叫ぶ家と憂鬱な殺人鬼(旧Ver

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第1章 北辻の呪いの家

歌菜は何故死んだ? 死因の検討

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「ハル、俺、飲んじゃだめかな?」
 公理さんはすぐに意識を取り戻した。けれども顔色は真っ青で、開口一番がこれだった。
「駄目だ。何を見たかだけは説明しろ。さもなきゃもっかい家を見るぞ?」
「やめてやめて! マジでそれやめて、冗談でもやめて」
 俺の肩を揺すぶりわかりやすく狼狽える。目の奥には確かな怯えが見えた。
「何を見たのか知らないがな。そんなものに肩を掴まれた俺の身にもなってくれよ」
「あ、感触、あったんだ……」
 公理さんは頭を抱え、迷うように目をさまよわせた。
「泊まってってくれるなら……」
「何で」
「もう夜だし怖い」
 夜だし?
 俺がいるともれなく扉がついてくる。余計怖いのでは。
「それで何が見えたんだ」
「何も、見えなかった」
「何も?」
「幽霊としては」
「幽霊としては? わかるように話さないと帰るぞ」
「待って待って、俺もなんて説明したらいいかわかんないんだって! ちょっと時間、頂戴」

 すっかり冷めたピザを片付けながら、肩に置かれた手の感触を思い浮かべる。
 極度の不運の予兆と共に現れた冷たく小さな……子どものサイズの手。そういえば俺は視点を下げていた。だから肩は子供の手が届く高さではあった。とすればあの叫び声の主も子どもなのだろうか。
「ハル。あの和室にはパッと見、幽霊的なものはいなかった。けど、家がいた。というか家なんだ。ちょっとうまく説明できない、本当に」
「家の幽霊?」
「幽霊というよりは、家?」
 家。家がいる。俺にくっついているのは家の幽霊?
 というよりあそこは家の中だろう? 全てが訳がわからない。
「順番にいこう。最初は何を見た?」
「最初? ああ、ええと。和室の中には何も見えなかった。……そういえば幽霊もいなかった気がする。でも変だったんだ。何かがぎっしり詰まってる感じがした。和室全体が幽霊、みたいな? それでね、多分その詰まった何かが、部屋の中にいた人を食べてた、霊的にっていうか、エネルギー的にっていうか」
「霊的?」
「うん、物理的に食べてるんじゃなくて、その、幽霊を食べてるっていうか。それがなんとなくエネルギーの流れでわかった。だから真っ暗だったけど、あそこにいたのは家、あの家の意思だと思う」
「家、の意思?」
 そもそも家というものに意思があるのだろうか。俺に憑いてるのも家なんだよな。家のリビングの扉。
 家の中に家。それが死体の霊を食べている。何が何だかわからない。
「最後に何を見た。俺の肩をつかんだのは何だ」
 公理さんは目を閉じ、考えこむように黙り込む。
「多分、家?」
 また家か。というより家が肩を掴む?
「なんていうかさ、よく見えなかったんだけど、和室の中の家の意思が濃縮して、どんどん濃くなっていった、感じがしたんだ。ハルの肩越しに見えてる色が急に暗くなった。部屋のライトを切ったみたいに。それで、なんていうか凄い圧の視線を感じて、気絶した。まじ心臓止まるかと思った」

 凄い圧の視線と聞いて、俺は自分が気絶した時のことを思い浮かべる。あの坂の上から聞こえたのは鼓膜が破れるかと思うほどの叫び声だった。そして先程聞いた悲鳴も、それに近かった。家の幽霊はその時俺に憑いたのだろうか。
「そうすると今、公理さんもドアに挟まってんの?」
 公理さんは目を見開く。
「そんな感じはしないけど……確認してくるね」
 ふらふらと洗面に向かうその背をよそにすっかり冷めたポテトをつまめば、少し萎びていた。
 先程の指は肩より前面に伸びていた。俺の真ん中に扉があるというのなら、その扉を超えてきたということだ。あの怖気と瘴気を感じたのはどのタイミングだ? あの手が扉を超えてきた時だろうか。そうすれば、何かのタイミングで扉から何かが出てくるのか?
 公理さんが見ていたのが家又は家の霊だとすると、家がリビングの扉から出てくるというのも意味がわからない。
 今は不運の予兆は感じない。仮に扉からいつでも何かが出て来うるのだとしたら、不運の予兆は常に感じるものだろう。そうすると、出てくる為の切欠、何かのトリガーがあるのだろうか?
 公理さんはほっとした顔で戻ってきて、首を左右に振る。
「大丈夫だった」
「今も家の中は見えるのか?」
「今は扉は閉じてる。ハルが家を見てないと、扉は開かないんじゃかな。ハルが家を見ている間は扉が透き通るんだ」
「扉には触れるのかな? つまり扉の中とこちらは相互に接触できるのか」
「げっ、触れってゆーの?」
「今はヤバい感じはしないから大丈夫だよ」
 公理さんは恐る恐る俺の肩の上に手を伸ばす。
「触れない。すり抜ける。やっぱ幽霊だ。ちょっと!」
 目を閉じてリビングと繋げた状態で触って、もすり抜けるようだ。目を開ければ硬直した公理さんの口からフゥというため息が漏れた。

 さて、どうしたものか。
 俺も家とは接触したくない。家の中であった和室にいた何かは、俺に不幸をもたらすものだ。だからなるべく、覗きたくない。覗かずに調べられること。
 そもそもあの死体は何だ。何故和室に死体がある。そして何故、柚は平然とその隣の居間でくつろいでいる。柚が一人で住んでいるのなら、死体の発生の原因は柚だろう。
「友達は人殺すタイプの奴? あの女は死体だよな?」
「や、人殺すタイプってそんなのあるのかよ」
「ある。シリアルキラーは人を殺す。そんな人間はカテゴライズされるほど、実はたくさんいるんだよ」
 公理さんはそんなバカなとでもいうように苦笑いを浮かべ、目を手元に落とす。
「あの女の人は多分、歌菜かなだ。俺と友達がよくいくクラブでたまに会う。あの家にいた理由はわからないけど、友達とはそれなりに仲良かった気がする。だから家に連れてきたのかもしれない」
「友達がその歌菜を殺した可能性は?」
「極端すぎ。……でもあの家にいたんだもんな、普通はそう考えるのか。でも友達がやったとは思えない。だって友達ひょろかっただろ?」
 確かにその歌菜という女の人のほうが柚より大分大柄で、ガタイがよかった。思い浮かべた柚の姿からは、格闘技をやってるようには思えない。相対で殺せるとは思えない。けれども殺すだけなら毒でもなんでも、方法はある。
 あるいは殺したのは家なのか?
 家の霊は人を殺せるのか? 俺の肩を掴んだ感触。そうだ、確かに感触があった。アレは物理的にも人を殺せるものなのだろうか。今更ながら冷や汗が背筋を伝う。

 歌菜の姿をもう一度詳細に思い浮かべる。法医学の授業を思い出す。
 肩を出したワンピースを着ていたが、あの部屋は暗かった。だから角膜の混濁の有無、死斑、それから腐敗性変色、つまり体表が緑色になる現象が生じているかは判別できない。見た範囲では体には浮腫もなく、畳に染みもなかった気がする。つまり腐敗疱や表皮剥脱は見られない。最近温かい日が続いている。あの部屋を特段冷やすということもないのだろうか。少なくとも目に見える腐敗は始まっていない。とすると死後それほどは経ってないだろう。
 おそらく死んでから一週間以内だ。それに剥離が始まっていれば臭気、つまり腐敗臭が生じる。隣の部屋でくつろげるとは思えない。
 今のところ歌菜に死体からわかることはこの程度か。
 では、歌菜は何故死んでいた。歌菜は自分の意思にあの家に来たのか。
「あのあたりって人住んでるの?」
「住んでるらしいよ? ちょっと正気を疑うけどね。でも幽霊とか全然影響ない人も一定いる。丘の上で景色がいいのに安いから、人気はあるみたい」
 そうだな、見えなければ全く気にならないのかもしれない。

 幽霊というのは特定の周波数帯の電波のようなものだと思う。周波数が合えば見えるし、合わなければ見えない。合致しないなら、外を通る範囲ではさほど問題ないのかもしれない。
 俺は基本的に全ての周波数帯を受信できない。公理さんはだいたいの周波数帯を受信できる。そういうことだと思っている。あの家は全周波数に呪いを乗せた強電波を発信している、気がする。それほど、本来幽霊が見えない俺にもあの家はやばく感じられた。
 本来? いや、俺はやはり、幽霊を見たのではないのかもしれない。公理さんが見たという家の中のたくさんの幽霊は見えなかったし、今も家の扉の幽霊は感じられない。
「その歌菜って人は勝手に他人の家に上がり込んだリする人?」
「えー? わりと常識人だったし、そんなことはないと思うんだけど」
 他人の家に無断で上がりこむのはハードルが高い。柚が家に連れてきた可能性が高い。
 今のところ考えられる死因の可能性。

 柚が殺した。
 家が殺した。
 それ以外が殺した。
 自殺した。

 現時点でこれ以上の推測は無理そうだ。
 そうすると次はこの事象の解決方法を検討しなければならない。
 目的は俺に憑いているという家の扉を外すこと。
 これは何故、俺についている? そして何故公理さんにはついていない?
 俺にあって公理さんにないもの。あるいはその逆。
 公理さんは霊が見えるが俺は見えない。
 公理さんは叫びは聞こえなかったようだが、俺は聞こえた。こちらが見えたり聞こえたりしているかを家に判断できるのかは不明だ。
 公理さんは住人と面識があり、俺はない。普通は関係性が近いほうが呪われることが多い。この観点は無関係かもしれない。
 それから2人ともあの家に行くのは初めてだ。
 今のところ、決定的な違いは見当たらない。保留だ。

 家の目的を分析しよう。何故俺に取り憑いた。
 俺はあの家と繋がっていると仮定する。
 家は俺を引きずり込もうと思えば、恐らく可能なのだろう。触られたが、掴まれはしなかった。触れるなら、掴めるはずだ。そうしないということは、家の中に引きずり込むこと自体は現時点では目的としていない、のかもしれない。
 反対に、家がこちら側に出てくる可能性。それもいまは低いのかな。家が出てくるとか意味がわからないんだけど。
 いずれにしても、家はこの扉を越えられるということだ。
 気にすべきはその家が俺の肩に手をかけた時、強い不幸の警鐘があった。あれはあの家に近づいたときと同じものだ。
 基本的に接触は危険だ。
 けれども家が接触してきたのは、家の中を3回見た中で最後だけだ。最初の2回はなかった。今回何故接触してきた? 違いはなんだ?
 公理さんが家そのものを観察していたかどうか、か?
 見られるのを好んでいるパターン、好まないパターン。
 ここもデータが足りない。現状ではわからない。

 対策を検討しよう。
 扉を開けて家を観察しない限り不運の予兆がないのであれば、俺があの家を見なければいい。その場合は現状維持だ。原因も目的もわからない以上、いつ悪い方向に展開するかわからない。いや、俺は運が悪い。おそらく悪い方向に展開するのだろう。だからこの家の扉を外す方法を考えよう。

 情報がまるで足りない。データを集めるしかない。可能な限り穏当なところから着手しよう。
 和室は死体が置いてある。公理さんは家が死体を食べていると言っていた。不運は不運に集まりやすい。それは俺の経験則とも合致する。それならば今、家は死体のある和室にいる可能性が高い。なるべくあの和室のようにやばそうな場所を避けて観測するのが得策か。

「公理さん、安全なところからもう1回トライしよう」
「無理無理無理! 少なくとも今日は勘弁して!? 明日、明日ならきっと、お願い」
 公理さんの怯えは先程よりさらに顕著だ。
 無意識に、俺から小さくため息が漏れた。仕方、ないか。まあ、気絶するほどの恐怖、だったんだよな。
 俺は不運に塗れてるせいか、恐怖に類する感覚にはそれなりに耐性がある。それに考えにふけっている間に公理さんはワインを開けていた。
 無理だな。酔っ払った公理智樹は何を仕出かすか読めない。かえってリスクが高い。これも対公理さんの経験則。
 しかたがない、続きは明日だ。
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