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第三章 彼女の嘘

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「こんなところに、私を呼び出すとはな」

 漆黒の天使は、現れて早々顔をしかめた。
「だって、あんたと話すのに公の場じゃまずいだろう」雄吾は、成都大敷地内の端にある理系キャンパス、地下二階にある男子便所の中央で両手を広げる。「ここ、汚くて掃除が行き届いて無くてさ。誰も使いたがらないトイレなんだよ。だから余程変な奴ぐらいしか、来ることはない」
「なるほど。つまりは、お前のような奴ぐらいか」
 天使の皮肉を軽く受け流した後に、雄吾は彼に対して「聞きたいことがある」と切り出した。
「この前聞きそびれたっていうのか、少し経ってそういえばって思ったことなんだけど」
「なんだ」天使は黒い手袋をした手で、眼鏡を押し上げる。「言ってみろ」
「三つ、あるんだけど」
「良いから早くしろ。私は残業したくない派なんだ」
 現在、午後六時前である。
「天使にも残業なんて概念があるの?」
「それは三つある質問のうちの一つか」
「そういう訳じゃ。単なる興味なだけなんだけど」
 天使は雄吾を無言で睨みつける。余計な時間を取らせるな。彼の目は、そう言っていた。言葉にされずとも伝わった。
「…じゃあ、三つだけ」
「端的に頼む。早く帰りたいからな」
「あ、ああ」
 雄吾はこくこくと肯いた。
「じゃあ。えーと、『成り代わり』だけど。これって、成り代われる相手の性別って、無関係ってことで良いのかな」
「なんだお前、女に成り代わりたいのか」
「やましい理由じゃないんだけど…」
 天使は片眉を歪める。
「やましいかどうかは知らないが。そんなの、私に聞くまでの話じゃないだろうに。試してみれば良いだけの話だ」
「いや…今日の分はもう使ってしまって。試せなくて」
「じゃあ0時を超えたところで試してみろ。それで、わかる」
 そっけない答え。今日の天使はやけに不機嫌だ。彼曰く残業になることが、余程嫌だったのだろうか。それとも直前に苛々することでもあったのだろうか。
 しかし天使の口ぶりから、できると推測できた。そうでなければ「試せば分かる」などという言い方はしない。もしできないのであれば、試せないのだから。
「それなら…使用期限みたいなものってあるのか」
「使用期限、というと?」
「ほら。あんた最初に言ってたじゃないか。人の望みを叶えるための調査だって。だから、調査が終われば『成り代わり』もできなくなるのかなって…」
「なるほどな」
 その雄吾の質問には、天使は素直にかぶりを振った。「原則そんなことはない。調査だとか理由はどうあれ、今回の私達の役目に関わらず、人間達に望みを与えることは仕事の一つだからな。それに与えたものを取り上げる、それは別の部署の仕事で、私達の仕事の範疇外《はんちゅうがい》だよ」
「別の部署?」
「悪魔事務局。ほら、お前が最初に私の印象として言った悪魔のことだよ」
 天使事務局に悪魔事務局。まるで三流のファンタジー映画に出てくるような造語。しかし前もそうだったが、各々細かく知る必要は無い。
「じゃあ。ずっとこれができるってこと?」
「その認識で良い…が」
「が?」
「お前が死ねば当然だが『成り代わり』の力は失効する。使用期限と銘打つのであれば、それがそうなんだろうよ」
「なるほど…」
 納得する雄吾だったが、先程天使が述べた内容が少し引っかかった。
「原則ってことは、例外もあるんじゃないか」
「ほう。よく気付いたな」天使は今回呼んで、初めて笑顔を見せる。「ただ、例外はお前が気をつけていれば大丈夫さ」
「何をしたら、それに該当する?」
「例外はたった一つだけだ。"『成り代わり』をした状態で、自分が『成り代わり』をしていることを他人に話すこと"。それをしなければ、お前の望みが消えることがない」
「それは、口にしなければ大丈夫ってことなのかな」
 天使は首を横に振る。「お前が他人に伝える意思があるか否か。それがポイントになる」
 雄吾は内心困った。それが事実だと、結衣に『成り代わり』を証明することができなくなってしまう。
「…『成り代わり』のこと、他人に話したんだ」
「知ってるよ」
 平然とした態度。本当に監視されているのか。
「さっきも言ったが、あくまで『成り代わり』をした状態というのが前提条件だよ。お前があの女に言った時は、成り代わっていなかっただろう」
「あ、そうか」
「『成り代わり』をしていない状態でそんなことを言っても、普通の感性であれば、それは冗談に捉えられるだろうからな。そこは何も制限していない」
「でも、結衣は俺が『成り代わり』をしている時を見ているんだけど」
 直樹に成り代わり、彼の家から離れていく雄吾の姿を。それがあるからこそ、彼女は自分のことを信じると、言ってくれたのである。
「私の話をよく聞けと…」天使は眉間に皺を寄せる。「まあ良い。あのな、それはお前がその女に『成り代わり』を教える意思が無かっただろう」
 つまりは無意識下であれば、他人に『成り代わり』の事実を伝えることができるということになる。
 …いや、そんなことは無理だ。無意識下で伝えるやり方を考えた時点で、他人に伝えたいという自分の意思は介在するのだから。
「ありがとう。参考になった」
 天使は片手の指を一つ一つ折る。
「結局三つ以上聞いてきたな。この嘘つきが」
「質問から波及したことはノーカンだよ」
「ノーカン?まあ良い」
 天使は鼻を鳴らし、「一つだけ」と人差し指を立てた。
「私達はサンプルの人間からの呼び出しには、極力応じなければならないことになっている。また、何か分からないことがあれば呼べばいい」
「ああ、分かった」
「ただ…」
 そこで天使は、自分の両手にはめていた黒色の手袋を外す。途端に、熊の毛のような黒毛がぶわっと現れる。それぞれ、指の先には、鉄も貫通するのではないかと思うくらいに鋭い爪。見るのは二度目といえど、その人外な容姿は、雄吾の拳の裏、契約の時に付けられた傷の痕《あと》を、キュッと強く握らせた。
 天使は自分の首元へと、両腕を持っていく。何をするのか見守っていると、突然天使は首元に爪を突き立て、服ごと下に引き裂いた。
 ひっ、雄吾の声は便所内に短く木霊した。天使の行動もそうだが、それ以上に彼が引き裂いたその場所にあったものを見て、思わず恐怖で体が震えた。
 人間でいえば鎖骨の下あたりに、大きな穴があった。虚空に繋がっているのではと思えるくらいの黒。周りには、爪以上に鋭そうな棘が無数に生えている。

 口だ。周りの棘は、牙。
 ぶわりと、全身の鳥肌が直立不動の姿勢をとった。

「呼ぶ時は、今度から定時内。これは守れ。もしも守れなければ、お前で小腹を満たしたくなるかもしれない」
 雄吾は何度も頷く。これは単なる脅しだ。天使のいう大事な調査のサンプルを食う訳がない。それは分かっているのだが、天使の脅しは、彼の脳だけではなく、全身に強く刻み込まれた。
 人と同じ姿形をしているために忘れそうになるが、彼は人ではない。化け物…いや、流石にそれは口にできなかった。
 萎縮する雄吾を見て、少しは満足したのだろう。天使は片手の平を胸の口の上で何度か上下させる。するとどういうことか、服も含めて元の姿に戻った。
「わかったな」
「あ、ああ…」
 上手く答えられない雄吾の肩を、天使はぽんぽんと叩く。先程の光景がフラッシュバックし、思わず肩をびくつかせる。
「はは。まあ、ひとまず健闘を祈るよ」
 それだけ言いつつ、天使の全身が薄くなっていく。二度ほど瞬きしたところで、その場には雄吾一人のみとなっていた。
 雄吾はそこで、自分がびっしょりと汗をかいていることに気がついた。
「やっぱり悪魔の方が合ってるじゃないか」
 一人、薄暗い便所の真ん中で、雄吾は手の甲で首の汗を拭いつつ、ぽつりと呟いた。
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