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温泉と故郷と泣き叫ぶ豆
旅行の準備 3
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お昼すぎにエリックは目覚めました。
ぼんやりとした表情のおはようとぴょんと跳ねる寝癖が可愛いですね。これはあたしの特権です。によによしないようするのももはや慣れた気がします。
エリックは起き上がってから周りを不思議をそうに見回していました。
「なにかした?」
「え? なにもしてないですよ」
頭なでなでは不埒なことではありません。ついうっかり子守歌とか歌っちゃいましたけど。寝かせようとした純粋な行動です。下心なんてなかったんです。
エリックは首をかしげています。
「魔法の残りみたいなものを感じる。聞いたことのない音」
「なんでしょうね?」
「こういう」
そうして口ずさんでくれた音が、子守歌の旋律でした。
「うちに古くから伝わる子守歌ですね。そんなのも魔法になるんですか?」
「教会系に近い、かも? あれも歌で破邪することがある」
「異界の歌が効くとは思えないですけど」
んーとエリックは何か考え始めてしまいました。ものすごく、余計なことを言ってしまった気がしています。
「それはいいんですけど」
「ん?」
「最近避けてましたよね」
あ、黙りましたね。理由は寝る前に言ってましたけど、どこまでその理由かは不明です。
なにか言いだすまでじーっと待ちますよ。
身なりが雑になっているというか無精ひげがありますね。濃い煙草の匂いとかが原作感ありますね。これはこれでよいと思いますっ!
ってそうじゃないんです。
「気のせいじゃないか?」
逃げました。
色々考えて逃げを打ちましたね!
時間がとかなんとかごにょごにょ言いだすのが珍しいですが、またいなくなりそうな気配を感じます。
もうベッドから出ていこうと背を向けてます。
「えいっ」
背後から強襲してやりますよっ。背中を向けたのが悪いんです。
「な、なに」
「気のせいかもしれないですけど、なんか、寂しかったんです」
「今までも忙しい日とかあっただろ」
「家の中にいるとか行く先がわかってるというのと今のは違うと思いますよ。
どうしたんですか?」
「それは」
と何か言いかけたところで聞こえてきたんです。
なにがって廊下からおやめくださいとか大奥様っとか悲鳴が。
あ、まずいとエリックが呟いたのは聞こえました。
問い返す前にばーんと扉が開きましたね。
「師匠の呼び出しを無視するとはいい度胸」
……。
ステラ師がばーんと扉を開けて、そこで固まってしまいましたよ。なお、我々も身動きできませんでした。
エリックが逃げていかないように背後からぎゅーと抱きついているあたし。それだけならまだしも、エリックが焦ったように引き離しにかかってました。なんかもう、やましいことしてました的に見えますねっ!
うん。
ものすごく気まずいです。
この状況を作ってしまった執事は扉のところでムンクの叫びをしています。ああ、あれって叫びを聞かないためでしたっけ。ならこの先の阿鼻叫喚を聞かないためでしょうね……。
「アーテルちゃん」
「はいっ!」
「そこのバカ弟子を絞めるからよこしてくれないかい?」
優しい声ですごいこと言われましたっ!
そういわれたエリックのほうは長いため息をついてあたしの腕を外しにかかってますね。言葉にしないけど、なんか、めんどくさいことになったと態度が言ってますよ。
「だ、だめですっ!」
「寝込みを襲うような男に育てたつもりはないんだが、そこはちゃんとしないとね」
「……あのぅ。ここディレイの部屋です。侵入したのはあたしのほうで……」
地獄のような沈黙がありました。
なにやってんだい? という視線が痛いんですっ!
はぁとため息をついて、ステラ師は小さく頭を振りました。
「冤罪なのはわかった。わるかったね。
アーテルちゃんは着替えておいで。淑女が夜着のままでいるものではないよ」
普通のパジャマでよかったですね……。
ステラ師にエリックを連れて行かないように念押しして、自室に戻ることにしました。
そして、お出かけしやすいワンピースに着替えます。髪もちゃっちゃとみつあみでいいでしょう。最低限の身だしなみを整え、戻ろうとすれば食堂の方にいるとご案内されました。
話をするなら確かにそっちのほうがよさそうです。
「おや、早かったね」
ステラ師は優雅に珈琲を飲んでいました。リリーさんから譲り受けた貴重品がっ! そう言える雰囲気でもないので、黙っておきますけど。
エリックは不在です。あれ? と首をかしげていると座るように促されます。家主はあたしのはずですが、貫禄が違いますね……。
「少しは身なりをなんとかしろと浴室に行かせたよ」
「そうですか。その、なにか、お話が?」
「なにか、無体なことをされてはいないかい?」
ものすっごい言葉を選んで聞かれたような気がします。
きょとんと見返すとステラ師は安心したようにほっと息をついていました。何をそんなに警戒してたんでしょうか?
「普通はそんなことはないんだけれどね。ディレイの魔法酔いが心配になってね。
なにもないならよかった」
「ものすっごい避けられましたよ。だから、こう、本人を捕まえようと部屋で張ってました」
「その外見に似合わず豪胆なことをするねぇ。ディレイが話さなかったんだろうが、それにしたって」
「あははは」
はしたないと言われる部類ですね。かなり煮詰まってたんですよ。
「閣下、お食事はいかがいたしますか?」
「軽くつまめるものをお願いします。珈琲を先にください」
先ほどムンク化していた執事さんが何事もなかったように振舞っています。公爵家からのご紹介なのでステラ師を止めることは不可能でしょうね。大奥様なんですし。
「あたしゃ、あれがいい。オムレツとかいうのがあるのだろう?」
「かしこまりました」
「ゲイルが自慢していたからね。アーテルちゃん考案の道具もうちにあるんだが、料理人が邪道派と便利だからと推奨派とに別れているよ」
「知らない間に大事になってますね……」
珈琲が届き、執事はわきまえたように部屋を出ていきました。部屋にはステラ師と二人きりです。
なにか冷や汗が出てきますね。尋問でもされます? なにか悪いことしましたっけ?
「グルウに行くのは反対だよ」
「お聞き及びですか。向こうのご両親にもご挨拶は必要でしょうから、行きますよ」
「既に亡いのだから行く必要はなかろう?」
「墓前で手を合わせる習慣くらい向こうでもありますよ」
ここで折れると二度と行けそうな気がしないので、強固に主張する所存です。来訪者としても侯爵としても行きたくはないんです。
取り繕われた表面だけ見せられそうなので。
王家でも、魔導協会でも知りえなかった深淵を覗きに行かねばなりません。
「頑固だねぇ。ディレイはどう言っている?」
「困惑されましたけど、約束を盾にごり押しました。
泣き叫ぶ豆を食べに行くので、春でなければなりませんっ!」
「……あれか」
嫌そうな顔されました。
そして、なぜか、断末魔の叫びがぴぎゅーかぴがーかと夫婦喧嘩になった話を聞かされました。あ、うん。存在感のない旦那様でしたが、いらっしゃいましたね。会ってないですけどと顔に出ていたのでしょう。二十年前くらいに亡くなったことを聞きました。
大人しいと信じていた孫娘があんなになるとは知らなくて幸せだっただろうとか……。
急死だったので、森の家を慌てて閉鎖して実家に戻ったら事後処理で帰れなくなり、食糧庫は忘れ去られあのまま放置されたという事実を知りました。
あらら……。
「いや、そうじゃなくて、あそこはなにがあるかわからないから行かないでほしいという話をだね」
「それを調べてきます。安心できませんよ。時限爆弾みたいじゃないですか」
「そうだがね。護衛をつけるなり」
「あの、何かご存じのことあるんですか?」
過保護、というわけではなくなにか危機感があっての反応のような気がします。
ステラ師は少し迷ったように視線をさまよわせていました。
「……孤児院の院長が、あやしい。ただ、尻尾はつかんでないから怪しいとしかいえないね。妙にディレイを気にしているんだよ。本人に接触はしないが、元気かとか、近況を回りに尋ねたり、知っていたら教えて欲しいとか言うらしい」
「妙っていうか、気持ち悪い?」
「本人に知られずに情報を集めたい、というのは確かに、気持ち悪い、だねぇ。
グルウも表面上は問題ない町なんだがあそこは変だね。あそこは魔導師も近寄りたくないというものが多いし、魔導協会の支部もない。泊まるのは嫌だというので、近隣の町から日帰りで魔道具の請負いをするくらいだったらしい。
確かに、あれは」
不意にステラ師が黙りました。嫌そうに顔をしかめて、珈琲を飲み干し、酸っぱいと文句を一つ。あたしも一口、含みました。確かにもう冷えて酸味が強く出ています。
結構、長い間話をしていたということでしょう。
そろそろエリックも戻ってきそうですね。
「なんで忘れていたんだろうね」
ぽつりと独り言のように呟かれたそれが、妙に不吉に思えました。
「滞在したとき、なにかに呼ばれる夢を見たんだよ。そして、どこかに行かねばと思って、いった先で見つけた」
「なにをですか?」
あるいは、誰を?
ステラ師は口を開きかけて、一度閉じました。その直後に扉があきまして当人がやってきたのでステラ師はなにかを察したんでしょうか。
「うちのバカ弟子だよ。
あれは、あれであれだ」
「いきなりバカ弟子言われる理由がありません」
エリックも憮然とした顔です。ステラ師はこの話は本人には聞かれたくない、ということなのでしょう。のちほど、話を伺えるといいのですが。
「理由も言わず避けてたら不安になるだろう。そのあたりの機微を教え込めなかったのは悪かったね。これでも良くなったほうでね」
嫌味と謝罪を交えて言われてあたしは、ごにょごにょと返答するしかありませんでした。
「避けてません」
「いいや、執事から聞いた話だと日に日によそよそしくなったと聞いたね」
執事さん、一週間もいませんよ。よく見てましたね。そして、避けてないと主張されるのもなんかもにょってしますよ、もにょって。
じーっと見るとそっぽ向くので自覚はあるんでしょう。認めないだけで。
「問題ありません」
「……ふぅん? どうだいアーテルちゃんや?」
え、こっち振るんですか? エリックの口元がむっと引き結ばれて、絶対何かこれ以上言いそうにないのですよね。
不機嫌の極みのような眉間のしわよ……。
避けられて寂しかったのあたしのほうなんですけどね?
「改善されるのであればまあ、誤解だったということにしてもよいですけど」
「甘いねぇ」
ステラ師にからかうように言われると赤くなっちゃいますよ。
なお、エリックは険しい表情ですけど、微妙に顔が赤いです。身内なのでより恥ずかしいという感じですかね。
……怒ってないですよね? 不安になってきました。ちょっと上から目線過ぎました!? なんか言ってくださいっ!
視線を向けてもエリックからの返答はありませんでしたね。
そんな微妙な沈黙の中、ステラ師はぱちんと手を叩きました。
「さて、作業は押してるんだよ。仕事がある」
「はい。あたしも行きますっ!」
挙手します。主張は大事。
ふふっ。うちの旦那様、かつ推しを酷使する人を拝んできますよ。制裁、なんてしませんけどね、嫌味くらいぶつけなければ気が済みません。
なんとなく人の好い、貧乏くじを引きがちなのに自覚なしなのが原因のような気がするんですが。それはそれ、これはこれです。
ご機嫌なあたしの表情に思うところがあったのかステラ師も口ごもってましたね。
エリックですか? 既にこれはダメだなと諦めの境地って感じですねっ!
「お手柔らかに頼むよ」
何度か口を開いては閉じて、最終的にステラ師はそう言いました。え、それほど狂暴じゃありませんよ。
たぶん。
もう遅れているんだからもう少し遅れてもいいだろうということで、ほぼ昼食な朝食を食べてから行くことにしました。先ほどと言ってること違うなと思いますが口にはしません。執事さんにメモ書きを渡していたので、色々根回しするんでしょう。
オムレツがちょうどやってきてたので食べたかったわけではない、と思います。たぶん。
お仕事は数日後に控えているユウリの結婚式対策でした。王城のほうも披露宴をする会場となっていますので、そちらもやっているそうです。エリックは何か変な仕掛けをしれっと組み込みそうで怖いとこっちになったそうです。……まあ、屋根裏部屋から俯瞰してどこを崩せばいいのか考えてた人なので納得ですね……。
教会の中の仕事はなかなかに興味深いものでした。遅延性の魔法の使い方とか、魔道具に魔素を注ぐ方法とか、綻びを繕う方法とか。
元々王都には魔導師が少ないので冬の間も手を付けていたけれど、ちょっと間に合わないと呼ばれたらしいですよね。近隣からも短期バイトのように呼ばれた人たちがいましたし。
……で、問題は、魔導師ってのはどうにも協調性が欠けるし、専門となると話が長い、喧嘩する、こだわりありすぎということですねっ! なぜ、冬の間に人を増やして対応しないのか、という回答がここに……。場合により、人を増やしても全く進まなくなります。
その中で淡々と仕事する人が割を食うのです。ゼータさんも死にそうな顔してました。彼の場合には専門がかぶる人がいないのが幸いだったそうです。専門分野では持論を曲げない頑固な奴ということらしいので。
この状況、魔導協会の人も頭が痛いでしょうね。あたしが行ってもろ手を挙げて歓迎されましたし。理由違いそうですけど。
そこからはお姫様のように椅子に座って、応援する係でした。わかりやすい飴でした。ムチのほうはステラ師や他の魔導師幹部の方々。
最初は彼らも一緒にお茶を飲んでいたり世間話をしていたりしていたんですが、途中から消えました。あら。可愛い嫌味くらいしか言ってないんですけどね? うふふふ。
まあ、その甲斐あって遅れていた分は取り戻し、何とかなりそうらしいですよ。
当日が楽しみです。ぜひとも、あたしの模擬挙式を上回る出来にして、乙女の話題を掻っ攫ってほしいものです。恥ずかしいというか照れるというか、実情とあってないので申し訳ない気持ちになったりするので、ローゼに譲りたいと思います!
ぼんやりとした表情のおはようとぴょんと跳ねる寝癖が可愛いですね。これはあたしの特権です。によによしないようするのももはや慣れた気がします。
エリックは起き上がってから周りを不思議をそうに見回していました。
「なにかした?」
「え? なにもしてないですよ」
頭なでなでは不埒なことではありません。ついうっかり子守歌とか歌っちゃいましたけど。寝かせようとした純粋な行動です。下心なんてなかったんです。
エリックは首をかしげています。
「魔法の残りみたいなものを感じる。聞いたことのない音」
「なんでしょうね?」
「こういう」
そうして口ずさんでくれた音が、子守歌の旋律でした。
「うちに古くから伝わる子守歌ですね。そんなのも魔法になるんですか?」
「教会系に近い、かも? あれも歌で破邪することがある」
「異界の歌が効くとは思えないですけど」
んーとエリックは何か考え始めてしまいました。ものすごく、余計なことを言ってしまった気がしています。
「それはいいんですけど」
「ん?」
「最近避けてましたよね」
あ、黙りましたね。理由は寝る前に言ってましたけど、どこまでその理由かは不明です。
なにか言いだすまでじーっと待ちますよ。
身なりが雑になっているというか無精ひげがありますね。濃い煙草の匂いとかが原作感ありますね。これはこれでよいと思いますっ!
ってそうじゃないんです。
「気のせいじゃないか?」
逃げました。
色々考えて逃げを打ちましたね!
時間がとかなんとかごにょごにょ言いだすのが珍しいですが、またいなくなりそうな気配を感じます。
もうベッドから出ていこうと背を向けてます。
「えいっ」
背後から強襲してやりますよっ。背中を向けたのが悪いんです。
「な、なに」
「気のせいかもしれないですけど、なんか、寂しかったんです」
「今までも忙しい日とかあっただろ」
「家の中にいるとか行く先がわかってるというのと今のは違うと思いますよ。
どうしたんですか?」
「それは」
と何か言いかけたところで聞こえてきたんです。
なにがって廊下からおやめくださいとか大奥様っとか悲鳴が。
あ、まずいとエリックが呟いたのは聞こえました。
問い返す前にばーんと扉が開きましたね。
「師匠の呼び出しを無視するとはいい度胸」
……。
ステラ師がばーんと扉を開けて、そこで固まってしまいましたよ。なお、我々も身動きできませんでした。
エリックが逃げていかないように背後からぎゅーと抱きついているあたし。それだけならまだしも、エリックが焦ったように引き離しにかかってました。なんかもう、やましいことしてました的に見えますねっ!
うん。
ものすごく気まずいです。
この状況を作ってしまった執事は扉のところでムンクの叫びをしています。ああ、あれって叫びを聞かないためでしたっけ。ならこの先の阿鼻叫喚を聞かないためでしょうね……。
「アーテルちゃん」
「はいっ!」
「そこのバカ弟子を絞めるからよこしてくれないかい?」
優しい声ですごいこと言われましたっ!
そういわれたエリックのほうは長いため息をついてあたしの腕を外しにかかってますね。言葉にしないけど、なんか、めんどくさいことになったと態度が言ってますよ。
「だ、だめですっ!」
「寝込みを襲うような男に育てたつもりはないんだが、そこはちゃんとしないとね」
「……あのぅ。ここディレイの部屋です。侵入したのはあたしのほうで……」
地獄のような沈黙がありました。
なにやってんだい? という視線が痛いんですっ!
はぁとため息をついて、ステラ師は小さく頭を振りました。
「冤罪なのはわかった。わるかったね。
アーテルちゃんは着替えておいで。淑女が夜着のままでいるものではないよ」
普通のパジャマでよかったですね……。
ステラ師にエリックを連れて行かないように念押しして、自室に戻ることにしました。
そして、お出かけしやすいワンピースに着替えます。髪もちゃっちゃとみつあみでいいでしょう。最低限の身だしなみを整え、戻ろうとすれば食堂の方にいるとご案内されました。
話をするなら確かにそっちのほうがよさそうです。
「おや、早かったね」
ステラ師は優雅に珈琲を飲んでいました。リリーさんから譲り受けた貴重品がっ! そう言える雰囲気でもないので、黙っておきますけど。
エリックは不在です。あれ? と首をかしげていると座るように促されます。家主はあたしのはずですが、貫禄が違いますね……。
「少しは身なりをなんとかしろと浴室に行かせたよ」
「そうですか。その、なにか、お話が?」
「なにか、無体なことをされてはいないかい?」
ものすっごい言葉を選んで聞かれたような気がします。
きょとんと見返すとステラ師は安心したようにほっと息をついていました。何をそんなに警戒してたんでしょうか?
「普通はそんなことはないんだけれどね。ディレイの魔法酔いが心配になってね。
なにもないならよかった」
「ものすっごい避けられましたよ。だから、こう、本人を捕まえようと部屋で張ってました」
「その外見に似合わず豪胆なことをするねぇ。ディレイが話さなかったんだろうが、それにしたって」
「あははは」
はしたないと言われる部類ですね。かなり煮詰まってたんですよ。
「閣下、お食事はいかがいたしますか?」
「軽くつまめるものをお願いします。珈琲を先にください」
先ほどムンク化していた執事さんが何事もなかったように振舞っています。公爵家からのご紹介なのでステラ師を止めることは不可能でしょうね。大奥様なんですし。
「あたしゃ、あれがいい。オムレツとかいうのがあるのだろう?」
「かしこまりました」
「ゲイルが自慢していたからね。アーテルちゃん考案の道具もうちにあるんだが、料理人が邪道派と便利だからと推奨派とに別れているよ」
「知らない間に大事になってますね……」
珈琲が届き、執事はわきまえたように部屋を出ていきました。部屋にはステラ師と二人きりです。
なにか冷や汗が出てきますね。尋問でもされます? なにか悪いことしましたっけ?
「グルウに行くのは反対だよ」
「お聞き及びですか。向こうのご両親にもご挨拶は必要でしょうから、行きますよ」
「既に亡いのだから行く必要はなかろう?」
「墓前で手を合わせる習慣くらい向こうでもありますよ」
ここで折れると二度と行けそうな気がしないので、強固に主張する所存です。来訪者としても侯爵としても行きたくはないんです。
取り繕われた表面だけ見せられそうなので。
王家でも、魔導協会でも知りえなかった深淵を覗きに行かねばなりません。
「頑固だねぇ。ディレイはどう言っている?」
「困惑されましたけど、約束を盾にごり押しました。
泣き叫ぶ豆を食べに行くので、春でなければなりませんっ!」
「……あれか」
嫌そうな顔されました。
そして、なぜか、断末魔の叫びがぴぎゅーかぴがーかと夫婦喧嘩になった話を聞かされました。あ、うん。存在感のない旦那様でしたが、いらっしゃいましたね。会ってないですけどと顔に出ていたのでしょう。二十年前くらいに亡くなったことを聞きました。
大人しいと信じていた孫娘があんなになるとは知らなくて幸せだっただろうとか……。
急死だったので、森の家を慌てて閉鎖して実家に戻ったら事後処理で帰れなくなり、食糧庫は忘れ去られあのまま放置されたという事実を知りました。
あらら……。
「いや、そうじゃなくて、あそこはなにがあるかわからないから行かないでほしいという話をだね」
「それを調べてきます。安心できませんよ。時限爆弾みたいじゃないですか」
「そうだがね。護衛をつけるなり」
「あの、何かご存じのことあるんですか?」
過保護、というわけではなくなにか危機感があっての反応のような気がします。
ステラ師は少し迷ったように視線をさまよわせていました。
「……孤児院の院長が、あやしい。ただ、尻尾はつかんでないから怪しいとしかいえないね。妙にディレイを気にしているんだよ。本人に接触はしないが、元気かとか、近況を回りに尋ねたり、知っていたら教えて欲しいとか言うらしい」
「妙っていうか、気持ち悪い?」
「本人に知られずに情報を集めたい、というのは確かに、気持ち悪い、だねぇ。
グルウも表面上は問題ない町なんだがあそこは変だね。あそこは魔導師も近寄りたくないというものが多いし、魔導協会の支部もない。泊まるのは嫌だというので、近隣の町から日帰りで魔道具の請負いをするくらいだったらしい。
確かに、あれは」
不意にステラ師が黙りました。嫌そうに顔をしかめて、珈琲を飲み干し、酸っぱいと文句を一つ。あたしも一口、含みました。確かにもう冷えて酸味が強く出ています。
結構、長い間話をしていたということでしょう。
そろそろエリックも戻ってきそうですね。
「なんで忘れていたんだろうね」
ぽつりと独り言のように呟かれたそれが、妙に不吉に思えました。
「滞在したとき、なにかに呼ばれる夢を見たんだよ。そして、どこかに行かねばと思って、いった先で見つけた」
「なにをですか?」
あるいは、誰を?
ステラ師は口を開きかけて、一度閉じました。その直後に扉があきまして当人がやってきたのでステラ師はなにかを察したんでしょうか。
「うちのバカ弟子だよ。
あれは、あれであれだ」
「いきなりバカ弟子言われる理由がありません」
エリックも憮然とした顔です。ステラ師はこの話は本人には聞かれたくない、ということなのでしょう。のちほど、話を伺えるといいのですが。
「理由も言わず避けてたら不安になるだろう。そのあたりの機微を教え込めなかったのは悪かったね。これでも良くなったほうでね」
嫌味と謝罪を交えて言われてあたしは、ごにょごにょと返答するしかありませんでした。
「避けてません」
「いいや、執事から聞いた話だと日に日によそよそしくなったと聞いたね」
執事さん、一週間もいませんよ。よく見てましたね。そして、避けてないと主張されるのもなんかもにょってしますよ、もにょって。
じーっと見るとそっぽ向くので自覚はあるんでしょう。認めないだけで。
「問題ありません」
「……ふぅん? どうだいアーテルちゃんや?」
え、こっち振るんですか? エリックの口元がむっと引き結ばれて、絶対何かこれ以上言いそうにないのですよね。
不機嫌の極みのような眉間のしわよ……。
避けられて寂しかったのあたしのほうなんですけどね?
「改善されるのであればまあ、誤解だったということにしてもよいですけど」
「甘いねぇ」
ステラ師にからかうように言われると赤くなっちゃいますよ。
なお、エリックは険しい表情ですけど、微妙に顔が赤いです。身内なのでより恥ずかしいという感じですかね。
……怒ってないですよね? 不安になってきました。ちょっと上から目線過ぎました!? なんか言ってくださいっ!
視線を向けてもエリックからの返答はありませんでしたね。
そんな微妙な沈黙の中、ステラ師はぱちんと手を叩きました。
「さて、作業は押してるんだよ。仕事がある」
「はい。あたしも行きますっ!」
挙手します。主張は大事。
ふふっ。うちの旦那様、かつ推しを酷使する人を拝んできますよ。制裁、なんてしませんけどね、嫌味くらいぶつけなければ気が済みません。
なんとなく人の好い、貧乏くじを引きがちなのに自覚なしなのが原因のような気がするんですが。それはそれ、これはこれです。
ご機嫌なあたしの表情に思うところがあったのかステラ師も口ごもってましたね。
エリックですか? 既にこれはダメだなと諦めの境地って感じですねっ!
「お手柔らかに頼むよ」
何度か口を開いては閉じて、最終的にステラ師はそう言いました。え、それほど狂暴じゃありませんよ。
たぶん。
もう遅れているんだからもう少し遅れてもいいだろうということで、ほぼ昼食な朝食を食べてから行くことにしました。先ほどと言ってること違うなと思いますが口にはしません。執事さんにメモ書きを渡していたので、色々根回しするんでしょう。
オムレツがちょうどやってきてたので食べたかったわけではない、と思います。たぶん。
お仕事は数日後に控えているユウリの結婚式対策でした。王城のほうも披露宴をする会場となっていますので、そちらもやっているそうです。エリックは何か変な仕掛けをしれっと組み込みそうで怖いとこっちになったそうです。……まあ、屋根裏部屋から俯瞰してどこを崩せばいいのか考えてた人なので納得ですね……。
教会の中の仕事はなかなかに興味深いものでした。遅延性の魔法の使い方とか、魔道具に魔素を注ぐ方法とか、綻びを繕う方法とか。
元々王都には魔導師が少ないので冬の間も手を付けていたけれど、ちょっと間に合わないと呼ばれたらしいですよね。近隣からも短期バイトのように呼ばれた人たちがいましたし。
……で、問題は、魔導師ってのはどうにも協調性が欠けるし、専門となると話が長い、喧嘩する、こだわりありすぎということですねっ! なぜ、冬の間に人を増やして対応しないのか、という回答がここに……。場合により、人を増やしても全く進まなくなります。
その中で淡々と仕事する人が割を食うのです。ゼータさんも死にそうな顔してました。彼の場合には専門がかぶる人がいないのが幸いだったそうです。専門分野では持論を曲げない頑固な奴ということらしいので。
この状況、魔導協会の人も頭が痛いでしょうね。あたしが行ってもろ手を挙げて歓迎されましたし。理由違いそうですけど。
そこからはお姫様のように椅子に座って、応援する係でした。わかりやすい飴でした。ムチのほうはステラ師や他の魔導師幹部の方々。
最初は彼らも一緒にお茶を飲んでいたり世間話をしていたりしていたんですが、途中から消えました。あら。可愛い嫌味くらいしか言ってないんですけどね? うふふふ。
まあ、その甲斐あって遅れていた分は取り戻し、何とかなりそうらしいですよ。
当日が楽しみです。ぜひとも、あたしの模擬挙式を上回る出来にして、乙女の話題を掻っ攫ってほしいものです。恥ずかしいというか照れるというか、実情とあってないので申し訳ない気持ちになったりするので、ローゼに譲りたいと思います!
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彼の献身的な看病に心が癒される僕だけれど、彼がどんな思いで僕を守っているのかは、まだ気づかないまま。
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