上 下
48 / 51
第五章 望み

しおりを挟む

 怖かった。
 階段下に目をやると、仰向けになった母親がいた。動く気配はない。顔に生気はなく、口からは舌が飛び出ている。
 誰がどう見ても、彼女は死んでいた。
 そう実感すると同時に、怖くなった。背筋が凍りついたように冷たくなった。私は、すぐにその場を去った。
 不幸中の幸いか、私の姿を見た者はその時誰もいなかったらしい。テレビのニュースを見ると、単に足を踏み外したことによる転落事故として扱われたようだった。
 私は、人を殺した——。
 その事実は、誰にも咎められなかった。とはいえども、突然自分のもとに警察がやってくるかもしれない。油断はできなかった。毎日毎日、そんな恐怖と不安に苛まれていた。
 そのため、できる限りカヨのもとを離れないように努めた。というのも、彼女の様子さえ分かっていれば、自分に疑いの目が向いていないかどうか、すぐに把握できるからである。
 それ故に、突然彼女から突き放すような言い方をされた時は焦りもしたものだった。まさか、自分の行いに彼女が気づいたのではあるまいか。喧嘩別れしたのはいいが、それ以降そればかり考えていた。
 だからこそ、一方的に彼女から関係を断ち切られたとはいえ、彼女の動向はその後も追っていた。少しでも怪しい素振りを見せるようなら、早急に手を打たなければならない。そう考えていた。
 すると、いつの頃からだろうか。
 こっそりと仕込んでいた、彼女のスマートフォンのケース裏の盗聴器から、聞き馴染みのない音が聞こえ始めた。
 激しい呼吸音。自らを叱咤する声。それらは数日の間続いたが、突然ぱたりと止んだ。
 なんとなく気になった私は、彼女が家を開けた際、前に渡されていた合鍵を使い、部屋の中に入り込んだ。
 パソコンの電源が点いたままだった。スクリーン一杯に広がっている…それが人生やりなおしっ子サイトだった。
 そこで、彼女が自殺をしようとしていることを、私は知った。なるほど、先日まで聞こえていた声や物音は、一人で自殺を試みていたというわけである。それがうまくいかなかったために、今度は集団自殺を考えている。そんなところだろう。
 それを知った私自身の感情は、罪悪感と安堵だった。
 罪悪感。彼女が死を望む発端は、やはり上司からのパワハラだろう。しかし実際に死ぬことを決心させたのは、母親の死が引き金であることには間違いない。そしてその原因を作ったのは、他ならぬ私だったのだから。
 同時に安堵した理由。彼女がこのまま自殺してくれれば、己の抱える恐怖や不安を解消できるのである。だからこそ、命令せずとも死んでくれるのであれば、それはそれでもう良い。そう感じていた。
 しかし。それからの展開は私の予期しない方向へと進んでいく。なんたって、人生やりなおしっ子サイトが、実際には自殺をしない偽サイトだったのだから。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

密室島の輪舞曲

葉羽
ミステリー
夏休み、天才高校生の神藤葉羽は幼なじみの望月彩由美とともに、離島にある古い洋館「月影館」を訪れる。その洋館で連続して起きる不可解な密室殺人事件。被害者たちは、内側から完全に施錠された部屋で首吊り死体として発見される。しかし、葉羽は死体の状況に違和感を覚えていた。 洋館には、著名な実業家や学者たち12名が宿泊しており、彼らは謎めいた「月影会」というグループに所属していた。彼らの間で次々と起こる密室殺人。不可解な現象と怪奇的な出来事が重なり、洋館は恐怖の渦に包まれていく。

どんでん返し

あいうら
ミステリー
「1話完結」~最後の1行で衝撃が走る短編集~ ようやく子どもに恵まれた主人公は、家族でキャンプに来ていた。そこで偶然遭遇したのは、彼が閑職に追いやったかつての部下だった。なぜかファミリー用のテントに1人で宿泊する部下に違和感を覚えるが… (「薪」より)

無能力探偵の事件簿〜超能力がない?推理力があるじゃないか〜

雨宮 徹
ミステリー
2025年――それは人類にとって革新が起きた年だった。一人の青年がサイコキネシスに目覚めた。その後、各地で超能力者が誕生する。 それから9年後の2034年。超能力について様々なことが分かり始めた。18歳の誕生日に能力に目覚めること、能力には何かしらの制限があること、そして全人類が能力に目覚めるわけではないこと。 そんな世界で梶田優は難事件に挑む。超能力ではなく知能を武器として――。 ※「PSYCHO-PASS」にインスパイアされ、本や名言の引用があります。

声の響く洋館

葉羽
ミステリー
神藤葉羽と望月彩由美は、友人の失踪をきっかけに不気味な洋館を訪れる。そこで彼らは、過去の住人たちの声を聞き、その悲劇に導かれる。失踪した友人たちの影を追い、葉羽と彩由美は声の正体を探りながら、過去の未練に囚われた人々の思いを解放するための儀式を行うことを決意する。 彼らは古びた日記を手掛かりに、恐れや不安を乗り越えながら、解放の儀式を成功させる。過去の住人たちが解放される中で、葉羽と彩由美は自らの成長を実感し、新たな未来へと歩み出す。物語は、過去の悲劇を乗り越え、希望に満ちた未来を切り開く二人の姿を描く。

魔法使いが死んだ夜

ねこしゃけ日和
ミステリー
一時は科学に押されて存在感が低下した魔法だが、昨今の技術革新により再び脚光を浴びることになった。  そんな中、ネルコ王国の王が六人の優秀な魔法使いを招待する。彼らは国に貢献されるアイテムを所持していた。  晩餐会の前日。招かれた古城で六人の内最も有名な魔法使い、シモンが部屋の外で死体として発見される。  死んだシモンの部屋はドアも窓も鍵が閉められており、その鍵は室内にあった。  この謎を解くため、国は不老不死と呼ばれる魔法使い、シャロンが呼ばれた。

双極の鏡

葉羽
ミステリー
神藤葉羽は、高校2年生にして天才的な頭脳を持つ少年。彼は推理小説を読み漁る日々を送っていたが、ある日、幼馴染の望月彩由美からの突然の依頼を受ける。彼女の友人が密室で発見された死体となり、周囲は不可解な状況に包まれていた。葉羽は、彼女の優しさに惹かれつつも、事件の真相を解明することに心血を注ぐ。 事件の背後には、視覚的な錯覚を利用した巧妙なトリックが隠されており、密室の真実を解き明かすために葉羽は思考を巡らせる。彼と彩由美の絆が深まる中、恐怖と謎が交錯する不気味な空間で、彼は人間の心の闇にも触れることになる。果たして、葉羽は真実を見抜くことができるのか。

ありふれた事件の舞台裏

ふじしろふみ
ミステリー
(短編・第2作目) 小林京華は、都内の京和女子大学に通う二十歳である。 そんな彼女には、人とは違う一つの趣味があった。 『毎日、昨日とは違うと思える行動をすること』。誰かといる時であっても、彼女はその趣味のために我を忘れる程夢中になる。 ある日、学友である向島美穂の惨殺死体が発見される。殺害の瞬間を目撃したこともあって、友人の神田紅葉と犯人を探すが… ★四万字程度の短編です。

処理中です...