42 / 43
4章 藤原種継の暗殺
家持の閑話 幼少の思い出
しおりを挟む
大伴家は大和建国の始祖であられる神武様が熊野から吉野へ八咫烏の導きに従い、ともに出陣した家である。当然ながらこの大和にも伴った。それ以来、大伴家は大君の伴として付き従ってきた由緒正しき武門の家だ。それから祭祀を司る家でもある。
けれども祖父安麿の時代から藤原の寄生虫どもがさかんに騒ぎ始め、旧来より皇家に使えた我らのような豪族を追い出しはじめた。
そして父旅人は藤原に宮から追い出されて太宰府に赴任した。藤原どもが長屋王様を嵌め殺した余波だ。本当にあの陰湿な連中は好かぬ。
けれどもその時の太宰府での暮らしが、このわしの人生の糧となったのは皮肉なことよ。わしはこの10歳の折、母と弟と共に父につき従い、太宰府に赴いた。父はもう57だ。このような齢になっての左遷は堪えるものだろう。
そう思ったが、父は国防は武家の務めだと笑った。なるほどここ太宰府は遠の朝廷《とおのみかど》と呼ばれ、九州と壱岐・対馬を管轄し、外寇を防ぎ、外交を司っていた。
府の北にある丘に登って北西を眺めれば、山に挟まれた博多の平地の先に対馬が見え、その先はすぐ新羅の国だ。このころの日の本は新羅との関係が悪化し、3年前に新羅はその沿岸に日の本を警戒して毛伐郡城を築城したばかり。ようは日の本とは緊張関係にあったのだ。
わしはそれまで宮廷というものが最も煌びやかな場所であると考えていた。けれども日の本を安らたらしめることこそ我が大伴家、武門の役目。最も華々しきお勤めではないか。
そのうち太宰府で母上が亡くなり、代わりに家をとりまわすために叔母の大伴坂上郎女が太宰府を訪れた。叔母は明るく奔放で歌に溢れた方で、賑やかな生活を過ごした。わしの周りはますます歌に溢れた。
それに太宰府の景色は都と異なる趣があった。異国に繋がる場所だ。
わしは父の跡継として父について様々な会合に出席し、山上憶良殿を始め多くの歌人とお会いした。父上が中国から渡来したばかりの梅を庭に植えて人を招いた梅の宴では、その場で読まれた歌に楽を奏し舞を舞った。白く綻んだ梅を愛でながら、この貴重な花を思い多くの歌が詠まれた。わしも多くの歌を書き留めたものだ。
私の庭に梅の花がしきりに散っているけれども、これははるか空高い天から雪が流れてきているのでしょうか
(我が園に 梅の花散るひさかたの 天より雪の流れ来るかも)
父上がこのように歌えば憶良殿がこのように返される。
春の訪れを最初に知らせる梅の花よ、あなたさまはそれを眺めながらこの春の日をお一人で過ごされるというのでしょうか
(春されば まづ咲くやどの梅の花 独り見つつや はる日暮らさむ)
その当時はわからなかったけれども、このような歌の隙間で憶良殿は母上をなくされたばかりの父上の独り身の心情を慮られたのであろう。このような細やかな詩情があふれる大宰府は、わしの心のなかで歌を形作る部分の器となった。
私が14際の時、父旅人は大納言を拝命し帰京した。
父は太宰府で都を思う歌を多く残していた。だからその道は喜びに満ちたものであったが、引き換えにその体調は崩れ、帰郷後まもなく亡くなった。憶良殿も同時期に都に帰ったが、やはり亡くなられた。祟りで多くの人間が死んだ時期だ。
私は二人の師を失った。
その頃の政治といえば、まさに藤原家のなすがままであった。藤原不比等の娘である光明皇后が聖武天皇を操り、まさに藤原家が寄生虫のごとく皇家の力と財を削ろうとしていた。対抗に長屋王が左大臣となったが、藤原式家の罠によって自刃して果てられ、怨霊となって藤原4家の当主を祟り殺し、その余波で都に多くの死人が出たのだ。
そのため出仕できる公卿は参議の鈴鹿王と橘諸兄と名を変えた葛城王しかいなくなっていた。この時点でようやく朝廷は藤原家の寄生を免れ皇家に取り戻された用に見えた。
私は父の死に伴い、大伴家の当主となったが、若干14歳では力及ばず家は千々に乱れた。坂上郎女叔母のおかげで社交が保てていたようなものだ。その奔放な恋の影響を受けたためか、私は様々な女性に文を送り浮名を流した。坂上郎女の長女坂上大嬢もその一人だ。
私は内舎人を拝命した。帝の身辺を警護するお役目である。最近は低位貴族の子弟から選ばれるのが常であり、後ろ指を刺されることがあった。だが皇の伴こそ正しく大伴家の役目である。否やもなにもない。
その中で、聖武様のお子、安積親王と親しくさせて頂いた。安積様は皇子とはいえ、夫人の県犬養広刀自殿のお子である。皆はご母堂の身分が低く皇家を継げぬようなことを言っていたが、そもそも光明皇后も藤原家、臣下の出である。そのお子の安倍様が女性ながらに皇太子になられたのであるから、安積様が帝となられて何の問題があろうか、そう思っていた。
そう思ったのは私も妾腹の生まれであるからだろう。だが私は父旅人の正妻大伴郎女に引き取られて大伴家当主となったのだ。
結局の所、孝謙様で血は途絶えるのだ。最終的に男子が継ぐのであれば、安積様であることに何の問題があろうか。それに安積様はよどみ腐った藤原どもと異なり、清らかなお方であったのだ。
けれども祖父安麿の時代から藤原の寄生虫どもがさかんに騒ぎ始め、旧来より皇家に使えた我らのような豪族を追い出しはじめた。
そして父旅人は藤原に宮から追い出されて太宰府に赴任した。藤原どもが長屋王様を嵌め殺した余波だ。本当にあの陰湿な連中は好かぬ。
けれどもその時の太宰府での暮らしが、このわしの人生の糧となったのは皮肉なことよ。わしはこの10歳の折、母と弟と共に父につき従い、太宰府に赴いた。父はもう57だ。このような齢になっての左遷は堪えるものだろう。
そう思ったが、父は国防は武家の務めだと笑った。なるほどここ太宰府は遠の朝廷《とおのみかど》と呼ばれ、九州と壱岐・対馬を管轄し、外寇を防ぎ、外交を司っていた。
府の北にある丘に登って北西を眺めれば、山に挟まれた博多の平地の先に対馬が見え、その先はすぐ新羅の国だ。このころの日の本は新羅との関係が悪化し、3年前に新羅はその沿岸に日の本を警戒して毛伐郡城を築城したばかり。ようは日の本とは緊張関係にあったのだ。
わしはそれまで宮廷というものが最も煌びやかな場所であると考えていた。けれども日の本を安らたらしめることこそ我が大伴家、武門の役目。最も華々しきお勤めではないか。
そのうち太宰府で母上が亡くなり、代わりに家をとりまわすために叔母の大伴坂上郎女が太宰府を訪れた。叔母は明るく奔放で歌に溢れた方で、賑やかな生活を過ごした。わしの周りはますます歌に溢れた。
それに太宰府の景色は都と異なる趣があった。異国に繋がる場所だ。
わしは父の跡継として父について様々な会合に出席し、山上憶良殿を始め多くの歌人とお会いした。父上が中国から渡来したばかりの梅を庭に植えて人を招いた梅の宴では、その場で読まれた歌に楽を奏し舞を舞った。白く綻んだ梅を愛でながら、この貴重な花を思い多くの歌が詠まれた。わしも多くの歌を書き留めたものだ。
私の庭に梅の花がしきりに散っているけれども、これははるか空高い天から雪が流れてきているのでしょうか
(我が園に 梅の花散るひさかたの 天より雪の流れ来るかも)
父上がこのように歌えば憶良殿がこのように返される。
春の訪れを最初に知らせる梅の花よ、あなたさまはそれを眺めながらこの春の日をお一人で過ごされるというのでしょうか
(春されば まづ咲くやどの梅の花 独り見つつや はる日暮らさむ)
その当時はわからなかったけれども、このような歌の隙間で憶良殿は母上をなくされたばかりの父上の独り身の心情を慮られたのであろう。このような細やかな詩情があふれる大宰府は、わしの心のなかで歌を形作る部分の器となった。
私が14際の時、父旅人は大納言を拝命し帰京した。
父は太宰府で都を思う歌を多く残していた。だからその道は喜びに満ちたものであったが、引き換えにその体調は崩れ、帰郷後まもなく亡くなった。憶良殿も同時期に都に帰ったが、やはり亡くなられた。祟りで多くの人間が死んだ時期だ。
私は二人の師を失った。
その頃の政治といえば、まさに藤原家のなすがままであった。藤原不比等の娘である光明皇后が聖武天皇を操り、まさに藤原家が寄生虫のごとく皇家の力と財を削ろうとしていた。対抗に長屋王が左大臣となったが、藤原式家の罠によって自刃して果てられ、怨霊となって藤原4家の当主を祟り殺し、その余波で都に多くの死人が出たのだ。
そのため出仕できる公卿は参議の鈴鹿王と橘諸兄と名を変えた葛城王しかいなくなっていた。この時点でようやく朝廷は藤原家の寄生を免れ皇家に取り戻された用に見えた。
私は父の死に伴い、大伴家の当主となったが、若干14歳では力及ばず家は千々に乱れた。坂上郎女叔母のおかげで社交が保てていたようなものだ。その奔放な恋の影響を受けたためか、私は様々な女性に文を送り浮名を流した。坂上郎女の長女坂上大嬢もその一人だ。
私は内舎人を拝命した。帝の身辺を警護するお役目である。最近は低位貴族の子弟から選ばれるのが常であり、後ろ指を刺されることがあった。だが皇の伴こそ正しく大伴家の役目である。否やもなにもない。
その中で、聖武様のお子、安積親王と親しくさせて頂いた。安積様は皇子とはいえ、夫人の県犬養広刀自殿のお子である。皆はご母堂の身分が低く皇家を継げぬようなことを言っていたが、そもそも光明皇后も藤原家、臣下の出である。そのお子の安倍様が女性ながらに皇太子になられたのであるから、安積様が帝となられて何の問題があろうか、そう思っていた。
そう思ったのは私も妾腹の生まれであるからだろう。だが私は父旅人の正妻大伴郎女に引き取られて大伴家当主となったのだ。
結局の所、孝謙様で血は途絶えるのだ。最終的に男子が継ぐのであれば、安積様であることに何の問題があろうか。それに安積様はよどみ腐った藤原どもと異なり、清らかなお方であったのだ。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
不屈の葵
ヌマサン
歴史・時代
戦国乱世、不屈の魂が未来を掴む!
これは三河の弱小国主から天下人へ、不屈の精神で戦国を駆け抜けた男の壮大な物語。
幾多の戦乱を生き抜き、不屈の精神で三河の弱小国衆から天下統一を成し遂げた男、徳川家康。
本作は家康の幼少期から晩年までを壮大なスケールで描き、戦国時代の激動と一人の男の成長物語を鮮やかに描く。
家康の苦悩、決断、そして成功と失敗。様々な人間ドラマを通して、人生とは何かを問いかける。
今川義元、織田信長、羽柴秀吉、武田信玄――家康の波乱万丈な人生を彩る個性豊かな名将たちも続々と登場。
家康との関わりを通して、彼らの生き様も鮮やかに描かれる。
笑いあり、涙ありの壮大なスケールで描く、単なる英雄譚ではなく、一人の人間として苦悩し、成長していく家康の姿を描いた壮大な歴史小説。
戦国時代の風雲児たちの活躍、人間ドラマ、そして家康の不屈の精神が、読者を戦国時代に誘う。
愛、友情、そして裏切り…戦国時代に渦巻く人間ドラマにも要注目!
歴史ファン必読の感動と興奮が止まらない歴史小説『不屈の葵』
ぜひ、手に取って、戦国時代の熱き息吹を感じてください!
怪獣特殊処理班ミナモト
kamin0
SF
隕石の飛来とともに突如として現れた敵性巨大生物、『怪獣』の脅威と、加速する砂漠化によって、大きく生活圏が縮小された近未来の地球。日本では、地球防衛省を設立するなどして怪獣の駆除に尽力していた。そんな中、元自衛官の源王城(みなもとおうじ)はその才能を買われて、怪獣の事後処理を専門とする衛生環境省処理科、特殊処理班に配属される。なんとそこは、怪獣の力の源であるコアの除去だけを専門とした特殊部隊だった。源は特殊処理班の癖のある班員達と交流しながら、怪獣の正体とその本質、そして自分の過去と向き合っていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる