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眠り姫

不在の時のあれこれ

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 はぁとリリーはため息をついた。
 いつもやらないような事ばかりで、もう二度としたくない。色々、思うところもあるがそれなりのところに落ち着いたのだろう。
 たぶん。

 実家にも王城にもいたくなくて、現実逃避的に魔導協会に逃げ込んだのはどうかとは思うが。
 リリーが個室を占拠し、ぐったりとソファに倒れこんで三時間ほど経過している。

 扉を叩く音と開くのは同時だった。

「生きてるかって心配してたぞ」

「生きてるわよ……」

 リリーはぐったりした気分のまま返答した。呼んでもいないのに夫がやってきた。それがひどく珍しい。
 本人は全く当然のような顔で、お疲れなどと言っているが。

「心底疲れたわ。今後も疲れる予定よ」

 いつものコーヒーをいつものように用意して、側に座ってくれる夫にはあまりピンとこない話だろう。ふらっとやってきたと思えば、ごく普通に側にいる。寂しかったのか聞けば、なに言ってんだという顔で見返すからリリーは聞かないが。
 おそらく、寂しかったか、弟子のいちゃいちゃにあてられたかしたのだろう。

 リリーを今後疲れさせるであろう一番の理由は、ユウリだ。人の好さそうな笑みで、えげつないことをやってのける。確かにそんな話をリリーは聞いたことがあった。主にディレイから。
 そう、知っていたはずだったのだが、知っていたはず、でしかなかった。
 彼の考えは魔導師に近い。貴族があり、王族が治める国からは普通は生まれないであろう思考がある。
 どちらかといえばアーテルの考えと似ているのだろう。
 しかし、アーテルがこの国にはこの国の考え方やそうなるべくあった歴史があるのだろうといきなり無理に変えようとする意志はない。
 不都合があった場合は育った世界が違うので、そっちの意思だけを尊重することはないですよと突っぱねることはするが、否定はしない態度だ。

 ユウリはもうちょっと強行に改革を進めたいように見えた。

「女性に爵位って荒れるわよ」

「別に構わないんじゃないか?」

「構わなくはないわよ」

 爵位の継承は直系男子に限る、というのは近隣の国でも常識だ。娘しかいない場合には代を遡って継承者を探すほどで、該当する人物が貴族ではなくてもその血を優先する。
 これは昔の魔法使いが血統のみで継承されていたときにどこかの国で決められたことが、他の国でも残っているためだ。そう魔導協会の資料には残っている。ただ、それはもう忘れられた理由なのだろう。

 血の継承のみを考えれば女系で行くほうが良い気がするが、過去には過去の理由があったのだろう。

「たとえば、子供がすべて女の子なんて家の場合、娘婿をもらって家を継ぐことができる。ってことね。つまり、今まで継承可能であった人が不可能、とまではいかないけど難しくなる」

「特例、じゃないのか?」

「書類全部整えて、法まで変えたのよ……。有能な文官がいるのでしょうね。
 あと、アーテルがいるから他のところまでは目が届かなかったどさくさに紛れてってことでしょ。それもかなり意図的。他にもなにかやってるかもしれないわ」

「別に、関係ないだろ」

 興味なさそうにゲイルはリリーの髪をほどき入念に梳かし始めた。
 何か新しく試したいものでもあるのだろうとリリーは放っておくことにした。なにやら金属の棒を持っているのがちょっと怖い。
 くるくると髪を巻きつけて、しばしそのまま待つ。

「立派な縦ロール」

「……なにしてんのよ」

「悪役令嬢になれるんじゃないか」

 脱力する。そもそもリリーは令嬢という年ではない。さすがに成人するような息子がいるのに令嬢と言い張る厚かましさはない。
 ふんふんと機嫌よさそうに縦ロールを量産されていくとなにもかもがどうでもよくなってくる。

「リリーは考えすぎ」

「ゲイルは気にしなすぎよ。一応、実家も関わることなんだから」

「俺には関係ない。
 で、これ、売れると思う?」

「……そうねぇ。新しい髪形を簡単に作れるならいいんじゃないかしら。でも、これってもっと大型の……?」

「有能な弟子をもって俺は楽しい」

 ゲイルのそれ以上の詮索を拒むような言い方にリリーはあきらめた。元々魔道具とは相性が悪い。あの細かい作業をしているともう嫌になる。おそらく、子供のころに強制された刺繍やレース編みなどの手習いが原因だろう。きっと。元々不器用とかそういう話ではないはずだ。
 それに多少おおざっぱでも困ったりはしない。

「……そう。ところで、しばらくいるの?」

「あのバカが帰ってくるんだろ。いるよ」

 当たり前のように言われた言葉にリリーは目を瞬かせる。はっきりとそう言われたことは今までなかった。
 王家内であのバカといえば、王弟殿下を指す。優秀ではあるが、自信過剰の俺様だ。元、リリーの婚約者候補だった。ゲイルと騙し打ちのような結婚をしなければ、リリーの意思も関係なく婚約、結婚となった相手だ。
 現在も、リリーに意地を張らずに戻ってきてもよいとか、ふざけたことを言い出すので完全にこじらせている。

 それをゲイルが大変不愉快に思っていることは知っていたが、わざわざ口に出すこともなかった。
 ただ、王弟殿下がいればそれとなくリリーの側にいて、なんとなくスキンシップが増量していたりするだけで。
 言葉ではなく、お前のじゃなくて俺のと主張しているような気がしていたが。

「いい加減鬱陶しい。可愛い娘に縁談とかふざけてるだろ」

「そうよねぇ。親子ほど違うもの断るわ」

「アーテルがいたら、俺がもらってやるありがたく思え、だろ」

「そうそう。さすがに国外出して、会わせたくもないわ。魔導師嫌いだから余計ね。
 あの派閥も面倒だったのだけど、良い失態をしてくれたものだわ」

 アーテルがいる間、国外へ外遊させることは議会でも満場一致で可決されたほどである。玉の輿と言えるが、いくらなんでもあれはダメだろうと思わせるところがすごい。
 本人の人格以外が真っ当なので、排除もなかなかできないままに今まで来ている。

 彼を支持している者たちも一緒に追い出しておきたかったがそれはできなかった。代わりにピクニックの時の厨房に毒を盛るというわかりやすい失態をしている。

 毒の生成は魔導師もする。
 ただの薬の薬剤師がおこなってもいるが、魔法薬は魔導師が作るものだ。表立って活動してなくとも魔法を付与する以上、魔導師としての技術が必要となる。
 通常の薬で惚れ薬などつくることは不可能である。そのため、魔法薬であると確定していた。それ以降はヒューイの伝手で惚れ薬を作った魔導師を探せばよかった。
 
 結果、予行練習として行ったという情けない情報まで出てきていた。
 彼らにしても王弟殿下がアーテルを落とせるとは思えなかったらしい。

「アーテルが戻ってくるまでには最低限、どうにかしないと」

 リリーは現実逃避を終了させて、立ち上がる。
 公爵家の娘として、目の前にある危機を放置しておくわけにはいかない。いくらアーテルが聞き分けが良くてもディレイが絡んだ瞬間に色々終了だ。
 それに気がつかず、王弟殿下は地雷原でタップダンスを踊るに違いない。

 リリーは実力が未知数の来訪者の逆鱗に触れたくはないのだ。


「落ち着くところに落ち着いたんじゃない?」

 ユウリは頬杖をつきながら言う。ローゼには書類仕事で埋まる机の上はいつもより片付いているように見えた。
 おそらく、朝にフィラセントが整えて、それ以来触っていないのだろうなとあたりをつける。
 執務室としている部屋に今はユウリとローゼしかいない。夫婦の時間、大事と籠城中である。主にユウリが。
 ローゼとしても言いたいことがあったのでこの人払いは都合はよかった。

「お望みのものは手に入ったの?」

「まあ、それなりに。怒ってる?」

 ローゼが冷たく視線を向ければ、ユウリは少し困ったように頭をかいている。
 悪気のない顔をして、ユウリはアーテルを隠れ蓑にした。来訪者が来ると浮足立っているところにさらに注目させるように振舞った。
 それも怒ってはいる。ただ、アーテルはローゼがしなくても迷惑料をきっちり取り立てるだろう。英雄だから、黒だからと甘い対応はしない。

「私にもささやかな結婚の希望というものがあったのだけど」

「へ?」

「少なくともこんな大げさに式の準備をさせられたり、見世物みたいにお披露目されたくなかったの」

「いや、それはその。もみ消されないように派手にしました。ごめんなさい」

「相談してほしいのだけど」

「それは無理」

 ユウリにきっぱり言い切られた。ローゼは信じられない思いで見返す。

「だって、ローゼ、感情駄々洩れなんだ。気づかれないように根回しするのに、絶対ばれる」

 否定できない。否定できないが言い方があるのではないだろうか。ローゼが言葉を失ってプルプルしていると扉をたたかれる音に気がついた。

「誰かなぁ」

 わざとらしく扉を開けた向こう側にいたのはローゼが知らない男性だった。ただ、その雰囲気は貴族でも文官でもないのはわかった。
 おそらく、魔導師。

「げっ。な、なんでいるのっ!」

「うちの妻が世話になったようだから、顔くらい見せないとな」

「妻?」

 きょとんとするローゼに彼は柔らかく笑った。

「ローゼ嬢にはリリーとアーテルが迷惑をかけた。ご希望の魔道具があれば進呈する」

 そこまで言われてローゼは理解した。つまりこの人が、アーテルの師匠でリリーの夫であるところの魔導師と。
 ユウリが青ざめるくらいには怖い人なのだろう。ディレイの相手ですら平気な顔でするのに、反応が違いすぎる。

 二人を見比べて、ローゼはにこりと笑った。

「では、検討しておきます。ごゆっくりどうぞ」

 少しはユウリも反省すればいい。
 え、あ、ちょっとと慌てているユウリを放ってローゼは部屋の外へ出た。


 私ばかりが悪いわけでもない。
 カリナはため息を押し殺した。教会のお偉いさんにこってりと絞られている最中でそれをするわけにはいかない。ただでさえ長い説教が無限になりそうだ。

 王家からの打診を個人的に断ったことがまずいことくらい知っている。
 それでも貴族社会のど真ん中に叩き込まれるのは勘弁してほしい。いっそ、不敬であると出入り禁止になりたい。
 修道院送りというのは現状となんら変わらないのだからその程度が妥当だろう。

 そもそも教会と王家、というより国との関係がぎくしゃくしているなんてカリナにはわからなかった。それを慮って受けておけなんてできるわけもない。
 来訪者のおつきに都合の良い年頃の貴族の娘のシスターという条件に合致しただけで、カリナ本人はさほど資質に優れているわけでもない。元々口減らしのように放り込まれたのだから。

 正直、政治とかめんどくさい。
 今日のご飯と明日のご飯と冬のたくわえの心配をしたい。ただのシスターに何を期待しているのか。

「……聞いておるのか」

「はい。申し訳ございません」

 めんどいなぁ。カリナはその気持ちを出さないように神妙に答えた。
 これ何回目と数えるのもやめた。要するに気が済むまで言いたいということだろう。お腹すいたなぁと呟きそうになる。

 そこへカリナへの来客があることの知らせが届く。

「ふむ。今後は何かあればすぐに知らせるのだぞ」

「承知しました」

 やなこったとは言えないので、穏便に答えた。しかし、疑わしそうに見られたので色々透けていたのかもしれない。
 しかし、何も言われないことを幸いに部屋を出た。

 応接間で待っていたのは、カリナの見知った顔だった。

「なにしてるの?」

「カリナが困ってるかなと思って。ローゼはシスターに拉致されたよ」

 笑う声は聞き間違いもなくリューだった。外見がアーテルにそっくりな分違和感が半端ない。薄気味悪いものでもみるような目になってしまうのは仕方ないだろう。
 この入れ替わりを知っているのは、屋敷に出入りしている一部のみだ。
 そのうえで、リューが男だと知っているのは実はカリナだけだった。言うと揉めそうというより面倒なことになりそうなので黙っている。アーテルも実は気がついているのか話すときも距離が遠い。ギュンターは知っていて黙っていたのかはわからないがカリナは藪はつつかない主義だ。

「ああ、春先に結婚式するって言ってたものね。ドレスの試案が山ほどあるって張り切ってたから」

 もちろん張り切っているのは教会の人員だ。ローゼは引いている。シンプルで質素と言い張っているが、教会の威信をかけて荘厳かつ華麗な式に強制的にするだろう。
 乙女のあこがれを作っていただけねば。
 貴族以外でも式を挙げてもらって寄付がっぽりである。

「どうしたの?」

「カリナは今も昔もたくましいなぁって」

「上にも下にも兄弟がうじゃうじゃいたらそうなるわ。孤児たちも兄弟みたいなものだし」

「俺は?」

「うん? リューはリューでしょ。それに外で俺と言わない。防音も完璧じゃないのよ?」

 教会はその性質上、個室に防音設備がある。普通に話している程度では外に音が漏れることはない。それでも要人は必要だ。
 もっとも魔導師にそれを言う必要もないとは思うが。

「いまのところはそれでいいけど。じゃあ、ローゼを拾って帰ろう」

 今のところ? カリナが首をかしげてもそれ以上のことは言わなかった。
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