上 下
21 / 61
第三章 彼女の嘘

しおりを挟む

「そんな目で見ないでくれよ」
 雄吾は、目の前にいる結衣に向かって言った。
 二人は今、成都大から歩いて数分の距離にある古民家風のカフェ「ひのき」に、場所を移していた。 
 席に座り、雄吾は視線を巡らす。周囲は話に花を咲かす若い女ばかりだった。どれもこれも、成都大の学生だろう。誰もが、甲高い声で喋り合い、歯茎を見せる程に笑っている。誰も自分達のことなんて、興味なんて無いに違いない。都合が良かった。
 席についてからの結衣は、しばらく無言のまま、スマートフォンをいじっていた。まるで、目の前に雄吾がいないかのような振る舞い。もしやわざとなんじゃないかと肝を冷やしたが、「それでさ」と蜥蜴とかげのように釣り上がった目で、じろりと自分を睨んだ。続く質問はやはり、「どうして直樹の家にいたのか」ということ。

「ちゃんと話してよ。あんたが侵入してた理由」
「侵入って、酷い言い草だな」
「事実でしょ?」結衣は先程運ばれてきたドリンクのグラスを、水色のジェルネイルで彩られた爪でつつく。レモンティー、彼女は無糖派だった。ガムシロップも入っていない。「仲が良くても犯罪だよ、犯罪」
「言ったろ、頼まれ事があったんだよ。直樹の了解はとってある」
「じゃあ頼まれ事って、何?」
「それは…」
「あと、それなら直樹が来ても、逃げることはなかったでしょ。私のショートメールを見て、こそこそ出てきた訳はなんなの」
「…」
「さっきからだんまりばっかりじゃん」
 結衣はグラスを持ち、ストローに口をつけた。「そんなんじゃあ雄吾のこと、信じてあげられないよ」
「どうするんだ」
「どうするって?」
「もし、結衣の言ったことが本当だったとする」
「不法侵入?」
「…もしもの話だけど。そうだとしたら、あいつに言うのか」
「あんた次第かな」結衣は腕を組んで、またも睨む。「でも、自宅に勝手に上がり込んで物色する奴が同じサークルにいるのって、私だったら嫌だもんなぁ」
「言わないで、くれないか」
「だ、か、ら」どんっ、と。結衣は持っていたグラスを、軽くテーブルに叩きつけた。「それなら誤魔化さないで、早く言いなよ。なんで、あんなことをしていたのか」
 普段は背が低く、小動物のような結衣だが、今の彼女はまさに蛇だった。鼠の雄吾は体を萎縮させるも、実のところは、己の事情を彼女に話してしまっても良いと思っていた。
 ただ。彼女が信じてくれるか、懐疑的だった。当然である。直樹と詩音が、永塚を殺害したかもしれない。それを確かめるために直樹の家に侵入した。ここまでは良い。問題は疑う根拠だ。天使にもらった『成り代わり』で、直樹の目で、永塚の死体を見たからだなんて。作り話と捉えられるのが関の山だった。
 でも、それは事実なのだ。
 どう言えば、彼女に信じてもらえる。思考を巡らせていると、テーブルの上で組んでいた雄吾の手を、結衣はソッと握った。目を丸くする雄吾を、彼女はじぃっと見る。
「話しなよ。どんな内容でも、ちゃんと聞くから。私を信じて」
 まっすぐな瞳。彼女の言葉に導かれるように、雄吾の口はそのまま、今の今まで話すことを躊躇ためらっていたとは思えない程に、昨日からの出来事を彼女に話し出した。まさに、決壊したダムのよう。そこで雄吾は、自分が気づかない程にストレスを抱えていたことを実感した。
 話した結果、彼女が信じてくれるのかどうかは、後で考えれば良い。とにかく今は、自分の置かれている状況を、他人に共有したかった。

 話がひと段落したところで、結衣は嘆息した。
「つまり、えっと、あんたはその、天使から他人と成り代わる力ってやつをもらったわけ?」
「信じられないよな。俺も自分でまだ信じ切れてないくらいだからさ」
「ううん、そうね。でも」結衣はテーブルの上、レモンティーのグラス、縁についた結露に指を這わせる。「雄吾の言うことを、嘘って言い切るのも違う気がする。だって直樹、自転車で自宅に戻ってきたのに、今度はそれを置いて行っちゃったんだもん。普通そんな、変な行動しないでしょ」
 そうだった。彼は詩音を後ろに乗せて、自転車でバイト先の方向へ去っていったのだ。動転していて忘れていたが、その行動が、不自然さを際立たせていた。
 しかしそれが故に、彼女は雄吾の話をばっさり嘘と言い切らない。不幸中の幸いというべきなのだろうか。
「信じて、くれるのか」
「まあ、嘘と言い切れないってだけ。だって実際にあんたが『成り代わり』をしたところを見ていないもの」
「回数制限があって、今日はもうできないんだよ」
「非現実的な力なのに、妙なところはシステマチックだね、それ」
 結衣はぶっきらぼう気味にそう言うと、「じゃあさ」と身を乗り出した。「それができるようになったら、私に『成り代わり』を見せてよ」
 百聞は一見にしかず。彼女を完全に納得させるには、その事実を認識させるしかないのは確かにそう思えた。
 そこで雄吾の頭に疑問が浮かんだ。これまで直樹としか『成り代わり』をしていないのだが、結衣にも…女にも、自分は入れ替わることができるのだろうか。性別の垣根は無関係なのだろうか。
「でも」うんうんと肯く結衣。「こう言っちゃ失礼かもだけどさ。あんたの状況、ドラマみたいだね。馬鹿にしてるわけじゃなくって」
 結衣の言葉に、雄吾は浮かんだその疑問を一度頭の奥へと押し込んだ。
「本当に最後まで聞いてくれるとはな」
 雄吾がそう言うと、結衣は「いや、なんかね」と机上に肘をつく。「あんたの『成り代わり』って、アドラーの名言ぽくってさ。聞き込んじゃった」
「アドラー?誰?」
「アルフレッド・アドラー。精神科医で、世界的に有名な心理学者」
「心理学者?天使と何も関係無くないか」
「天使の部分はね。あのね、彼の名言でこういったものがあるの。『自分は自分の、相手は相手の人生の主人公だ』ってやつ」
「へえ。それが『成り代わり』と、どういうつながりがあるっていうんだよ」
 理解が追いついていない雄吾を前に、結衣は人差し指を立てる。「あんたのその『成り代わり』って、彼の名言をぶち壊すものだと思わない?普通干渉できない、相手の人生に干渉して、他人の人生の主人公になることができるってことよね。『成り代わり』が本当なら、面白いなあって」
「うーん。そうなんかな」
 言われてみればそういうことだが、雄吾は心理学者というか、心理学という学問に興味が無いため、結衣のように、なるほどと落ちることはなかった。
「結衣、そういうのに興味があるんだっけ」
 彼女は頬を膨らませる。「私成都大の心理学専攻じゃないの。忘れた?」
「あ、そっか。でも講義の内容、しっかり覚えてんのな」
「大学生たるもの、遊びだけではなく学業にも励むこと。私の中のポリシーだから。せっかく高いお金を払って通っているんだもん」
「ははあ。殊勝なことで」
 そこで雄吾は、今日昼過ぎに部室で絵美から聞いた彼女の事情を思い出した。
「そういや。地元の親父さん、大丈夫なのかよ」
 目を丸くする結衣。雄吾は結衣を見て「絵美さんに訊いたよ」と答えた。「親父さん、東北の土砂災害で怪我したんだっけ」
 雄吾の言葉で、結衣は眉間に皺を寄せた。
「絵美さんどこまで話してんの?プライベートなことなんですけど」
「まあ、あの人は口が湧き水だろ」
「湧き水?」
「垂れ流しってこと」
「ふふ。何その例えひどすぎ」
「でも事実、絵美さんに話をしたら次の日皆知ってるなんてこと、よくある話じゃん」
 結衣は「そうだね」口を押さえて笑う。絵美の口の軽さに気分を少々害したようだが、元に戻ったようだ。
「ま、でもさ。そこまで心配はいらないんだ。ただこれまで、少しばかり仕送りをしてもらっていたから。それが無くなるってだけ」
 大変なのは仕送りが無くなる自分なのよと、結衣はテーブルに肘をつき、顎を手で支える。
「まあ、私のことはこれくらいで良いから。とにかく永塚さんがそう、なんだ」
 雄吾は目を閉じる。永塚の死体が、ぼんやりと瞼の裏に浮かび上がってきて、思わず目を開けた。
「びっくり…なんてレベルじゃない。あいつら、あの人を殺していたよ」
 永塚の衣服に、多量の血のついたバスタオル。さっき死体もこの目で見ていれば、自信を持って言えたのだが。
 結衣は腕を組んで何やら考えていたが、「あのさ」と切り出した。
「雄吾、公園で私に訊いたよね。『ここで何をしてる?』って」
「そういえば訊いたな」
 部室で聞いた話では、結衣もまたバイトがあるとのことだった。しかしその後あの公園で再会し、ここで向かい合っていることを考えると、それは嘘だったに違いない。嘘をついてまで部室を抜け出した、その理由は…
「結衣、直樹をストーカーしていたのか」
「ちょ、ちょっとやめてよ。違うし、言い方も考えてよ」
 こそこそ声ながらも怒気を少々含む彼女に雄吾は謝る。
「じゃあなんたって…」
 いぶかしげな雄吾に向かって、結衣は少し周りを気にするそぶりをしながら、自分があの場にいた目的を語った。
「えっとね。私、詩音を尾行してたの」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

密室島の輪舞曲

葉羽
ミステリー
夏休み、天才高校生の神藤葉羽は幼なじみの望月彩由美とともに、離島にある古い洋館「月影館」を訪れる。その洋館で連続して起きる不可解な密室殺人事件。被害者たちは、内側から完全に施錠された部屋で首吊り死体として発見される。しかし、葉羽は死体の状況に違和感を覚えていた。 洋館には、著名な実業家や学者たち12名が宿泊しており、彼らは謎めいた「月影会」というグループに所属していた。彼らの間で次々と起こる密室殺人。不可解な現象と怪奇的な出来事が重なり、洋館は恐怖の渦に包まれていく。

特殊捜査官・天城宿禰の事件簿~乙女の告発

斑鳩陽菜
ミステリー
 K県警捜査一課特殊捜査室――、そこにたった一人だけ特殊捜査官の肩書をもつ男、天城宿禰が在籍している。  遺留品や現場にある物が残留思念を読み取り、犯人を導くという。  そんな県警管轄内で、美術評論家が何者かに殺害された。  遺体の周りには、大量のガラス片が飛散。  臨場した天城は、さっそく残留思念を読み取るのだが――。

就職面接の感ドコロ!?

フルーツパフェ
大衆娯楽
今や十年前とは真逆の、売り手市場の就職活動。 学生達は賃金と休暇を貪欲に追い求め、いつ送られてくるかわからない採用辞退メールに怯えながら、それでも優秀な人材を発掘しようとしていた。 その業務ストレスのせいだろうか。 ある面接官は、女子学生達のリクルートスーツに興奮する性癖を備え、仕事のストレスから面接の現場を愉しむことに決めたのだった。

女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。

矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。 女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。 取って付けたようなバレンタインネタあり。 カクヨムでも同内容で公開しています。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

処理中です...