叫ぶ家と憂鬱な殺人鬼(旧Ver

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第4章 芸術家変死事件

おかしな絵描き  ここまでの分析

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「家、いるか」
「こんにちは、お兄さん」
 柚が帰宅する前にもう一度扉を開いた。おそらく今日は家に入れる最後のタイミング。
 現在のところ喜友名晋司のバイアスには黒い四角以外に明確な呪いの痕跡はない。中心はその枠に絵を描こうとする喜友名晋司に思えるものの、何をしたら呪いが解けるのか皆目見当がつかない。
 このバイアスでは一体何が起こっている。事象を分析して原因を明らかにする。そうしなければ方針がたたない。
「今回は喜友名晋司の呪いなのか?」
「……なんて言っていいのかわからない。あのおじさんが呪いを作っているのは間違いないんだけど、呪いはここにはいないんだ」
「呪いがいない?」
「そう。呪いは絵の中にいる」
 絵の中。
 一休さんじゃないんだから、絵の中をどうこうするなんて流石に無茶だ。けれども。さっきの公理さんの言葉を思い出す。色が入ってきたようなことを言っていた。あれは比喩ではなく、ひょっとして公理さんなら入れるの、か?
 けど駄目だ。絵に入るとか意味がわからない。その結果、どうなるかの想像もつかない。けれどもそれ以前の問題だ。絵に入ると公理さんが壊れる。ともあれ俺のすべき第一は、喜友名晋司の繰り返しを止めることだろう。
「喜友名晋司は何故死んだ? 死んだから呪いになったんだろう?」
 それはこれまでの橋屋事件と不審死事件から導かれる帰結だ。繰り返しは恐らく、その呪いをもたらす貝田弘江又は越谷泰斗の死が起点となって巻き戻っている。だから喜友名晋司がこのバイアスの中心であれば、その死が全ての起点にある。

「そうだね。あのおじさんは自分で死んだんだ」
「自分で? 自殺か。でもバラバラになったんだろう? 協力者がいたのか?」
「ううん。あのおじさんは呪いで自分をバラバラにして死んだんだ」
 自分で自分をバラバラに……?
 またろくでもない死に様だな。なんでわざわざ。
 そういえば貝田弘江はゾンビを作り越谷泰斗は蝿を操り、それによって死体を作った。絵を操って自分の死体を作るのだとしたら、現象としては不可能ではない、のかもしれない。どうやるのかは皆目検討がつかないけれど。
「なんで自殺した?」
「よくわかんない。でも絵を描いていたからだと思う。絵をどうしたらいいのか、悩んでたみたいなんだ」
 絵が原因?
 うまく描けなかった、とか?
 そうだとしたらどうしたらいいんだ? 喜友名晋司に絵がうまくかける方法を教える? 一体どうしたら解決するんだ。途方に暮れそうだ。絵はわからん。本当に。けれどもなんとか考えるしかない。あまり気が進まないな。
 先に確認すべきことを確認しよう。
「今回も脱出口はある?」
「2階の正面の部屋の窓が空いてる。あのおじさんが腕を庭に投げたところ」
 美術商が発見した腕、か。家の言いぶりでは、喜友名晋司は自分の腕を庭に投げ捨てた。何故だ?
 柚の部屋を出て中央の部屋を通り過ぎ、2階の窓を確かめる。目の前の窓は閉まっているが、その端に触れればに確かに窓は開いていて、外のベランダに出ることができた。公理さんには絵を見ないように伝えてある。
 振り返ったが、やはり俺には喜友名晋司の姿が見えず、ぽっかりと黒い枠が浮いているだけだった。
 ただ、意識すれば話はできる。

「こんにちは。あんたは喜友名晋司?」
  そうだよ。こんにちは
「なんの絵を描いてるんだ?」
  これはたぶん、大地の絵なんだ
  もう少しで完成できそうなんだ
 声は妙に平坦で、少し沈んでいるように感じられた。
「思い通りに描けている?」
  そうだな、どういえばいいか
  ……思い通りに描くというのはどういうことだと思う?
 どういう……?
「わからない。正直なところ、俺には芸術はよくわからないんだ」
  芸術、か
  私にもわからないんだよ
「画家でもそういうもんなのか?」
  そうだな、私の今描いているものは特にそういうもののように思える
  絵というのは本来自分の見たものや頭の中を描いているんだよ
  君は自分が何なのかわかるのかい?
 俺が何か、か。
「……ある程度は把握している」
  そうか
  君は強いな
  そうだな、思い通りにかけているかどうか、か
 そこで答えは途切れた。考え込んででもいるのだろうか。静まり返る部屋を見渡せば、やはり俺には黒い四角しかみえなかった。
 さっきから問答の意味がさっぱりわからない。公理さんならわかるのかな。お手上げだ。俺にこの人を説得なんてできるんだろうか。
  私はね 私が見たものを絵に描いていた
  そうだと思っていた
  だけどもだんだん、それが本当に自分の見ているものなのか、最近よくわからなくなってきたんだよ
「ふうん、難しいものなんだな」
  ……それほど難しくはない
  私はもともとそうやって描いてきたのだし
  今は自分の思いというものがよくわからないんだ
  この家に引っ越してきてからよくわからなくなった
  だがこの家に引っ越してきてから私の絵は認められるようになった
  なあ君、私は私だろうか
「そんなことを言われても、俺はもともとあんたを知らないからわからないよ」
  ……それもそうだな
  ……それなら、君もこの家で暮らしてみてはどうだろうか
  この家のものを食べ、この家に暮らす
  そうすれば君も少しわかるかもしれない
 その瞬間、ぽっかりと開いた黒い枠の奥で何かがざわりと蠢いた。その瞬間、俺の心臓がドクリと波打つ。強烈な呪いの気配が絵の奥から滲み出てくる。首筋がざわつく。絵から、呪いが出てくる。直感する。まずい、この呪いは、濃い。越谷泰斗の部屋中に散らばった呪いと違って濃縮されている。そんな予感がする。これが何なのかがわからない。今は撤退だ。

 急いで目を開ければ、キョトンとした公理さんと目があった。
「どした? 何があったのさ?」
「……絵から呪いが出てきそうになった」
「絵から?」
「ああ。正体がわからないから、とりあえず撤退した。越谷泰斗の時のように直接捕食しようとするタイプなら、あれは手強そうだ」
 越谷泰斗の蝿は明確に俺を食おうとしていた。けれども1匹1匹は小さい。だから集団で襲われなければ、多少であればなんとかなる。けれどもあの絵から出て来ようとしていたもの。あれは濃い。貝田弘江の運んだ黒い泥よりも遥かに。だからアレが俺を殺そうとするものならば、捕まったところからもぎ取られそうな、気がする。
「困ったな。どうやって呪いを観察すればいい? 対策以前の問題だよ」
 思えば貝田弘江の泥は俺に無関心だった。だからそれにどっぷり浸かってもすぐに問題になりはしなかった。
「そうなの? ……そういえば喜友名晋司とはどんな話したの?」
「正直よくわからないな。絵が思い通りに描けているかわからないと言っていた」
 いつも通り、何がなんだかわからない。
 だからいつも通り、まずは現状の分析だ。それからだ。
「俺にも話して?」
 公理さんの顔色は僅かに青白い。けれど協力して最速で解決することに異論はない。俺と公理さんは見ているものが異なる。俺の聞いた情報と公理さんの見た景色。聴覚と視覚をあわせれば、見えてくるものがあるかもしれない。
「公理さん、目的の明確にしよう。このバイアスを消滅させるためには喜友名晋司の呪いを解くことが必要だ。喜友名晋司の望みは何だろう」
 呪いは絵の中にある。正直、あの絵の中に立ち入ることは不可能だ。あの黒いのがいる世界に入るのは、食ってくれと言っているとしか思えない。
 呪いの解除についてこれまで判明したことを公理さんと2人で組み上げていく。

 家は呪いが積み上がっていると言っていた。
 公理さんが最初にこの家を見た時、不審者事件の死体はただの積み上がる死体だった。そして橋屋事件を解決したら、不審者事件の死体は腐乱死体として俺達の眼前に現れた。つまりこの家に複数のバイアス、つまり呪いがあるとしても、全ての呪いが同時に働いているわけではない。
 呪いは層をなして積み上がり、基本的にはこの家の中にある1番上のバイアスが世界を構築し、その中で悲劇をくり返している。その繰り返しの内容は、貝田弘江にしろ、越谷泰斗にしろ、呪いの中心となる存在の死亡時点がくり返しの起点に思える。
 そして貝田弘江のバイアスが動いている時、越谷泰斗のバイアスは活動を停止していた。新しいバイアスがその上に構築されると同時に1つ前のバイアスは眠りにつくのだろうか。
「それはどうかなあ」
「違う?」
「下のバイアスが完全に寝ているわけじゃないと思う。俺は橋屋事件の最中の昼間、柚の部屋に入る前に多分、越谷泰斗と階段ですれ違った、と思うんだ」
「何で今更」
 公理さんは言いよどみ、首をかしげる。
「昨日の夜さ、越谷泰斗が外に出た時、写真で見たのとは少し印象が違ったんだ」
「写真? スクープOK?」
「そう、これだ、越谷泰斗。この人はあの家の中で見た時、こんな表情じゃなかったんだ。この写真、ちょっと表情おかしいでしょ?」
 公理さんが借りっぱなしの週刊誌を開くと、そこには不審者事件の被害者の写真が並んでいた。おかしい、かな。そう言われると確かに表情が薄っぺらいような気がしなくもない。ラリってるっていうか。
「昼間に扉を覗いた時、階段ですれ違った幽霊と同じ幽霊だったと思う」
「すれ違っただと? 何故わからない」
「いや、すれ違ったときは穏やかな顔をしてて写真じゃわからなかったんだ。本当に。それで家から出てきた時の越谷泰斗と同じ顔をしてた、今思えば」
 公理さんは越谷泰斗の写真の顔を隠す。
「すれ違った時の越谷泰斗はさ、黒い粒にまとわりつかれてはいはなくて、普通の幽霊と同じ感じだった。貝田弘江も顔が代わりすぎて同じ人とは思えなかったけど、呪いが解けたときは写真と同じ顔をしてた」
 確かにスクープOKの貝田弘恵の写真は普通の中年の主婦という感じで、公理さんの言うような鬼の形相とは程遠かった。
「あの家では今もいろんな幽霊が一日を繰り返している。前より大分少なくなったけどね。だからあの家の中にいる限り、幽霊たちはそれぞれの一日を繰り返しているんじゃないかな」
「……そうすると、一番上にあるバイアスだけがその繰り返しの中で呪いの影響を受けている、のか?」
「どうだろう、そこまではわかんないし、そうなのかもしれない。けれども今現実で、不幸を作り出しているのは俺の友達、なんだろ?」
 そう。貝田弘江や越谷泰斗が今現在、人を殺しているわけではない。
 殺しているとすれば、柚。
 新しいバイアスが構築される切っ掛けは呪いの中心となる人間の死亡と仮定する。今のところこの点に異論はない。それならば喜友名晋司の死亡推定時刻は朝だ。その時間を皮切りに1日を繰り返していると思われる。最終的には朝にあの家に乗り込んで、呪いを解かなければならない。
 ふと、疑問が沸き起こる。
 これまでは死という結果を防ぐ、つまり誰も殺しも殺されもせずに家から出す、それが必要だった。それは両者が同時に存在している時間帯に説得するのが、結果を防ぐのに都合がいいからだ。けれどもこの死亡直前の時間以外でも呪いを解くことはできないのだろうか。
 喜友名晋司は自殺だ。それ以前に自殺を止めれば、他に死者は出ない。新聞記事からも同時に何者かの死体が発見されたということもなさそうだ。

 もう1つ確定していないのは、呪いの活性化の要件だ。これがわかれば、呪いに接触しないことで危険を回避できるかもしれない。
 これまで呪いは一定のタイミングで活性化した。
 貝田弘江は貝田弘江が2階に上がった時、越谷泰斗は越谷泰斗があの家に戻った時、がその可能性が高い。貝田弘江に絡みつく黒い泥、越谷泰斗に住み着く黒い粒。そのタイミングは何で決まる?
 喜友名晋司の呪いはあの黒い四角い枠だと思う。喜友名晋司はあの部屋で絵を描いていたけれど、おそらくそれだけでは呪いと呼べるものは発動していなかった。喜友名晋司が俺に呼びかけた時、酷い不運の予兆が襲ってきた。喜友名晋司が呼べば、呪いが絵からやってくる、のだろうか。
 わからない。呪いというのは独自の意志を持つのか?
「今までのはある程度はオートで作動している感じだったよね。喜友名晋司は呪いを意図して呼んでいたの?」
「そう、見えた。でもひょっとしたら喜友名晋司が呼んだというより喜友名晋司が特定の行動をとるとか特定の状況になることがトリガーなのかもしれない。でも根拠はない。実際のところは全くわからない。だから決めつけない方がいいだろう」

 今回の呪いの解除方法。
 結論自体は簡単だ。毎日を繰り返させない。喜友名晋司の自殺を止めればいい。だがその方法が浮かばない。
 喜友名晋司は絵を描いていた。その絵に呪いが住んでいた。そうするとやはり絵をどうにかする必要があるんだろうか。わからない。
 今は家に柚がいる可能性がある。家にいる時間に覗いたら、また追い出されて扉が割れるかもしれない。そうすると調査が進まない。
 そういえば越谷泰斗のバイアスを消滅させた時、俺と柚を隔てる何かが消失した気がする。夢でも同様だろうか。ひょっとしたら夢にも影響が出るかもしれない。夢は記憶を保持することができないからリスクは高まる。今寝るのはやめておこう。せめて柚が寝入る深夜まで。

 柚。柚が置かれている状況についての推測もわずかに浮かんできた。
 おそらく柚が死ねば新しい呪いとしてバイアスが構築され、柚は死んだ一日を繰り返すのだろう。柚はおそらく、生きていた越谷泰斗が死体を作り出しているのと同じ状態なんだ。
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