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第15章
彼女の決意(1)
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臓器移植をしてからというもの、手術時の傷の痛みがあるくらいでそれ以外の問題はなかった。
拒絶反応や感染症もなく、移植前と比べると体調はとてもよくなった。
息苦しさを感じることもなく、発作もパタリと止んだ。
小さい頃からずっといつ発作が起きるかわからない恐怖を抱えていたから、それがないだけで空気が澄んだようにも感じられて、とても過ごしやすい。
心臓が悪いのとそうじゃないので、こんなにも違うなんて思わなかった。
「あっくん、頑張ってるね」
筋力低下を防ぐために歩行訓練をしていると、流奈が声をかけてきた。
彼女の顔を見るだけで頬が緩み、ふにゃりと情けなく笑みが漏れる。
移植後、理学療法士と相談して、俺は毎日のように訓練を繰り返した。
退院後の生活のことを考え、筋力、そして体力をつけることを目的としたメニューだった。
数週間の入院生活で体力もぐんと落ちたため、少し動いただけで思った以上の疲労感が襲う。
それでも、今までのことを考えたら全然苦しくなんかなくて頑張れた。
――そして、今日の分のリハビリを終えると、流奈と二人で病室に戻ったのだった。
「体調良さそうだね」
そっとベッドに腰を下ろすと、水を渡しながら流奈は笑顔でそう言った。
俺は「ありがと」とそれを受け取り、柔らかく笑って肯定の意を示す。
ゴクゴクと水を流し込むと喉が潤って、小さく息を吐き出した。
「すごいね、あっくんは」
「えっ?」
「臓器移植を受けてリハビリも頑張って、免疫抑制剤も飲み続けないといけない。移植したからといって、楽なことなんかないのに」
「楽になったよ、だいぶ」
「それは前と比べて、でしょ? 私から見たら、今でも十分つらくて大変だよ」
流奈は「本当にすごいよ」と続けてから、ぽすっと胸に飛び込むようにしてくっつく。
いつも彼女はいきなりすぎる。
こうされるのは嬉しいけど、何度されてもドキドキして落ち着かない。
「お、おい、汗臭いから!」
さっき運動してきたばかりだ。
タオルで拭いたけど自分でも汗臭いのがわかるのに、くっつかれるのは抵抗がある。
そう思ったのに流奈は気にしたふうもなく、離れようともしない。
「臭くないよ、あっくんが頑張ってる証だもん」
どれくらい、そうしていただろう。
流奈はなにかを決意したような目で、縋るようにギュッと服を掴んでくる。
彼女がこれから言おうとしていることがなにかわからないけど、向けられる瞳から逸らさずにじっと言葉を待った。
「……あのね、あっくん」
――私、教室に行こうと思うんだ。
そう続けて言われて、思ってもみない言葉に俺は目を瞬かせた。
流奈が別室登校をしているのは知っていたけど、まさかいきなりそんなことを言うなんて思わなかった。
なにかしらの事情があって、流奈は別室登校を選んでいたはずなのに。
「…どうして急に?」
教室に行くことを反対するつもりはないし、責めることもしない。
ただ、気になるだけ。
どうしていきなりそう言い出すのか、そのことで流奈がつらい想いをしないのか。
「あっくんはいつも頑張ってるから、私もこのままじゃダメだって思ったの。つらくても苦しくても怖くても、ちゃんと向き合わないといけない時があるんだって」
でも、そうすることで流奈が傷つくなら逃げてもいいんじゃないかって思ってしまう。
「あっくん、私のこと聞いてくれる…?」
アドバイスも励ましも、流奈はそういうことはきっとなにも望んでいない。
そういう理由で話そうとしてるわけじゃなくて、ただ俺に聞いてほしいだけ。
それが、痛いほどにわかる。
誰かに話すことで、自分の中のぐちゃぐちゃした気持ちを整理しようとしている。
「全然おもしろくもない話なんだけど、うまく言えないかもしれないけど…っ」
「うまく言おうとしなくていいよ。流奈の言葉で言ってくれたらいい。ちゃんと聞くから」
「…あっくん、ごめん」
「謝る必要なんてないだろ。流奈が頼ってくれただけで俺は嬉しいよ?」
臓器移植をするか悩んでいた時、俺が頼ったのは両親でも友達でもなくて――流奈だった。
だから、今度は俺が力になれたらいい。
話を聞くことで少しでも彼女の力になれるなら、言葉すべてを拾い上げるから。
わかってあげられなくても、わかろうとするだけで救われるなにかがあるはずだから。
拒絶反応や感染症もなく、移植前と比べると体調はとてもよくなった。
息苦しさを感じることもなく、発作もパタリと止んだ。
小さい頃からずっといつ発作が起きるかわからない恐怖を抱えていたから、それがないだけで空気が澄んだようにも感じられて、とても過ごしやすい。
心臓が悪いのとそうじゃないので、こんなにも違うなんて思わなかった。
「あっくん、頑張ってるね」
筋力低下を防ぐために歩行訓練をしていると、流奈が声をかけてきた。
彼女の顔を見るだけで頬が緩み、ふにゃりと情けなく笑みが漏れる。
移植後、理学療法士と相談して、俺は毎日のように訓練を繰り返した。
退院後の生活のことを考え、筋力、そして体力をつけることを目的としたメニューだった。
数週間の入院生活で体力もぐんと落ちたため、少し動いただけで思った以上の疲労感が襲う。
それでも、今までのことを考えたら全然苦しくなんかなくて頑張れた。
――そして、今日の分のリハビリを終えると、流奈と二人で病室に戻ったのだった。
「体調良さそうだね」
そっとベッドに腰を下ろすと、水を渡しながら流奈は笑顔でそう言った。
俺は「ありがと」とそれを受け取り、柔らかく笑って肯定の意を示す。
ゴクゴクと水を流し込むと喉が潤って、小さく息を吐き出した。
「すごいね、あっくんは」
「えっ?」
「臓器移植を受けてリハビリも頑張って、免疫抑制剤も飲み続けないといけない。移植したからといって、楽なことなんかないのに」
「楽になったよ、だいぶ」
「それは前と比べて、でしょ? 私から見たら、今でも十分つらくて大変だよ」
流奈は「本当にすごいよ」と続けてから、ぽすっと胸に飛び込むようにしてくっつく。
いつも彼女はいきなりすぎる。
こうされるのは嬉しいけど、何度されてもドキドキして落ち着かない。
「お、おい、汗臭いから!」
さっき運動してきたばかりだ。
タオルで拭いたけど自分でも汗臭いのがわかるのに、くっつかれるのは抵抗がある。
そう思ったのに流奈は気にしたふうもなく、離れようともしない。
「臭くないよ、あっくんが頑張ってる証だもん」
どれくらい、そうしていただろう。
流奈はなにかを決意したような目で、縋るようにギュッと服を掴んでくる。
彼女がこれから言おうとしていることがなにかわからないけど、向けられる瞳から逸らさずにじっと言葉を待った。
「……あのね、あっくん」
――私、教室に行こうと思うんだ。
そう続けて言われて、思ってもみない言葉に俺は目を瞬かせた。
流奈が別室登校をしているのは知っていたけど、まさかいきなりそんなことを言うなんて思わなかった。
なにかしらの事情があって、流奈は別室登校を選んでいたはずなのに。
「…どうして急に?」
教室に行くことを反対するつもりはないし、責めることもしない。
ただ、気になるだけ。
どうしていきなりそう言い出すのか、そのことで流奈がつらい想いをしないのか。
「あっくんはいつも頑張ってるから、私もこのままじゃダメだって思ったの。つらくても苦しくても怖くても、ちゃんと向き合わないといけない時があるんだって」
でも、そうすることで流奈が傷つくなら逃げてもいいんじゃないかって思ってしまう。
「あっくん、私のこと聞いてくれる…?」
アドバイスも励ましも、流奈はそういうことはきっとなにも望んでいない。
そういう理由で話そうとしてるわけじゃなくて、ただ俺に聞いてほしいだけ。
それが、痛いほどにわかる。
誰かに話すことで、自分の中のぐちゃぐちゃした気持ちを整理しようとしている。
「全然おもしろくもない話なんだけど、うまく言えないかもしれないけど…っ」
「うまく言おうとしなくていいよ。流奈の言葉で言ってくれたらいい。ちゃんと聞くから」
「…あっくん、ごめん」
「謝る必要なんてないだろ。流奈が頼ってくれただけで俺は嬉しいよ?」
臓器移植をするか悩んでいた時、俺が頼ったのは両親でも友達でもなくて――流奈だった。
だから、今度は俺が力になれたらいい。
話を聞くことで少しでも彼女の力になれるなら、言葉すべてを拾い上げるから。
わかってあげられなくても、わかろうとするだけで救われるなにかがあるはずだから。
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