叫ぶ家と憂鬱な殺人鬼(旧Ver

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第3章 大量不審死事件

幸せって何だ? 呪いの構造

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 公理さんが起きるまでに4品完成した。
 残った鶏肉で作ったアヒージョ、薄切りにした蓮根フライ、茹でだだ茶豆、トマトのマリネ。それからトーストしたバゲットとドライフルーツ、各種チーズを皿に盛って、小皿にオリーブオイルと蜂蜜を添えた。酒は勝手にセラーから取り出して、適当にデキャンタする。検索したらその銘柄はその方が美味いと書いてあったから。
 起きて開口一番俺を怒鳴ろうとした公理さんは、目の前に広がる酒とつまみに振り上げた拳をそっと下した。チョロい。
「……ハル、うちに住んでいいよ」
「断る。それで何が見えた?」
 公理さんは一瞬口元に手を当て顔色を悪くした。
「ごめん。もうちょっと後にして、まじで」
「すまないが、頼む。公理さんしかいない」
「……うん」
「それからしばらく仕事が休みなら頼みがある」
「……何?」
 ビクリと肩が揺れる。明らかに警戒した声。信用の低下を感じる。
「俺が寝て1時間半くらいたったら、それかヤバそうだったら起こしてほしい」
「1時間半?」
「ああ。どうせ明け方まで寝られないんだろ? 公理さんが眠くなった時も起こして」
 公理さんの瞳が心配そうに揺れた。
「……ハル、寝不足になる」
「だから早く終わらせたい。俺は朝、公理さんが寝てる間に図書館に調べ物に行く。鍵を出しておいてもらえれば、ドアポストから中に入れておく」
 眉間をよせる公理さんのグラスにワインを注ぐ。
 スペインの赤からはざらついた香りがした。少しだけ、血の匂いに似ている。
 チーズに蜂蜜を乗せて齧れば豊かな風味が口中に広がる。ちょっとした美味。ちょっとした幸せ。それが何より、極限状態で正気を保つために必要なものだ。それにいいチーズはやっぱり美味い。
「なんでコーラなのさ?」
「飲酒年齢は20歳で、俺は19だから。本当は緑茶が好きなんだけどな。買わなかったからさ」
 ペットボトルで買うには思い。公理さんちには急須なんかはないから買わないといけないが、持ち運びが面倒だった。ネットで買っておこう。
「チーズに緑茶? 合うのかな。でも、わかった」
 公理さんの眉が申し訳無さそうに寄る。何を考えているかはわかる。俺を巻き込んだと罪悪感でも抱いてるんだろう。
「起こす時にできれば殴るのはやめて欲しい」
「だってハル、揺すっても起きないんだもん」
「他に方法があるだろ。そうだな、首を冷やすとか?」
「首?」
「そう、氷とかさ、濡れタオルでもいい」
「俺酔っ払うからなぁ」
「俺が死んだら公理さんも死ぬかもよ? 声は聞こえないんだろ? つまり公理さんじゃ、説得できない。呪いが解けない」
「うぐぐ、頑張る」

 次は大量不審死事件だ。
 調査は未了だが、あの家で十数人の死体が見つかった。見つかった原因は異臭だ。周辺住民から苦情があり、警察官が立ち寄ったところ、庭側の窓が割れて開いていて、家の中から死体が見つかった。それぞれの死体の関連性はないとされている。
 異臭がするということは腐乱しているということだ。公理さんが見た光景を確認するのは明日にしよう。今は気持ちよく酔っ払っているから。既に。
「そろそろ寝るよ。ベッド借りる」
「おやすみ。ちゃんと起こせよ。飲みすぎるな」
「わかった。また明日」
 目を閉じる前にちらりと見た公理さんは、ワインを片手につまみを突いていた。気に入ったようだ。それを横目で眺めながら、俺はこんな夢を見た。
 どこまでも広がる白い空と白い地面。
 気がつくと俺は高台に座っていた。遠くで高い建物がキラキラときらめいていたが、霞がかかっていてよくは見えない。誰かが俺の袖を引く。
「お兄さん、ありがとう」
 うん? なんだ?
 隣に誰かがいるような感触がする。けれどもその姿は見えない。
「お兄さん凄いね。僕は話しかけても全然聞いてもらえなかったから」
「話しかけても? お前は誰かに虐められてでもいるのかい?」
「ううん、僕はどっちかっていうと虐めているほう、なのかな」
 少し、声が翳る。
 けれどもその内容とは異なり、口調はむしろ穏やかに聞こえた。
「次の人たちは色々なんだ。色々な人が僕の家にやってきた。なんだか僕の家で家探ししていたっぽい」
「へぇ、お宝でもあるのか?」
「ないよ。なにもない。本当に。でも色々探してた。その人たちは今もまだ家にいる」
「ふうん?」
 なんだか要領を得ない。
 新た得て目を上げれば、白い世界が広がっている。そういえばこの反対側は何があるんだろう。
「お兄さん、振り向かないで」
「うん?」
「僕はお兄さんともう少しお話がしたいの」
「なんの?」
 わずかに戸惑ったような、空気が流れた。
「……そうだなぁ。お兄さんにとって『幸せなマイホーム』ってどんなもの?」
 『幸せなマイホーム』?
 少し、頭が痛くなった。
 幸せ、か。幸せってなんだったかな。もう随分遠い響きだ。俺は不運に呪われている。俺のこの道行の先に、幸せなんてあるのかな。
 住んだら幸せになる家?
 幸運であっても不運であっても、他の何かに運命を捻じ曲げられるのはもう嫌だ。それはやっぱり呪いのようにしか思えない。俺と逆で幸運の呪いにかかっている奴が友人にいるが、ああなりたいかといわれると正直疑問だ。むしろ断る。普通がいい。
 何もない、ただ普通の暮らし。それが俺には恐ろしく遠い。もはやどんなものかも忘れてしまった。
「幸せってなんだ?」
「なんだろうね、僕にはよくわからない。でも多分住んでる人が笑ってることじゃないかなと思ってる」
 それはなんだか幸せそうだな。でも。その文脈が妙に引っかかる。
「それは別に家が幸せなんじゃなくてさ、幸せな人が住んでるだけなんじゃないのかな?」
 見えない何かが俺を見上げた、気がした。
「そうか、そうかもね。でも僕の家に住んでる人は最初は幸せでも、どんどん不幸になっていく」
 どんどん不幸、という言葉が俺の心に刺さる。
 俺はそもそも大体不幸だよ。どん底だ。でも俺の中には不幸以外のものもある。どん底でも、何人かの大切な友達とその思い出がある。
「不幸であっても不幸だけが全てじゃない。俺は不幸だけど、大事なものも持っている。不幸だけを見ているか、それ以外も見ているか、その違いじゃないのかな」
「それ以外?」
「ああ。不幸ばかりを見つめていれば、不幸しか見えなくなるだろう。ただ、幸せな家、不幸せな家、というのがあるのだとしたら、何かのバイアスが働いているんだろうな。住む者の意思や運命を捻じ曲げる何かが」
「バイアス……。そうか、そうかもね。お兄さんありがとう。お兄さんはその1番上のバイアスを取ってくれた」
「俺が?」
 何のことだろう。
「お兄さんありがとう、話せて楽しかった」
 隣で立ちあがる気配がした。つられてそちらを振り向くと、目の端に色が映る。
 そこには一軒の家があった。
 真っ白な世界で唯一色のついた家。これは。そうか。これは夢。また、世界がひび割れ始める。
「家、お前は不幸なのか?」
 返事の前に俺は目を覚ました。やはり頬の痛みとともに。
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