Take On Me 3

マン太

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1,穏やかな日々

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大和やまと、まだ起きてたのか?」

 俺が階下へ降りていくと、たけるは驚いた様にそれまで向かっていたモニター画面から顔を上げた。
 青白い光が、岳の顔を照らし出している。
 手元のスタンドだけ灯し、撮り終えた写真や動画と格闘していたのだ。もう深夜を回る。

「…いや。ほら、隣いなかったし、まだやってんのかなって…」

 頭をかきながら答える。
 ふと目を覚ますとベッドの隣がガラ空きで。時刻は深夜を回る。俺は心配になって様子を見に来たのだ。
 岳が仕事場を自宅に移したその後、帰りの遅い岳をひとり待つ日々はなくなった。
 作業に時間がかかっても、そこは自宅。階下に降りれば岳はいて。
 モニター相手に撮った画像と格闘していたり、写真選びに悶々としていたり。とにかく、そこにいるのだ。
 俺はピョンピョンと、好き勝手跳ねる寝癖のついた髪を撫でつけながら、タシタシと岳の元へ向う。裸足の足に床がひんやり冷たい。
 ピンと立ったアンテナの如く跳ねるのは、しっかり乾かさずに寝た結果だ。クセがあるため、気を抜くと抜いたなりに、半端なく跳ねる。岳はその様に笑いながら、手を差し出して来た。

「もう、これを保存したら終わりだ。…大和、ここ」

「ここ?」

 岳がデスクと自分との間をあけて、膝をぽんぽん叩いた。

 んん?

 俺は首をかしげて覗き込む。

「ここ、座れよ。保存が終わるまで、話そう」

「…なんでそこで」

 心配して来たのに、一気に脱力した。

「いいから。俺のエネルギー補給」

「エネルギーって…」

 岳の役に立つなら何だってやるつもりだ。

 けど、流石に膝の上には、ちょっとな──。

 だって、もう二十歳だし。どう考えたって、成人男子がそこへ座る理由はないし。
 けれど、岳にはあったらしい。是が非でもと譲らない。

「いいから。誰もいないし。──頼む!」

 顔の前で手なんか合わせて頼み込んで来る。

「んな、それくらい、頼まなくったって、やるって…」

 岳にそこまでされて、やらない訳にはいかない。
 渋々、猿山の人工岩の尖端に座る猿の如く、岳のしっかりと筋肉の張った膝の上にちょこんと座った。しかも、岳に背を向けて。
 だって、正面同士はあり得ない。
 座った途端、気恥ずかしさが増す。

 恥ずかしい。恥ずかしい。子どもじゃないんだってば。

 しかし岳は。

「大和…。そうじゃなくてさ、こっち向いて座れよ」

「ええ? って、それじゃなんか──」

 言う間に腰を掴まれ、ぐるんと無理やり身体を反転させられ、岳と向き合う形で座らされる。岳の顔が見下ろす角度で迫った。
 正面で跨ると身体は密着するし、もっと恥ずかしい。──それに。

 なんか、これって。これって。

 すると、俺の気持ちを察した岳が意地悪くニヤリと笑い。

「…やってる最中みたいで恥ずかしい、か?」

「っ?!」

 俺が思っていることなどお見通しで。
 思わず岳の頭をガシッと捉え、後ろ脚蹴りを喰らわす猫の如く、髪をくしゃくしゃに掻き回す。

「って、やめろって! コラッ、大和!」

「そーゆ―ことを言うなっ! そう言うつもりじゃなくったって、そう思えるだろっ」

「へー、そういうつもりじゃないって?」

 岳はぐいと背中に回した腕に力をこめ、引き寄せる。

「のわっ」

 岳が俺の胸に頬を埋めてきた。まるでぬいぐるみにでもなった気分だ。

「ん—…。大和、いい匂いする…」

 言われても思い当たらない。

「んだよ? もしや──夕飯の唐揚げか?」

 今日の夕飯は唐揚げで。生姜と醤油、少々のカレー粉で味付けした鶏モモ肉に、片栗粉を大量にまぶした奴だ。衣がパリパリザクザクになる。カロリー高めだから、時々だ。
 で、作ると皆の大好物だから、直に無くなる。結果、大量に揚げる事になり。
 お陰でシャワーを浴びたのに、体中に染みついた油の匂いが落ちた気がしない。

「…違う」

 ムスッとした岳の声が答える。

「んだよ。他になんの匂いだよ」

 岳は頬を埋めたまま。

「日向の匂い…。ボディクリームの香りに、洗濯洗剤の香りも混じってるな…。後は──コーヒーが微かに。…でも、大和の匂いだ。甘い」

 クンクンした岳はようやく満足したのか、もう一度だけぎゅっと抱きしめた後、ようやく腕の力を緩めてくれた。
 日向の匂いは外干しだからだろう。ボディクリームは岳と共用しているから、香りとしては同じ。洗濯洗剤はなるべく無香料の物を使っているが、それでも微かな香りはつく。コーヒーはいつも飲むからか。俺の匂いは──良くわからない。
 俺は岳を見下ろすと。

「っかんねぇ…」

 すると、岳は笑って。

「甘いのは大和自身の匂いだ。大和はわからないだろうな…、多分。大和──」

 岳は名前を呼ぶと、首筋に手を滑らせ引き寄せ、キスを仕掛けてくる。触れるだけじゃない。ガッツリ濃い奴だ。
 こうなると、ちょっと休憩で終わらない。岳はデスクのライトを落とすと。

「保存は終わった。…大和、上に行こう」

「ん」

 ギュッとその首筋に抱きついた。

 もう、帰りの遅い岳を心配をする必要はない。階下に覗きに行けば、そこに岳はいる。
 そっとしておくこともあれば、コーヒーを差し入れることもある。そんな時は、そこで少し話したり、手伝うことも。
 岳とのそんな囁かな時間が俺にとってはかけがえのないもので。二人の大切な時間だった。

+++

 けれど、それから暫くして。
 日増しに仕事は忙しくなり。俺は六月から十月中旬まで山小屋の手伝いに入っていた。
 今は九月下旬。あと少しで山小屋の仕事も終わる。
 その間は、岳の異母兄弟、高校三年生の亜貴あきの母方の祖母、倖江さちえが住み込みで手伝いに来ていたのだが、何と腰を痛めてしまったのだ。
 こうなると当然のごとく、家事をやるものがいない。
 岳や、今は一緒に住む弁護士事務所に務めている真琴まことも食事は作れる。掃除だって出来る。
 俺が休みで帰ってきた日以外は──山小屋管理人の祐二ゆうじが気を利かせて、月火の週休二日制にしてくれた──真琴がメインでこなしてくれたが、それも限界にきていて。
 真琴も在宅の仕事ばかりではない。一旦難しい案件が入れば遅くなることもしばしば。
 岳も岳で自宅兼事務所にいるのも不定期だし、途中で仕事が入ると放り出すことになる。
 となると、亜貴の出番か? となるが、亜貴はまだ高校生だ。しかも受験を控えている。
 その亜貴に、たとえ出来たとしても俺がいない間の家事全てを任せられない。
 実際は卵一個割れないが。いつか割らせてみたが、見事、粉砕された殻ごとボウルに投入され、暫し、呆然とした。
 受験が終わったらしごくつもりだ。最低でも、米を洗えて、ゆで卵くらい作れれば、生きていけるだろう。
 ともかく、亜貴に任せれば、間違えればヤングケアラーとなってしまう。
 俺のいない間、成人男性二人の世話などさせられない。まあ、ちょっとはアワアワと苦戦する亜貴も見てみたい気はするが。
 これでは家の中が荒れ放題になってしまう。誰か専属に手伝ってもらえる人が欲しい。
 それは皆の一致した見解だった。
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