上 下
137 / 263

姉という生き物

しおりを挟む


「あーちゃん、元気かな」

 スマホ片手に兄が話しかけてくる。自宅のリビングに兄がいるというのは弟としては、いささか居心地が悪い。
 いつも座っているソファに寝そべられて少々困っている。隣りに座るなんてあり得ない。ダイニングと繋がっているよくある構造のため、ダイニングの椅子に座っているが微妙に座り心地が悪い。

 会話に困りはしないが、少し遠い。彼方にとって兄との距離感はこのくらいがちょうど良い。
 付けっぱなしのテレビが今週の天気を告げている。暦の上では春と言うが、まだまだ寒い日々が続くようだ。

「元気なんじゃない? 胸焼けするくらい幸せそうなメールだったじゃん」

「そーだな」

 聞いておきながら、気のない返事が返ってくる。彼方はちょっとむっとしたが、言い返すのはやめた。
 あまり顔を出さなかった兄が、今はなにか理由を付けて実家に顔を出すようになった。時々泊まっていくが部屋もそのまま、というわけではなく客間のほうを使っている。
 今日は兄嫁が兄嫁の実家に帰省中だから、こっちに来たという話だが、夫婦喧嘩ではないかと彼方はひやひやしていた。

 弟としては、なにか機嫌が悪い兄の相手はあまりしたくない。肉体言語で語りたがる兄はやっかいだ。
 姉は兵糧で責めてくる。
 さすがにごはんと醤油とか、焼いてない食パンと水とか出されて、笑顔で来られると反省する。

 あれは、怖かった。

 彼方には兄妹が家を出て、両親が不在がちをいいことに少々、調子に乗ってやんちゃした時期がある。
 事前連絡なく、姉が帰ってきたときの、あの無表情。
 冷ややかを通り越えて無だった。

 あらぁ、お友だち? すこぉし、帰ってもらって良いかしら?

 穏やかに笑みを浮かべて、恫喝された。それは、近隣では避けて通られる高校生たちも愛想笑いで逃げ出すほどで。

 お腹すいてない? といつもの調子で言われて出されたのが、焼いてない食パンと水である。恐怖以外の何者でもない。

 なにがあってもごはん大事と唱えていた姉が。死ぬとか言いながらも最低限パンを焼いてジャムくらい塗って、文句言いながらカフェオレくらいつくってくれた姉が、である。

 反抗期のふて腐れた態度で誤魔化しても見透かすように見てきた。

 ごめんね。たまには帰ってくるわ。

 叱られるでもなく、そう言われたのが一番きつかった。

 その後、近隣で姉御呼ばわりされることになるのだが、それは気に入らないらしい。皆、あーちゃんと呼べと命じていた。本人はお願いのつもりだったようだが。
 影であーちゃんさんとか呼ばれていたことは姉は知らない。

「あーちゃんは、かなちゃんと違って弱音とか吐きそうになくて、心配なんだよな。いい顔したがるっての? 俺には、怖がっているように見えた」

「は?」

 露骨にディスられた。

「空元気でもいいけど。なんか、曖昧な態度とられてんじゃないかと心配」

「好意を持つ男でもそんな態度とってきたら拒否するのが、あーちゃんだと思ってたけど」

「いつもは、そうなんだけどな。様子が違う気がする」

「実際会うわけにもいかないし、話も出来ないからわかんないよ」

 なにせ行き先はこの世界ですらない。世界を越えるのは難しい。理由がないなら不可能に近い。
 彼方だって、姉のことは心配ではある。ただし、一人でも何とかするに違いないという謎の信頼感もある。
 兄にとっては妹なので心配の仕方が違うのだろう。

「ツイ様に聞いてみたら?」

「そうする」

 素っ気ない返答だが、かなり気にしているというのはわかった。
 彼方はため息をつく。本人に心配しているなんて一言も言いそうにない。迷惑かけてないかだの、わがまま言うなだの余計な事ばかり言いそうだ。

 姉の煙たそうな顔を思い出す。

「そういや志桜里さん、大丈夫? かわいい甥っ子と会えなくなるとか嫌なんだけど」

「……なんか、俺がこっちに顔だしやすいようにとか思ってるらしい。揃っていくのも置いていくのもな。とか、考えているのばれたみたいだ」

「ほんと、兄さんのどこがいいんだろ。大事にしなよ」

「あー、善処する」

 今回はなんか、やらかしてきたなとぴんときたが、彼方はなにも言わないことにした。夫婦喧嘩というのは、巻き込まれ損である。最後はキスでしめるんだろ!? みたいな僻み根性とも言える。
 今は彼女が出来たので寛大な心で許せそうな気はするが、地雷は踏まないに限る。

「元気かな」

「元気なんじゃね? 連絡がないと平和?」

 最初に戻ってきた。要するに、姉か仕事かくらいしか兄弟間の共通の会話がないということなのだろう。
 何となく、兄とは距離がある。深い理由はないが、浅い理由はある。姉とは兄に対する共通の隔意があった。
 宗一郎って普通過ぎ。

 亜璃歌も彼方も双方の祖父母に付けてもらったもので、両親も断り辛かったというのも今ならわかる。
 それでも、もうちょっと普通が良かった。
 いっそ、次郎でもいい。

 今は、格好いいじゃないですか、とか言われる事もあるが子供の頃は本当に嫌だった。もし子供が出来たなら普通の名前にすると心に決めている。
 そんな事を考えていると急にスマホが震えた。

「……なんか、平和だな」

「そーだね」

 彼氏が、不在で寂しいからなんか面白い話してっ! なんてメールを送ってくるくらいには向こう側は平和らしい。

「帰る。我が自慢の息子の写真を送りつける」

「ん。じゃあね」

 機嫌よさげに帰って行く兄を見送る。
 さて、こっちはなにを送ってやろうか。彼方は、ふと思いついて、書店に向かった。

 世の中には結婚すると決めたら買う雑誌がある。参考になるかはわからないが、いくつか写真を送ってやろうと思った。物理的に送る方法がないので、これは個人利用の範囲と著作権には目を瞑って。

 これが原因で両親に結婚したい相手がいると誤解されるのだが、それは少し先の話。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

眺めるだけならよいでしょうか?〜美醜逆転世界に飛ばされた私〜

波間柏
恋愛
美醜逆転の世界に飛ばされた。普通ならウハウハである。だけど。 ✻読んで下さり、ありがとうございました。✻

王太子さま、側室さまがご懐妊です

家紋武範
恋愛
王太子の第二夫人が子どもを宿した。 愛する彼女を妃としたい王太子。 本妻である第一夫人は政略結婚の醜女。 そして国を奪い女王として君臨するとの噂もある。 あやしき第一夫人をどうにかして廃したいのであった。

異世界は『一妻多夫制』!?溺愛にすら免疫がない私にたくさんの夫は無理です!?

すずなり。
恋愛
ひょんなことから異世界で赤ちゃんに生まれ変わった私。 一人の男の人に拾われて育ててもらうけど・・・成人するくらいから回りがなんだかおかしなことに・・・。 「俺とデートしない?」 「僕と一緒にいようよ。」 「俺だけがお前を守れる。」 (なんでそんなことを私にばっかり言うの!?) そんなことを思ってる時、父親である『シャガ』が口を開いた。 「何言ってんだ?この世界は男が多くて女が少ない。たくさん子供を産んでもらうために、何人とでも結婚していいんだぞ?」 「・・・・へ!?」 『一妻多夫制』の世界で私はどうなるの!? ※お話は全て想像の世界になります。現実世界とはなんの関係もありません。 ※誤字脱字・表現不足は重々承知しております。日々精進いたしますのでご容赦ください。 ただただ暇つぶしに楽しんでいただけると幸いです。すずなり。

冷宮の人形姫

りーさん
ファンタジー
冷宮に閉じ込められて育てられた姫がいた。父親である皇帝には関心を持たれず、少しの使用人と母親と共に育ってきた。 幼少の頃からの虐待により、感情を表に出せなくなった姫は、5歳になった時に母親が亡くなった。そんな時、皇帝が姫を迎えに来た。 ※すみません、完全にファンタジーになりそうなので、ファンタジーにしますね。 ※皇帝のミドルネームを、イント→レントに変えます。(第一皇妃のミドルネームと被りそうなので) そして、レンド→レクトに変えます。(皇帝のミドルネームと似てしまうため)変わってないよというところがあれば教えてください。

追放された悪役令嬢はシングルマザー

ララ
恋愛
神様の手違いで死んでしまった主人公。第二の人生を幸せに生きてほしいと言われ転生するも何と転生先は悪役令嬢。 断罪回避に奮闘するも失敗。 国外追放先で国王の子を孕んでいることに気がつく。 この子は私の子よ!守ってみせるわ。 1人、子を育てる決心をする。 そんな彼女を暖かく見守る人たち。彼女を愛するもの。 さまざまな思惑が蠢く中彼女の掴み取る未来はいかに‥‥ ーーーー 完結確約 9話完結です。 短編のくくりですが10000字ちょっとで少し短いです。

ぽっちゃりな私は妹に婚約者を取られましたが、嫁ぎ先での溺愛がとまりません~冷酷な伯爵様とは誰のこと?~

柊木 ひなき
恋愛
「メリーナ、お前との婚約を破棄する!」夜会の最中に婚約者の第一王子から婚約破棄を告げられ、妹からは馬鹿にされ、貴族達の笑い者になった。 その時、思い出したのだ。(私の前世、美容部員だった!)この体型、ドレス、確かにやばい!  この世界の美の基準は、スリム体型が前提。まずはダイエットを……え、もう次の結婚? お相手は、超絶美形の伯爵様!? からの溺愛!? なんで!? ※シリアス展開もわりとあります。

【完結済】(無自覚)妖精に転生した僕は、騎士の溺愛に気づかない。

キノア9g
BL
完結済。騎士エリオット視点を含め全10話(エリオット視点2話と主人公視点8話構成) エロなし。騎士×妖精 ※主人公が傷つけられるシーンがありますので、苦手な方はご注意ください。 気がつくと、僕は見知らぬ不思議な森にいた。 木や草花どれもやけに大きく見えるし、自分の体も妙に華奢だった。 色々疑問に思いながらも、1人は寂しくて人間に会うために森をさまよい歩く。 ようやく出会えた初めての人間に思わず話しかけたものの、言葉は通じず、なぜか捕らえられてしまい、無残な目に遭うことに。 捨てられ、意識が薄れる中、僕を助けてくれたのは、優しい騎士だった。 彼の献身的な看病に心が癒される僕だけれど、彼がどんな思いで僕を守っているのかは、まだ気づかないまま。 少しずつ深まっていくこの絆が、僕にどんな運命をもたらすのか──? いいねありがとうございます!励みになります。

処理中です...