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第16章
つらい現実(5)
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「外出許可を出すよ」
そう杉野先生に言われたのは、翌日のことだった。
今までの入院生活で先生のほうからそう言ってきたことはなかったような気がする。
外出したいと言う俺のワガママを聞いて許可する――それが、いつものことだった。
なのに今回は、俺からなにか言う前に先生は優しい声でそう言ってくれた。
「入院前までとはいかないけど、筋力も体力もだいぶついたと思うし外出しても問題はないだろう」
「…え、いいんですか?」
「免疫抑制剤を飲むのを忘れないことと、具合が悪くなったらすぐに休むこと。それさえ守ってくれればね」
――だから、しっかりお別れしてきなさい。
杉野先生はそう言い、一瞬だけ俺の手をギュッと強く握りしめた。
大切な人、流奈を亡くしたことを知っている彼なりの心遣いのようだった。
俺は小さくひとつ頷き、「ありがとうございます」とだけ言った。
本当は行くのが怖いけど、先生が言うように最期まで見届けないといけない。
それが俺にできることだと、自分自身ちゃんとわかっていた。
***
葬儀には親戚はもちろん、学校の先生やクラスメイトが何人か参列していた。
流奈はほとんどを相談室で過ごして、教室で授業を受けることがあまりなかった。
そのため友達らしい人もいなくて、きっとクラスメイトとも思い出と呼べるものはきっとない。
淡々と焼香を済ましていくクラスメイト達の中、一人だけ違った。
――市原先輩、だ。
彼はいつも流奈のことを気に掛けていて、そこにはきっと想いがあった。
だから、彼女の突然すぎる死を悲しんで、瞳に溢れんばかりの涙を溜め込んで手を合わせていた。
その悲痛な表情が目に焼きついて、胸がギュッと苦しくなった。
俺は、まだ泣けない。
流奈がもう二度と目を開けないことも笑ってくれることも、名前を呼んでくれることもないこと。
なにもかもちゃんとわかっているのに、頭では理解できているはずなのに。
今にも起きて「あっくん、驚いた?」って言って笑うような気がして、心のどこかでその期待が消えない。
まだ受け止めきれないなんて、現実から逃げているのと一緒だ。
「…蒼月、大丈夫か?」
焼香を終えて会場の外に出ようとしたちょうどその時、声をかけられた。
そこにいたのは聖也だった。
ほとんど関わりがなかったのに、わざわざ来てくれたらしい。
大丈夫だと無理やり笑おうとして、でも彼の顔を見ると取り繕うのもダメな気がしてやめた。
今そう言ったところで、それが強がりだということくらい彼にはすべてお見通しだ。
だからなにも言わず、じっと流奈の遺影を見つめるだけだった。
――遺影に使われた写真は、流奈がホーム画面にしていた写真を切り取ったものだった。
いつだったか二人で撮った写真。
緊張で頑なの顔の俺とは違い、流奈は屈託なく、とてもいい顔をしていた。
流奈の両親が「蒼月くんといる時が一番いい笑顔をしているから」と、それを使いたい旨を俺にわざわざ言ってきたんだ。
それを断る理由はひとつもなかった。
「……お前は死ぬなよ?」
流奈がいたから生きようと思えた。
だけど、いなくなったからって死にたいなんてことは思わないし思ったらいけない。
「死なねえよ。死ねない」
とくん、と心臓が音を刻む。
それを感じると、どんなにつらく苦しくても俺はそんなことを思ったらいけないんだと思わせられる。
俺が背負っているのは自分の命だけじゃない、他人の命も抱えているんだから。
もう簡単に「死にたい」なんてこと、口にするわけにはいかない。
「俺は他人の心臓をもらって生きてる。生き延びたんだ。二人分の命を背負った俺は、移植してくれた人の家族のためにも死んだらいけないんだよ」
「……つらくないか?」
「どんなに苦しくてもつらくても、流奈は俺が生きることを望んだ。俺が生き続けることが流奈の願いなら、俺は迷わずにそうする」
「…そっか」
「それに流奈は誰かの中で生きてる。そうやって何人もの命を助けたんだ。すげえんだよ」
流奈の命は、多くの力で繋がれた。
臓器移植を受けた数人の患者を救い、そして今も支え続けている。
それってすごいことで誰にでもできることじゃないと、俺は思う。
そう杉野先生に言われたのは、翌日のことだった。
今までの入院生活で先生のほうからそう言ってきたことはなかったような気がする。
外出したいと言う俺のワガママを聞いて許可する――それが、いつものことだった。
なのに今回は、俺からなにか言う前に先生は優しい声でそう言ってくれた。
「入院前までとはいかないけど、筋力も体力もだいぶついたと思うし外出しても問題はないだろう」
「…え、いいんですか?」
「免疫抑制剤を飲むのを忘れないことと、具合が悪くなったらすぐに休むこと。それさえ守ってくれればね」
――だから、しっかりお別れしてきなさい。
杉野先生はそう言い、一瞬だけ俺の手をギュッと強く握りしめた。
大切な人、流奈を亡くしたことを知っている彼なりの心遣いのようだった。
俺は小さくひとつ頷き、「ありがとうございます」とだけ言った。
本当は行くのが怖いけど、先生が言うように最期まで見届けないといけない。
それが俺にできることだと、自分自身ちゃんとわかっていた。
***
葬儀には親戚はもちろん、学校の先生やクラスメイトが何人か参列していた。
流奈はほとんどを相談室で過ごして、教室で授業を受けることがあまりなかった。
そのため友達らしい人もいなくて、きっとクラスメイトとも思い出と呼べるものはきっとない。
淡々と焼香を済ましていくクラスメイト達の中、一人だけ違った。
――市原先輩、だ。
彼はいつも流奈のことを気に掛けていて、そこにはきっと想いがあった。
だから、彼女の突然すぎる死を悲しんで、瞳に溢れんばかりの涙を溜め込んで手を合わせていた。
その悲痛な表情が目に焼きついて、胸がギュッと苦しくなった。
俺は、まだ泣けない。
流奈がもう二度と目を開けないことも笑ってくれることも、名前を呼んでくれることもないこと。
なにもかもちゃんとわかっているのに、頭では理解できているはずなのに。
今にも起きて「あっくん、驚いた?」って言って笑うような気がして、心のどこかでその期待が消えない。
まだ受け止めきれないなんて、現実から逃げているのと一緒だ。
「…蒼月、大丈夫か?」
焼香を終えて会場の外に出ようとしたちょうどその時、声をかけられた。
そこにいたのは聖也だった。
ほとんど関わりがなかったのに、わざわざ来てくれたらしい。
大丈夫だと無理やり笑おうとして、でも彼の顔を見ると取り繕うのもダメな気がしてやめた。
今そう言ったところで、それが強がりだということくらい彼にはすべてお見通しだ。
だからなにも言わず、じっと流奈の遺影を見つめるだけだった。
――遺影に使われた写真は、流奈がホーム画面にしていた写真を切り取ったものだった。
いつだったか二人で撮った写真。
緊張で頑なの顔の俺とは違い、流奈は屈託なく、とてもいい顔をしていた。
流奈の両親が「蒼月くんといる時が一番いい笑顔をしているから」と、それを使いたい旨を俺にわざわざ言ってきたんだ。
それを断る理由はひとつもなかった。
「……お前は死ぬなよ?」
流奈がいたから生きようと思えた。
だけど、いなくなったからって死にたいなんてことは思わないし思ったらいけない。
「死なねえよ。死ねない」
とくん、と心臓が音を刻む。
それを感じると、どんなにつらく苦しくても俺はそんなことを思ったらいけないんだと思わせられる。
俺が背負っているのは自分の命だけじゃない、他人の命も抱えているんだから。
もう簡単に「死にたい」なんてこと、口にするわけにはいかない。
「俺は他人の心臓をもらって生きてる。生き延びたんだ。二人分の命を背負った俺は、移植してくれた人の家族のためにも死んだらいけないんだよ」
「……つらくないか?」
「どんなに苦しくてもつらくても、流奈は俺が生きることを望んだ。俺が生き続けることが流奈の願いなら、俺は迷わずにそうする」
「…そっか」
「それに流奈は誰かの中で生きてる。そうやって何人もの命を助けたんだ。すげえんだよ」
流奈の命は、多くの力で繋がれた。
臓器移植を受けた数人の患者を救い、そして今も支え続けている。
それってすごいことで誰にでもできることじゃないと、俺は思う。
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