217 / 263
温泉と故郷と泣き叫ぶ豆
幽霊の残しもの
しおりを挟む
その場で話を続けるわけにもいかず、一度部屋まで戻ることにした。腰が抜けたのですがと恥ずかしそうに申告してきたので抱きかかえて、である。
これだけアリカが騒いだのに宿の人とは全くすれ違わない状況に違和感があった。
これも現実ではない可能性もある。逃亡の備えは準備しておくことに越したことはない。
移動中に魔法使いが勝手にべらべらと話してきたことによれば、眠り姫を作った魔法使い本人というわけではなく、複製らしい。本人をもとに複製する実験をしていたそうだ。
実態ではないが、それに近いものまでは作れていたらしい。人形に中身を定着させるのが難しくて放棄したと言っているが。
「……なんでしょう。ぞわぞわしてくる話ですね」
アリカが腕をさすっていた。
一つ一つは、それをする魔導師がいてもおかしくはない、と思わせる。それが組み合わさった場合に、導き出される答えにはアリカは気がついていないようだ。
望まれたとはいえ眠り姫ほどの呪式をくみ上げて魔法をかけてしまうくらいの思いが、軽いわけがない。
捨てられない思いが複製を用意しようと思うくらいに、狂気じみたものに変貌してしまってもおかしくはないだろう。
それも放棄されているのは望んだ人が困っていたから、全部放り投げた。そして、戻らないままにここは売りに出された。
そして、この魔法使いは丁寧に作られた牢獄のような家に暮らしていた。そのうえ、現在までもその子孫がいる。
子供が一人ではできないというのは、未だに覆らない。ということは、その相手は誰だと。
問えば答えてくれそうな気がしたが、エリックは知りたくはなかった。確実に面倒なことになる。知らないからと言って困ることはないはずだ。
ソファで十分ですというアリカを宥めてもう一度ベッドに戻した。触れた額はまだ熱があるように思えた。顔が赤いと指摘すれば誰のせいだとと脱力している。
抱き上げられることにはまだ慣れないらしい。恥ずかしいと言うわりには密着してくるのだが、あれは無意識なのだろうか。
役得というよりは自制心が試されている気がするが、そんな意図は今のところはないだろう。
「あー、もしもし? 私のことを忘れてないかな」
咳払いをする魔法使いは少しばかり呆れた顔をしていた。なんとなく、そこも師匠に似ている気がした。
アリカに離れないでと言うように服のすそをつかまれた。それだけではなく、くっついてきた。
アリカが自発的にそれをするのは珍しい。無意識や寝ぼけて、あるいはなし崩し的にはよくやるが、自分から意識してするのはなにか葛藤があるらしい。
それを超えるくらいに幽霊ではないが、やはり透けて白いものは怖いようだ。ぽんぽんと背中を軽く叩くとそれじゃないと言いたげに見上げられた。いまいち正解が読めない。
「それにしてもあれだね。愛が重いね」
軽く、いやぁ怖いわぁと煽るような言い方で魔法使いは言いだした。
エリックとしては愛が重いというより狂気に片足を突っ込んでいる男に指摘されたくない。
「自覚しているので指摘しなくて結構です」
アリカはそっけない口調ではあるが、魔法使いの言葉は否定しない。え? とアリカを確認すれば、当人は苦笑いしていた。
「そっちの彼氏は、自覚なさそう。
眠り姫のオリジナルなんて、相互の激重な愛がないと解けないんだから重いでいいのに」
「ほっといてください。……というかなんで知ってるんですか」
「なんか、こっちに流れてきた旅行客が王都で面白いことあったとか話してたから。実体化は出来なかったけど、夢の中なら入り放題で暇つぶしにはなった」
「そうですか。
ところで、貴方はなんのために出てきたんです?」
「ついでに壊してもらおうと思ってね。本当はもっと早く壊れる魔道具だったんだ。ところが別の魔道具と作用して表に出てこれずに長年夢の中をさまようことになった」
エリックの記憶が確かならば、眠り姫は百年を超えるほどに昔の話だ。おとぎ話というほどには遠くなく、人の記憶の事実であったと覚えていられるほど近くはない。
たとえ複製とはいえ、摩耗して消えるほうが先であるような気がした。
「それともう一つ頼みたいのは研究室の処分。あの時の私は正気じゃなかったと言いわけしなければいけないものがある。悪用される可能性も否めないし、放置はできない」
「わかった」
「ディレイは、ちゃんと、お留守番していてくださいね?」
「なぜ?」
「どう考えても、処分できずにおもちゃにしそうです」
残念ながら否定できなかった。
研究室は今は改装中の部屋にあった。調べた途中にこちらにも調整が必要な魔道具があることに気がついたことにして、部屋の鍵を借りた。
鍵を出してきたオーナーは怯えたような青い顔で、魔法使いが浮かんでいたあたりを見ていた。なにか見えるかと聞けば、慌てたようにぶんぶんと首を横に振っていた。
時々、夢の中で使えそうな情報横流しをしていたと魔法使いは言っていた。しかし、あの様子では使えそうではなかったのではないだろうか。
エリックは興味を惹かれてなんですそれと言いだしたアリカを横目で見ながら聞き流した。ふんふんと聞いていたのが、困惑に変わり、呆れた顔になっていた。
聞こえてきた不正が、埋蔵金が、隠し財産やら不倫旅行なんて話は覚えておく気はない。
研究室は隠し部屋にあった。
「見たら欲しくなるんですから、見るのもダメです」
そう言い置いてアリカはその部屋に消えた。何かしら理由をつけて入り込もうとするのを断固拒否するあたりエリックの性質をわかっている。
魔法使いはそちらにはついていかなかった。
魔道具が壊れたらすぐに消えるのだから、目の前で消えないほうがいいだろうと残ったらしい。
「後で追ってくるとか心配とかでもダメですからねっ!」
不安に駆られたのか、アリカはもう一度戻ってきて、念押しをしていった。
「子供みたいなこと言われてる。なんかやっぱり魔法使いって感じ」
「魔法使い、ではなく、今は魔導師だ」
魔法使いほど無軌道ではない。魔導師はそれなりに決められた教育方法がある。最低限のルールの遵守は叩き込まれるのだ。
魔法使いはエリックの周りをくるりと巡りへえと呟く。
「……でも、なんか、魔法使い、かな。
今どきの魔導師は魔法の使用制限があるんだろ。それなのに制限を超えて、世界とつながっているだろう? 必要に迫られたのだろうけど、これ以上は扱いが難しい。人としていきたいなら、これ以上、踏み込まないほうがいい。私も最後は、狂っていたからなぁ」
少しだけ困ったように魔法使いは言う。
「愛する者のいない世界は地獄だ。ただ、閉じ込めて甘やかしてどこにも行けないようにしても、いつかはいなくなる。子も孫も見送ってなお生きていることは、私にはつらかった。
愛おしかったものを見るのさえ辛くて、全てを壊してしまうほどに」
魔法使いの自嘲したような言葉は、張り付けたような笑みで語られる。
怒り狂っている師匠にやっぱり似ていた。
そうだねぇ、私は令嬢として育てられたから感情を隠すなら笑みで彩れと教育されたのだよ。そう言っていたが、血ではないだろうか。リリーも同じような笑い方をする。
死ぬがよいと言いだしそうだ。
ただ、この場合には、自省であろう。さすがにここで怒りをぶつけられる理由はないはずだ。しかし、時々理不尽なこともある。宥めておくに越したことはない。
「子孫は元気だ」
「うん? そうだね。滅ぼしつくさなくてよかった」
「防衛機構もまだ生きている」
「私の攻撃にもきちんと耐えてまだ残ってるんだよね」
「これからもちゃんとその血は残っていく」
「そうだね。したことは無意味でもなかったか」
そう言って魔法使いはため息をつく。それから、顎に手を置いて、まじまじとエリックを見る。先ほどぐるぐると回られたのとは別の見方はぞわりとするものがあった。
「遠い弟子よ。一つ、贈り物をしてやろう。その身を守るには足りないが、抗う足しにはなるだろう」
既視感のあるにやにや笑いにエリックは嫌な予感がした。
「このものに鍵の継承を行う。
フェイデンよりエリックに鍵を渡す」
魔法使いは教えたはずもない名を使って、新たな回路を開いていった。少し前に世界とつながるのは増やさないほうが良いと言ったことを裏切っている。
「悪いことに使ってはいけないよ?」
笑う魔法使いは、薄くなって消えていった。それから間もなく、アリカが隠し部屋から姿を見せた。
あたりをきょろきょろと見回しているところは、幽霊いないよね? と確認しているようだった。
「……どうしたんです? 眉間の皺が深いですよ」
「なにもない。問題なかったか?」
「指定された手順通りに停止しましたからね。他のものも処分しました。一個持ってきちゃいましたけど」
アリカは年月の重みを少しも感じさせない箱を一つ取り出した。昨日買ったと言っても信じそうなくらい新品に見える。
「ただの、櫛です。大事そうに箱に入っていたので、思いでの品なのでしょう。
遺品ではないですが、ステラ師に渡しておいたほうがいいかなって」
「研究室を処分したことは誰にも言わないほうがいい」
「わかってますよ。魔導協会も煩そうですし、秘密の部屋を見つけてこれだけ見つけたことにします。こんなきれいなんだからちゃんと渡してあげればよかったのに」
不満そうに言うアリカに彼は苦笑した。あの魔法使いがどんな顔でこれを用意して、そして、結局渡せなかったのかと想像すると他人事のような気がしない。
送っても断られない口実が必要だ。それは自信のなさの表れでしかない。
「受け取ってもらえないとでも思っていたんだろ」
「変なところ臆病なんですね。いっそ振られてくれば、これほどの執着しなくて済んだのに」
「拉致監禁になるだけだと思うが」
「……ほんと、どうかしてますねっ! 素直に口説けばいいものをかっこつけたりするから」
エリックとしても身につまされることではある。素直に好きともいったこともない。
それでもいいというから、甘えていた。
「そうだな。そのあたりから始めるか」
「はい?」
きょとんとしたアリカの頭をごまかすように撫でる。疑惑に満ちた視線を投げかけてくるが黙殺することにした。
まずは、一つずつ片付けなければならない。気は重いがアリカの両親への謝罪が必要だろう。冷静に思い返せば、迷子をそのまま誘拐するようなことをしたのだから。そのうえで、帰してほしいと言われればアリカを説得するつもりはある。
「まあ、温泉です。
家族風呂があると聞いたんですよ。一緒に入りますよね? 一人なんてまた新しい幽霊がやってきそうで」
アリカの甘え半分、恐怖半分のそれはいつもと変わりないようで、少し違って見えた。
これだけアリカが騒いだのに宿の人とは全くすれ違わない状況に違和感があった。
これも現実ではない可能性もある。逃亡の備えは準備しておくことに越したことはない。
移動中に魔法使いが勝手にべらべらと話してきたことによれば、眠り姫を作った魔法使い本人というわけではなく、複製らしい。本人をもとに複製する実験をしていたそうだ。
実態ではないが、それに近いものまでは作れていたらしい。人形に中身を定着させるのが難しくて放棄したと言っているが。
「……なんでしょう。ぞわぞわしてくる話ですね」
アリカが腕をさすっていた。
一つ一つは、それをする魔導師がいてもおかしくはない、と思わせる。それが組み合わさった場合に、導き出される答えにはアリカは気がついていないようだ。
望まれたとはいえ眠り姫ほどの呪式をくみ上げて魔法をかけてしまうくらいの思いが、軽いわけがない。
捨てられない思いが複製を用意しようと思うくらいに、狂気じみたものに変貌してしまってもおかしくはないだろう。
それも放棄されているのは望んだ人が困っていたから、全部放り投げた。そして、戻らないままにここは売りに出された。
そして、この魔法使いは丁寧に作られた牢獄のような家に暮らしていた。そのうえ、現在までもその子孫がいる。
子供が一人ではできないというのは、未だに覆らない。ということは、その相手は誰だと。
問えば答えてくれそうな気がしたが、エリックは知りたくはなかった。確実に面倒なことになる。知らないからと言って困ることはないはずだ。
ソファで十分ですというアリカを宥めてもう一度ベッドに戻した。触れた額はまだ熱があるように思えた。顔が赤いと指摘すれば誰のせいだとと脱力している。
抱き上げられることにはまだ慣れないらしい。恥ずかしいと言うわりには密着してくるのだが、あれは無意識なのだろうか。
役得というよりは自制心が試されている気がするが、そんな意図は今のところはないだろう。
「あー、もしもし? 私のことを忘れてないかな」
咳払いをする魔法使いは少しばかり呆れた顔をしていた。なんとなく、そこも師匠に似ている気がした。
アリカに離れないでと言うように服のすそをつかまれた。それだけではなく、くっついてきた。
アリカが自発的にそれをするのは珍しい。無意識や寝ぼけて、あるいはなし崩し的にはよくやるが、自分から意識してするのはなにか葛藤があるらしい。
それを超えるくらいに幽霊ではないが、やはり透けて白いものは怖いようだ。ぽんぽんと背中を軽く叩くとそれじゃないと言いたげに見上げられた。いまいち正解が読めない。
「それにしてもあれだね。愛が重いね」
軽く、いやぁ怖いわぁと煽るような言い方で魔法使いは言いだした。
エリックとしては愛が重いというより狂気に片足を突っ込んでいる男に指摘されたくない。
「自覚しているので指摘しなくて結構です」
アリカはそっけない口調ではあるが、魔法使いの言葉は否定しない。え? とアリカを確認すれば、当人は苦笑いしていた。
「そっちの彼氏は、自覚なさそう。
眠り姫のオリジナルなんて、相互の激重な愛がないと解けないんだから重いでいいのに」
「ほっといてください。……というかなんで知ってるんですか」
「なんか、こっちに流れてきた旅行客が王都で面白いことあったとか話してたから。実体化は出来なかったけど、夢の中なら入り放題で暇つぶしにはなった」
「そうですか。
ところで、貴方はなんのために出てきたんです?」
「ついでに壊してもらおうと思ってね。本当はもっと早く壊れる魔道具だったんだ。ところが別の魔道具と作用して表に出てこれずに長年夢の中をさまようことになった」
エリックの記憶が確かならば、眠り姫は百年を超えるほどに昔の話だ。おとぎ話というほどには遠くなく、人の記憶の事実であったと覚えていられるほど近くはない。
たとえ複製とはいえ、摩耗して消えるほうが先であるような気がした。
「それともう一つ頼みたいのは研究室の処分。あの時の私は正気じゃなかったと言いわけしなければいけないものがある。悪用される可能性も否めないし、放置はできない」
「わかった」
「ディレイは、ちゃんと、お留守番していてくださいね?」
「なぜ?」
「どう考えても、処分できずにおもちゃにしそうです」
残念ながら否定できなかった。
研究室は今は改装中の部屋にあった。調べた途中にこちらにも調整が必要な魔道具があることに気がついたことにして、部屋の鍵を借りた。
鍵を出してきたオーナーは怯えたような青い顔で、魔法使いが浮かんでいたあたりを見ていた。なにか見えるかと聞けば、慌てたようにぶんぶんと首を横に振っていた。
時々、夢の中で使えそうな情報横流しをしていたと魔法使いは言っていた。しかし、あの様子では使えそうではなかったのではないだろうか。
エリックは興味を惹かれてなんですそれと言いだしたアリカを横目で見ながら聞き流した。ふんふんと聞いていたのが、困惑に変わり、呆れた顔になっていた。
聞こえてきた不正が、埋蔵金が、隠し財産やら不倫旅行なんて話は覚えておく気はない。
研究室は隠し部屋にあった。
「見たら欲しくなるんですから、見るのもダメです」
そう言い置いてアリカはその部屋に消えた。何かしら理由をつけて入り込もうとするのを断固拒否するあたりエリックの性質をわかっている。
魔法使いはそちらにはついていかなかった。
魔道具が壊れたらすぐに消えるのだから、目の前で消えないほうがいいだろうと残ったらしい。
「後で追ってくるとか心配とかでもダメですからねっ!」
不安に駆られたのか、アリカはもう一度戻ってきて、念押しをしていった。
「子供みたいなこと言われてる。なんかやっぱり魔法使いって感じ」
「魔法使い、ではなく、今は魔導師だ」
魔法使いほど無軌道ではない。魔導師はそれなりに決められた教育方法がある。最低限のルールの遵守は叩き込まれるのだ。
魔法使いはエリックの周りをくるりと巡りへえと呟く。
「……でも、なんか、魔法使い、かな。
今どきの魔導師は魔法の使用制限があるんだろ。それなのに制限を超えて、世界とつながっているだろう? 必要に迫られたのだろうけど、これ以上は扱いが難しい。人としていきたいなら、これ以上、踏み込まないほうがいい。私も最後は、狂っていたからなぁ」
少しだけ困ったように魔法使いは言う。
「愛する者のいない世界は地獄だ。ただ、閉じ込めて甘やかしてどこにも行けないようにしても、いつかはいなくなる。子も孫も見送ってなお生きていることは、私にはつらかった。
愛おしかったものを見るのさえ辛くて、全てを壊してしまうほどに」
魔法使いの自嘲したような言葉は、張り付けたような笑みで語られる。
怒り狂っている師匠にやっぱり似ていた。
そうだねぇ、私は令嬢として育てられたから感情を隠すなら笑みで彩れと教育されたのだよ。そう言っていたが、血ではないだろうか。リリーも同じような笑い方をする。
死ぬがよいと言いだしそうだ。
ただ、この場合には、自省であろう。さすがにここで怒りをぶつけられる理由はないはずだ。しかし、時々理不尽なこともある。宥めておくに越したことはない。
「子孫は元気だ」
「うん? そうだね。滅ぼしつくさなくてよかった」
「防衛機構もまだ生きている」
「私の攻撃にもきちんと耐えてまだ残ってるんだよね」
「これからもちゃんとその血は残っていく」
「そうだね。したことは無意味でもなかったか」
そう言って魔法使いはため息をつく。それから、顎に手を置いて、まじまじとエリックを見る。先ほどぐるぐると回られたのとは別の見方はぞわりとするものがあった。
「遠い弟子よ。一つ、贈り物をしてやろう。その身を守るには足りないが、抗う足しにはなるだろう」
既視感のあるにやにや笑いにエリックは嫌な予感がした。
「このものに鍵の継承を行う。
フェイデンよりエリックに鍵を渡す」
魔法使いは教えたはずもない名を使って、新たな回路を開いていった。少し前に世界とつながるのは増やさないほうが良いと言ったことを裏切っている。
「悪いことに使ってはいけないよ?」
笑う魔法使いは、薄くなって消えていった。それから間もなく、アリカが隠し部屋から姿を見せた。
あたりをきょろきょろと見回しているところは、幽霊いないよね? と確認しているようだった。
「……どうしたんです? 眉間の皺が深いですよ」
「なにもない。問題なかったか?」
「指定された手順通りに停止しましたからね。他のものも処分しました。一個持ってきちゃいましたけど」
アリカは年月の重みを少しも感じさせない箱を一つ取り出した。昨日買ったと言っても信じそうなくらい新品に見える。
「ただの、櫛です。大事そうに箱に入っていたので、思いでの品なのでしょう。
遺品ではないですが、ステラ師に渡しておいたほうがいいかなって」
「研究室を処分したことは誰にも言わないほうがいい」
「わかってますよ。魔導協会も煩そうですし、秘密の部屋を見つけてこれだけ見つけたことにします。こんなきれいなんだからちゃんと渡してあげればよかったのに」
不満そうに言うアリカに彼は苦笑した。あの魔法使いがどんな顔でこれを用意して、そして、結局渡せなかったのかと想像すると他人事のような気がしない。
送っても断られない口実が必要だ。それは自信のなさの表れでしかない。
「受け取ってもらえないとでも思っていたんだろ」
「変なところ臆病なんですね。いっそ振られてくれば、これほどの執着しなくて済んだのに」
「拉致監禁になるだけだと思うが」
「……ほんと、どうかしてますねっ! 素直に口説けばいいものをかっこつけたりするから」
エリックとしても身につまされることではある。素直に好きともいったこともない。
それでもいいというから、甘えていた。
「そうだな。そのあたりから始めるか」
「はい?」
きょとんとしたアリカの頭をごまかすように撫でる。疑惑に満ちた視線を投げかけてくるが黙殺することにした。
まずは、一つずつ片付けなければならない。気は重いがアリカの両親への謝罪が必要だろう。冷静に思い返せば、迷子をそのまま誘拐するようなことをしたのだから。そのうえで、帰してほしいと言われればアリカを説得するつもりはある。
「まあ、温泉です。
家族風呂があると聞いたんですよ。一緒に入りますよね? 一人なんてまた新しい幽霊がやってきそうで」
アリカの甘え半分、恐怖半分のそれはいつもと変わりないようで、少し違って見えた。
1
お気に入りに追加
981
あなたにおすすめの小説
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
異世界は『一妻多夫制』!?溺愛にすら免疫がない私にたくさんの夫は無理です!?
すずなり。
恋愛
ひょんなことから異世界で赤ちゃんに生まれ変わった私。
一人の男の人に拾われて育ててもらうけど・・・成人するくらいから回りがなんだかおかしなことに・・・。
「俺とデートしない?」
「僕と一緒にいようよ。」
「俺だけがお前を守れる。」
(なんでそんなことを私にばっかり言うの!?)
そんなことを思ってる時、父親である『シャガ』が口を開いた。
「何言ってんだ?この世界は男が多くて女が少ない。たくさん子供を産んでもらうために、何人とでも結婚していいんだぞ?」
「・・・・へ!?」
『一妻多夫制』の世界で私はどうなるの!?
※お話は全て想像の世界になります。現実世界とはなんの関係もありません。
※誤字脱字・表現不足は重々承知しております。日々精進いたしますのでご容赦ください。
ただただ暇つぶしに楽しんでいただけると幸いです。すずなり。
冷宮の人形姫
りーさん
ファンタジー
冷宮に閉じ込められて育てられた姫がいた。父親である皇帝には関心を持たれず、少しの使用人と母親と共に育ってきた。
幼少の頃からの虐待により、感情を表に出せなくなった姫は、5歳になった時に母親が亡くなった。そんな時、皇帝が姫を迎えに来た。
※すみません、完全にファンタジーになりそうなので、ファンタジーにしますね。
※皇帝のミドルネームを、イント→レントに変えます。(第一皇妃のミドルネームと被りそうなので)
そして、レンド→レクトに変えます。(皇帝のミドルネームと似てしまうため)変わってないよというところがあれば教えてください。
追放された悪役令嬢はシングルマザー
ララ
恋愛
神様の手違いで死んでしまった主人公。第二の人生を幸せに生きてほしいと言われ転生するも何と転生先は悪役令嬢。
断罪回避に奮闘するも失敗。
国外追放先で国王の子を孕んでいることに気がつく。
この子は私の子よ!守ってみせるわ。
1人、子を育てる決心をする。
そんな彼女を暖かく見守る人たち。彼女を愛するもの。
さまざまな思惑が蠢く中彼女の掴み取る未来はいかに‥‥
ーーーー
完結確約 9話完結です。
短編のくくりですが10000字ちょっとで少し短いです。
ぽっちゃりな私は妹に婚約者を取られましたが、嫁ぎ先での溺愛がとまりません~冷酷な伯爵様とは誰のこと?~
柊木 ひなき
恋愛
「メリーナ、お前との婚約を破棄する!」夜会の最中に婚約者の第一王子から婚約破棄を告げられ、妹からは馬鹿にされ、貴族達の笑い者になった。
その時、思い出したのだ。(私の前世、美容部員だった!)この体型、ドレス、確かにやばい!
この世界の美の基準は、スリム体型が前提。まずはダイエットを……え、もう次の結婚? お相手は、超絶美形の伯爵様!? からの溺愛!? なんで!?
※シリアス展開もわりとあります。
【完結済】(無自覚)妖精に転生した僕は、騎士の溺愛に気づかない。
キノア9g
BL
完結済。騎士エリオット視点を含め全10話(エリオット視点2話と主人公視点8話構成)
エロなし。騎士×妖精
※主人公が傷つけられるシーンがありますので、苦手な方はご注意ください。
気がつくと、僕は見知らぬ不思議な森にいた。
木や草花どれもやけに大きく見えるし、自分の体も妙に華奢だった。
色々疑問に思いながらも、1人は寂しくて人間に会うために森をさまよい歩く。
ようやく出会えた初めての人間に思わず話しかけたものの、言葉は通じず、なぜか捕らえられてしまい、無残な目に遭うことに。
捨てられ、意識が薄れる中、僕を助けてくれたのは、優しい騎士だった。
彼の献身的な看病に心が癒される僕だけれど、彼がどんな思いで僕を守っているのかは、まだ気づかないまま。
少しずつ深まっていくこの絆が、僕にどんな運命をもたらすのか──?
いいねありがとうございます!励みになります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる