してから考える」

悟はニッコリ笑ってそう答えていた。

すっかり成長してしまった悟。一昨年の夏にあった頃の面影は全くない。

身長も伸び、声も低く変わってあまりにも兄貴らしくなってしまった悟に久し振りに会った三つ子達も最初はよそよそしくあったが、TVゲームを貸して貰えたことですっかり心を許したようだ。

「あら、結城は剣道は有名じゃないの?」

オカンに聞かれ悟は首を横に振った。

「聞いたことない。歴史もそんなにないから運動部全般で名前は上がってないみたい…水泳は一人だけすごい選手が居るってネットに出てた──」

「水泳?…あら、じゃあ夏目君の事かしら、ねえ苗。たしか今度は国体でしょ?」

「うん」


苗は短く答えた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

心の声が聞こえる私は、婚約者から嫌われていることを知っている。

木山楽斗
恋愛
人の心の声が聞こえるカルミアは、婚約者が自分のことを嫌っていることを知っていた。 そんな婚約者といつまでも一緒にいるつもりはない。そう思っていたカルミアは、彼といつか婚約破棄すると決めていた。 ある時、カルミアは婚約者が浮気していることを心の声によって知った。 そこで、カルミアは、友人のロウィードに協力してもらい、浮気の証拠を集めて、婚約者に突きつけたのである。 こうして、カルミアは婚約破棄して、自分を嫌っている婚約者から解放されるのだった。

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

七年間の婚約は今日で終わりを迎えます

hana
恋愛
公爵令嬢エミリアが十歳の時、第三王子であるロイとの婚約が決まった。しかし婚約者としての生活に、エミリアは不満を覚える毎日を過ごしていた。そんな折、エミリアは夜会にて王子から婚約破棄を宣言される。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!

ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、 1年以内に妊娠そして出産。 跡継ぎを産んで女主人以上の 役割を果たしていたし、 円満だと思っていた。 夫の本音を聞くまでは。 そして息子が他人に思えた。 いてもいなくてもいい存在?萎んだ花? 分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。 * 作り話です * 完結保証付き * 暇つぶしにどうぞ

社長の奴隷

星野しずく
恋愛
セクシー系の商品を販売するネットショップを経営する若手イケメン社長、茂手木寛成のもとで、大のイケメン好き藤巻美緒は仕事と称して、毎日エッチな人体実験をされていた。そんな二人だけの空間にある日、こちらもイケメン大学生である信楽誠之助がアルバイトとして入社する。ただでさえ異常な空間だった社内は、信楽が入ったことでさらに混乱を極めていくことに・・・。(途中、ごくごく軽いBL要素が入ります。念のため)

婚約者の幼馴染に階段から突き落とされたら夢から覚めました。今度は私が落とす番です

桃瀬さら
恋愛
マリベルは婚約者の幼馴染に階段から突き落とされた。 マリベルのことを守ると言った婚約者はもういない。 今は幼馴染を守るのに忙しいらしい。 突き落とされた衝撃で意識を失って目が覚めたマリベルは、婚約者を突き落とすことにした。

許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました

結城芙由奈 
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください> 私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

処理中です...