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1章 全ての始まり 常磐青嵐

vs 斎藤我堂

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 一瞬意識が途切れ、気がつけば強風吹きすさぶ暗闇にいた。
 おそらく午前0時きっちりだ。直前まで時計を手元に眺めていた。そして予定通り、きちんと靴を履いている。左右を眺める。直前まで手を握っていたはずの眉山の姿は見当たらない。今まで眉山の名伏しがたい部屋にいて、接触していれば二人同時に移動するかどうか、を含めていくつかの実験をしていた。
 今、眉山はいない。だから眉山は部屋に取り残されたか、違う場所にいる。
 風の冷たさ、或いは外気温の低下のせいか、皮膚の表面がざわりと泡立つ。四囲の稜線に目を配る。やはりここは神津で、高度を考えれば八天閣、か。登ってみた展望台より更に上にいる。
 この身震いは天候のせいだけではない。極度に緊張している。
 突如十メートル程先がぐらりと揺れ、現れた影は人の形をとった。

 あれが最初の敵、だろうか。
 目を凝らしてもよくはわからない。そう思っていれば、敵とのちょうど中間地点ほどに白い玉が浮かび上がり、彼我の姿とその影を顕にする。
斎藤我堂さいとうがどうさんですね』
「そうだ」
 風の向こうからやや高い声が聞こえる。どこかで聞き覚えがあった。じっと観察すれば、強風にはためく黒マントに学生服の裾から見える高下駄姿、いわゆるバンカラだ。そして伸びる影は刀。木刀か真剣かはわからないが、柄に手をかけ下段に構えている。つまり実力行使の構えだ。敵は鋭い眼光から殺気を放つと同時に、こちらを探っている様子がみてとれた。
 開始の合図でもあればすぐさま俺に駆けよって斬りかかるつもり、なのだろう。
 そのことに酷く安堵した。

 武器を作り改良する中で考えたことといえば、どうすれば確実容易に人を殺せるかということばかりだ。反撃を許せば、それだけ俺の生存率が落ちる。可能であれば一撃必発。様々な場面を想定して突き詰めていくと、俺は人を果たして殺せるのだろうかという疑問が湧いた。大戦第一次後、治安は悪化し人の死はありふれている。とはいえ、俺自身が人を殺せるかどうか、というとそれは別の話だ。
 例えば目の前に現れたのが眉山や、例えば華だとすれば、それを殺せるかどうか。
 おそらく殺せるだろう。けれど土壇場では躊躇するかもしれないという疑念は拭えない。武器を改良するごとに、一瞬のためらいが死を招くことは理解できた。それでも。
 けれど目の前の敵は俺を殺すつもりだ。なら遠慮はいらないだろう。そのような考えがストンと腑に落ちた。それは覚悟ですらなく、ただの理解だ。

『常磐青嵐さんですね』
「あぁ」
 けれど目の前から、予想に反する戸惑う声が聞こえた。
「常磐……先生?」
 怪訝そうな声がし、一触触発の緊張感がやや薄くなる。先生という言葉に記憶を喚起する。
「私です、一昨々年、前期で大学を退学した斎藤です」
 そこまでいわれ、漸く記憶の底から一人の学生が浮かび上がる。
 確か普通選挙法を通すのだとか言って大学を離れた学生がいた。実社会に触れたばかりの純朴な、ましてや今どき国学の講義など取る学生は、結構な数が政治勧誘にひっかかる。そして国学の講義をとる学生などあまりいないものだから、それなりに記憶に残る。
「ああ。覚えている。確か会津が出身、だったかな」
「よかった」
 斎藤は構えを解いてすくりと立ち上がり、こちらに気軽に足を向けた。
「止まれ。それ以上近寄るな」
 近寄った分だけ、急ぎ距離を取る。
 戸惑う気配が漂よわせながらも、斎藤はピタリと歩を止めた。
「先生、私に勝ちを譲ってください。悪いようには致しませんから」
 夜の静寂に不釣り合いな明るい声だ。記憶とは少し、印象が異なった。訓練された話し方だ。
「悪いようには?」
「ええ。私が受けた少ない授業の中でも、先生の授業には一入感銘を受けました。私はなんとしても、勝ち残らねばならんのです。先生にはご理解頂けると思います」
「ご理解……?」

 もとより俺は斎藤の言と行動に違和感を抱いていた。
 そして斎藤が足を止めたことで確信となった。勝ちを譲ることなどありえない。眉山の頭がおかしいだけで、そもそもそんな話が成り立つはずがない。なにせ負ければ死ぬ。
 なのにこれほど気楽に勝ちを譲れと言い放つのであれば、俺と斎藤が持つ情報に齟齬が有る。情報は極めて少ない。あの白い玉についてもこの戦いについても。初戦が顔見知りというのは僥倖だ。
「勝ちを譲れば何をくれる」
 斎藤の瞳が僅かに細まる。
「先生は何が欲しいのですか。金でも地位でもご用意しますよ」
 金、地位。そんなものは死んでしまえば意味がない。とすれば斎藤は敗者が死なないと思っている。少なくとも、戦わなければ。

 それにしても斎藤の語りぶりはあくまで明るく、まるで演説をしているようだ。先程来の口調からも、どうやら斎藤は活動家というものが性に合っているのだろう。斎藤の唯一というものが見て取れる。そうすれば、唯一という概念の対象は、思ったより広い。
「金や地位が欲しいなら今どき国学なんぞやってない」
「それでは何を……お望みでしょうか」
 僅かに当惑を含んだ声がした。
 斎藤があの白い玉に聞きそうなことは何だ。斎藤の唯一はおそらく、運動の力で、つまりその頂点で自らの力で世界を変える、或いは変えられる、こと。
「お前が最後の一人になれば、何をする」
 ここまでは共通する知識のはずだ。
「なるほど、当然の疑問です。この国は先の大戦が齎した大不景気によって国民生活は窮地に立たされております。各階級が協力し、三千年の歴史と伝統とを持つ国家と国民を」
 俺が聞きたいのは最近流行りのデモクラシィ演説じゃない。
「俺が聞きたいのは、敗者、つまり俺がどうなるのかだ」
「は……? それは当然、先生にも新時代を切り開くのにご協力頂きまして」
 やはり、俺が死ぬ前提ではない。
「斎藤。白い玉が最後に言ったことについてどう思う」
「神の依代のことですか?」
 依代。斎藤が尋ねたのは勝利の報酬についてか。
 確かに俺も眉山もそれについては尋ねていなかった。
「そうだ」
「全能の力とはいえ、いや、だからこそ使い所を間違えると世に不穏と不幸をもたらします。ですから私が正しく用いねばならぬのです」
 その語には確かな自信が滲んでいた。
 全能、か。
 眉山、よかったな。勝ち残ればお前の望みはなんとかなるかもしれない。
「勝ちを譲った場合、俺が無事だという担保は?」
「担保……といわれても困りますが、無益な争いを起こさなければ無傷で日常に戻ることができます」
「おい、そこの玉、そうなのか?」

 しばらく待ったが、返事はなかった。
 最初に名前の確認をして後は、ただそこに光りながら浮かんでいるだけで、何の変化もない。戦いを始めるような応答もない。
 玉は『相互に戦うことになる』と言っていたが、勝敗の決着方法についての説明はなかった。とすれば、おそらく降伏によって戦いを終わらせることも可能、なのかもしれない。ひょっとしたら話し合いによっては斎藤を降伏させることができるかもしれない。
「先生、私は居合を嗜んでおります。負けるつもりはありません。先生が望まれるものであれば、私が最後の一人となる前にも、極力ご助力したいと思います。ですからどうか!」
 斎藤の叫びが風を縫って届く。
 そもそも俺は負けるつもりはない。けれどもこれ以降の戦いで、話し合いで解決できるとは思えない。斎藤はたまたまの稀有な例にすぎないのだ。つまりこの検証は無意味だ。
 だから。
 改めて斎藤を見る。構えは解いている。油断しているとも言える。
 だから。
「斎藤、お前の力は何だ?」
「力……? なんのことです?」
 嘘をついている様子はない。それに力の中身はともかく、知る知らないをごまかす必要はない。
 ということは、斎藤は戦うための力について問わなかったのだろう。腕に覚えがあるからかもしれない。
 俺と斎藤の間には変わらず強い風が吹いていた。星は瞬くものの月の出ない暗い夜だ。最初にここに現れたときに比べ、長時間ここに滞在している気がする。強風に体温が下がり、手がかじかみそうになる。これ以上の時間の経過は身体を鈍らせる。

 真っ黒に染めた洋弓銃を前面に構え、改良によって付け加えた滑車はほとんど力を使わず矢を巻き上げ、僅かな光を集める機構を備えた照準を通して音もなく発射された凶器は、轟々と逆巻く風の隙間を縫って斎藤の心臓を正確に射抜き、斎藤はどぅとその場に倒れた。
「殺せた、な」
 気分は妙にフラットで、落ち着いていた。
 斎藤を殺すのに、覚悟のような予想していた重たい何かは生じなかった。殺したということ自体に悔悟や罪悪感は抱かなかった。
 何故だろうと自省する。それはおそらく俺たちが唯一人で、先に斎藤が俺を殺す覚悟を見せたから、か。そして俺が一人しか生き残れないことを知っていた、から。そもそも俺はこの仕組みを蠱毒と認識したが、斎藤はそうではなかった。
「斎藤、ありがとう」
『常磐青嵐さん、おめでとうございます』
「玉、俺が勝ったのか?」
『はい』
「もし俺が敗北を宣言していた場合、俺が負けになるのか?」
『そのとおりです』
「つまり俺は負けた後、死亡する?」
『唯一人の神徒が決定した時、その他の神徒は死亡します。では次の新月にお会いしましょう』
 目を開けた時、やはりそこは眉山の名伏しがたい部屋の中で、手元の時計はちょうど午前0時を示していた。
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