森のエルフと養い子

マン太

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11.王の瞳

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 そんなある日、王家の催すお茶会にスウェルと共にタイドも招かれた。
 エルフの中に人が混じる。本来ならあり得ないことだったが、王グリューエンが認めているのだ。誰一人、表立って異を唱える者はいない。
 しかし、エルフと人との交流は昔からあった。
 時折、その地を治める権力者や、他所から流れついた旅人が、エルフに知恵を求めて訪れた。
 今、この地を治めるのは、セルサスという王国だ。治めるのはネムス・スプレンドーレ。黒い髪に緑の瞳を持つ王は、圧倒的な力でこのあたり一帯を治めている。
 一時は諸国の争いに巻き込まれ、勢いを逸していたようだが、再び所盛り返してきていた。
 しかし、ここ最近、突如現れるオークやゴブリン等魔物に土地を荒らされ、その討伐に手を焼いている。
 今日のお茶会には、その王国セルサスから派遣されたものが来るという。王の使者だ。
 どうやらエルフの王グリューエンに頼みごとがあるらしいのだが、それはオークの出現に関わることだろうと囁かれていた。
 それとは別に、『人』を見ておくべきだとスウェルに言われ、タイドは一旦は断ろうとしたお茶会に同席することになったのだ。
 タイドが本来属する世界に住まうもの達。
 要らぬ詮索をされない為にも、タイドの出自をバラすつもりはないが、その出自に連なるものたちを見ておくのもいい機会だと、スウェルは考えたらしい。

 別に、会わなくてもいいのに。

 スウェルに伴われ、タイドは後に続く。
 王の住まう白亜の館は、緑と光に溢れていた。太く立派な柱には蔦が絡まり、時の流れを感じさせる。至る所に花々が咲き乱れ、鳥がさえずっていた。
 スウェルはいつも、この王の館を訪れるたび、タイドを伴ってきた。まるで伴侶のようにその傍らに侍らせるため、周囲からはそう言う噂も立っていた。
 いつか、彼をエルフに迎えるのでは──と。
 単なる噂の域を出ない話しだが、タイドは放っておいた。わざわざ否定する程でもない。
 それに、噂から真実になることもあるかも知れない。だから放っておいたのだ。

「タイド。ほら、あれが人だ」

 スウェルは少し離れた所から、王国セルサスからの使者を指さした。
 それまで人の住む里まで下りたことはなかった。エルフの王から禁止されていたからだ。
 一旦、人と交われば、そこからほころびができ、このエルフの里に悪い影響を及ぼすことがあるかもしれないからと。
 だから、人を間近で見るのはこれが初めてだった。 
 身にまとった鎧には、王家の紋章が彫り込まれている。宝珠を抱く一匹の竜がそこにあった。

 竜の紋章。

 ふと、まとったローブの下、腰に帯びていた短剣を思った。これに刻まれた刻印と似ている。けれど、よくある模様でもあった。竜の紋様は好まれる。

 似ているだけか。

 タイドはひとりごちた。スウェルが長身を屈め耳打ちしてくる。

「話したければ時間を設けるが、どうする?」

 王はエルフの里での人との交わりは否定していなかった。

「いいよ…。話したくない」

 スウェルのローブを掴み、その陰に身を隠す。
 タイドにとって、それは見ず知らずの者で。幾ら同じ人だからと言って、突然親愛の情が湧くわけでもなかった。
 そうか、とスウェルは引き取ると。

「それなら同じテーブルについてお茶だけ飲んで帰ろう」

 スウェルはどこかほっとした様子だった。

 会いたいと言ったら、どんな顔をしたのだろう? 

 興味が湧くところではあるが。
 タイドが好意を寄せる人物の一件以来、スウェルはどこか遠慮がちになった。
 そして、じっとこちらの様子を伺っていることが多い。タイドの周囲を観察しているのだろうか。
 幾ら観察したところで、相手がスウェル自身なのだから、意味のないことだと思う。時折、何か聞きたそうにするが、それもすぐに断念し、ため息をついていた。
 タイドにしてみれば、尋ねられても一向にかまわなかった。
 隠すことなどない。聞かれたなら、スウェルが好きだとはっきり言うつもりだった。

 そうしたら、スウェルはどう答えるんだろう。

 拒否するのか、受け入れるのか。困惑するのは確かだろう。

「ああ、よくきた。タイドも息災にしているか? スウェルには手を焼いていないか? 困っている事があれば言ってくれ。すぐに手を回そう」

 そう明るい口調で声をかけてきたのは、スウェルの一番上の兄、ソムニオだ。
 美しい金糸に薄いブルーの瞳を持つ。快活でよきスウェルの理解者で。
 タイドはこの兄が好きだった。エルフの性質は持つのに、とても気さくで近寄りがたさを感じさせない。
 スウェルとは別の意味で王族らしくない。これが、王の後継ぎとは到底思えなかった。

「大丈夫です。今の所、ニテンスと二人で何とか乗り切っていますから」

 その言葉にスウェルが、面白いように腹を立てる。

「なんだ? 俺はそんなに二人に迷惑をかけているというのか? ニテンスには仕方ないとしても、タイドに迷惑は──」

「スウェル。行いにはくれぐれも気をつけろ? 言いたくても言えない事もある」

 ソムニオがからかう様にそう口にした。

「そ、そうなのか? タイド…」

 明らかにおろおろし出したスウェルに、タイドは笑いだす。

「スウェル。気をつけないとソムニオ様に言いつけるよ?」

「タイド! 俺は何かしてしまったのか?」

 傍らのタイドにすがらんばかり。
 それを見た、ソムニオの傍らに佇んでいた女性が、日の光を映しとったかのような金糸を揺らし、夜の帳を思わせる紫の瞳を輝かせ笑った。

「スウェル。元気そうでなによりね。タイド、スウェルをよろしくね?」

「はい…」

 美しいリュウール。神代のエルフの生まれ変わりとも唄われる、エルフの姫君。長兄、ソムニオの妻でもあった。そして。

「リュウール、相変わらず美しいね」

「スウェル。堂々と私の妻を口説くなよ?」

 ソムニオが割って入る様に会話に加わった。スウェルの過去の思い人。

 もしかしたら今も──。

 そう思う時がある。リュウールに対してはいつも優しい。スウェルの纏う空気が一変するのだ。

 俺の時にはそうはならない。

 それも、仕方ないことだ。
 かたや輝く星々のような、エルフの姫君。かたや、エルフの世界に立ち入ることは本来許されないはずの、ただの人。

 比べるべくもない。

 今も、スウェルの心にはこのリュウールが住んでいて、タイドへの思いとはもっと別の、深く熱い思いを向けているのでは、そう感じているのだ。
 幾ら、タイドが告白したところで、リュウールへの思いがまだ燻っているなら、答えは見えている。

 ニテンスはもう終わったことだと言っていたけれど。

 今も夢見る少年のような顔でリュウールを見つめるスウェルをみるにつけ、やはり自分は敵わないのだと思ってしまう。

 俺に示すのは、やっぱり親愛の情であって、恋人を思うような愛情とは違うんだ。

 タイドは結局いつもその考えに行きつく。
 
 俺はこんなに好きなのに。幼い時から、スウェルしか見てこなかったのに。

「さあ、あちらにお茶の用意がある。客人を招いている。楽しく過ごそう」

 ソムニオがいざなった。
 王への用向きはすでに済んでいるらしい。
 客人に気楽に楽しんでもらう為、お茶会に王は出席せず、その家族らがもてなすことになっていた。皆が別室の広間へと向かった。

✢✢✢

 向かった広間の片側は、谷に面して大きくアーチが取られていた。
 テラスになったそこからは、眼下に広がる深い森や、谷間から流れ落ちるあ白くけぶる滝が見える。鳥が飛び交い、蝶が舞う。美しい景色だった。

「この度は、このような場を設けていただき、有難うございます。私はセルサス王国、王付きの従者、ビーテと申します。お見知りおきのほど、どうぞよろしくお願いいたします」

 丁寧にあいさつをして見せた男は、中背のすらりとした立ち姿の男だった。髪も目も濃い茶色。短い髪は緩くウェーブを描いていた。
 年の頃は四十代半ばと言ったところか。笑うと人懐こい顔になる。
 初めて面と向かって見た『人間』だったが、その人当たりの良さに、悪い印象は受けなかった。
 ビーテは皆の顔を一巡するように見渡した後、ふと、タイドの所で視線を止めたような気がした。
 しかし、それも一瞬の事で、あとは先ほどと同じように、人懐こい笑みを浮かべていた。

 なんだろう?

 それは、スウェルも気付いたらしい。ちらとこちらに目くばせして見せ。

「…タイドの知り合いか?」

「スウェル…。なんの冗談? 俺が人間と隠れて会ってると思うの? まさか──俺の好意の相手だって思っていないよね?」

「…べ、別にっ。そんなわけ、ないだろっ」

 小声で抗議してくるが、どうやら的を得ていたらしい。

 いったいどうしてそうなるんだ? 

 本当に親ばかが過ぎるのだ。本気で兄のソムニオに言いつけてやろうかと思った。
 その後、お茶会は楽しく終始和やかに進んでいき。
 途中、歌や弦楽が披露され、ビーテはとても満足した様子だった。彼は一晩ここへ泊り、早朝、立つのだという。
 会が終わりを告げ、ビーテはお茶会に出席したエルフ一人ひとりへ挨拶して回っていた。そして、スウェルの元にも訪れる。

「今日はありがとうございました。スウェル様、本当に楽しく過ごせました…」

 そして、視線がタイドへと向けられる。

「あなたは──どちらの家系に属するのですか?」

「あ…の──」

 答えに窮すると、傍らのスウェルが引き取って。

「母方の遠い親族にあたります。縁あって私の家で世話をしているのですよ。私も末っ子ですから、色々押し付けられて、大変です──」

 タイドはその言葉に、長衣の中のスウェルの足を軽く踏みつけた。

「っ!」

 タイドはじとりとスウェルを睨みつける。ビーテはそうですか、と言いながら。

「いや…、その失礼かと思うのですが、若い頃のネムス王に良く似ておいでで…。いや、そんな訳ないですな。他人の空似でしょう。しかし、こう見ると益々…。特にその瞳が良く似ている。不思議なこともあるのですな」

 わははと笑い、ビーテはまた次のエルフの元へと向かっていった。
 ちらちとスウェルを見上げると、どこか表情に曇りが見られる。

「スウェル?」

「あ…いや。そんなことがあるんだな、と。というか、なぜ足を踏む?」

「押し付けられて迷惑って言った…。あれは本心?」

「あっ、あれは、だな。方便というものがあるだろう? 会話の成り行きだ。タイドの素性をばらすわけにはいかないだろ? 人がエルフと共にいると知れば、要らぬ詮索も受ける…。だから適当に言ったまでで」

「普段、思ってなきゃ出ない言葉だ…。スウェルは俺が邪魔なんだろ? ──もういい」

「あ! おい! タイド!」

 タイドは広間を抜け、廊下へと向かった。
 スウェルが困って追ってくるのは分かっている。わざと拗ねて見せたのだが、スウェルは違わず、慌てて追ってきた。そんなスウェルが大好きだ。

 今、この時は俺だけを見ている──。

 リュウールでもその他あまたの女性たちでもなく。必死で弁解をするスウェルに、タイドは笑って先を歩き続けた。


「あれは…随分、尻に敷かれているな…」

 そんな二人の様子を見守っていた、兄ソムニオは顎に手をあて思案顔になる。傍らのリュウールはクスリと笑むと。

「幸せそうね。スウェル」

「ああ。そうであって欲しい。これからも、ずっとな…」

 お茶会の場を離れていく二人を、温かな目で見守った。


「な、今から、花畑を見に行こうか? 王家が管理するから見たこともない花々が咲き乱れているぞ?」

「機嫌、取ろうとしてる?」

 大理石で出来た廊下を歩いていたタイドは立ち止まってクルリと振り返る。

「ああ、そうだ。そうだとも。俺はタイドに機嫌を直して欲しいんだ。ほら、花は好きだろう? 絶対、見て損はない──」

 タイドはひたとスウェルを見つめると。

「ねえ、スウェルは──リュウール様が…好きなの?」

「リュウール? 何でまた…」

「誤魔化さなくていいよ。知ってる…。スウェルはずっとリュウール様が好きだったって。今もそうだって。皆、噂してる…」

 すると、スウェルは困った様に頭をかいたあと。

「何を聞いたか知らないが…リュウールへの思いはとうの昔に終わってる。今はただ幸せになって欲しいと思うだけだ」

「スウェルは…俺がいなくなったら、寂しい?」

 一瞬、スウェルは驚いた表情を見せたが。

「あ、当たり前だ! 寂しいし、悲しいに決まっている。──だが…」

「だが?」

 スウェルは視線を僅かに落とすと。

「…タイドが、もし、心から好いた相手が出来て。その相手と旅立ちたいなら、邪魔はしない。引きとめもしない…。タイドが幸せなら、俺は──」

 そう口にするスウェルの表情がみるみる生気をなくし、暗くうち沈んでいく。声音も震えていた。
 これは言ってはいけない言葉だったのかもしれない。タイドはすぐに駆け寄って、スウェルの二の腕を掴むとその顔を覗き込み。

「大丈夫。俺はずっとスウェルの傍にいる。誰かの元になんて、行かない!」

「タイド…?」

 そうして、スウェルを抱きしめる。

「ずっと、傍にいる…」

「……」

 スウェルはタイドに抱きしめられたまま、固まった様にじっとしている。きっと、事態が飲み込めず混乱しているのかもしれない。
 
 俺はスウェルが好きだ。

 暫くそうしていたタイドは、不意に顔を上げると。

「花畑、見に行こう」

「あ、ああ…」

 動揺しつつもスウェルはそう答えた。

✢✢✢

 その後、花畑をタイドと共に巡った。
 エルフの王の力で更に美しく咲き誇る花畑。
 そこには見たこともない草花も多く生えていた。それは薬草でもあるのだが、美しい姿は心を和ませるのに十分で。
 ここへは特別な許可がなければ入れないのだが、王族だけは別だった。
 花畑を好きな様に歩き回るタイド。まるで子供の頃に戻ったようだ。
 脳裏を、いつかタイドに託した短剣が掠める。竜の紋様。あれは確かにセルサス王国の紋章で。

『若い頃のネムス王に良く似ておいでで──』

 そう語ったビーデの言葉も気になるが、単なる偶然とも思える。
 いや、そうであって欲しかった。もし、何らかの関係があるのなら、今のままではいられなくなる気がしたからだ。これは単なる偶然だ。
 それよりも、今はタイドの事。

 さっきのあれは──?

 余りに動転して、取り乱してしまったが。確かにタイドは、ずっと傍にいると口にした。

 それは──そう言うこと、なのか?

 あの後、タイドはまるで何事も無かったかのように、いつも通りの様子で、スウェルの手を引いて花畑を催促した。

 俺は──喜んでいいのだろうか?

 抱きしめられた時の温もりが、タイドの思いを伝えてきている。

「スウェル。この花、なんて言うの? 凄く綺麗だよ。薄いグリーンに向こうが透けて見える…」

「ああ、それは薬草の一つで、胸の痛みに効く。確か名前をスぺムといったか…」

「まるで…、スウェルの瞳みたいだ」

 どこかうっとりするような目つきで、しゃがみ込んで花を眺めている。それがまるで自分自身の様で、急にこそばゆくなった。
 そんな、恋でもする若者のような目で見られたなら、どんなに嬉しいか。花にとって代わりたい気分だった。

「そろそろ、帰ろう。もうじき日が暮れる。ニテンスが待っている」

「うん。──ねえ、スウェル…」

 立ち上がったタイドは、足元に視線を落とし、どこか言いづらそうにしながら。

「さっきの、本当だから」

「……」

「俺は何があっても、ずっとスウェルの傍にいる。いたいんだ」

「タイド…」

「俺…、どうしたらいい?」

 顔を上げると、困った様に笑んで見せた。
 傍にいる、その方法を尋ねているのだ。それも、ずっと。

 それが意味しているのは──。

 スウェルが一歩踏み出し、口を開こうとしたところへ。

「スウェル様! ここにおいででしたか。すぐに広間へ! 王がお呼びです」

 王グリューエンの従者が呼びに来たことで、話しは中断された。
 タイミングが悪い事、この上ない。

 一番、大事な時に──。

 心の内で、深いため息をついた。スウェルは気まずげにタイドを振り返ると。

「すまない…。急な呼び出しだ。先に──帰っていてくれるか?」

「…わかった」

 そう答えたタイドは、スウェルの横をすり抜け小走りに立ち去ろうとする。
 その頬は赤く、唇は噛みしめられていた。何かを堪えている時の表情だ。幼い頃を思い出す。

 タイド──。

 本当は今すぐにでも抱きしめたかった。そして、言葉の真意を確認したかった。
 しかし、王グリューエンの命を無視する訳にはいかない。

「タイド! 帰ったらこの続きを話そう! 必ずだ!」

 その声に立ち去りかけたタイドは足を止め、ゆっくりと振り返った。その顔には今にも泣き出しそうな笑みが浮かんでいる。

「…うん! わかった」

 だが、結局その夜、家に帰ることはできなかった。

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