叫ぶ家と憂鬱な殺人鬼(旧Ver

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第4章 芸術家変死事件

黒の闇 被害者の特定

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 夜のような闇が静かに広がっていた。とても静かだ。けれども何も見えないというのは、心に不安を掻き立てる。だから闇の中でさらに目を閉じた。こうすれば、何も見えなくても不自然ではない。そもそも原因はわかっている。
 あの黒い絵のことを考える。喜友名晋司はあの黒い呪いを芝山と呼んでいた。喜友名晋司が夜な夜な人を殺していると書いた記者の名前、それが芝山彰夫だったはずだ。そのことに思い至った。
 芝山彰夫があの呪いだとする。呪いに意思があるように感じたのは、本当に意思が宿っていたからなのかな。あの呪いは芝山彰夫の魂が変化したもののだろうか。越谷泰斗の蝿に多くの死者の魂が宿ったように、あの絵に芝山彰夫の魂が宿っているのかもしれない。複数の霊が混ざっているわけではないから、明確に個性がある用に感じたのかな。
 芝山彰夫はもう死んでいたのか。芝山彰夫は喜友名晋司と親しそうだった。取材のために足繁く通っていたのだろう。あるいは元々の知り合いなのかもな。
 屋根裏にあった目玉、それから芝山彰夫の記事。芝山彰夫の記事は喜友名晋司が売れ始めてからのものだ。だからきっと、屋根裏の目玉は芝山彰夫の目玉ではない。芝山彰夫の記事が真実だとするならば、喜友名晋司が人を殺しその材料で絵を描いていることが推測される。

 喜友名晋司の声は途中から聞こえなくなったから、最後にどんな話をしていたのかはわからない。けれどもあの呪いの言っていることは正しいのだろう。喜友名晋司は死んで次の呪いになった。越谷泰斗の呪いに。けれども俺は越谷泰斗のバイアスで喜友名晋司の幽霊は見えなかった。つまり越谷泰斗のバイアスの中で、喜友名晋司は呪われていない。呪いとはあくまで同じバイアスに存在するもの、あるいは存在したものがなるのだろうか。
 けれども世界は連続している。喜友名晋司の望みとは異なるのだろうが、越谷泰斗は喜友名晋司の意思を引き継ぎ絵を描こうとした。

 どうすれば呪いは止まるのだろう。喜友名晋司の望みは何だ。それに向き合う必要がある。喜友名晋司に自殺を選ばせなければ、この呪いは解除される、予感はある。
 絵は残しておいていいのだろうか? 絵も追い出さなければならないのかな。芝山彰夫。芝山彰夫の魂は絵の中から取り出さなければならないだろう。喜友名晋司が絵を持って外に出る。それで芝山彰夫の魂も外に連れ出せるだろうか。小藤亜李沙がやったように。黒い呪い自体は家からでてこないのだろうが、それは貝田弘江や越谷泰斗の時と同じことだ。あの呪いは家から出られない。
 けれどもどうやって喜友名晋司を家の外に出す? その方法は皆目見当がつかない。
 そう考えていると肩が揺らされているのに気がついた。次第に匂いと音が戻ってくる。
「公理さん大丈夫だ」
 目を開けると、そこには半泣きの公理さんがいた。布団から身を起こす。どうやら運んでくれたらしい。
「全然大丈夫じゃない!! 大丈夫じゃないよ!! 家の扉が閉じてから30分くらいなんの反応もなかったんだよ⁉ ほんとこのまま死んじゃうかと思った」
「大丈夫だよ、これまでの進行を考えれば問題ないと思ったんだ」
 心臓まで達しなければ、おそらく。
「それに1番酷い不運の予兆より手前で止めたから」
「全然良くない!! 良くないよ! さっきはすぐに元に戻ったけど声もずっと聞こえてないみたいだし! 今度は全然動かなかったからもうダメかと思った」
「心配かけてすまない」
「心配っていう問題じゃない!」
 公理さんはふらふらと起き上がり、ソファに深く腰を下ろして天井を仰ぐ。
 時刻は10時半。思ったより長く家に入っていたな。いや、目を閉じていた時間が長いのか。
「ひと休憩して次は12時に入ろう」
「ふざけんな!!」
「ふざけてないよ、多分安全だ。喜友名晋司はさっき死んで、今はもう新しい1日だ。下手を打たなければ呪いは溢れない」
「そういう問題じゃ」
「大丈夫だから。落ち着いて。お茶をいれるから」
 あたたかいジンジャーティの香りが広がる。効能は確か健胃、嘔吐、咳、むかつきだったかな。チラリとローテーブルの脇を眺めれば、転がったミニボトルが見えた。公理さんは一息で飲み干してむせた。
「落ち着いて飲めよ」
「ハル、そういう問題じゃないんだよ、本当に」
 幾分沈静化し、その呼吸がゆっくりになる。やはり不安定だ。
「公理さん、よく考えて。今がベストなタイミングだ。小藤亜李沙と同様に、同じ1日の中では記憶は持続すると思う。そうだろ」
「……うん」
「今は柚がいない。喜友名晋司を説得するには今から始めるのがいい。今回は本人を説得しないといけないんだぞ。友達が帰る前に終わらせよう。心配なんだろ?」
「それは……そうだけど。ハルも心配だ。誤魔化されない」
 公理さんは睨むように俺を見つめる。
「優先順位を間違えるな。解決しなければ俺は死ぬ。公理さんも死ぬかもしれない」
「嫌だ! そんなこと!」
 公理さんは頭を抱えてうずくまる。
「嫌だ。ハル、嫌だ。嫌なんだ」
「だろ? 多少のリスクは織り込まないと仕方がない。俺はもともと呪われている。この方がまだ勝率がいい」
 おかわりを入れようと立ち上がろうとした肩が不意抱きしめられた。首筋にかかる吐息が僅かに酒臭い。そういえばいつも酒臭いな。
「まだちゃんと生きてる」
「そうだな。だから生きのびないと」
「……うん」
 今が1番いい。理屈はわかるはずだ。早く終わらせないと公理さん自身もやばい。
 茶葉を追加すれば、ふわりと香ばしい匂いが部屋に広がる。暖かな舌触りと芳醇な香り。俺の五感が取り戻されたことを1つずつ確認する。公理さんの前にもカップを置いたが、ワインが追加で注がれた。止めないほうがいいのかもしれない。
 疲れた。少し休みたい。五感が全て失われるというのは、思ったほどに心臓に悪い。上も下もわからない真っ暗闇だった。
「ちょっと横になるよ。寝ないとは思うけど一応目覚ましをかける。12時には起きて軽く飯でも作るからさ。公理さんも起こすから寝られそうなら寝てくれよ。寝てないだろ?」
「昼飯とか。そんなのどうでもいいよ。カップ麺でいいじゃん。ちゃんと寝なよ」
「わかってる。じゃあまた後で」
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