Take On Me 3

マン太

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20.下山

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 次の日、七生は岳に付き添われ、山頂に登頂することなく早々に下山していった。
 登頂はまたの機会だ。
 俺も体調は悪くなかった為、いつも通り仕事をこなす。それでも祐二は楽な仕事を回し、気遣ってくれた。
 あの後、岳と会話する暇もなかった。
 朝、目覚めると、玄関先で岳がすでに七生とともに下山準備を整えていて。一応、医者に診せるとのことだった。

 七生はこれに懲りず、また登って欲しいけれど。
 
 下山準備中、ずっと七生はしゅんとしたまま俯いていた。朝、俺の姿を認めるなり、すぐに駆け寄って来て謝る。

「ごめんなさい…。僕が勝手に外に飛び出したせいで、大和さんまで危ない目にあわせて…。何にも分かってなかったです…」

「気にするなって。大丈夫だっただろ? 誰もケガも病気もしてない。みんな無事だったんだ。ほら、掃除と一緒だって。次、また間違えない様に気をつければいいんだって」

 と、すっかり準備を整え、後は下山するだけとなっていた岳が。

「次があれば──な?」

「…っ」

 厳しい一言。七生の表情が固まる。

「おい! 岳。昨日の今日なんだし、もうちょっと優しく──」

「大和。下で待ってる。──七生、行くぞ」

 そう言うと、俺の言葉が聞こえていないかの様に、さっさと小屋を出ていってしまう。

「あ! って、岳! ──ったく…」

 止める間もない。七生は慌てて後に続いた。何処か怒っているようでもあり。いつもの岳らしくない。
 そうして、シュンとした七生とともに下山していったのだった。

 俺が拭き終わった食器の類を片付けていると、外から水を運んできた祐二が声を掛けてきた。

「それ終わったらちょっと休んでろ。昼まで時間あるから」

「ん」

 最後の茶碗を拭き上げ食器棚にしまうと、昼用のカレー皿を出し、テーブルにまとめて置いておいた。昼はカレーの一択だ。
 余り寝ていないせいで、少し頭がぼうっとしている。布巾を置くと、食堂を後にした。
 スタッフ控室には戻らず、寝室へ向かいマットレスの上にそのままごろりと横になる。
 昼まで二時間ほど余裕があった。と、そこへ祐二が顔を見せる。

「体調、大丈夫か?」

「大丈夫。ちょっと寝不足なだけだ…」

「ならいいけど」

 そう言うと、祐二は傍らに畳んであった毛布を俺の身体にかけてくる。

「あんがと…」

  祐二はそのまま俺の足元に座り込み。

「朝、岳さんに聞かれた。あの時の大和の状態」

「ん?」

「あのままだったら、やばかったって言った」

「そっか…」

 だから機嫌が悪かったのか。

 俺の心配をしてくれているのは分かっている。けれど、どうしてもその先に七生の顔がちらついて。
 ぐっと唇を噛みしめ、毛布の中に潜り込む。

「岳先輩、辛そうだったぞ。先輩にとって、大和は一番だ。何があったのかわらないけど…。俺は少なくともそう感じたけどな」

 そう言って、ポンと毛布に潜り込んだ俺の背中を叩くと、部屋を出ていった。

 でも、言ったんだ。

 祐二は知らない。
 
 俺とはいつもと変わらない様に接していたけれど──。

 心の中の動きまでは、読めない。
 俺は毛布に更にくるまって、全てを忘れるように眠りについた。

+++

 山での遭難未遂事件のあと、岳の思いが七生に傾いている事実を俺の中で否定できなくなっていた。
 その後、初めての下山。
 岳は忙しい中、迎えに来てくれた。いいと言ったのに、聞かなかったのだ。
 今日は七生はいない。それも珍しいことだった。七生がきてからは、たまのお迎えにも、買い出しついでについて来ていたと言うのに。
 久しぶりに座る助手席に俺は乗り込み、シートベルトを締める。
 岳は、下はジーンズ、上は白いTシャツの上に着古した濃紺のネルシャツを羽織っただけのラフな姿だが、いつ見ても格好いい。様になるのは出来の違いか。
 エンジンがかかり出発すると、ハンドルを握った岳が声を掛けてきた。

「あれから…体調は?」

「ん。へーき。てか、俺はなんともねぇって。それより、七生はどうだった?」

 下山できたからと言って、かなりまいっていたのは確かで。

「…七生は大丈夫だった。医師の副島にも診てもらったが、軽い疲労くらいだ。次登るなら、暫く他で体力をつけてからがいいだろうな」

「そうだな。七生はもうちょっと低い山で慣れた方がいいんだろうな。次はどこに登るつもりだ?」

「行くなら、近場の低山だろう。大和は──行けるか?」

「うーん…。山の仕事があるうちはなぁ…」

 下山して次の日にまた登山は疲れる。それに、七生にしてみれば俺がいないほうがいいに決まってる。

 岳にしたって──。

 すっかり暗い方向へ思いが傾いて、慌てて心の中でそれを打ち消した。

「二人で行って来いって。七生も息き抜きになるだろ? 岳だってずっと仕事だけだとストレスだろうし…」

「お前は…それでいいのか?」

 その問いかけにドキリとするが。

「二人の方が合う時間も多いだろ? 俺に合わせてたら、何時登れるか分かんねえって。好きな時に行って来いよ」

「わかった…」

 岳が小さくため息をついたのを聞き逃さなかった。

 それはなんのため息なのだろう?

 怖くて聞けなかった。
 それから以前のようにドライブしながら、行きつけの定食屋に久しぶりに行って味わって。
 俺は懸命に山小屋で出会った珍客や、エピソードを面白可笑しく話した。

 岳とこうしていられるのは何時までなのだろう? 俺はいつフラれるのだろう?
 
 それが怖くて空元気になっていたのかも知れない。

「大和…」

 家に到着し、車から降りようとすれば岳が声を掛けてきた。真摯な声音に、思わず身構える。

 いよいよここで来るのだろうか? 

 結局、昨晩もよく眠れなかった。
 分かっていて心構えをしているつもりでも、絶対ショックは受ける。手の平に嫌な汗をかいた。

「なんだ? 顔、こえーって」

「…真面目な顔してるだけだ。大和──」

 ふいに岳が俺の肩を掴み、自分の方へ引き寄せた。ふわりと、いつもの岳の香りが鼻先を掠める。

「無事で、良かった…」

「……」

「本当は…。あの時、一番に抱きしめたかった…」

 絞り出すような声音。そこに、そう出来なかった辛さが滲み出ている。抱きしめてくる岳に、偽りは感じられない。
 俺の頭を掻き抱くようにしながら岳は続けた。

「お前の様子がずっと可笑しいのは分かってた。七生が来てからも、ラルフとの仕事の後からも…」

 俺は思わず身体をピクリと揺らした。

「今回は特にな。七生と山に登った日、祐二がお前の様子がおかしいと教えてくれた。──俺と七生が来た日の午後からだ」

 岳は俺の髪を撫でながら、小さなため息をもらす。それは、先ほどの会話の中でのため息と同じだった。

「聞いたんだろ? 俺と七生が話してるの…」

 俺は、クッとへの字に口を曲げた後、声が震えそうになるのをぐっと堪えて。

「…聞いた。七生が──告白、してた…」

 岳が好きだと。それに応じた岳の答えも。
 でも、その先を言えなくて、認めたくなくて、俺は口をつぐむ。
 岳は腕の力を緩めると、俺の頬に手を添え見下ろしてくる。視線が合うのが怖くて逸らすが。

「大和…。七生が好きなのは俺じゃない」

「──へ…?」

 そこで漸く岳をまともに見返した。岳は優しい眼差しで見下ろしている。

「相手が誰かは言えないが──簡単に言うと、相談を受けたんだ。時期がくれば、七生が話すかもな…。だから、大和が思うようなことは何もない。それより俺は──お前こそ、七生が好きなんじゃないかって、思ってた…」

「は? はぁ?!」

 俺のどこが? いつ?

 俺の態度に岳は少し拗ねた顔を見せると。

「…何かあれば、事あるごとにあいつの名前出してただろ? 喜んでお前のレシピも教えていたし、何かと世話を焼いてた。初めはきたばっかりだからと思っていたけど、あいつのこと良く見てるのに気付いたし、なにより七生は可愛いしな? ごつくてでかい俺とは大違いだ」

「岳…。待てって…」

 岳の目から見ればそう見えるのだ。俺から見た景色の別バージョン。
 確かに俺は七生を見ていた。それは岳を好いていると思っていたから、その行動をつい注視していただけで。
 誰だってライバルが現れれば、相手の行動に注意するだろう。
 けれど、それが岳には好意を持って見ているように見えたのだ。

 俺と逆だ。

「大和と一緒だ。俺も不安で仕方なかった。──でも、これからはお互い、安心していられるな? …俺を本気にしたのは大和だけだ。これからも変わらない。誰がなんと言おうと、大和が俺と別れると言っても、俺は別れない。──お前みたいに、心が広くないんだ…」

 そう言って更に抱きしめてくる。
 ベンチシートのため遮るものはなく、引き寄せられると、ほとんど岳の膝の上だ。頭ごと抱えるから、髪型なんてくしゃくしゃで。
 でも、そんなこと気にならない。
 俺も背に手を回しぎゅっと抱きつく。

 岳とこうしているのが、一番好きだ。

「…俺だって、広くねーよ…」

 頭上でクスリと笑った気配。俺はその肩に額をこすり付け目を閉じた。

「ラルフの件も──すまなかった。守ってやれなくて…。手を出されたんだろう?」

「っ! 俺──」

 すると岳はちらと俺を見やった後。

「胸にキスマークが、な…」

「?!」

 み、見られてた?! 

 あの後、一週間もしないうちにそれは消え去ったが、その間、岳に見られた記憶は無い。

「あっ、あれはその──」

 焦りだす俺に、岳はひとつ息を吐き出すと。

「ラルフに無理やりやられたんだろ? 庭での撮影の時。あの日から、様子がおかしかった…」

「岳─…」

「あの後、当日のスタッフ全員の行動を聞き出したんだ。で、合点がいった。それに、前に一人で事務所にいたあの日も…。ラルフの行動をマネージャーに確認してもらった。あいつにたらし込まれたスタッフの一人が、頼まれて俺たちの家の傍まで送って、帰りも待っていたらしい。あいつに──手を出されたんだろ?」

 俺は視線を落とすと、手のひらを握り締める。

「嘘、言ってごめん…。岳が知ったら、仕事に響くって、そればっかで…。俺…もっと、警戒すべきだったんだ…。やっぱ、どっか緩いんだな。俺…」

 相手が一般人だと、どうしても気が緩んでしまうらしい。
 しかも、相手がいかつい見た目の人物ならいいのだが、いかんせん、誰もが振り返るような美貌の持ち主で。

 いやいや。見た目にだまされたらいけないって、教訓だな。

 反省する俺に、岳は笑うと。

「無理だって。誰だって、普通なら警戒しないさ。相手が銃やナイフでも持って迫ってきたら分かりやすいが、そうじゃない。好人物の仮面をかぶって近づいてきたのは、普通に生きてきた奴には分からない。お前がだまされたって仕方ない」

「でも…」

「いいんだ。分かってる…。お前が望んだことじゃない。隙があったわけでもない。あいつに脅されたんだろう? 仕事の件をちらつかせて…。やりそうなことだ。大和は何も悪くない。自分を責めるな」

「…!」

「もう、一人で悩まなくていい…。早くこうしてやれなくて──ごめんな?」

 岳は更にギュッと抱きしめてくる。
 岳の言葉に肩に入っていた力が抜けていくのを感じた。涙が勝手に流れて行く。もう、止まらない。
 
「岳─…」

 ようやく、息がつけた瞬間だった。

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