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第1章 なりゆき おどろき うしろむき

第8話 対話

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 残りの芳しいルーを掬い取り、しっかりと味わった後、ヘルメスはゆっくりとスプーンを置いた。

「…さて、どの辺りから話をしようか?」

 ヘルメスに先程までのヘラヘラした笑顔は無く、真面目な表情を見せている。

「話も何も、俺は忙しいんです。コレを味わったら帰るので、手短にお願いします」

 無論、食べている間は味に集中したいので、聞く耳は半分くらいになると思うけど。

「そうか。ならば、割愛して話そう。娘の母親との経緯は特命の任務遂行中に起きたものだ。彼女は魅力的な女神だったが、私は主神により流浪の任務が多くてね。1つの世界で永住はできないんだ」

「つまりは、各地で口説いた相手は初めから遊び目的であると?」

「いやいや、全部本気だよ?惚れた事は間違いないし、伴侶にしたいとは願う。だが、任務を放棄するには至らない。私の愛に対する価値観が、神界の均衡には勝らないのさ」

 少し寂しげな横顔は、自分の使命を達観している為に、抗うことを止めた顔に見える。

「だからこそ、君から彼女に伝えて欲しい。私は今でも彼女の母を愛しているし、君を娘と認めていると」

「それは自分の口から言って欲しいですね」

「ハハ、すまないが、私はまた今から新たに出来た世界に旅立たないといけなくてね。発つ前に、君と話をしたくて此処に寄ったのさ。ああ、それと君に伝えるべき事があったんだ」

「俺に?」

「君の人としての人生はもう直ぐ終わる訳だけど、ブラフーマは君にかなり期待しているらしい。恩恵ギフトが高待遇過ぎるからね?」

「高待遇だって?冗談じゃない。心の拠り所である家族や友の記憶を消されたんだぞ?」

「フフフ、私だったら君を死亡扱いにしてから、君の記憶を消すけどね?そうしなかった理由を考えてみると良いよ。後は君次第さ」

 席を立つヘルメスは、隼人の肩に手を置くと耳元で囁いた。

「これから、娘を末永く頼むね?」

「は?…あれ?」

 振り返ると、そこにはもうヘルメスの姿は無かった。

「あの野朗…。親子揃ってかよ⁉︎」

 ヘルメスが居たカウンター席には、しっかりと注文表が残されたままだ。

 仕方なく、隼人はヘルメスの支払いまですることとなった。

「ありがとうございます」

 頭を下げる実に、隼人は話し掛けたくなったが、また記憶を消されてしまうかもしれないと止めた。

 借りていたラノベは、早朝の配達時にポストに入れておくとしよう。

 『立つ鳥後を濁さず』と言うけれど、身辺整理を済ませて新天地に向かう心情とは、こうも自身を鼓舞する必要があるのか。

「さてと、配達に向けて一眠りするか!」

 日を跨ぐ時間になろうとする中、隼人は自転車を勢いよく漕ぎ出すのだった。


       ◇   ◆   ◇   ◆   ◇   ◆   ◇


 病棟の通路を、医師と看護師が小走りに移動している。

「…先生、とにかくもう一度説得して下さい!」

 先陣を切っていた看護師が病室の扉を開けると、体調が悪かった筈の一ノ瀬 佳恵いちのせ よしえが、身支度を済ませている途中だった。

「一ノ瀬さん、もう一度確認してみましょう。奇跡的な回復だとはいえ、数日は経過を見るべきです。転移が無いかをちゃんと確認してからでも、退院は良いと思います」

「先生、私の体は私が1番良く分かっているよ!すっかり元気になってて、私自身も驚いてるんだ。一馬力じゃ治療費も馬鹿にならないし、病室より我が家で落ち着きたいんだよ」

 佳恵は、バックにデジタルカメラを押し込み、最後に写真立てを入れようとして手を止める。

「あれ?何で私、空の写真立てを持って来ているのかしら?」

 ふと疑問に思ったが、カメラを持って来ているので、撮ったものを飾る気だったのだろうと気にするのを止めた。

「一ノ瀬さん、退院は許可しますが、再度来院してもらい、再検査して頂きますよ?」

「分かったよ、先生」

 佳恵は同室だった患者達に挨拶をした後、笑顔で退院して行った。

「手術日は3日後だったんですよね?」

「そうだったんだがな…。大動脈弁狭窄症はともかく、腎臓の癌の腫瘍が完全に消えているのが謎だ。あの大きさが、前回の検査からたった数日で消えるなんて、検査ミスを疑ったくらいだ」

 だが結果的に、何度いろんな検査を行おうとも、結果は変わらず健康体で異常無しだったのだ。

「神の奇跡としか、言いようがないな…」

 医師が、自分で言って馬鹿らしいと肩をすくめる横を、小さな少年が通り過ぎる。

『こちら、カマエル。状況確認。記憶動作異常はありません』

『良し、ならば一ノ瀬隼人に関連する人間の記憶改修は終了だ。直ちに、彼等が待機する場所へと向かってくれ』

『了解致しました』

 少年は通路の角を曲がると、その姿は消えていた。
 正確には、人間には視認できない天使の姿へと戻ったのだ。

 彼等の待機場所は、街から離れた山林にある廃屋だ。
 冷めた表情のカマエルは、上空へと飛び上がり廃屋へと真っ直ぐに向かう。

(帰還から2日。対象の痕跡は全て消去した。新たな縁は無い。しかし、ヘルメス様の娘とはいえ異世界のモブ神と、ただの人間を何故こうもブラフーマ様は擁護するのか?異世界との戦となれば、我が天使軍の見せ場だというのに…)

 彼は大天使ではあるが、10万を超える天使軍を率いる指揮官でもある。
 ただ、最近は出番が全く無いので、争いが起こるなら願ってもない事だったのだ。

『おお、来たな』

 約束の廃屋には、先にラファエルとガブリエルも到着していた。
 そして、隼人とモブリアも見えたが、2人は離れて座っていた。

『…何かあったのか?』

『ん?ああ、未だに女神が自責の念で落ち込んでるのさ』

 モブリアは頭を下げたまま、ブツブツと小声で謝り続けている。
 隼人はというと、最初は大丈夫だからと返していたのだが、幾ら言っても謝り続ける彼女に、疲れて距離を取っていた。

『くだらない。対話は向こうでしてもらえ。我々も暇じゃ無いのだから』

『そうだな』

『分かった。では始めましょうか』

 3天使は、2人を正三角形で囲むと魔力を高めて魔法陣を浮かび上がらせた。

「この魔法陣はあの時の⁉︎」

 養母の実家の居間で見た魔法陣と、全く同じものだ。

『2人を神界へと導く』

 2人は光に包まれて、辺りが見えなくなった。
 視界が戻り出すに連れて、ラファエルの声が聞こえてきた。

『着きましたよ。目が慣れたなら、ついて来てください』

 周りに既にガブリエルとカマエルの姿は無く、隼人の服の裾を掴んでいるモブリアが居るだけだった。

 議会場を出てみると、ここは神殿の中だったようで、巨大な石柱が立ち並んでいた。

 ラファエルについて行くと、外の明かりが見え始め、入り口に着くと一気に視界が広がった。

「ここは…街⁉︎」

 眼下には石造りの街が広がり、石畳の上を天使達が往来している。

 例えるなら、映画等で出てくる古代都市の様だ。

 気がつけばラファエルは、かなり先まで進んでいる。どうやら待つ気は無いらしい。

 隼人はモブリアの手を引いて、急いで追いかけようとしたが彼女の方が足が速く、隼人はやや宙に浮いた。

『今から、お2人にはプロセルピナ様にお会いしてもらいます』

「プロセルピナ様?」

『日本の方には、ペルセポネの名の方が有名でしたかね?』

「ああ、そっちの方が、なんとなく聞いた事がある気がします」

『ペルセポネ様は、本来なら時期では無いのですが、今回の為に特別に冥界から神界にお越し頂いてます』

 わざわざ自分達の為に来たらしいが、何をされるかも分からないので、不安しかないんだけど。

『お2人共、絶対に失礼の無いようにお願いします』

 街道より少し階段を降りた家でラファエルは立ち止まり、扉を軽くノックする。

『どうぞ』

 大人びた女性の声が聞こえ、ラファエルが扉を開いた。
 2人はラファエルに中に入るように促され、意を決して足を踏み入れる。

『良く来たわね、異世界の新女神とその守護者たる子よ』

 部屋は植物で満たされ、その中央に座する妖艶な女性の女神が、2人を満面の笑みで待っていたのだった。
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