Take On Me 3

マン太

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その後3 呼び名

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 その日。
 話しの流れで、トレーニング後、藤の部屋に大和が来る事になった。
 どうしてそうなったのか、事の次第はこうだ。

「藤。藤って本名じゃないんだってな? いや、本名の一部? 俺、てっきり藤って苗字だと思ってた…」

 ベンチに座ってひと息入れながら、大和が尋ねてきた。
 どうやら、真琴が話したらしい。それで亜貴が驚いて、戻って来た大和に早速報告したのだ。
 藤はペットボトルの水を飲みながら、

「別に問題ない。好きな様に呼んでくれればいい」

「えぇ~? マジ? 『彰ちゃん』とかでもいいのか?」

 その言葉に、ひと時思案したのち。

「…『ちゃん』は柄じゃない」

「そっか? んじゃ、彰くん? 彰吾? 彰吾さん? てか、藤巻さん?」

 どれもピンと来ない。

 ──まあ、大和になら下の名前で呼ばれてもいいが。

 ふと、こちらを見上げて来る大和を見つめ返す。
 
『彰吾…』

 そう呼んで、大和はフワリと笑み、手を差し伸べてくる──。

 そこで、軽く頭を振った。それは、昨晩会った女の仕草だ。何を混同しているのか。
 最近、行くようになったバーのホステスで、年齢は大和とそう変わらない。どことなく、雰囲気が大和と重なって、それが彼女を選ぶきっかけにもなったのだが。
 
 全く。ここの所、どうかしている。

「んだ? 藤」

「いや…。なんでもない。やはり『藤』が慣れている。それでいい」

「ちぇー。つまんねーの」

 彰ちゃんでいいのに、とブツブツ呟く大和の端末が着信を知らせた。直ぐに大和が反応する。どうやら相手は岳らしい。
 ここの所、往復共に岳が送迎していた。
 久我の件は取りあえず終わったものの、もしかして、他にも馬鹿な考えを起こす輩がいないとも限らない、と、岳は大和の外出に気を配る様になったのだ。
 週二回のトレーニングも、近所への買い出しも、散歩でさえ、一緒について行っているらしい。
 そこまでしなくっても、とは亜貴の言葉だったが。

 気持ちはわかる。

 岳と会話中の大和に視線を向ける。
 自分だって、出来れば当分の間、大和をひとりでは歩かせたくないだろう。
 岳とは同じ穴のムジナなのだ。

「…うん。分かった。──じゃあ、藤に代わるな? 藤、岳が代われって。今日、迎えが遅くなるからって」

「分かった」

 そう言って、端末を受け取ったが、岳が遅くなるのと、自分がどう関係してくるのか。一番あるのは、岳が迎えに行くまで一緒にいて欲しい──だろう。

「はい」

『藤。済まないが、すぐに迎えに行けそうにない。それまで、大和を部屋で預かってくれないか?』

 ビンゴだが、部屋で──と言うのは考えなかった。

「それなら、大和を家まで送りますが──」

『いや。そこまでは遅くならない。あと少しで打ち合わせが終わるんだ。けど、じきにそっちの営業時間も終わりだろ? だったら、お前が帰るついでに大和も連れてって貰えればと思ってな。いいか?』

「はい。かまいません」

『じゃあ、頼んだ。それと大和にアルコール、飲ますなよ? 直ぐに酔って絡む』

「…分かりました」

 つい、そんな大和も見てみたいと思ったが。

『──お前、ちょっと飲ませたいと思ったろ?』

「…いいえ」

 岳にはお見通しだ。
 端末の向こうで岳が苦笑した気配。

『…兎に角、頼んだ。そう時間はかからない』

「分かりました」

 再び端末を大和に返すと、岳とひと言ふた言、会話を交わした大和は通話を切った。何か言われたらしく頬に赤みがさしている。

「っとに。何だって、ああいうこと言うかな…」

 きっと、恋人同士らしい甘い言葉でも囁かれたのだろう。岳は大和にベタ惚れだ。

「今日はもう終わりだ。少しロビーで待っていてくれ」

「了解! よろしくな」

 にこっと笑んで、見上げて来る大和に、ドキリとしたのは気の所為ではなかった。

+++

「はぁ。っとに、何にもねぇんだな? もっと、散らかってるかと思ってた」

 藤のアパートを訪れた大和の第一声だ。
 大和に部屋はどんな様子か聞かれ、特に何も無い──と、答えたのだが、雑誌や本が投げ出されてはいたが、確かに乱れてもいないし物も少ない。必要最低限だ。
 藤はベランダに干しっぱなしになっていた洗濯物を取り込む。
 ごく普通のアパートだった。ただ、セキュリティはそれなりにしっかりはしている。万が一もあり。用心するに越した事はなかった。

「大和はそこで休んでいてくれ。俺はシャワーを浴びてくる。何か飲むか? お茶かコーヒーか…」

「ん? いいや。飲むにしても、藤待ってる。メシはこれからか?」

「ああ」

「じゃあ、適当に作っとく。沢山食うか?」

「いや、夜は軽い…。だが──」

「気にすんなって。いさせてもらうお礼だ。冷蔵庫の中、見るぞ?」

 そう言って、藤が曖昧に頷く間にも、冷蔵庫と冷凍庫のドアをそれぞれ開け唸る。

「こっちも綺麗なもんだな…。野菜と──冷凍うどんはあるのか…。うし! じゃ、シャワー行ってこいよ」

 そうして、腕捲くりしながらサッサとキッチンに向かった。

「ああ…」

 鼻歌交じりにそこ立つ大和の姿に、思わず目を細めた藤だった。

 そうして、シャワーを浴び終え、部屋に戻れば。

「ホイ! 冷めないうちに食えよ」

 そう言って、リビングの中央のテーブルに置いたのは、ソース焼きそばならぬ、ソース焼きうどんだった。ソースの焦げた匂いが食欲をそそる。

「具はキャベツとブロッコリーと玉ねぎ、ニンジン、鶏むね肉だけどな。自炊、してるんだな?」

 冷蔵庫の中身でそれに気付いたらしい。ただ焼いたり茹でたり、そんな程度のものだが。

「ああ。早く帰れた日はな。…ありがとう」

 藤はテーブル前のソファに座り、皿に盛られた焼きうどんに箸をつける。すると、目ざとく見つけた大和が。

「あ! ホラ、食べる前。『いただきます』って」

「あ、ああ…」

 そんな事は、大人になってもしたことがなかった。大和は、保育園の先生よろしく、メッと叱る様な顔つきで見てくる。
 藤は急いで両手を合わせると、

「いただきます…」

 小さく口にした。
 大和の作った焼きうどんは美味しかった。何の変哲もないそれなのだが、美味しい。
 人に作ってもらうとやはり違うのだ。
 以前住んでいたマンションを訪れた際も、時折、岳が夕飯をご馳走してくれた事があった。
 その時はチャーハンとサラダ、味噌汁という簡単なメニューだったが、やはり美味しく感じた。

 いいものだな。

 誰かと一緒に取る食事は。
 藤がようやくうどんを、ひと啜りした所で。プシュッと聞き慣れた音がした。
 ハッとして顔を上げれば、大和が缶チューハイを開け、口にした所。

「…大和?」

「ん? あ、飲んじゃダメだったか? 沢山、入ってたからつい」

「いや。いいが…」

 岳の言葉が甦る。

「普段、家だとたまにしか飲ませてくんねぇんだもん。岳や真琴さんは、もっと強い奴飲むくせにさ。こんな時くらいしか、気兼ねなく飲めねぇって。てか、これ、オトナ味だな? 甘くねぇ…」

「甘いのは苦手でな。それより、さっき岳さんから飲ますなと言われたんだが──」

 大和は大きく手を振ると。

「いいのっ! 気にしない、気にしない! 飲んだって、変わんねぇし。ホラ、食わねぇと冷めるって」

「あ、ああ」

 変わらない? 本当だろうか。

 しかし、岳の言った通り、藤の危惧した通り。食べ終え、皿を洗い終えた時点までは良かったのだが。

「大和。そろそろ岳さんが迎えに来る頃だろう──」

 そう言ってから、タオルで手を拭き背後を振り返れば。ソファの上でうつらうつらする大和がいた。思わず笑みが浮かぶ。

「大和、眠いなら横になるといい…」

 そう言ってから、ソファに座る大和を抱え上げ、隣の部屋のベッドに寝かしつける。缶チューハイは既に空になっていた。
 じきに岳が来るはずだ。この状態なら岳も気にはしないだろう。大和はスヤスヤ眠る。
 つい去り難さを覚え、ベッドサイドに座り、大和の寝顔を見つめていれば。

「ん…藤?」

 不意に大和が目を覚ました。藤はポンと手を頭に乗せ軽く撫でると、

「岳さんが迎えに来るまで休んでいるといい。水を飲むか?」

「ん、いい。──藤…」

 言うと、大和は額に乗せていた藤の手首を掴み、引き寄せてきた。

「っ!」

 流石に油断した。そのまま、体は反転し、ベッドに転がる。その上に大和が馬乗りになって来た。

「…大和?」

「一度、やって見たかったんだ…」

 思わずゴクリと唾を飲み込んだ。そうして、大和が取った行動は──。

+++

「トー◯ーロッ!」

 そう言うと、横になる藤の上に腹ばいになって来た。

「…?」

 流石の藤も、目が点になる。

「だって、藤。ト◯ロっぽいからさ。ずぅーっとやりたい!って、思ってたんだ」

 言いながら、胸の上に肘をついて頬をツンツンしてくる。大和の細い指先が頬に触れ、藤を刺激して来た。

「うーん。でもやっぱり、筋肉付いてるから、ポヨンとはしねぇのな。もっとポヨンポヨンしてればそれっぽいのに…」

 そう言って、あろうことか、薄いTシャツの上から腹筋を撫で始めた。おお、エイトパック! と声を上げる。
 藤は某アニメ映画を観たことはなかったが、時折、テレビで流れる映像で観たことはある。ト◯ロなるキャラクターが、フカフカして大きくて丸っこい生き物だとは理解していた。

 これか。岳の危惧は。

 大和は酔っていた。目は虚ろで顔は赤い。これが、付き合っている相手であれば、迷わず抱き締めキスをして。それ以上の行為にも及ぶだろうが。
 藤はなんとか反応しそうになる自分を治めつつ、その肩に手を掛ける。

「…大和。上から降りてくれ」
 
「ええー! せっかく、ト◯ロごっこしてんのにっ」

 かわいい。かわいいが──このままでは、理性がどこまで保つか分からない。
 丁度、下腹部の辺で幾度か軽くバウンドしてみせた大和に、違う行為を重ねてしまい。もう無限界だった。

「済まない。大和──」

「へ…?」

 言うと、ぐいと大和の肩を掴み、いとも簡単に身体を入れ替え反転させた。大和がキョトンとして見上げて来る。
 藤もまた、じっと見下ろす。

 このまま、抱きしめてキスしてしまえたなら──。

「……」

「──ト◯ロ?」

 大和は小首をかしげて見せた。思わず、その言葉に吹き出してしまう。
 藤はゆっくり身体を起こすと、同じく大和も引き起こした。

「大和、やはりソファで待とう──」

 そう言いかけた所で、部屋のインターフォンが鳴った。急いでモニターを見れば岳だ。エントランスホールに到着したのだ。

「すぐ開けます」

 入口のロックが解除され、岳が上がって来る。藤が大和をソファへ元通り座らせた所で、玄関ドアのチャイムが鳴った。

「どうぞ」

 藤がドアを開けると、すぐに岳が入って来る。

「済まないな。大和は?」

「それが──」

「何かあったのか?」

 岳が訝しむ。藤は居住まいを正すと。

「いえ。その気がついた時には手遅れで──」

「ト◯ロォー! なにしてんだよぉー! 空、飛ぼうぜー!」

 リビングから大和の声が聞こえてくる。それで何があったのか理解したらしい。藤は済まなさげに視線を落とす。

「その──気付いた時には…」

「分かった…」

 ったく、あいつ──と、軽く悪態をついた岳は部屋に上がるとリビングに向かった。
 ドアを開ければ、ソファの背の向こうから、大和がひっくり返らんばかりに反って見返して来る。

「あ! ネコ◯ス到着ー! 帰るっ! 行き先、『岳と俺の愛の巣』! 帰るー」

 かなりの壊れっぷりだ。しかし、かわいい。
 岳はやっぱり、と呟いたあと、腕を伸ばし大和を抱きかかえる。

「ほら、暴れるな。帰るぞ。すまない、藤。下まで送ってくれるか?」

「はい…。言われていたのに、すみませんでした」

「いいんだ。別に飲むのは構わない。ただ、飲むと如何せん、子どもみたいになってな。リラックスするんだろうが…。迷惑かけたな?」

「いいえ。俺は何も」

 と、チラと岳の視線が開きっぱなしだった、寝室のドアの向こう、乱れたベッドに注がれた。
 岳は藤が几帳面な気質だと知っている。寝る前のベッドが、乱れたままのはずがない。

「…無事だったならいい」

 ニッと笑んだ岳の視線には、表情とは裏腹に強い色が浮かんだが、それも一瞬の事で。

「行こうか」

「はい…」

 危うく自分で立てた誓いを破る所だった事など、岳にはお見通しらしい。
 そうしなくて良かったと、心から思った。そんな事をすれば、大和も岳も、どちらも失う事になる。それは最も避けたい事態だ。

 階下まで降り、車まで見送りに来た藤に、

「お前は絶対、最後の最後で、裏切らない。──分かっているから、そんな情けない顔をすんな。じゃあまたな?」

 ポンと藤の肩を叩くと、岳は助手席でうたた寝する大和と共に帰って行った。
 そんなに顔に出ていたのだろうか。藤は顔をひと撫でした。
 
 わかっているのだ──。

 岳は。

 心のうちが、温かなものに包まれていく心地がする。この先もずっと二人の傍にいることを誓った藤だった。

 しかし、当分の間、某アニメキャラクターの少女の姿をした大和が夢に出てきて、藤を苛んだのは言うまでもない。


ー了ー
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