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喪くされた記憶

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 お兄さまが止めても、はるは一曲、全部を弾いた。
 弾き終わる頃には、お医者さんや、看護師さんや、事務の人や、入院患者さんたちまで集まって来ちゃって、大拍手だった。俺も、ぱちぱちぱちぱち、手のひらを打ち合わせて、一生懸命、拍手する。

「晴。ダメだよ。病室に戻ろう」
「ピアノの練習をしなきゃ」
 止めるお兄さまを見上げて、晴が言い返す。


 どういうことだ?『病室』って…晴、入院してるのか?何で?!


「まだ検査の結果が出ていないからね。とりあえず、ピアノの練習は、やめておこうか」
 晴のそばに、お医者さんが行って、言った。


  検査?!何の?!


「わかりました」
 お医者さんに言われて、晴は、明らかに納得してない表情で、ピアノ椅子を立った。
 お兄さまと歩き出す晴の、オーガニックコットンのパジャマの背中に、拍手が送られる。

 入院患者さんたちは、ぞろぞろ、晴の周りに群がって、付いて行く、
「ピアノ、上手なのねえ」
「私、感動しちゃった」
「また聴かせてね」
 口々に言いながら。


 俺は、晴に声をかける勇気を出せなくて、群がる入院患者さんたちの後ろに付いて行く。晴も、お兄さまも、前を向いて歩いてて、ぴょこんと背の高い俺が付いて行っても、気付かない

「あ!面会の受付、されてます?」
 後ろの方で上がった声に、反射神経のかたまりの俺は、振り返った。

 入口に『本日の診察は終了です』の表示板を出してた事務の人が、俺に向かって、右の方を指差してる。反射神経の塊なので、指差されたら、右の方を見る俺。
 右の方には、『面会受付』って、カウンターがありました。

「面会ですか?受け付けしてますか?」
 事務の人が言う。
「入館証、お出ししますので。」
 …そうだよね。勝手に、病室の方、入って行けないよね…

「病室に戻ったら、今日は、帰るね」
 お兄さまが言う声に、反射神経の塊の俺は振り返った。
「一人で戻れます」
 晴の小さいまあるい頭は、お兄さまの方も見ないで、言い返す。

 お兄さまは、俺の方を振り返って、
「待ってて」
 大きく口を開けて、声を出さずに言った。



 病院の外、入口の前で、俺は待った。
 救急車が2回も来て、地獄耳、じゃなくて天使耳の晴は、夜、ちゃんと眠れてるのかな?って、心配になった。――救急車に乗ってる人を、本当は心配しなきゃだけど…


 自動ドアが開いて、お兄さまが出て来た。ショルダーバッグを肩に掛けて、さっきはワイシャツだけだったけど、ジャケットを着て、スーツ姿。

「車の中で話そうか」
「はい…」
 お兄さまに言われて、俺の心臓は、今さら、バクバク、心拍しんぱく、爆上がり。


 駐車場に停められた、お兄さまのプリウスに乗り込む。
 斜め向かいに、俺が停めた中古車のミニワゴン。


「晴から、連絡をもらったわけじゃないよね?」
 運転席のお兄さまが、助手席に座った俺の顔を覗き込むようにして、聞いた。
「いいえ」
 俺は、首を横に、ぶんぶん、振る。
「学校で、生徒が脳しんとう起こして、病院に連れて来たんです」
「そういうことは、部外者に言わない方がいいよ」
 お兄さまに苦笑された。
「すみません…」
 俺は頭を下げる。

「教師も、いろいろ、守秘義務があるから、学校であったことは、他人に話さない方が安全だよ」
「そうですね…気を付けます…」
 お兄さまに注意されに来たのか?俺は!

 俺は顔を上げる。
 お兄さまは、運転席の背もたれに沈み込むように、寄り掛かった。

 お兄さまは、晴と顔がゼンゼン、似ていない。
 晴は、お父さま似で、お兄さまは、お母さま似だからだ。
 俺の顔をたか~い棚の上に、レイアップシュートで置いておいて言うならば、モブ顔。スーツを着てれば、特に、絵に描いたような「サラリーマン」だ。
 その正体は、東大卒の弁護士。――スーツに、弁護士バッジ、付けてないな…

「晴は、記憶喪失らしくて、」
「この春、大流行してる記憶喪失ですかっ?!」
「大流行してるのか?!」
 俺が叫ぶと、お兄さまは運転席から、俺の方に身を乗り出し、見開いた目で、俺を見た。

 俺は謝った。
「ごめんなさい…ドラマやアニメの話です……」
「………」
 お兄さまは無言で、運転席の背もたれに寄りかかった。

「そうだね…ドラマか、アニメの中のことだよね…記憶喪失なんて…」
 お兄さまは、つぶやいて、長いため息をついて、うつむいた。

「晴が、家に帰って来たんだ」
「えっ」
 俺は思わず声を上げてしまって、口を閉じ合わせた。自分のくちに、マジでチャックを縫い付けたい!

 でも、晴が家に帰るわけなんかない。

「記憶が、中学生までしか、ないようなんだよね」
「中学生まで?!」と、俺は心の中で叫ぶ。高校の入学式で出会った俺の記憶は、喪失じゃねえか!!

「病院に連れて行ったのは、父なんだけれど…とにかく、家に帰って来るまでに、何があったのか、全くわからないから、どこかで頭を打ったとか」
 え!!
「とりあえず、レントゲンでは、頭部に損傷はなかった」
 よかった…
「体にも、負傷はなかった。精密検査を受けて、結果が出るまで、念のため、入院している」

 お兄さまは、長いため息をつくと、運転席から体を起こした。
「晴に、君と出会わなかった人生を、やり直させることを、許してくれないか」
 そう言って、俺に向かって、頭を下げた。

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