君が見た空

マン太

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13.キャンプ

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「あ! 玲──じゃなく、主任!」

「どうした?」

 その日、皆が帰途につく頃、外回りから戻ってくると、待っていたように雫が声を掛けてきた。顧客から伝言でもあったかと思えば。

「来ました! 今週の金曜日、柴崎さんから飲み会の誘い。前に主任が頼むって言っていたアレですか?」

 言いながらキラキラと目を輝かせる。
 そんな雫から目を反らし席に着くと、パソコンのモニター画面にメールの着信の知らせが幾つか見えた。問い合わせの類だろう。
 処理してからでないと帰れない。今日も帰宅は遅くなりそうだった。

「そうだ。柴崎に頼んだ。奴のセッティングなら大丈夫だ。楽しんでくるといい」

 頼んでから数週間。忙しい中、時間を割いてくれたのだろう。聞けばメンバーは柴崎も入れて男が六人、女性が五人。柴崎以外は二十代。年齢も近いらしい。

「見つかるかなぁ…」

「見つからなくとも、次がある。それに見定めるには、軽く付き合ってみるのも手だ。何事も知り合わなければ先に進まないからな?」

「そうですけど…」

 そう言って、ちらとこちらを見てきた。

「なんだ?」

「いや…。なんでもないっす」

 少し口先を尖らせるようにして、パソコンモニターに目を向けた。雫の仕事は終わっているはずだったが。

「帰らないのか?」

「主任はまだやっていくんですか?」

「少しな。お前はとうに帰宅時間を過ぎているだろ? 残業せずに帰れ」

「出来る事があれば手伝いますよ?」

 雫は身を乗り出して尋ねて来るが、玲司は眼鏡のブリッジを押し上げた後。

「ここの所、ずっと手伝っているだろ? お前の仕事が減った訳じゃない。助かってはいるが、無理してやらなくともいい」

 家に泊まらせて以降、すっかり雫は懐いてしまった。あれ以来、何やかやと理由をつけて、雫は会いに来る。ここの所、週末はだいたい顔を合わせていた。
 会いに来る理由は、新しい八百屋の紹介や、シャコバサボテンの様子見、新たな喫茶店の開拓など。
 用が済めば、大抵は公園を散歩し喫茶店でお茶を濁し、互いのアパートのどちらかでランチをし夕食をとり。
 そのまま解散もあるが、玲司のマンションに来た時だけは、泊っていくこともあった。
 玲司は雫のアパートでは飲まないが、雫が玲司の部屋に来た時は飲む。そのまま帰すのは躊躇われ、結局、泊っていくことになるのだ。
 すでに隣に布団があっても違和感はなかった。雫のためにちゃんと干したりするのだから、甲斐甲斐しいことこの上ない。
 そうした馴れ合いの影響が仕事にも出て、それまで上司だからと遠慮していたのが無くなり、以前にも増して仕事を手伝いたいと申し出てくる様になっていた。

「でも…」

「いいから今日は帰れ。直に帰りたくとも帰れなくなる時もある。帰れる時にゆっくりしておけ」

「でも主任はいつ、ゆっくりするんですか? 俺より先に帰った事なんてないじゃないですか」

 駄々をこねるような言い方に、玲司は苦笑を漏らすと。

「俺が何年、この仕事をしていると思ってる? 配分位考えていえるさ。それに無理なんてしていない。休む時はきっちり休む。お前が心配することじゃない」

「…わかりました」

 ムスッとしたままそう返し、しばらく思案顔をした後、

「じゃあ、週末。ゆっくりしませんか?」

 ニッと笑んでこちらを見てくる。

「週末? だって前日は飲み会だろう? 予定が入るんじゃ──」

「そんなすぐに女の子、誘いませんよ。それよりキャンプ、しましょうよ! がっつりじゃなく、プチキャンプ。テント張って寝るのはまだ厳しいんで、バンガロー借りて外で焚火でコーヒー。湖があって近くに温泉のあるいい場所見つけたんです! 夜も温泉浸かって、朝も温泉浸かって。あとは湖眺めてのんびりコーヒー。ね?」

「…それは、俺がゆっくりできるのか?」

「できます! 面倒な準備は何もいらないですから。初心者なんで、とりあえず全部レンタルできる場所探したんです。ね? そうしましょ! よし、決めました! それじゃ、主任も早く帰って休んでくださいね? お先に失礼します!」

 ひと息にそう言うと、満足したように雫は意気揚々と帰って行った。残された玲司は椅子に座ったまま、ぽかんとしている。

 俺は一言も、応とは答えていないんだが…。

 いつの間にか週末、雫とキャンプすることになっていた。それは、以前やってみたいと雫が言っていたことだ。気が向いたら誘えとは言ったが…。

 やはり、雫にはそれとなく伝えた方がいいだろうか。

 迷う玲司だった。
 だが、このまま上手く彼女が出来れば、自分のことなど興味を持たなくなるはず。自然と会う機会も減るだろう。

 もうしばらく様子をみるか…。

 玲司は空席となった傍らの席を見つめた。

+++

 そうして迎えた週末。キャンプ場に向かう車の中で、前日開かれた飲み会について、雫から聞かされた。

「それで──、思うような子はいたのか?」

「うーん…。どうでしょう」

 慣れた手付きでハンドルを握る雫は唸る。
 車を出したのは雫だった。キャンプ場までの道は余り広くないからと、コンパクトな雫の車で行くことになったのだ。

「相手の気持ちもありますしねぇ。よくある、ピンときた感じはなかったっすね。向こうもそうでしょうけど…。でも、皆人の良さそうな子ばかりでしたよ? もっと派手な子ばっかりになるかと。もちろん、みんな可愛いかったですけどねー。俺の同期はすぐに連絡先聞き出して喜んでました」

「お前は? ひとりくらい、聞いたのか?」

「あー、いや。向こうが教えてくれました。暇な時に連絡くれって。…それって、暇じゃなくとも連絡欲しいってことですよね?」

「だろう。それもきっかけだ。連絡すればいい」

「でも、あんまり乗り気じゃないのに、こっちからするのも気が引けて…。社交辞令みたいに誘うのも。できれば、プライベートは気楽でいたいですから」

「だが、話してみないと分からない面もあるだろう? 初対面は誰だって緊張する。会う機会が増えれば緊張もなくなって、見えてくるものがあるだろう」

 すると、雫はニッと笑んで。

「それって、俺と玲司さん見たいっすね?」

「どこがだ?」

 玲司は面食らう。

「だって、会うたびに緊張はなくなりましたもん。話してみて、前よりもっと身近に感じてますし、かなり気楽に過ごせる相手です」

「…俺は『彼女』にはなれない」

「わかってますよぉ。でも…」

 ふと、雫は真剣な目を見せた。

「でも、なんだ?」

「──いや。何でもないっす。玲司さんに勝つ位の子、見つけないと今の所、無理ですねぇ。そうなると、当分先の気がします」

「…お前」

 喜んでいいのか、悪いのか。だが、雫的にはまずいだろう。

「いいじゃないっすか。玲司さんも、俺がいなくなったら寂しいでしょ?」

 言われてはたとするが。

「そんなことはない。清々するさ」

「あー! ひどいっす! 俺の努力を清々って。そんなに邪魔ですかぁ?」

「邪魔とは言っていない。俺はずっと一人が長いから、誰かが近くにいたことがない。慣れていないんだ」

 素直な心情だった。すると、雫は首をかしげつつ。

「その割には、玲司さんも楽しんでいるように見えますよ?」

「俺が?」

「はい。だって、良く笑ってますもん。つまらなかったらそんなに笑わないですって。ずっと玲司さんの傍にいる俺が言うんですから間違いありません。絶対、俺がいなくなったら寂しくなります」

 そう断言して、雫はハンドルを切った。
 そろそろ目的の場所らしい。高原の中を行った先にあるキャンプサイトだった。
 そう大きくはないが、澄んだ水をたたえた湖が広がる。周囲には白樺や、ブナ、ナラの木がはえていた。爽やかな風の吹く場所だ。

「あー! ここで正解! 晴れてるし、いい感じー。出来たばかりであまり知られていないんですって。個人が経営してて、あまり周知してないって。ここの整備費を稼ぐために、始めたってありました。でも、これだけしっかりしてると、維持管理にかなりお金がかかっているんじゃないのかって思いますけど…」

「確かに小さいが、よく整備されていて心地いいな。薄暗くないのもいい。バンガローはあれか?」

 湖から少し離れた場所にバンガローらしき建物が点在していた。先に受付を済ませてあった雫は、手渡された予約票を見ながら。

「あの、『キジバト』って表札に書かれた所です」

 そう言って雫石が指さしたのは、湖のほとりにほど近いバンガローだった。
 それぞれのバンガローからは互いが見えないように配置されている。遠目では近く見えても、傍に行くと周囲は気にならなくなった。せっかくゆっくりしたいのに、他人の目が気になるのでは休まらないだろうという、主の意向だろうか。

「ここなら湖も良く見えていいですね! さっそく、焚火の準備しましょ!」

 すべてがレンタルで。使い方は実践しながらスタッフが教えてくれた。若いスタッフだったが手慣れていて、嘘のない愛想もいい。
 寝袋も屋内外で使う薪も十分ある。室内は薪ストーブとなっていた。外で寝たい場合は、テントを貸し出しもしてくれるらしい。

「ここなら初心者でも大丈夫でしょ? てか、あのスタッフの火のつけ方、流石プロでしたね?」

 ファイヤースターターを使って火口を木くずと木の葉で包みあっという間に種火を起こしてしまった。
 早速、焚き火台を置き、その上に乾燥した木くずや枯葉を重ねる。同じようにやってみるが、なかなか種火がつかない。

「貸してみろ」

「はーい…」

 かなり手慣れていないと難しいかも、と前置きして教えられた。
 せめて雰囲気を味わってほしいということらしい。無理だった場合として、ライターが用意されていた。それでも無理な場合は諦めろとも言われていたが。
 玲司はスタッフがやっていたように、火口にファイヤースターターの火花を散らし、それを落とす。
 一見すると変化の見えないそれにふいごで息を吹きかけると、僅かに炎の影が見えた。それの上に気をつけながら木くずや木の葉を置き、火種を大きくする。
 焚火台の上に置かれたそれらは勢いよく炎を上げた。そこへ小さな薪からくべていく。あっという間に安定した炎と化した。それを見た雫石は目を見開くようにして。

「すごい! さっきちょっとやっただけなのに…。さすが玲司さん、器用ですねぇ?」

「小学校でやった記憶があるくらいだ。飯盒炊爨はんごうすいさん、やらなかったか?」

「うーん。キャンプもどきはした気がしますけど、着火マンだったかなぁ」

「そうか。俺もまさか、小学生以来の経験が生かされるとは思わなかったな。ここまで来れば大丈夫だろう」

 太い薪もくべ、更に安定させる。これで当分、消える心配はないだろう。ここでケトルに入れた水を沸かし、コーヒーやら食事の支度をするのだ。

「今回は手抜きです。さっき買った、BBQセットとおにぎりで。スープもフリーズドライ。なんて楽ちんなキャンプか! って、気分が味わえればそれで。また次回、ちょっとずす凝ったことしていけば。目的はのんびりすることですから」

 次回。さりげなくそう言ったが。
 玲司はこれ切りだろうと思っていた。昨日会った女性の中でいい子がいればその機会はなくなる。それに、そうなってもらわなければ、玲司としても困るのだ。
 いい加減、雫とつるんでいるわけにはいかない。ここまでずるずる来てしまったが、そろそろ潮時だ。徐々に距離を置いて行く方が懸命だった。
 
 お互いの為に──。

 昨日、豪から連絡があった。週末、会えないかと。平日に都合が合えば会ってはいたが、週末に会うのは久しぶりだ。
 海外に出張していたらしい。基本、玲司からは連絡をいれない。相手の都合を優先させ、余裕がある時に会えればいい、そのスタンスだった。
 相手にも都合がいいだろうが、玲司もそれで都合が良かった。嫌なら、だめだと断れる。自分から誘って断るのは面倒だった。
 来週末は雫とは付き合っていられない。
 目の前で揺れる炎が、爆ぜてパチリと音を立てた。

 何をしているんだろうな。

 そう思った。いつの間にか、玲司に懐いてしまった雫。それを結局、排除することなく付き合っている自分。
 確かに雫の言う通り、彼がいなくなればきっと寂しいと思うに違いない。久しぶりにできた友人を一人失うのだ。

 友人。

 雫はその括りの中にいるのだろうか。
 不思議な存在だった。職場の部下で、後輩で。友人と呼べるかと言うと、少し違う気もする。でも、もう他人ではない。
 しかし、雫の先を思えば、終わらせるべきだ。玲司は異性愛者ではないのだから。

+++

 到着してから随分日が傾き始めている。早速、夕食の準備に取り掛かり、初めての焚き火での夕食となった。
 串に刺された肉や野菜を焼きながら、雫はワクワク顔になって。

「これ、食べ終わって一息ついたら、温泉、行きましょ! オーナーさんが作った露天風呂。一時間ごとの貸し切りだそうですけど、今日は俺たち以外、予約客がいないから、いつ使ってくれてもいいって。朝も十時までいいそうです。最高ですねぇ」

 露天風呂。
 惹かれるワードだが、流石に一緒には入れない。付き合っているカップルならいざ知らず、異性同士だったらまず入らないだろう。
 それは同性に好意を持つ玲司とて同じこと。幾ら雫が対象外とは言え、意識しない訳にはいかない。

「俺は火を見ているから、先にはいってくるといい。順番だ」

「ええー! 一緒に入りましょうよ! せっかく二人で来たんだし、男同士、積もる話もあるでしょうし…」

「何が積もる話だ。話しならいつもしているだろう? 広い風呂を一人で使えるんだ。贅沢だろう?」

「ひとりで入るの寂しいですよぅ。だいたい、見てください。道中、街灯なんて一つもないんですよ? あんな真っ暗な中、ひとりで行って帰ってくるのなんか無理ですぅ」

 確かに雫が指さした方向に明かりはなかった。ランタンが必要だろう。

「急に可愛い振りをするな。お前は本当に怖がりだな?」

 玲司と二人でいる時の雫は、ともすると子どもっぽい態度を取る。甘えているのだろうとは思うが。
 すると、雫は串を動かしながら、俯き加減になって。

「小さい頃、夏休みおじいちゃん家に遊びに行って、裏の山の中で迷子になったんですよ。そこで一晩過ごして…。イノシシやら熊やら蛇には運よくあわなかったですけど、怖かったのはよく覚えてて…」

「だからひとりが怖いのか…。トラウマだなそれは」

「はい…」

 しょんぼりする雫にそれ以上、言えなかった。

「わかった。一緒に行こう…」

「やった!」

 パッと雫の表情が明るくなる。玲司には覚悟のいる決断だった。

 夕食を終える頃には、焚き火は熾火となっていた。
 大勢でワイワイやるイメージの強いBBQだが、二人だけでも十分楽しめた。相手が雫だから、と言うのは心の中で伏せておく。
 ケトルをかけお湯を沸かし、食後のコーヒーを淹れる。ただ、焚き火で沸かしただけなのに、いつもと違った味わいがあった。
 ふと、コーヒーを飲んでいた雫が気付いた様に顔を上げる。

「すご。星、良く見えます…。ってか、空が星に埋め尽くされてるって感じです…」

 焚き火に照らされた、雫の顔はオレンジ色に照らされている。日はすっかり落ち、空には星が瞬き始めていた。玲司も同じく顔を上げると。

「本当だな…」

 どこを見ても星が見える。冷えた空気が更に星をはっきりと見せているようだった。

「何だか不思議です」

「なにがだ?」

「玲司さんとこうやって夜空を見上げてるって。ちょっと前までは、こんな関係になれるとは思っていませんでした」

「そうだな…」
 
 誰かと、こんな風に空を見上げるとは。その相手が雫になるとは。思いもしなかった。

「一緒に、見られて良かったです…」

 雫が嬉しそうに笑んだ。

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