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温泉と故郷と泣き叫ぶ豆

現実が悪化する前に処理します

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 温泉に入りたいとわがままを言い、堪能する前になぜか部屋に逆戻りしていました。ふらついていたせいなのですけどね。連続の魔法使用は疲労がたまります。あとは妙なテンションの高さを感じます。
 上滑りしている感じが、あ、これダメかもと思いますし。
 部屋に戻ったら顔色が悪いからそのままソファで横になるように促されて、軽く意識不明になっていました。

 想定外に疲労がたまっていたようです。寝起きのぼんやりから覚醒の間に、エリックはちょっと部屋の外に出て戻ってきました。
 そのあと、扉が叩かれて。

「誰だったんですか?」

 籠を持って戻ってきたエリックに尋ねました。

「軽食を頼んでおいた。それほど食欲はないだろ?」

「食欲はないんですけど、妙にお腹は空いた感じです」

「なにか食べておいたほうがいい。魔素が減りすぎると普通に休んだくらいでは戻らない」

 そう言いながらエリックはローテーブルに軽食を並べられています。魔素が減りすぎたという感覚はあまりありません。まだいけるという謎の自信があるのですよ。
 ……これが魔法酔いですかね?
 へらりと笑うあたしに不穏なものを感じたのか、エリックは小瓶から飴玉を出してきました。

「こっちを先に飲んで」

「え、怪しいお薬ですか?」

「正気に戻る薬。口を開けて」

「ええとじゃあ口移しで!」

 ……欲望よ、バカな発言を現実世界でしないのです。妄想なら許されても、現実で言えば引かれるのです。
 案の定、白い目で見られましたね。

「すみません。調子に乗りました」

 それについてはスルーすることにしたのか、そのまま薬を唇に押し付けられました。
 大人しくいただきます。
 苦くて甘いのはこういう薬の定番なのでしょうか。ころころと口の中で溶かすと胸の奥が温かく感じてきます。

「使い慣れないと限界を見誤る。対処法はゲイルは言ってなかったか?」

「寝れば治る」

「魔素が有り余っているゲイルだから言えるのであって、真似しない」

 残念ながら、普通くらいの魔素蓄積量のあたしには適応できなかったようです。あの人も師匠にむいてないんじゃないでしょうかね?
 そんなもんかと思ったあたしもあたしですけど。

 すぐに薬は溶けてなくなりました。

「もう一つください」

「食べて寝てそれでもだめだったらな」

「じゃあ、食べさせてください」

 ……。
 うん。
 欲望よ。いい加減呆れられるぞと思うのですが、口が軽くなっています。これは言ってはいけないことまでいってしまうフラグでは?

「何が食べたい?」

 あっさりと要求を飲んでくれるエリックもどうなんでしょう……。諦めて一口サイズのチーズをお願いしました。
 さすがに二つ目からは自分で食べました。エリックが残念そうに見えたのは気のせいと処理します。

 一口大で作られたサンドイッチやオムレツ、小さい杯に入れたスープのようなものなど色々揃っていて手が込んでますね。
 おいしいなぁと現実から逃避してもいつかさらに問題を連れて現実が迫ってくるので、とっとと処理する必要があります。

 どこから切り出したものかと悩むのです。そう言って先送りして、小さい焼き菓子をつまむところまできてしまいました。
 さすが高級旅館の最上の部屋ですよ、扱いが違います。
 もうこのまま温泉入って何もなかったように戻りたいですね……。後でもめると自分に言い聞かせて、話をすることにしましょう。

「ええと、ディレイ?」

「なに?」

 軽く返されたようで、微妙な緊張のある声でした。いつものちょっと気を抜いたようなものでも、他の人に向けた少し作った感じでもありません。
 気がついて逆にものすごく緊張してきたのですけど。

「改めてお礼をさせてください。
 子供のころのあたしがお世話になりました。保護してくれてありがとうございます。それと面倒に巻き込んでごめんなさい」

 それから、執念深く思って、こんなとこまできちゃって申し訳ございません。これは言えませんけどね。死守します。ここに来たのは偶然ですって。推しの話は一生黙るんですから。墓場まで持ち込みです。
 往生際が悪くてもそこだけはどうしても言えません。

「どういたしまして」

 そっけなくそう言われて、じっと見られました。上から下までなにかを確認するみたいに。

「なんですか?」

「面影がある、とは思う。ただ、子供と今の隙間を埋められない」

「あたしも無くした記憶に驚愕するくらい違うので仕方ないかと思いますよ」

 あの頃のあたしは我ながら驚愕の思いつめっぷりでした。え、あれ、あたしなの? と思うくらいに。
 十歳で魔法全般仕込まれ、大人になったら神の使いになると家族にもちょっと距離を置かれていたようですからね。それだけではなく、魑魅魍魎にちょっかいも出されていれば誰かと一緒にいるのも難しいと思いそうですし。

「故郷に、家族のもとに帰らなくてもいいのか?」

 いまさら何を言っているんでしょうね? と軽く返しそうになりましたが、エリックの深刻そうな表情に黙りました。
 おそらく、エリックも思い出したのは最近の話でしょう。少なくとも王都を出るまではそこまでの違いを感じませんでした。
 だから、それ以前とは質問の重さが違うように思えます。

「結婚しましたと報告もしてしまいましたし、今戻ったら逆に捨てられたとか言われますよ? それにですね、うちの両親としてはどうぞ娘をよろしく、でしょうし」

 エリックに対してうちの執念深い娘が申し訳ないと思ってそうですし。世界を超えて押しかけ嫁するとは思ってもみなかったでしょうけど。

「それがわからない。
 迷子をそのまま返さないというのは、誘拐だろう?」

「……まあ、誘拐未遂でしたね」

 本人が帰らないと言い張ったとしても子供でしたし、そこを説得するのが大人であったでしょうけど。
 いくらあたしが悪かったと言っても責任を問われるのは大人です。つまりは、あたしの境遇に同情して、引き止めたエリックが悪いということになるわけですが……。そのあたりきっちり認識しているんですね。あの瞬間は衝動に近いものがあったでしょうけど。

「親がいたのだから、一度は向き合うことを説得すべきだった」

「正論で言えばそうですね」

 そして、言われたら心底失望したのでしょうね。理不尽でしょうけど。そう言う正解は理解してても出来なかったから煮詰まって思いつめていたのでしょう。
 大人びても子供で、親に失望されるのは怖かったと思います。自慢の娘でいたいということとわがままを言うことは両立しがたい。

「間違っていても、ここにいていいと、逃げてもいいと言ってもらったことが嬉しかったと思いますよ。どんな理由であっても、あたしの普通をくれたのはエリックです」

 全部忘れた後のあたしは普通にわがままに甘えていたような気がします。兄弟げんかもしましたし、仲良くもしていたこともあります。友人だって少なくてもいて、今も続いています。
 あの頃のままのあたしであれば、表面上は大人しく、中身は煮えたぎる怒りを抱えて御使いをしていたでしょうね。
 ツイ様も今ほど砕けた物言いはしないでしょうし。

「でも、ああいう無謀なのはもうなしですよ? 本当に死んじゃいますからね?」

 途中でリタイヤしてしまったのですが、かなりまずいところまでやりあっていたようですし。そこで死なれたらトラウマどころか正気の保証がないですよ……。

「そのつもりではいるが、確約はできない」

「妙にそう言うとこ正直ですよね」

「いつ死ぬかなんて、わからない」

 ……常に死亡フラグが立ちそうな人が言うとシャレになりませんね。頑張って回避しましょう。故郷で折れるといいなぁ死亡フラグ。思わず遠い目をしてしまいますね。

「だから、伝える努力は今のうちからするべきだと思う」

「え?」

 ものすごく、別方向に会話がねじ曲がったような気がするんですけど? あれ? おかしいな。
 それなのにエリックは何事もなかったようにお茶を飲んでますよ?

「アリカの両親には謝罪の手紙を送っておいた」

「早ッ! 必要ないですよ」

 いつの間に。あたしが意識不明中でしょうけど、それにしたって早すぎませんかね。そう言えば前の時も返信はすぐに書いてましたっけ。
 手紙を受け取った困惑しきった両親が想像できます。

「誤った手段で手元に置こうとしたのは確かだからな」

「いや、まあ、そうかもしれませんけど原因は家族の事情だから、巻き込んでごめんなさいと思ってるんじゃないかと。
 総合的にみんなにいい顔して無理してたあたしが悪いところがあるんですよね」

 みんなにとっていい子が自分にとって重たすぎたんだと思います。でも、やれるとか、しなきゃいけないとか考えていそうなところが……。気をつけましょう。今でもこの傾向はありますからね。

 エリックは黙ってますけど、おかしな話でしたかね?

「根本的になにか違ってる気がしているんだが」

「事件としては二つ、でしょうか。家出したいくらいに、逃げたかったのはあたしの家庭の事情。こちらは、エリックは関係ありません。いつかは発生する事案です。
 その境遇に同情といいますか、そのまま戻すなんてありえないとエリックが言ったのは誘拐未遂ということになりますか。でも、あたしが嫌だというのを無理に戻さなかったわけではありませんし」

 その誘拐未遂については原因的には我が家のもめごとです。善意の第三者としての立場がエリックなので、我が家としては、巻き込んでごめんなさい、であるのが正しいと思います。
 ……まあ、結果的に未遂だったからというところもあるでしょうけど。完遂された場合、相当揉めますよ。これ。あたしは良くても家族的には納得いかないというのはわかりますし。
 それに未遂でも揉めなかったのはツイ様もそれなりに取り繕って両親に伝えた可能性もあります。その可能性は今は揉めてない親族間の関係を気まずいものに変える必要もないのですから、黙っておきますけど。

「結果的に良かったんですから、良かったでいいんじゃないですか?」

 納得しがたいという表情のエリックに笑顔を向けておきます。過去の最良を今更考えても仕方がありません。
 すっきりはしませんが、心置きなく恩返しという建前で色々出来るようになったので良いことにしましょう。
 ……いや、本当になにをどう保証して返せばいいのでしょうか。エリックはどうもあたしが被害者のように思っているようなのですが、実際のところ加害者の側面が強いと思うんですよね。
 そのつもりはないですが、エリックに対してはマッチポンプしちゃった感があります。ああ、罪悪感が……。

 考え出すと落ち込んでいきそうなので、それは一人反省会でするとして、もうちょっと浮上しましょう。エリックが心配します。

「そういえば、ひとつ気になるところがあるんですよ」

「なに?」

 少し身構えたようななに? だったのですけど。

「覚えていたらでいいんですけど、最後、あたしは何をエリックに言ったんですか?」

 エリックにほっとしたように息を吐かれると聞かれてはまずいところがあるらしいと察すればいいんでしょうか。
 この漏れてきちゃう隠し事は見ないふりがいいのか追及すべきか悩みます。今は、それは置いておきますけどね。

「幸せになるように、だったかな」

 エリックは言葉を選ぶようだったので、この言葉そのものではないのでしょう。
 でも、まあ、あの状況でお嫁さんにしてとはさすがに言わなかったようですね。いや、まさか、お婿さんにするとか言いだしてませんよね!? 傷物(物理)にしたわけですし。

 ……。
 おそらく、子供のあたしのほうがきっと大人な対応をしたでしょう。今ほどの欲望まみれではないでしょうし。昔は可愛い、ピュアで打算的だと今の薄汚れたあたしが劣っているような気がします。

「……なんか、残って、エリック好みに育ててもらったほうが良かったような?」

 ぐふっと咽た音が聞こえました。
 おや? 口から言葉がこぼれてましたか。

「な、なにを、言うんだっ!」

「動揺している、怪しい」

「ふざけるな。幼児趣味はない」

「だから、おいしくなるまで育てる系で。……いえ、無理ですね。兄妹になりすぎて一歩もそこから出ていけそうな気がしません」

「そうだな」

 エリックの性格上、子供が大人になったからといって手出ししそうにないですね……。どこまでいっても庇護下に置くべきものって感じで。よほど上手に嫉妬でもさせない限り、他の男をすすめられそうです。
 それからいい感じに勘違いと思い込みでグダグダになりますね!

「今のアリカがいい」

「時々、すごいこと言いますよね」

 さらっと意識に止めを刺していくところすごいですよね。致命傷の数が多いのはあたしがちょろいせいでしょうか。
 おや? 妙にみられているような?
 そう思っている間にかなり距離を詰めて座られてますけど!?

「な、ななんですかっ!」

 動揺駄々洩れですよ。なんで髪の毛を耳にかけれたのかとか、なぞるとかなしですとかごにょごにょと出てきません!
 相手の緊張感が伝染してきてかちこちに固まってしまいます。今何されるんです?

 ……。

 あれ?

 そのまま一分近く放置とかひどくないですか? 表情を伺おうとするとがしっと顎を押さえられたんですけど?

「ふぁっ! ほんとになんなんですかっ!」

 ふっと耳に息を吹きかけられました。
 耳を押さえながら、逃げ出しますよ! ソファから立ち上がって窓際に退避です。犯人(エリック)はおかしいなと言いたげに首をひねっていました。
 力尽きそうですよ。意味不明過ぎて。

 エリックはなんで何事もなかったようにお茶のお替りについて聞いてくるですか。落ち着きたい気持ちの表れとしてってますけど、今はいったい何がしたいのだと問いただしたいですよ。
 エリックに冷たい視線を送るとさすがに気まずそうに背を向けられました。本気で聞かれたくない系ですか。

「……ちょっとした実験だ」

「本気で怒りますよ」

 エリックからの返答はため息で。
 それから、捕獲されました。抱擁ではございません。逃げないようにがっちり捕獲、です。足の長さと機動力の差で簡単にやられてしまいました。
 抗議しようと見上げれば、やはりどこか緊張したような表情で。

「あまり、慣れてないんだ」

 言いわけされながら、エリックに囁かれた言葉とものすごい照れ顔に意識不明されました。

 うちの推しはすごかった。
 遺書にそう書きましょう。
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