4 / 43
1章 光仁天皇の二つの家族
父上と母上の暮らし
しおりを挟む
父上の語るそのあまりの恐ろしさと後ろ暗さに、私はその言葉に大人しく従い、複雑なことはあまり考えず、都ともあまり関連を持たずに生きていた。おそらく父上がそのように取り計らってくれたのだろう。
そもそも父上に会う機会もそれほど多くはなかったのだ。私は母上のもとで暮らし、ときおりこの家に父上が通うという暮らしであったから。
それに私は都におわす父上の正妻、託基様とお会いしたこともほとんどない。
貴族の婚姻とは政だ。高位の貴族になるほどその婚姻は役割として、仕事としての意味合いが深まる。
父上も天武様の娘であるけど母君の身分が低い託基皇女様を正妻とされていた。父上はこの婚姻は父上の身を宮中に縛り付けて身動きがとれないようにするためだと言うが、私にはよくわからなかった。結局父上は母上のもとに通い、私からみても幸せそうに過ごしていたのだから。
父上は自らの思う相手と結婚できたのだろう。
そして父上が皇族の端くれであるにもかかわらずそのような浮き草の生活を送れたのは、ひとえにお祖母様の身分が低く、皇位の継承など論外の位置にいたからなのだ。
何故なら父上が語った吉野の盟約で誓われた大津皇子様は、その母君の位が草壁様と同じ程に高くしかも有能で有られた。だから天武様が亡くなられてすぐ、鸕野讃良様によって弑されてしまっていたのだから。
色々言われるところもあるが、身近に接した父上と母上は子の私から見ても幸せそうであった。
『大原のこのいち柴のいつしかとわが思ふ妹に今夜こよひ逢へるかも』
(大原のこの揺れる柴のようにいつあなたに会えるだろうと思っていたら、今夜貴方に会えました)
母上に贈られる父上の歌は、雅と世界の美しさ、それから私が感じる父上の明るくも爽やかな感情に満ちあふれていた。この小さな家で、確かに父上はお2人以外の何者からも切り離されて愛に満ちた幸せな生活を過ごしていたのだ。
血なまぐさい政争など、あの時以来父上から感じることもなかった。だから宮中のことなどよく知らず、のんびりと田舎で過ごす私にとってはいつしか父上の言葉もうっすらと霞んでいった。
父上はあれ以降、都のことを話すことはなく、爽やかで雅であったから。
けれどもそれは父上が生きていたときのこと。やはり父上は私を守ってくれていたのだ。
父上が亡くなったのは私が8歳の時だった。
父上という後ろ盾を失った私の立場はとても頼りのないものだった。急に足元が崩れ去ったのだ。
貴族社会では役職につくにも婚姻を行うにも、父母の地位が最も重視される。辛うじて皇族であった父上が亡くなり、私が頼れるのは母上とその一族だけとなった。
母上の父君である紀諸人は従五位下。貴族と呼ばれるための最も下の身分である。時の朝廷で権力を奮っているのは藤原四家だ。率直に言えば藤原氏以外で位階を上り詰めることは困難だ。そんなことも父が亡くなって初めて知った。
私が叙爵したのは29歳の時だ。従四位下に叙爵された。位階制度によって天皇の子は皇子、孫は王である。二世王の蔭位は従四位下と一応は定められている。
私は皇族といっても端の端。かろうじて皇族と呼ばれるだけの存在で、誰も私の存在を顧みられることもなかった。それでもそのような身に覚えのないものが突然降ってきた。そして、それでも私の生活はさして変わらなかった。
「白壁殿。叙爵おめでとうございます」
「母上。ありがとうございます。とは言っても何が異なるのかはわかりませんね」
「息災であることがなによりなのですよ」
ささやかな宴が家で催され、ほそぼそと祝われた。位階を得たといっても天武系列の王とは異なり何らかの役職につくこともなく、そもそもこれまで都に上ることすらほとんどなかったのだ。
だから叙爵を受けた後も都には知り合いも寄るべもなく、野の家に戻るだけだ。
豪族貴族とはいえ母上の一族は都にとって後ろ盾にならないほど取るに足らない。だからそのまま私は埋没していくはずだった。
そして真実、私はそれで良いと思っていた。
父と母のように日々を気楽に穏やかに暮らせればそれで。
なぜならそのころ、私にも妻がいたからだ。妻は元々は家にいた召使いだ。もともと格式張った家ではない。いつのまにかそのような関係になっていた。
妻の新笠はかわいらしい女だった。
もともと百済からの渡来民、官吏である和乙継の娘だ。母上の父、つまりお祖父様ははそれでも従五位の官位をもっている。けれども和乙継はそれすらもない。やはり朝廷に対しては何の後ろ盾にもなりはしない。私に取ってはお似合いだ。
私は父上の言いつけ通りに都ではなく、日々、野山や景色の移り変わりを新笠と眺めた。
愛しい新笠に和歌を送り、庭を眺めて過ごしたりと毎日を平穏に暮らした。私も父上にとっての母上のように、生涯愛すべき人を見つけたのだ。そう思っていた。
そんな田舎暮しと穏やかな人生に、本当に私は満足していた。昇進や位階といった生き馬の目を抜く世界とは離れて何不自由ない暮らしだ。
「あなた様には忙しい暮らしは似合いませんもの」
「そうだな、そうだよな」
「無役でもよいではありませんか。ほそぼそと緩やかに暮らしましょう」
しっとりと暮れなずむ夕日を眺めながら、新笠は確かにそう呟いた。
そんな暮らしを続ける中で、新笠との間に能登という女子と山部という男子も生まれた。それ以降も何も変わることなく家族仲良く暮らしていたのだ。それは小さくても、幸せな暮らし。
しかし転機。転機が訪れてしまった。
そもそも父上に会う機会もそれほど多くはなかったのだ。私は母上のもとで暮らし、ときおりこの家に父上が通うという暮らしであったから。
それに私は都におわす父上の正妻、託基様とお会いしたこともほとんどない。
貴族の婚姻とは政だ。高位の貴族になるほどその婚姻は役割として、仕事としての意味合いが深まる。
父上も天武様の娘であるけど母君の身分が低い託基皇女様を正妻とされていた。父上はこの婚姻は父上の身を宮中に縛り付けて身動きがとれないようにするためだと言うが、私にはよくわからなかった。結局父上は母上のもとに通い、私からみても幸せそうに過ごしていたのだから。
父上は自らの思う相手と結婚できたのだろう。
そして父上が皇族の端くれであるにもかかわらずそのような浮き草の生活を送れたのは、ひとえにお祖母様の身分が低く、皇位の継承など論外の位置にいたからなのだ。
何故なら父上が語った吉野の盟約で誓われた大津皇子様は、その母君の位が草壁様と同じ程に高くしかも有能で有られた。だから天武様が亡くなられてすぐ、鸕野讃良様によって弑されてしまっていたのだから。
色々言われるところもあるが、身近に接した父上と母上は子の私から見ても幸せそうであった。
『大原のこのいち柴のいつしかとわが思ふ妹に今夜こよひ逢へるかも』
(大原のこの揺れる柴のようにいつあなたに会えるだろうと思っていたら、今夜貴方に会えました)
母上に贈られる父上の歌は、雅と世界の美しさ、それから私が感じる父上の明るくも爽やかな感情に満ちあふれていた。この小さな家で、確かに父上はお2人以外の何者からも切り離されて愛に満ちた幸せな生活を過ごしていたのだ。
血なまぐさい政争など、あの時以来父上から感じることもなかった。だから宮中のことなどよく知らず、のんびりと田舎で過ごす私にとってはいつしか父上の言葉もうっすらと霞んでいった。
父上はあれ以降、都のことを話すことはなく、爽やかで雅であったから。
けれどもそれは父上が生きていたときのこと。やはり父上は私を守ってくれていたのだ。
父上が亡くなったのは私が8歳の時だった。
父上という後ろ盾を失った私の立場はとても頼りのないものだった。急に足元が崩れ去ったのだ。
貴族社会では役職につくにも婚姻を行うにも、父母の地位が最も重視される。辛うじて皇族であった父上が亡くなり、私が頼れるのは母上とその一族だけとなった。
母上の父君である紀諸人は従五位下。貴族と呼ばれるための最も下の身分である。時の朝廷で権力を奮っているのは藤原四家だ。率直に言えば藤原氏以外で位階を上り詰めることは困難だ。そんなことも父が亡くなって初めて知った。
私が叙爵したのは29歳の時だ。従四位下に叙爵された。位階制度によって天皇の子は皇子、孫は王である。二世王の蔭位は従四位下と一応は定められている。
私は皇族といっても端の端。かろうじて皇族と呼ばれるだけの存在で、誰も私の存在を顧みられることもなかった。それでもそのような身に覚えのないものが突然降ってきた。そして、それでも私の生活はさして変わらなかった。
「白壁殿。叙爵おめでとうございます」
「母上。ありがとうございます。とは言っても何が異なるのかはわかりませんね」
「息災であることがなによりなのですよ」
ささやかな宴が家で催され、ほそぼそと祝われた。位階を得たといっても天武系列の王とは異なり何らかの役職につくこともなく、そもそもこれまで都に上ることすらほとんどなかったのだ。
だから叙爵を受けた後も都には知り合いも寄るべもなく、野の家に戻るだけだ。
豪族貴族とはいえ母上の一族は都にとって後ろ盾にならないほど取るに足らない。だからそのまま私は埋没していくはずだった。
そして真実、私はそれで良いと思っていた。
父と母のように日々を気楽に穏やかに暮らせればそれで。
なぜならそのころ、私にも妻がいたからだ。妻は元々は家にいた召使いだ。もともと格式張った家ではない。いつのまにかそのような関係になっていた。
妻の新笠はかわいらしい女だった。
もともと百済からの渡来民、官吏である和乙継の娘だ。母上の父、つまりお祖父様ははそれでも従五位の官位をもっている。けれども和乙継はそれすらもない。やはり朝廷に対しては何の後ろ盾にもなりはしない。私に取ってはお似合いだ。
私は父上の言いつけ通りに都ではなく、日々、野山や景色の移り変わりを新笠と眺めた。
愛しい新笠に和歌を送り、庭を眺めて過ごしたりと毎日を平穏に暮らした。私も父上にとっての母上のように、生涯愛すべき人を見つけたのだ。そう思っていた。
そんな田舎暮しと穏やかな人生に、本当に私は満足していた。昇進や位階といった生き馬の目を抜く世界とは離れて何不自由ない暮らしだ。
「あなた様には忙しい暮らしは似合いませんもの」
「そうだな、そうだよな」
「無役でもよいではありませんか。ほそぼそと緩やかに暮らしましょう」
しっとりと暮れなずむ夕日を眺めながら、新笠は確かにそう呟いた。
そんな暮らしを続ける中で、新笠との間に能登という女子と山部という男子も生まれた。それ以降も何も変わることなく家族仲良く暮らしていたのだ。それは小さくても、幸せな暮らし。
しかし転機。転機が訪れてしまった。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
本能のままに
揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった
もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください!
※更新は不定期になると思います。
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
高俅(こうきゅう)の意地 ~値千金の東坡肉(トンポーロウ)~
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
中国・北宋の末期、旧法党と新法党の党争という、国を割らんばかりの争いは極致に達し、時の皇帝・徽宗(きそう)の宰相、蔡京(さいけい)は新法党を称し、旧法党の弾圧を強行した。
その極致が「元祐党石碑(げんゆうとうせきひ)」であり、これは蔡京が旧法党と「みなした」人々の名が刻印されており、この「石碑」に名が載った者は放逐され、また過去の人物であるならばその子孫は冷遇され、科挙(役人になる試験)を受けることが許されなかった。
だがこの「石碑」に載っているのは、単に旧法党にとどまらず、蔡京に反対する者、気に入らない者も含まれていた……旧法党に属しながらも、旧法の欠点を指摘していた蘇軾(そしょく)のような人物も。
ところがある日、その「石碑」を倒した者がいた――その男、名を高俅(こうきゅう)という。
彼の見せた「意地」とは――
【登場人物】
蔡京(さいけい):北宋の太師(宰相)。新法党を称し、旧法党弾圧の名を借りて、反対派を弾圧し、己が権勢を高めるのに腐心している。
徽宗(きそう):北宋末期の皇帝。文化人・芸術家としては秀でていたが、政治面では能力はなく、宰相の蔡京に依存している。蹴鞠が好き。
童貫(どうかん):宦官。兵法、武を極め、国軍の太尉(司令官)を務める。蔡京と共に、徽宗の政治への無関心に乗じて、国政を壟断する。
高俅(こうきゅう):禁軍(皇帝近衛軍)の太尉(司令官)。棒術、相撲等多彩な才能を持ち、中でも蹴鞠が得意。若い頃は不遇であったが、左遷先の黄州での「出会い」が彼を変える。
蘇軾(そしょく):かつて旧法党として知られたが、新法といえども良法であれば活かすべきと主張する柔軟さを具える。能書家にして詩人、そして数々の料理を考案したことで知られる。
ウルツ・サハリ:モンゴル帝国の中書省の役人。髭が長い。詩が好き。妻は詩人の家系の生まれ。
【表紙画像】
「ぐったりにゃんこのホームページ」様より
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる