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英雄は帰りたくない2
しおりを挟む去っていった魔導師の背を見送り、フィラセントはきちんと扉を閉め、鍵をかけた。
何事も用心が必要だ。物理的に何かあった場合、フィラセントは自分が足手まといだと自覚している。どこかの魔導師のように魔銃など使えないし、剣技はからきし、体力も運動能力も不足していた。
なにかあったらユウリにがんばってもらうしかない。
護衛としては全くあてにならない者が、迎えとして選ばれるのはどうかと思う。しかし、今の王都には迎えに行く以外の余計な事ばかりしそうな人員しか残っていない。
貴族出身のものに頼めば、特定の派閥と仲が良いと勘ぐられ、役人を派遣すれば現地で軋轢を残しそうだ。
フィラセントは現在、ユウリの直属扱いでどこにも属していないことになっている。古巣の書庫の番人たちも権力闘争とは無縁だ。
むしろ冒険譚を期待して、話を聞かせろとうるさい。
「そんで、王都はどんな感じ?」
一人反省会も終わったのかユウリは一人掛けのソファに腰掛けた。
部屋も少し暖まってきたので、フィラセントは暖房の前には戻らず、別のソファに座る。どこから話すべきかと思ったが、ユウリが気にするべきことは多くない。
「ローゼが頑張って体調不良って隠蔽していたってのに、全く別の所で発見されて一時的に混乱しましたよ。面会謝絶にしたので、ローゼの評判が大変悪くなりました。あとできちんとフォローしておくようにしてくださいね」
「あ。え、いやいや、周りはどうして静観?」
「知らせたらこんなに猶予はなかったでしょうね。思うより不在に対する恐怖心があると思いますよ。二度と戻って来ないのではないかと不安になってますね」
「……ほんと、なんで、俺に依存してんの?」
「救国の英雄だから、じゃないですか? それと俺とかやめてください。外面大事」
はいはいと気のない返事をして、ユウリはお茶を口に含む。すぐに飲み込まない用心深さはある。色々痛い目をみたあとの結果ではあるが。
「わかったよ。幻想大事。物腰柔らかないつでも冷静で的確な、とか誰だよという感じなんだけどなぁ」
「本当に誰でしょうね」
フィラセントがしみじみと同意するとユウリに睨まれた。普通とは言い難いが、完璧超人でもないことを同意したのだがお気に召さなかったらしい。
「沈着冷静な切れ者とか言われてるのも誰だろうなぁ」
「本当にいつも誰かさんがやらかさなければ、その通りなんですけどね」
「悪かったよ。でも、どうしても一人が都合が良かったんだ」
少し困ったようなユウリの上目遣いは女性にはとてもきく。これに仕方ないなぁと折れてきた数々の場面を見てきた。
フィラセントには腹立つなぁという感想しかない。時々、頭を叩きたくなる。
「相談くらい必要だと思いますけどね」
「来訪者が現れた。と言って信じた?」
「……それは少し、事情が違いますね。あってきたんですか?」
通常ならバカなことを一蹴するようなことだった。どこから情報を得たのかについては問うか迷うような間に、ユウリはどこか嬉しげに笑った。楽しかった何かを思い出すように。
「故郷の姉ちゃんを思い出すような人だった。
でも、ちょっと面倒な事になりそう。本人の問題でもないけど、ちょっとずつ絡まって、悪化しそう」
「女性というのが厄介ですね。懐柔出来ると思い込んで、痛い目を見る今までの事を考えると」
「若い娘が無力なんて幻想なんだけどな」
若い娘が無力とは限らない。
来訪者ともなれば、故郷を永遠に失った代わりと言わんばかりに規格外な能力を与えられる。
ただし、それを画策するであろうものにとっては若い娘などどうとでも出来る存在と思っているだろう。
市井はともかく、貴族や豪商などそれなりに地位がある家の娘は労働が禁止されているに等しい。例外は家庭教師、行儀見習い、貴人の付き添いなど。
何かを極めようとしても趣味を逸脱しない範囲でといったところだ。
学問を修めるのもやはり難しい。小難しいことを言う娘などいらないという意見はまだ大半である。
ユウリの元に優秀な女性が揃いがちというのもこの影響下にあるとみていい。不遇だった彼女らに役割を与えたのだから、恩義を感じてもおかしくはない。憧れやら恋やらに変わっても不思議ではない気がする。
一方ユウリはどちらかと言えば出来るなら誰でもいいし、使えるなら使うという立場でしかない。
採用理由は女性が不遇だからというわけではなかった。下心さえ存在しないとなると思考としてかなり異質ではある。
この指摘をしたのはフィラセントの元婚約者であった。
変な人とだよねぇと笑っていたのは半年と少し前のことだった。それから訳あって婚約解消し、彼女は市井に降りていった。飄々とした態度でわかれを言いに来のが最後にあった姿だった。
所在は知っているが、フィラセントは知らない振りをしている。
生き生きと暮らしているのが想像出来るから。いくら条件がよいとは言え、年のあった婚約者との婚約を解消して、30は上のおじさんのところに行けというのはちょっとと言うのが彼女の主張ではあった。
少々悪い噂のある相手だっただけに逃げ出してくれてほっとしたのは確かだ。もしそのまま、嫁ごうとしたら邪魔くらいしただろう。
フィラセントはまだ未練ある元婚約者のことを一時的に頭から追い出した。彼女はきっと今も本に埋もれて楽しくやっているはずだ。フィラセントのことなど思い出しもせずに。
「今後は各家の動向くらいは知りたいかな。王家も貴族もまだまだ強いからね」
「ユウリはどうしたいんですか?」
「ん? 魔導師の資質があるって言うから、魔導協会できちんと管理してもらいたいかな」
「……それは、難しいのでは?」
「後ろ盾ってところなら確定しているし、クルス一門に属するからステラ婆さんのコネも使える。今更横やり入れるのは無理だと思う。魔導協会と喧嘩するほどバカじゃないと思いたいけど」
「それだと嫁に欲しいとかなんとか囲まれませんか?」
「そこはのらりくらりとして、来訪者の登録だけして帰りたいって。俺もその方がいいと思う。王都で誰を選んでも禍根が残る」
「うまくいきますかね」
駄目だろうなぁと思いながらユウリに問いかける。
ユウリはそっと目を逸らした。
来訪者を口説くことが千載一遇のチャンスと思われても仕方がない。来訪者の恋人や配偶者は本人が選べば誰でもいい。ということになっている。過去の色々からの学習効果のはずだが、より面倒なことへの入り口でしかない気がしていた。
未婚の優良な男たちが群がりそうで、さらに女の反感を買いそうではある。本人の意志はきっと関係ない。
断ってもそう簡単に諦めるものではないだろう。それほど魅力的に見えるはずだ。
規格外の能力とそれが子孫に継承されるともなれば。
「そこはなんとか頑張ってもらうしかない。俺のが口出しすると即結婚とか言い出されそうで、遠くから根回ししてやるくらいしかないかなぁ」
「では、クインズとかゼインは逆に来訪者の方につけます。なにせ、ローゼはふさわしくないとか言い出してますからね」
「あれも嫌なんだけど。どこかに飛ばすとローゼが恨まれそうなのなんでかな?」
「狂信してるから、じゃないですかねぇ……」
見たいものを見ているようにしか思えない。フィラセントはそれはどうかと思うが、有能であるので使い勝手はいい。
正直、扱いに困る相手である。
「やめて欲しい。本気でやめて欲しい。ついでにあいつらだけじゃないのが心底嫌だ」
「諦めてください」
ユウリも困っているが、それが自分たちのせいとも思っていないので始末が悪い。
本来ならユウリの側にはつけたくはないので、来訪者の対応を押しつけるつもりだ。そちらに心酔されても困るのだが、ディレイがしばらく王都に居るなら遠ざけておいた方が無難だ。
なにかとユウリがディレイを構うので、ディレイと折り合いが悪い。あれはどちらかと言えば、勝手に絡んでいくというものだろうが。ディレイの性格上、ユウリに苦情くらい言いそうだが全く知らせていないらしい。
ディレイも何を考えているのかわからないところはある。久しぶりに会ったが外見の印象から違っている。
珍しく髪を伸ばしているのは半年の無精という気もするが、指輪なんかしているし、妙に若いような感じもした。
実際若いのだが、ユウリの方が子供っぽいためか何歳か年の差があるように見えていた。今はそれほど違う気はしない。
「あー、帰りたくない。ローゼがいるから行くけど」
「安心させてあげてください」
「わかってるよ。怒られるんだろうなぁ」
と言うわりにユウリは楽しげである。
フィラセントからすればそういうところが駄目なんだと思うのだが言わない。無駄である。
「フィラセントは別にディレイは嫌いじゃないよね」
「仕事上の付き合いですね」
「じゃあ、言っておくけど黙っててよね」
嫌な予感しかしない。
「来訪者、アーテルちゃんって言うんだけどさ。ディレイのことものすごく好きなんだよね」
「……なぁんか嫌な予感がすると思ったんですよ。ずいぶん変わった風なのもその影響ですか」
「別人かってくらいに激甘。独占欲とかあるのかと衝撃だったな」
「ああ、全く執着らしきもの見たことありませんでしたね……」
「あそこまで俺のと主張されるのもどうかと思うけどな……。盗らないし。心変わりとかあり得ない」
フィラセントは想像を放棄した。彼が知っているディレイとは全く違う。
そもそも彼は誰かを必要とするのだろうか?
ディレイには他人に興味が無いわりに人のそばにいたがる妙な習性はあったような気がする。
構いたいわけでも構って欲しいわけでもなく、人の気配というものを欲しているような感じだろうか。
無意識下で一人になるのを避けているようなと思ったこともあった。
不安定さと言う点では、ユウリと同じくらいに危うい気がしている。何かを望んだときに、躊躇はない。
望むまでにはなかなか悩みそうだが、決めたあとは揺るぎそうもない。嫌だと言うときはかなり頑固に主張していたことも思い出す。
フィラセントとしてはとても面倒と言うしかない。来訪者の相手の候補としてあがるのがおそらく。
「ティルスはちょっかい出してくるでしょうね。シュリーはいまいちわかりませんが家の都合で振られには来るでしょう」
「王子も二人も残ってるし、他にも色々婚約解消だのあったじゃないか。女性は俺の方狙ってたのもあるし、この機会にもっと良い家を狙うのもありだし」
「揉めますね。絶対、穏便に済みません。どこかの誰かが既成事実作らないといいですけど」
「魔導師なので撃退出来るレベルで鍛えてもらってるよ。
保護者としてキュリア公爵家のご令嬢がつくからそう簡単にやれないだろうけど」
「キュリア公爵家ですか? 魔導師派として有名な?」
どういう意味で有名かというと、うちのかわいい娘が魔導師だから魔導師を擁護します、とか言い出した親ばか的に、だ。
それまで王家に連なる者は基本的には魔導師排斥派だった。
もっとも、魔導師とのつながりを王家としても持っていたいという裏事情もあるとかないとか噂はある。真実を知れば消されそうなのでフィラセントは考えないことにしている。
王家のスペアとも言われるような血筋なのだから、何かしらの意図も含まれているに違いはない。
主目的は親ばかな何かだとしても。
「滞在先も所有の家のどれかってことだから王城に居続けるよりは安全かな」
「そうだといいですね」
ユウリは顔をしかめて肯いた。
何らかの理由により買収されたり脅されたりで、中に入る手引きなどしないといいが。そこまでする相手なのか、というとこの先数十年はないチャンスと思ってやってしまう人もいるだろうと想像するくらいだ。
家の繁栄とするならフィラセントも何かしらするべきなのだろうが、元婚約者の顔がちらついてそんな気にもならない。
「まあ、ゴハンのレシピ分は頑張る」
「……なんで買収されたんですか?」
「これこれ」
ユウリは楽しげに何枚かの紙を取り出した。挿絵付きの手順書のようだ。
「愛しの生姜焼きとか、トンカツとか、カツ丼とかご飯のお友達がいっぱい。そして、ご飯のおいしい炊き方もっ!」
……胃袋を捕まれて帰ってきた。
フィラセントは正直不安になってきた。今更ローゼじゃなくて来訪者がいいとか言い出さないだろうか。
それとなく、聞くつもりで壮大に脱線したことに気がついたのはディレイが戻ってきた頃だった。
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