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その後3 呼び名
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その日。
話しの流れで、トレーニング後、藤の部屋に大和が来る事になった。
どうしてそうなったのか、事の次第はこうだ。
「藤。藤って本名じゃないんだってな? いや、本名の一部? 俺、てっきり藤って苗字だと思ってた…」
ベンチに座ってひと息入れながら、大和が尋ねてきた。
どうやら、真琴が話したらしい。それで亜貴が驚いて、戻って来た大和に早速報告したのだ。
藤はペットボトルの水を飲みながら、
「別に問題ない。好きな様に呼んでくれればいい」
「えぇ~? マジ? 『彰ちゃん』とかでもいいのか?」
その言葉に、ひと時思案したのち。
「…『ちゃん』は柄じゃない」
「そっか? んじゃ、彰くん? 彰吾? 彰吾さん? てか、藤巻さん?」
どれもピンと来ない。
──まあ、大和になら下の名前で呼ばれてもいいが。
ふと、こちらを見上げて来る大和を見つめ返す。
『彰吾…』
そう呼んで、大和はフワリと笑み、手を差し伸べてくる──。
そこで、軽く頭を振った。それは、昨晩会った女の仕草だ。何を混同しているのか。
最近、行くようになったバーのホステスで、年齢は大和とそう変わらない。どことなく、雰囲気が大和と重なって、それが彼女を選ぶきっかけにもなったのだが。
全く。ここの所、どうかしている。
「んだ? 藤」
「いや…。なんでもない。やはり『藤』が慣れている。それでいい」
「ちぇー。つまんねーの」
彰ちゃんでいいのに、とブツブツ呟く大和の端末が着信を知らせた。直ぐに大和が反応する。どうやら相手は岳らしい。
ここの所、往復共に岳が送迎していた。
久我の件は取りあえず終わったものの、もしかして、他にも馬鹿な考えを起こす輩がいないとも限らない、と、岳は大和の外出に気を配る様になったのだ。
週二回のトレーニングも、近所への買い出しも、散歩でさえ、一緒について行っているらしい。
そこまでしなくっても、とは亜貴の言葉だったが。
気持ちはわかる。
岳と会話中の大和に視線を向ける。
自分だって、出来れば当分の間、大和をひとりでは歩かせたくないだろう。
岳とは同じ穴のムジナなのだ。
「…うん。分かった。──じゃあ、藤に代わるな? 藤、岳が代われって。今日、迎えが遅くなるからって」
「分かった」
そう言って、端末を受け取ったが、岳が遅くなるのと、自分がどう関係してくるのか。一番あるのは、岳が迎えに行くまで一緒にいて欲しい──だろう。
「はい」
『藤。済まないが、すぐに迎えに行けそうにない。それまで、大和を部屋で預かってくれないか?』
ビンゴだが、部屋で──と言うのは考えなかった。
「それなら、大和を家まで送りますが──」
『いや。そこまでは遅くならない。あと少しで打ち合わせが終わるんだ。けど、じきにそっちの営業時間も終わりだろ? だったら、お前が帰るついでに大和も連れてって貰えればと思ってな。いいか?』
「はい。かまいません」
『じゃあ、頼んだ。それと大和にアルコール、飲ますなよ? 直ぐに酔って絡む』
「…分かりました」
つい、そんな大和も見てみたいと思ったが。
『──お前、ちょっと飲ませたいと思ったろ?』
「…いいえ」
岳にはお見通しだ。
端末の向こうで岳が苦笑した気配。
『…兎に角、頼んだ。そう時間はかからない』
「分かりました」
再び端末を大和に返すと、岳とひと言ふた言、会話を交わした大和は通話を切った。何か言われたらしく頬に赤みがさしている。
「っとに。何だって、ああいうこと言うかな…」
きっと、恋人同士らしい甘い言葉でも囁かれたのだろう。岳は大和にベタ惚れだ。
「今日はもう終わりだ。少しロビーで待っていてくれ」
「了解! よろしくな」
にこっと笑んで、見上げて来る大和に、ドキリとしたのは気の所為ではなかった。
+++
「はぁ。っとに、何にもねぇんだな? もっと、散らかってるかと思ってた」
藤のアパートを訪れた大和の第一声だ。
大和に部屋はどんな様子か聞かれ、特に何も無い──と、答えたのだが、雑誌や本が投げ出されてはいたが、確かに乱れてもいないし物も少ない。必要最低限だ。
藤はベランダに干しっぱなしになっていた洗濯物を取り込む。
ごく普通のアパートだった。ただ、セキュリティはそれなりにしっかりはしている。万が一もあり。用心するに越した事はなかった。
「大和はそこで休んでいてくれ。俺はシャワーを浴びてくる。何か飲むか? お茶かコーヒーか…」
「ん? いいや。飲むにしても、藤待ってる。メシはこれからか?」
「ああ」
「じゃあ、適当に作っとく。沢山食うか?」
「いや、夜は軽い…。だが──」
「気にすんなって。いさせてもらうお礼だ。冷蔵庫の中、見るぞ?」
そう言って、藤が曖昧に頷く間にも、冷蔵庫と冷凍庫のドアをそれぞれ開け唸る。
「こっちも綺麗なもんだな…。野菜と──冷凍うどんはあるのか…。うし! じゃ、シャワー行ってこいよ」
そうして、腕捲くりしながらサッサとキッチンに向かった。
「ああ…」
鼻歌交じりにそこ立つ大和の姿に、思わず目を細めた藤だった。
そうして、シャワーを浴び終え、部屋に戻れば。
「ホイ! 冷めないうちに食えよ」
そう言って、リビングの中央のテーブルに置いたのは、ソース焼きそばならぬ、ソース焼きうどんだった。ソースの焦げた匂いが食欲をそそる。
「具はキャベツとブロッコリーと玉ねぎ、ニンジン、鶏むね肉だけどな。自炊、してるんだな?」
冷蔵庫の中身でそれに気付いたらしい。ただ焼いたり茹でたり、そんな程度のものだが。
「ああ。早く帰れた日はな。…ありがとう」
藤はテーブル前のソファに座り、皿に盛られた焼きうどんに箸をつける。すると、目ざとく見つけた大和が。
「あ! ホラ、食べる前。『いただきます』って」
「あ、ああ…」
そんな事は、大人になってもしたことがなかった。大和は、保育園の先生よろしく、メッと叱る様な顔つきで見てくる。
藤は急いで両手を合わせると、
「いただきます…」
小さく口にした。
大和の作った焼きうどんは美味しかった。何の変哲もないそれなのだが、美味しい。
人に作ってもらうとやはり違うのだ。
以前住んでいたマンションを訪れた際も、時折、岳が夕飯をご馳走してくれた事があった。
その時はチャーハンとサラダ、味噌汁という簡単なメニューだったが、やはり美味しく感じた。
いいものだな。
誰かと一緒に取る食事は。
藤がようやくうどんを、ひと啜りした所で。プシュッと聞き慣れた音がした。
ハッとして顔を上げれば、大和が缶チューハイを開け、口にした所。
「…大和?」
「ん? あ、飲んじゃダメだったか? 沢山、入ってたからつい」
「いや。いいが…」
岳の言葉が甦る。
「普段、家だとたまにしか飲ませてくんねぇんだもん。岳や真琴さんは、もっと強い奴飲むくせにさ。こんな時くらいしか、気兼ねなく飲めねぇって。てか、これ、オトナ味だな? 甘くねぇ…」
「甘いのは苦手でな。それより、さっき岳さんから飲ますなと言われたんだが──」
大和は大きく手を振ると。
「いいのっ! 気にしない、気にしない! 飲んだって、変わんねぇし。ホラ、食わねぇと冷めるって」
「あ、ああ」
変わらない? 本当だろうか。
しかし、岳の言った通り、藤の危惧した通り。食べ終え、皿を洗い終えた時点までは良かったのだが。
「大和。そろそろ岳さんが迎えに来る頃だろう──」
そう言ってから、タオルで手を拭き背後を振り返れば。ソファの上でうつらうつらする大和がいた。思わず笑みが浮かぶ。
「大和、眠いなら横になるといい…」
そう言ってから、ソファに座る大和を抱え上げ、隣の部屋のベッドに寝かしつける。缶チューハイは既に空になっていた。
じきに岳が来るはずだ。この状態なら岳も気にはしないだろう。大和はスヤスヤ眠る。
つい去り難さを覚え、ベッドサイドに座り、大和の寝顔を見つめていれば。
「ん…藤?」
不意に大和が目を覚ました。藤はポンと手を頭に乗せ軽く撫でると、
「岳さんが迎えに来るまで休んでいるといい。水を飲むか?」
「ん、いい。──藤…」
言うと、大和は額に乗せていた藤の手首を掴み、引き寄せてきた。
「っ!」
流石に油断した。そのまま、体は反転し、ベッドに転がる。その上に大和が馬乗りになって来た。
「…大和?」
「一度、やって見たかったんだ…」
思わずゴクリと唾を飲み込んだ。そうして、大和が取った行動は──。
+++
「トー◯ーロッ!」
そう言うと、横になる藤の上に腹ばいになって来た。
「…?」
流石の藤も、目が点になる。
「だって、藤。ト◯ロっぽいからさ。ずぅーっとやりたい!って、思ってたんだ」
言いながら、胸の上に肘をついて頬をツンツンしてくる。大和の細い指先が頬に触れ、藤を刺激して来た。
「うーん。でもやっぱり、筋肉付いてるから、ポヨンとはしねぇのな。もっとポヨンポヨンしてればそれっぽいのに…」
そう言って、あろうことか、薄いTシャツの上から腹筋を撫で始めた。おお、エイトパック! と声を上げる。
藤は某アニメ映画を観たことはなかったが、時折、テレビで流れる映像で観たことはある。ト◯ロなるキャラクターが、フカフカして大きくて丸っこい生き物だとは理解していた。
これか。岳の危惧は。
大和は酔っていた。目は虚ろで顔は赤い。これが、付き合っている相手であれば、迷わず抱き締めキスをして。それ以上の行為にも及ぶだろうが。
藤はなんとか反応しそうになる自分を治めつつ、その肩に手を掛ける。
「…大和。上から降りてくれ」
「ええー! せっかく、ト◯ロごっこしてんのにっ」
かわいい。かわいいが──このままでは、理性がどこまで保つか分からない。
丁度、下腹部の辺で幾度か軽くバウンドしてみせた大和に、違う行為を重ねてしまい。もう無限界だった。
「済まない。大和──」
「へ…?」
言うと、ぐいと大和の肩を掴み、いとも簡単に身体を入れ替え反転させた。大和がキョトンとして見上げて来る。
藤もまた、じっと見下ろす。
このまま、抱きしめてキスしてしまえたなら──。
「……」
「──ト◯ロ?」
大和は小首をかしげて見せた。思わず、その言葉に吹き出してしまう。
藤はゆっくり身体を起こすと、同じく大和も引き起こした。
「大和、やはりソファで待とう──」
そう言いかけた所で、部屋のインターフォンが鳴った。急いでモニターを見れば岳だ。エントランスホールに到着したのだ。
「すぐ開けます」
入口のロックが解除され、岳が上がって来る。藤が大和をソファへ元通り座らせた所で、玄関ドアのチャイムが鳴った。
「どうぞ」
藤がドアを開けると、すぐに岳が入って来る。
「済まないな。大和は?」
「それが──」
「何かあったのか?」
岳が訝しむ。藤は居住まいを正すと。
「いえ。その気がついた時には手遅れで──」
「ト◯ロォー! なにしてんだよぉー! 空、飛ぼうぜー!」
リビングから大和の声が聞こえてくる。それで何があったのか理解したらしい。藤は済まなさげに視線を落とす。
「その──気付いた時には…」
「分かった…」
ったく、あいつ──と、軽く悪態をついた岳は部屋に上がるとリビングに向かった。
ドアを開ければ、ソファの背の向こうから、大和がひっくり返らんばかりに反って見返して来る。
「あ! ネコ◯ス到着ー! 帰るっ! 行き先、『岳と俺の愛の巣』! 帰るー」
かなりの壊れっぷりだ。しかし、かわいい。
岳はやっぱり、と呟いたあと、腕を伸ばし大和を抱きかかえる。
「ほら、暴れるな。帰るぞ。すまない、藤。下まで送ってくれるか?」
「はい…。言われていたのに、すみませんでした」
「いいんだ。別に飲むのは構わない。ただ、飲むと如何せん、子どもみたいになってな。リラックスするんだろうが…。迷惑かけたな?」
「いいえ。俺は何も」
と、チラと岳の視線が開きっぱなしだった、寝室のドアの向こう、乱れたベッドに注がれた。
岳は藤が几帳面な気質だと知っている。寝る前のベッドが、乱れたままのはずがない。
「…無事だったならいい」
ニッと笑んだ岳の視線には、表情とは裏腹に強い色が浮かんだが、それも一瞬の事で。
「行こうか」
「はい…」
危うく自分で立てた誓いを破る所だった事など、岳にはお見通しらしい。
そうしなくて良かったと、心から思った。そんな事をすれば、大和も岳も、どちらも失う事になる。それは最も避けたい事態だ。
階下まで降り、車まで見送りに来た藤に、
「お前は絶対、最後の最後で、裏切らない。──分かっているから、そんな情けない顔をすんな。じゃあまたな?」
ポンと藤の肩を叩くと、岳は助手席でうたた寝する大和と共に帰って行った。
そんなに顔に出ていたのだろうか。藤は顔をひと撫でした。
わかっているのだ──。
岳は。
心のうちが、温かなものに包まれていく心地がする。この先もずっと二人の傍にいることを誓った藤だった。
しかし、当分の間、某アニメキャラクターの少女の姿をした大和が夢に出てきて、藤を苛んだのは言うまでもない。
ー了ー
話しの流れで、トレーニング後、藤の部屋に大和が来る事になった。
どうしてそうなったのか、事の次第はこうだ。
「藤。藤って本名じゃないんだってな? いや、本名の一部? 俺、てっきり藤って苗字だと思ってた…」
ベンチに座ってひと息入れながら、大和が尋ねてきた。
どうやら、真琴が話したらしい。それで亜貴が驚いて、戻って来た大和に早速報告したのだ。
藤はペットボトルの水を飲みながら、
「別に問題ない。好きな様に呼んでくれればいい」
「えぇ~? マジ? 『彰ちゃん』とかでもいいのか?」
その言葉に、ひと時思案したのち。
「…『ちゃん』は柄じゃない」
「そっか? んじゃ、彰くん? 彰吾? 彰吾さん? てか、藤巻さん?」
どれもピンと来ない。
──まあ、大和になら下の名前で呼ばれてもいいが。
ふと、こちらを見上げて来る大和を見つめ返す。
『彰吾…』
そう呼んで、大和はフワリと笑み、手を差し伸べてくる──。
そこで、軽く頭を振った。それは、昨晩会った女の仕草だ。何を混同しているのか。
最近、行くようになったバーのホステスで、年齢は大和とそう変わらない。どことなく、雰囲気が大和と重なって、それが彼女を選ぶきっかけにもなったのだが。
全く。ここの所、どうかしている。
「んだ? 藤」
「いや…。なんでもない。やはり『藤』が慣れている。それでいい」
「ちぇー。つまんねーの」
彰ちゃんでいいのに、とブツブツ呟く大和の端末が着信を知らせた。直ぐに大和が反応する。どうやら相手は岳らしい。
ここの所、往復共に岳が送迎していた。
久我の件は取りあえず終わったものの、もしかして、他にも馬鹿な考えを起こす輩がいないとも限らない、と、岳は大和の外出に気を配る様になったのだ。
週二回のトレーニングも、近所への買い出しも、散歩でさえ、一緒について行っているらしい。
そこまでしなくっても、とは亜貴の言葉だったが。
気持ちはわかる。
岳と会話中の大和に視線を向ける。
自分だって、出来れば当分の間、大和をひとりでは歩かせたくないだろう。
岳とは同じ穴のムジナなのだ。
「…うん。分かった。──じゃあ、藤に代わるな? 藤、岳が代われって。今日、迎えが遅くなるからって」
「分かった」
そう言って、端末を受け取ったが、岳が遅くなるのと、自分がどう関係してくるのか。一番あるのは、岳が迎えに行くまで一緒にいて欲しい──だろう。
「はい」
『藤。済まないが、すぐに迎えに行けそうにない。それまで、大和を部屋で預かってくれないか?』
ビンゴだが、部屋で──と言うのは考えなかった。
「それなら、大和を家まで送りますが──」
『いや。そこまでは遅くならない。あと少しで打ち合わせが終わるんだ。けど、じきにそっちの営業時間も終わりだろ? だったら、お前が帰るついでに大和も連れてって貰えればと思ってな。いいか?』
「はい。かまいません」
『じゃあ、頼んだ。それと大和にアルコール、飲ますなよ? 直ぐに酔って絡む』
「…分かりました」
つい、そんな大和も見てみたいと思ったが。
『──お前、ちょっと飲ませたいと思ったろ?』
「…いいえ」
岳にはお見通しだ。
端末の向こうで岳が苦笑した気配。
『…兎に角、頼んだ。そう時間はかからない』
「分かりました」
再び端末を大和に返すと、岳とひと言ふた言、会話を交わした大和は通話を切った。何か言われたらしく頬に赤みがさしている。
「っとに。何だって、ああいうこと言うかな…」
きっと、恋人同士らしい甘い言葉でも囁かれたのだろう。岳は大和にベタ惚れだ。
「今日はもう終わりだ。少しロビーで待っていてくれ」
「了解! よろしくな」
にこっと笑んで、見上げて来る大和に、ドキリとしたのは気の所為ではなかった。
+++
「はぁ。っとに、何にもねぇんだな? もっと、散らかってるかと思ってた」
藤のアパートを訪れた大和の第一声だ。
大和に部屋はどんな様子か聞かれ、特に何も無い──と、答えたのだが、雑誌や本が投げ出されてはいたが、確かに乱れてもいないし物も少ない。必要最低限だ。
藤はベランダに干しっぱなしになっていた洗濯物を取り込む。
ごく普通のアパートだった。ただ、セキュリティはそれなりにしっかりはしている。万が一もあり。用心するに越した事はなかった。
「大和はそこで休んでいてくれ。俺はシャワーを浴びてくる。何か飲むか? お茶かコーヒーか…」
「ん? いいや。飲むにしても、藤待ってる。メシはこれからか?」
「ああ」
「じゃあ、適当に作っとく。沢山食うか?」
「いや、夜は軽い…。だが──」
「気にすんなって。いさせてもらうお礼だ。冷蔵庫の中、見るぞ?」
そう言って、藤が曖昧に頷く間にも、冷蔵庫と冷凍庫のドアをそれぞれ開け唸る。
「こっちも綺麗なもんだな…。野菜と──冷凍うどんはあるのか…。うし! じゃ、シャワー行ってこいよ」
そうして、腕捲くりしながらサッサとキッチンに向かった。
「ああ…」
鼻歌交じりにそこ立つ大和の姿に、思わず目を細めた藤だった。
そうして、シャワーを浴び終え、部屋に戻れば。
「ホイ! 冷めないうちに食えよ」
そう言って、リビングの中央のテーブルに置いたのは、ソース焼きそばならぬ、ソース焼きうどんだった。ソースの焦げた匂いが食欲をそそる。
「具はキャベツとブロッコリーと玉ねぎ、ニンジン、鶏むね肉だけどな。自炊、してるんだな?」
冷蔵庫の中身でそれに気付いたらしい。ただ焼いたり茹でたり、そんな程度のものだが。
「ああ。早く帰れた日はな。…ありがとう」
藤はテーブル前のソファに座り、皿に盛られた焼きうどんに箸をつける。すると、目ざとく見つけた大和が。
「あ! ホラ、食べる前。『いただきます』って」
「あ、ああ…」
そんな事は、大人になってもしたことがなかった。大和は、保育園の先生よろしく、メッと叱る様な顔つきで見てくる。
藤は急いで両手を合わせると、
「いただきます…」
小さく口にした。
大和の作った焼きうどんは美味しかった。何の変哲もないそれなのだが、美味しい。
人に作ってもらうとやはり違うのだ。
以前住んでいたマンションを訪れた際も、時折、岳が夕飯をご馳走してくれた事があった。
その時はチャーハンとサラダ、味噌汁という簡単なメニューだったが、やはり美味しく感じた。
いいものだな。
誰かと一緒に取る食事は。
藤がようやくうどんを、ひと啜りした所で。プシュッと聞き慣れた音がした。
ハッとして顔を上げれば、大和が缶チューハイを開け、口にした所。
「…大和?」
「ん? あ、飲んじゃダメだったか? 沢山、入ってたからつい」
「いや。いいが…」
岳の言葉が甦る。
「普段、家だとたまにしか飲ませてくんねぇんだもん。岳や真琴さんは、もっと強い奴飲むくせにさ。こんな時くらいしか、気兼ねなく飲めねぇって。てか、これ、オトナ味だな? 甘くねぇ…」
「甘いのは苦手でな。それより、さっき岳さんから飲ますなと言われたんだが──」
大和は大きく手を振ると。
「いいのっ! 気にしない、気にしない! 飲んだって、変わんねぇし。ホラ、食わねぇと冷めるって」
「あ、ああ」
変わらない? 本当だろうか。
しかし、岳の言った通り、藤の危惧した通り。食べ終え、皿を洗い終えた時点までは良かったのだが。
「大和。そろそろ岳さんが迎えに来る頃だろう──」
そう言ってから、タオルで手を拭き背後を振り返れば。ソファの上でうつらうつらする大和がいた。思わず笑みが浮かぶ。
「大和、眠いなら横になるといい…」
そう言ってから、ソファに座る大和を抱え上げ、隣の部屋のベッドに寝かしつける。缶チューハイは既に空になっていた。
じきに岳が来るはずだ。この状態なら岳も気にはしないだろう。大和はスヤスヤ眠る。
つい去り難さを覚え、ベッドサイドに座り、大和の寝顔を見つめていれば。
「ん…藤?」
不意に大和が目を覚ました。藤はポンと手を頭に乗せ軽く撫でると、
「岳さんが迎えに来るまで休んでいるといい。水を飲むか?」
「ん、いい。──藤…」
言うと、大和は額に乗せていた藤の手首を掴み、引き寄せてきた。
「っ!」
流石に油断した。そのまま、体は反転し、ベッドに転がる。その上に大和が馬乗りになって来た。
「…大和?」
「一度、やって見たかったんだ…」
思わずゴクリと唾を飲み込んだ。そうして、大和が取った行動は──。
+++
「トー◯ーロッ!」
そう言うと、横になる藤の上に腹ばいになって来た。
「…?」
流石の藤も、目が点になる。
「だって、藤。ト◯ロっぽいからさ。ずぅーっとやりたい!って、思ってたんだ」
言いながら、胸の上に肘をついて頬をツンツンしてくる。大和の細い指先が頬に触れ、藤を刺激して来た。
「うーん。でもやっぱり、筋肉付いてるから、ポヨンとはしねぇのな。もっとポヨンポヨンしてればそれっぽいのに…」
そう言って、あろうことか、薄いTシャツの上から腹筋を撫で始めた。おお、エイトパック! と声を上げる。
藤は某アニメ映画を観たことはなかったが、時折、テレビで流れる映像で観たことはある。ト◯ロなるキャラクターが、フカフカして大きくて丸っこい生き物だとは理解していた。
これか。岳の危惧は。
大和は酔っていた。目は虚ろで顔は赤い。これが、付き合っている相手であれば、迷わず抱き締めキスをして。それ以上の行為にも及ぶだろうが。
藤はなんとか反応しそうになる自分を治めつつ、その肩に手を掛ける。
「…大和。上から降りてくれ」
「ええー! せっかく、ト◯ロごっこしてんのにっ」
かわいい。かわいいが──このままでは、理性がどこまで保つか分からない。
丁度、下腹部の辺で幾度か軽くバウンドしてみせた大和に、違う行為を重ねてしまい。もう無限界だった。
「済まない。大和──」
「へ…?」
言うと、ぐいと大和の肩を掴み、いとも簡単に身体を入れ替え反転させた。大和がキョトンとして見上げて来る。
藤もまた、じっと見下ろす。
このまま、抱きしめてキスしてしまえたなら──。
「……」
「──ト◯ロ?」
大和は小首をかしげて見せた。思わず、その言葉に吹き出してしまう。
藤はゆっくり身体を起こすと、同じく大和も引き起こした。
「大和、やはりソファで待とう──」
そう言いかけた所で、部屋のインターフォンが鳴った。急いでモニターを見れば岳だ。エントランスホールに到着したのだ。
「すぐ開けます」
入口のロックが解除され、岳が上がって来る。藤が大和をソファへ元通り座らせた所で、玄関ドアのチャイムが鳴った。
「どうぞ」
藤がドアを開けると、すぐに岳が入って来る。
「済まないな。大和は?」
「それが──」
「何かあったのか?」
岳が訝しむ。藤は居住まいを正すと。
「いえ。その気がついた時には手遅れで──」
「ト◯ロォー! なにしてんだよぉー! 空、飛ぼうぜー!」
リビングから大和の声が聞こえてくる。それで何があったのか理解したらしい。藤は済まなさげに視線を落とす。
「その──気付いた時には…」
「分かった…」
ったく、あいつ──と、軽く悪態をついた岳は部屋に上がるとリビングに向かった。
ドアを開ければ、ソファの背の向こうから、大和がひっくり返らんばかりに反って見返して来る。
「あ! ネコ◯ス到着ー! 帰るっ! 行き先、『岳と俺の愛の巣』! 帰るー」
かなりの壊れっぷりだ。しかし、かわいい。
岳はやっぱり、と呟いたあと、腕を伸ばし大和を抱きかかえる。
「ほら、暴れるな。帰るぞ。すまない、藤。下まで送ってくれるか?」
「はい…。言われていたのに、すみませんでした」
「いいんだ。別に飲むのは構わない。ただ、飲むと如何せん、子どもみたいになってな。リラックスするんだろうが…。迷惑かけたな?」
「いいえ。俺は何も」
と、チラと岳の視線が開きっぱなしだった、寝室のドアの向こう、乱れたベッドに注がれた。
岳は藤が几帳面な気質だと知っている。寝る前のベッドが、乱れたままのはずがない。
「…無事だったならいい」
ニッと笑んだ岳の視線には、表情とは裏腹に強い色が浮かんだが、それも一瞬の事で。
「行こうか」
「はい…」
危うく自分で立てた誓いを破る所だった事など、岳にはお見通しらしい。
そうしなくて良かったと、心から思った。そんな事をすれば、大和も岳も、どちらも失う事になる。それは最も避けたい事態だ。
階下まで降り、車まで見送りに来た藤に、
「お前は絶対、最後の最後で、裏切らない。──分かっているから、そんな情けない顔をすんな。じゃあまたな?」
ポンと藤の肩を叩くと、岳は助手席でうたた寝する大和と共に帰って行った。
そんなに顔に出ていたのだろうか。藤は顔をひと撫でした。
わかっているのだ──。
岳は。
心のうちが、温かなものに包まれていく心地がする。この先もずっと二人の傍にいることを誓った藤だった。
しかし、当分の間、某アニメキャラクターの少女の姿をした大和が夢に出てきて、藤を苛んだのは言うまでもない。
ー了ー
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