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そのあとのいくつかのこと。

旅路1

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 のんびりと馬車は道を行く。
 旅に出てから数日が過ぎているが、何事もなく順調だった。

 エリックは最初は御者台に座っていたのだが、手綱を握っていなくても勝手にジャスパーが動くようになってからは馬車の中に引っ込んでいることが増えた。
 勝手に道を行くのは賢いを超えているのではないかと思うが、気にしては仕方がない。時々行き交う旅人にはぎょっとされているようだった。

 なんだかんだとグルウには半月はいた。エリックは思い出してげんなりとした気分になる。最初は遠巻きにして見られていたが、マルティナと親しいことがわかるにつれ頼まれごとが増えた。それから昔の知り合いに気がつかれてはさらに面倒が増え、結果的にアリカのそばにいることができなかった。
 アリカ本人はあまり気にした風もなく、お疲れ様とねぎらってはくれた。だが、ローゼには寂しいと嘆いていたらしい。
 さらに人が良いからと言いながらもまあ、そういうところがいいんですよねと惚気られたようだ。

 アリカにそう言われると面倒だの言っているわけにもいかなくなる。もっともユウリに言わせれば、アリカが言わなくてもどうせ面倒みるよと笑っていたけれどそこまで人がいいとは思っていない。
 過大評価すぎる。

 そのいろいろの見返りとして提示されたのは両親の墓をきちんと管理してくれることだった。もうそこには誰もいないというのに。意味がないと断ろうとして、やめた。
 今はそこにいなくても、そこにいたと残しておいてもいいかと考え直したのだ。

 優しくて、大切だったものがそこにいたこと。それを覚えていても、思い出しても、もう寂しくはない。
 覚えていないと忘れたようにふるまっていたのは寂しかったからだ。
 誰とも親しくなりたくなかったのは、いなくなった時が怖いから。

 その弱さがあると生きていけなかったから、全部ないことにして。

「……なんか、変な事書いてあるんですか? それ」

「ん?」

 アリカはエリックが考え込んで手に持った紙をめくってもいないことに気がついたようだ。

「眉間にしわ。残りますよ。伸ばさなきゃ」

 アリカは楽しそうににじり寄ってくる。彼女は先ほどまですることがないと嘆きながら今まで巡ってきた場所の郷土料理をまとめていた。
 たぶん、それにも飽きたのだ。彼女の世界の旅行というのは、数時間乗り物に乗ってれば目的地にとりあえずは着くらしい。その環境からすれば移動が長すぎるようだ。

「ただでさえ最近難しい顔してるんですから」

 拒否されないと踏んだのかアリカはそう言いながらエリックの膝の上におさまろうとしていた。腕を持ち上げてその間からぬっと出てくるのは少しばかり強引だ。後ろ向きに膝の上に乗るとさらに彼が持っていた紙の束を覗き込もうとする。

「なに読んでるんですか?」

 そう言いながら居心地が悪いのかアリカがもぞもぞとして落ち着かないので、少し体制をなおし膝の間に座らせる。

「エルアが渡してきた現時点での経緯」

 既に一度は目を通したのだが、見落としがないか再度出してきたのだ。
 ふぅん?と呟いて彼女は遠慮なしに寄りかかってきた。時々任せて安心と言いたげにそうする。重くはないが、いい匂いがしてそれはそれで落ち着かないということを彼女は理解していない。
 首から肩への柔らかい曲線や揺れる髪、それから。

「……どうしました?」

 アリカが振り返った。なにかを察知したかのような絶妙なタイミングだった。

「読むか?」

 エリックは素知らぬ顔で資料を渡す。アリカは受け取り前を向いてぱらりとめくった。

「んー。あの教会支部長の人、領主様の血縁だったんですか」

「らしいな。まあ、貴族は子供が余ったら、教会か軍に入れるものだから意外でもない」

「普通の町の人にはならないんですか?」

「勝手に血を広めるのも困る、らしい。この感覚は昔、魔法が血縁で継承された名残と言われてる。ここではあまりないが、他の国では魔導協会にもよく入れられるそうだ」

「他の国の魔導協会が心配になってきましたよ……」

「選民意識があっても暴力で圧されるからすぐに心折れると聞いたことがある」

「……。
 ですよねー」

 アリカの少し虚ろな返答にエリックは笑う。おそらく、現地の貴族の人、大丈夫かなと心配になっていることだろう。だからといって魔導師を非難することもない。
 魔導師と付き合うのにも普通の人と付き合うにもちょうどいいだろう。どちらにも肩入れしないからどちらにも近い。
 気を取り直したようにアリカはぱらりと紙をめくった。

「んーと、あの教会支部長の人、結局何がしたかったんですかね?」

「聞けば滔々と語ってくれそうだったが、間が悪かった。聞く前にアリカが落ちてきたから」

「え、あ、すみません?」

 アリカは納得がいかないような言葉だった。少し後ろを向いて難しい表情でエリックを見上げてきた。
 事実として聞く前にアリカが落ちてきた。それに時間があってもエリックには聞けそうになかったことは黙っていることにした。

「不慮の事故なのだから仕方ないな。
 周辺の話をまとめた結果も書いてあっただろう」

「それって教会はそう通しますってことのように思えますよ?」

「魔法使いに傾倒して、魔法使いが世界の支配者になるべきという思想を持った。その結果、資質のある子を魔導協会に報告せず養育して、自らの手元に置きたかった。
 という見解には俺もは異論はない」

 この件はそういうことにでもしないとグルウの町が消失することになる。知らずに災厄に入り込まれその意志の通り動いてしまったものがそれなりの数いる。それを不審に思われず処分するともなれば、町ごと災厄に潰されてしまったことにしたほうがはるかに簡単だ。
 ここにアリカがいなければ、ユウリがたどり着かねばそういう対処になったかもしれない。しかし、今回は教会も魔導協会もそれを避けた。
 すべて支部長に押し付けておしまいにするつもりだろう。災厄と接触したものも不問にするというより、ここからもう出す気はない。
 エリックは例外として外に出ることはできるだろうが、それもアリカと共あればと限定されるだろう。災厄に対抗しうる神の代理人が側にいるならと。

 また、支部長と同じような思想を持つものは両方の組織に狙われ排除されることもエリックは想定していたが、アリカには言わなかった。

「魔法使いどころか魔導師でもないのにってことが変だと思うんですけどね。それに災厄がどこでからんできたんですか?」

「ほかのページに書いてあったが資質はあったが、封じられたそれを恨みに思っていたようだ。自分のように封じられるものがいない世界にしたかった。それをするには魔法使いの時代まで戻る必要がある」

「封じられてそこまで思うもんですかね?」

「見えていたものが、聞こえていたものが急に奪われるに等しいらしいな。実際、美しい呪式に見入られて封じるのを拒否した事例もある。まあ、封じるけどな」

 その場合には普通に生きるのは難しい。だから資質を持つものは速やかに確保し、必要に応じて封じなければならなかった。そう今ならわかる。
 エリックが封じられなかったのは偶然に過ぎなかった。既に回路も開かれ、魔法使いとして目覚めかけていたことを考慮すれば生き残ったのは幸運だろう。

「魔導師って、時々、人の心ないですよね。わかるよ、わかるよと言いながら刺してくる感じ……」

 エリックは返答せずにアリカが持っていた紙をめくった。彼女は資料へと視線を戻した。
 そこから先はユウリとゲイルが残した伝達事項だった。気が滅入るより怒りを覚えてくるようなことが書いてある。

「災厄についてはここから。
 元々ここにいたそうだ。封じの一族がいたはずだが、いなくなっている。それというのも魔法使いが連れて行ってしまったから」

「……あの、嫌な予感が」

 アリカの察しがいいというより、今までの因縁を思えばそこに行きつくだけの話である。エリックも初めて見たときは紙を叩きつけようかと思ったものだ。

「そう。眠り姫の姫君は最後の封じの一族の娘。ここから嫁に出すわけにはいかなかった。それなのに、他家に嫁いでそれから行方不明だ。封印はしばらく維持していたが、町の発展に伴い封じている場所が崩され少し逃げ出すようになったらしい」

「少し、ですか。封じる人がいないのにある程度維持されていたってことですよね?」

「魔導協会が調べたところによれば、封印はまだ有効だったようだ。だから、別のものに擬態して外に一部出ていたらしい。器がほしかったのはそういう理由らしいな」

 孤児院のころに無意味で疲れるだけの礼拝があったのだが、それにもきちんと呪式が組み込まれ封印の強化をしていた。そのことに気がついたのはいろいろ終わった後のことである。
 讃美歌のようで、呪式などやるのはやはりあの魔法使いくらいだろう。後々のことは考えてないようで考えていた。しかし、迷惑であることは変わりない。

「……ってことはあれ封印済みの状態だったんですか?」

「いや、支部長が死んだ時点で封印は解けた。急に動きが変わったときがそれみたいだ。
 そのあたりも書いてあったが」

「ああ、ありました。支部長が死んで、床の封印が破損ですか。自分が死ぬ計画ってどうな……。
 え、シスターを使って封印を解くつもりだったと。そのまえにエリックを捕獲して、魂殺して?」

「そういう計画らしいな。紙に書いて残すというのは迂闊にもほどがある」

「……そーゆーもんだいですか? ご自分が殺されそうになったんですよ?」

「死ななかったからいい」

 とでも言っておかなければ、アリカは死体を殺したいとでも言いだしそうだ。関係者を一掃しましょうといい笑顔で言いだすこともあり得る。
 アリカが望めば結果的にグルウの街は更地だろう。本当はそうしたいはずだから。

 エリックももちろん許す気はないが、それの処分は教会と魔導協会の管轄だ。わざわざ自らの手で行う必要もないだろうと判断していた。

「……そーゆー」

「それよりこっちが問題だ」

「はい?」

 アリカは再び紙面へ視線を落とした。
 少しの沈黙。

「……あの、もう一つ、災厄がいるって書いてあるんですけど」

「いるらしい。
 戦争のごたごたで焼けた町がある。そこに災厄が封じられていた石碑があって破損していたそうだ」

「それとあれは同じではなかった」

「違う個体だったようだ」

 石碑に封じられていた災厄は敵国側で暴れていたらしい。災厄なので短期間に別の場所で観測されてもそういうものだと処理されたそうだ。二体いるとは気がつかれていなかった。
 アリカはがっくりと肩を落とした。

「つまり、もう一回するんですか?」

「放置はできないからそうなるな。
 もちろんすぐじゃなくて準備を整えて捕獲するらしい」

「あたしたちはご遠慮しましょ。英雄様に一つ頑張っていただいて」

「……」

 エリックはどういおうか少し迷った。行くつもりか、と言えば行くつもりではあるが理由はユウリを助けるつもりではない。
 他の災厄でも利用可能なアリカがいるからだ。安心して暮らすには最初に災厄を葬るほうがいい。
 それに次はもう少しましであるはずだ。魔法使いの家から魔封じの魔道具一式、リリーの実家から魔導書が出てきている。魔導書のほうは今回はゲイルが使っていたので次も使えるはずだ。
 魔道具のほうは血族限定のものらしく使えなかったのだ。息子を修行するか、義兄にレクチャーするのどっちがましだと思う? たぶん、系統として娘なんだよなぁと義妹に教え込むほうがましのような、いや、師匠? 死ぬか? とゲイルが困り果てていた。
 適正で言うならリリーなのにゲイルは完全回避しようとしている。そして、そこまで回避しようとするのにきっと私がやるわとリリーが出てくるに違いない。師匠も新しい魔道具と呪式を試し打ちと言いだしかねなかった。
 想像すると災厄を討伐するという悲壮感は、全くない。

「たぶん、次はもうちょっと楽じゃないか?」

「ああ、もうっ! わかりました。あたしも行きますからね。置いてったら承知しませんよ!」

 アリカは振り返って睨むようにエリックを見上げた。
 それでも可愛いというと機嫌を損ねるだろう。今回のようなあたしは心配なんですと全面に押し出してくるときは特に。

「わかってる」

 そう囁くとアリカが黙ってしまうのはいつものことだ。しばらくして彼女はわかってればいいんですよとごにょごにょと呟いて、額を胸に押し当ててきた。

「でもしばらくは休養です。楽しいことだけして過ごすんです」

「わかってる」

「くっ、ほんとに! わかってるんですか!」

「とりあえず、魔銃の改造を一通りと新しく開示された魔導書を翻訳して」

「…………仕事が趣味だからほんと困りますね」

「少しは働かないと資金が溜まらない」

「前も言ってましたけど、なにが欲しいんですか?」

「家が、欲しいんだ」

「え? 家、ですか? えっと領主館もらえますけど」

「二人で暮らす家が欲しいんだ」

 アリカがぽかんと見上げてくる。じわじわと赤くなってくるので意味は理解したらしい。
 今後、二人きりなど難しいのはわかっているがその家だけでも静かにすごしたい。そういう希望くらいは持ってもいいと考えたのだ。

「まだ先だけど、できれば家族で暮らしたい」

 続けて言えば、アリカは目を見開いてそのまま動きをとめた。息も止まってないかとちょっと心配になる。嫌だという反応ではないが、ちょっと対処には困る。声をかければすぐに戻ってくるのだが。

「アリカ?」

「き、急にそう言うこと言わないでください! 死ぬかと思いました」

「なんでそれで死ぬとか言う話になるんだ」

「エリックにはわからない乙女心です。ああ、もう、うちの旦那様がひどいです」

 そう言いながらも嬉しそうなのはなんだろうか。ただ、言うのは控えた。エリックにはわからない乙女心と言われては何か言うのも野暮だろう。
 怒涛の説明を聞かされるのも避けたい。

「嫌いになった?」

「大好きですよ。もう、しんどいなぁ」

 そうぼやきながらも抱きついてくるのはエリックは可愛いと思う。他の誰にも見せたくないほどに。
 ただ、その気持ちはいつも心の底に沈めている。自由意志を奪いたいわけではない。好きなことをして、笑っていてほしいから。

「俺も好きだよ」

「…………殺しにかかってる」

「もっと言う?」

「致死量超えるのでご遠慮します」

 真っ赤になりながらもきっぱり断ってくることが少し面白くなくってエリックはその耳に触れた。

「愛してるでも足りない」

「だ、か、ら! やめてくださいと」

「わかったわかった」

 アリカは口ではお怒ってる風でも離れていかないことに自分でも気がついていないようだった。もう少しつついても平気のような気がするが、本気で怒られたくもない。
 まだ、二人だけで過ごせる時間は残っているのだから出来れば楽しく平穏に過ごしたいのだ。

「休憩ですね。ジャスパーにかまってきます」

 馬車が止まったのを幸いとアリカは馬車から逃げていった。
 さあ、ブラシですよ! と元気な声が聞こえてきてエリックは笑った。彼女がいるなら退屈しないだろう。
 もう、つまらなくって、寂しくって、いなくなりたいなんて思ったりもしないに違いない。
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