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しおりを挟む警視庁生活安全部サイバー犯罪対策課。
目まぐるしく進化していくネット上の犯罪を取り締まるのが俺の仕事。
名前だけ見れば格好いいが、実務はかなり地味だ。一日中パソコンやスマホとにらめっこ。
見えない相手とのにらめっこは永遠を思わせる程長い。
そんな果てしないにらめっこに無理矢理区切りをつけて帰路へとつく。
電車とバスを乗り継ぎして30分程かかる。
電車を降りてバス停一駅分をあえて歩くのは混雑と乗り継ぎを避ける為。
その道中、目新しい小さな洋菓子屋が目に入ってきた。
いつから出来たのか、いつも通っている道のはずなのに全く気付かなかった。
スイーツ好きの姉さん女房の顔がよぎり、そう言えば、明日は自分も嫁も休みだったと思い当たる。
そうと決まれば迷いはなく店へと入る。
落ち着いた雰囲気の店内は店主のセンスの良さを感じさせる。
ショーウィンドウに並んだケーキ達もシンプルながらも高級感が漂う。
その割りに値段はそれほど高くもなく、これで味が良ければリピート確実である。
「いらっしゃいませ。お決まりになりましたらお声がけ下さい。」
40代後半と見える女性店員がにこやかに声をかけてきた。
閉店間際という事もあってか、ケーキの品数は少ない。
ケーキを4つ注文して、箱詰めを待つ間に壁際の棚からクッキーの詰め合わせを手に取る。
「ありがとうございました。」
いくつになってもケーキの入った箱を持つのは少し緊張する。
それは中身を崩してしまわないように、という気持ちと、これを渡した相手が喜んでくれるか、という気持ちがある気がする。
そんな緊張を片手にバスに揺られ、自宅マンションに着いた。
自宅の玄関を開けると、ちょうど日菜さんが寝室から出て来た。
「あ、翼くん!お帰りなさい。ごめんね、ご飯もうちょっと待っててくれる?」
「ただいま。大丈夫だよ。日菜さんも今帰って来たの?」
「うん、ちょっと前に。今日は遅くなりそうだったから、飛鳥ちゃんの所からおかず分けてもらおうと思って。これから行ってくる!」
「あ、それなら姉貴の所でみんなで食べようよ。お土産買ってきたんだ。姉貴と柚流の分もある。」
そう言ってケーキの箱を掲げると、日菜さんの顔がパッと明るくなった。
「わぁ!ありがとう!えへへ、実は私もね。」
日菜さんが台所へと姿を消し、戻ってきた手にはワインが。
「明日お休みだから、翼くんと飲もうと思って。」
「さっすが日菜さん。でもあの2人と飲むにはワイン一本じゃ足りないかもね。」
酒豪な姉と恋人を思い浮かべる。
あの2人が酔っているのを見た事がない。
「大丈夫。飛鳥ちゃんのお家にお酒のストックがないはずがない!」
「……確かに。」
そうと決まれば、さっさとスーツを脱いで部屋着に着替える。
姉と恋人が住む部屋は同じマンションの一つ上の階だ。1分とかからずに着く。
チャイムを鳴らすとすぐにドアが開いた。
「日菜!……………って、翼か。なんでお前もいる。」
「姉貴にはケーキ無し。」
「貢ぎ物を持ってくるとは成長したな。せっかくのケーキも私に食べられないのは可哀想だ。仕方ないからお前も招いてやろう。」
「何様だよ。と言うか、俺は柚流に会いに来たんだ。姉貴はついで。」
「もぉ、2人共そんな可愛くない事言わないの!」
日菜さんが俺と姉貴の脇腹にチョップを入れる。
これがまたかなりの痛さだ。
悶える俺と姉貴を尻目に、日菜さんは部屋へあがっていく。
「おじゃましまーす。」
「ひーちゃん、いらっしゃい。」
「柚流くん、いきなりだけど今日ご飯一緒していい?ケーキとワイン持ってきたよ。」
「わぁー!どうぞどうぞ!すぐに準備するね!………って、あーちゃんとつーくん玄関で何してるの?」
「「………なんでもない。」」
なんだかんだで4人で過ごすこの時間も悪くない。
あーだこーだと他愛もない話で食卓を囲む。
柚流は翻訳していた本が昨日ようやく完成した、と上機嫌でこちらまで嬉しくなる。
姉貴は新作の構成を練っているらしく、明日は担当の蓮見さんと打ち合わせがあるそうだ。
「飛鳥ちゃん、次はどんな話なの?」
「私はほのぼのと人情劇のようなものにしたいんだが、蓮見くんは恋愛物にしたいようで、やたらと主人公に幼なじみを作りたがる。」
「ふふ、蓮見くんらしいね。」
「はすみんってあーちゃんの恋愛小説好きだよねー。」
「たしか、姉貴の3作目読んでファンになったんだっけ?」
「あれは先方に頼まれて仕方なく書いた恋愛物で、私はああいうのは苦手なんだ。」
「そう?私はあれ好きだったよ?ひねくれてて飛鳥ちゃんらしい。」
「あははっ!ひーちゃんそれ褒め言葉?」
「褒めてるよー。」
「日菜がそういうなら恋愛物もいいかもな。」
姉貴はとことん日菜さんに甘い。
日菜さんの言う事には素直に従うもんだから、担当の蓮見さんも姉貴の扱いに困ると日菜さんに頼りに来る始末だ。
元々早食い家系の俺と姉貴は早々に食べ終わり、柚流もいつもよりはゆっくりと食べていたがもう食事を終えていた。
日菜さんは医者である父親の影響が強いのか、よく噛んでゆっくりと食べる。
結果、いつも日菜さんが最後に残るのだが今ではそれを待つのも食事の一部になっている。
日菜さんが行儀良く「ご馳走さまでした。」と手を合わせて食器を片付ける。
それを合図に柚流も立ち上がり台所へと向かい、ケーキの箱と人数分の皿とフォークを持ってくる。
「ショートケーキ、チョコレート、それはチーズタルトか?」
「うん。そのカップのは下がプリンになってるって。」
「じゃあ私と日菜はチョコレートとプリンを貰おう。」
「俺ショート。柚流はチーズだろ?」
「うん!ありがとう。」
「ワインもう一本開ける?それともコーヒー淹れようか?」
「あぁ、コーヒーを貰おうかな。」
日菜さんが買ってきたワインは食前酒と消え、その後さらに2本のワインを開けた。
あまり酒は強くない俺と日菜さんは少しずつしか飲んでいないので、ほとんどを姉夫婦が水のように流し込んでいた。
「つーくんは?」
「俺もコーヒー。」
「ひーちゃんは夜コーヒー駄目だっけ?俺と同じルイボスティーでいい?」
「うん。この時間のカフェインは眠れなくなっちゃう。」
「私にはわからん感覚だ。」
「俺も。」
「君達姉弟はカフェイン中毒だよ。」
柚流と日菜さんが淹れてくれたコーヒーと紅茶がケーキと共に並べられる。
それぞれ一口食べる。
「美味しい!」
「うん。うまいな。」
お決まりのように全員自分のケーキを隣に回す。そしてまたそれぞれが一口食べ、また隣へ。
そうして反時計回りにケーキが一周した。
「どれも美味い。」
「うん!つーくんファインプレーだね!」
「私はやはりチョコレートが1番好きだな。」
「私はチーズタルトも美味しかった。さっぱり系だね。」
各々感想を述べながら、自分のケーキを食べていく。
この4人で新しい店に入った時等はこうして回し食べをするのが習慣になってしまっている。
他の人とは思いつきもしないのに、不思議とこの4人が集まると昔からこうだった。
2年前に交換結婚してから4人で集まる機会も増えた。
この歪な関係が『当たり前』になるまで色々あった。
それでも今の『当たり前』の空間が心地よくて、頑張って良かったと思う。
この『当たり前』を護るためなら、液晶画面との終わらないにらめっこも悪くないか、なんて。
そんな事を言えば、きっとこの3人に「らしくない」と笑われるだろう。
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