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慣れれば日常
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翌朝起きたのはリビングのソファで、毛布が掛けてありました。なにか良い夢を見た気がするんですが。ふわふわとした幸せななにかを。
昨日、夕食後の記憶がないので座ったまま寝たようです。では、クルス様が運んでくれたということですよね。
他に誰もいないので。
……。
言葉になりません。
それ以上の思考をぶん投げました。どんな方法だとしてもなにかこう、恥ずかしいですよっ!
思わずかけてあった毛布をぎゅっとします。
ですが、この毛布クルス様の匂いがするとか考える自分がとても嫌になります。前より好きですよね。これ、確実に。
心底、絶望します。
やはり生身の推しはヤバイです。
しばらくは一緒の生活なんて出来る気がしません。死ぬ気で平常心を保っている振りしないといけません。
そのうち慣れる、んでしょうか?
「むりー」
ま、まあ、初日、翌日くらいは仕方ないですよね……。今日から頑張りましょう。
一ヶ月先も同じ事いいそうな気がしますけど。
あたしの事情はさておき、寝てしまった人を運んで、毛布かけてくれるくらいの優しさってどの程度なんでしょうね?
兄弟だと放置されますね。短期間ですが、彼氏もいたことはありましたが、確実に起こされるでしょう。
別れた原因は仕事です。仕事と俺、どっちが大事なんだって聞かれる機会なんて早々ありません。
仕事と言ったので別れました。養ってくれるなら色々検討しましたけどね。そんな話ではなかったので、自分で自分を養う必要があるのです。
三次元にちょっと見切りをつけたのがあのあたりですか。転職しろよと思いますが、あの業界の正社員というのは……。
あのままいたら、きっといつまでも2次元、2.5次元から帰ってきそうにありません。
ある意味ここも2次元ですね……。推しがいる世界って尊いです。
……いえ、現実としてそこにいるのですから、比べるのも同じように見るのも本当は良くないんでしょう。
区別をつけて、ちゃんと見ないといけないんだと思います。
今は無理ですけど。
あたしの方の気持ちはさておいて、クルス様は本当にどうお思いなんでしょうね。
何かよくわからないけど、好意を持たれているって若干気持ち悪い気がしています。しかも初対面です。一目惚れとでも言っておいたら誤魔化せますか?
あまり間違ってませんし。初登場のときにキュンとしましたからね。
……いえ、区別つけましょう。そこから考えていかないと折り合いつけれそうな気がしません。
とりあえず、顔でも洗ってきましょう。寝起きでいつもよりもダメな気がします。
昨日、それなりに片付けて正解でした。
洗面台の近くに纏めて置いていたものを小さなカゴに入れ直します。雑貨屋には顔を洗う石鹸とか、化粧水や乳液ぽいもの、歯ブラシなんかもありました。文明的で結構なことです。小さな容器に軟膏が詰めてあるタイプでしたがリップクリームもあったのはちょっと驚きでした。爽やかなレモン風の匂いがするものを購入しました。
改めて考えると結構散財させてますよね。いつ頃なにか返せるようになるのでしょうか……。
なんだか、いらないと言われそうな予感もしますが、そのままにしておくのも問題です。出来ることなら逆に貢ぎたかったくらいですっ!
……それはまあ、あとで考えましょう。今は生活にも慣れることで邪魔しないことが一番な気がしますし。
しょんぼりとした顔のあたしが鏡の向こうで見返してきます。
この鏡、ぼんやりとしたままですよね。少し拭いてみたんですが、気合い入れないと曇りは取れそうにありません。
そのうち挑戦してみることにしましょう。
さて、さっぱりとはしましたが、着替えは部屋なのでもどることにしました。
お風呂などの小屋から部屋に戻るといいますか、二階の階段の所までの間に部屋がいくつかあります。
そのうちの玄関から一番遠い、つまり小屋への通路側に近いところがクルス様の部屋のようなんです。
「んー?」
通路から家に入ってすぐに遭遇しましたから。扉から出たてでした。半分閉じているような目がものすっごくねむそうです。
そして、昨日と同じでした。
「……おはようございます」
少々、余計なことを言わないようにする自制心が必要でした。
「おはよう」
寝起きのぼんやりしたような声が貴重ですね。
そして、今日も誰だっけ? みたいな視線を向けられるんですよね。朝が弱いのか夜更かししたのかわかりません。
パジャマ着るわりにボタンは上まで閉めないんですかね。
鎖骨。
いえ、なんでもありません。
「あっ」
しまったと言う顔をして部屋に戻られましたね……。認識されるまでに1分くらいかかりましたか。
気持ち的に、あたしも部屋に駆け込んでしまいたいですね。
部屋に戻り、着替えました。
地味な紺色のワンピースはふくらはぎの半ばくらいまでの丈です。白いエプロンをつけたらお仕着せ感ありです。髪も三つ編みにしておきます。眼鏡はつけるか悩みましたが、一応、つけておきましょうか。
それでもなにか冷静さが帰ってこなかったので、昨日の荷物を片付けることにします。
地味目のワンピースが今、着ているのもあわせて三枚。可愛い花柄のものが一枚。パジャマもありましてクローゼットが半分くらいは埋まりますね。
ええと下着類は引き出しに……。
「うぎゃあっ!」
昨日の服の中に本日一番の衝撃が入っていました。
買ってきた下着の中に見覚えのないものが入ってましたっ!
いえ、見覚えはありましたね。
でも、断ったんですっ!
な、なぜ断ったすけすけがここにっ!
引き出しの奥に沈めておきました。
見られたら恥ずかしいと言うレベルではございません。死にたくなります。いえ、失踪するかもしれません。
少なくとも数日は逃げ回りそうな気が。
他にもちょっと布地の面積が少なそうなものも入ってました……。
いらない、いらないですよっ! そんなサービスっ!
……おばちゃん、恐るべし。
朝から大変な消耗をしたような気がします。
げっそりした気分で階段を下ります。室内用の靴として用意したスリッパもどきがかぽかぽしますね。かかと抜けてこける日が来そうな気がします。
ばたんとどこかの扉が閉まった音がしました。
室内の防音はちゃんとしてますけど、廊下はわりと音が響くようになっているみたいです。
リビングの方を覗いても誰もいませんでした。
そういえば、毛布そのままにしてましたね。たたんでソファの上に乗せておきます。
あとでお礼言わないといけませんね。
クルス様はダイニングの方にもいませんでした。
ヤカンにお湯を沸かします。コンロの使い方くらいは覚えました。ただ、火が直接出るのではなく、その部分だけ熱が発生するものです。
この家、火元になるような魔動具は一切ありません。暖炉はあるんですが、あまり使われた形跡もないんですよ。
火事になるとしたらクルス様の煙草くらいでしょうか。
しかし、室内はそんなに煙草の匂いはしないので外でしか吸わないのかもしれませんね。その割に外にいるのも見てないんですけど。
そういえば煙草ってどうやって火をつけてるんでしょう。ライターやマッチのようなものを見かけてません。
そんな事を考えつつティーポットとマグカップを用意します。あたしは昨日買ったもの。クルス様愛用のものは青でした。
扉が開いた音が聞こえました。
「おはようございます」
あまり意識せず扉の方に顔を向けて挨拶したんです。
「……おはよう」
なにかものすごく間がありました。
あたしを見て、誰、という顔ではないんですけど、瞬きの数は多かった気がします。
「現実感ないな」
小さく呟かれましたけど、どういう意味でしょうか。
何でもないと言いたげに首を横に振られましたから、気にしないことにします。説明したくないことくらいいくらでもありますし。
「昨日は、すみませんでした。寝てしまって」
「次はちゃんと部屋に戻るように」
全く何とも思ってないような口調にちょっとほっとしました。
「お茶用のお湯くらいしかまだ暖めてなくて。今日はなに食べます?」
「卵は早めに食べた方がいい」
そうでした。薄い青のタマゴ、しかもこぶし大と興味をひかれ注目してたら買っていただきました。黄身が何色なのか興味があります。タマゴの親鳥には遭遇してませんが、青かったりするでしょうか。
割れるし、日保ちしないからといつもは買わないとあとで聞きました。
……本当に昨日は色々、買っていただきました。止める間もなかったので、ちょっと困ったりもしましたけど。
「オムレツは得意ですよ。死ぬほど練習させられました」
ひとまずは特技がいきるとよいのですが。勤務先がお昼はオムライス出すお店だったんですよ。半熟のオムレツをチキンライスの上に乗せる系統の。
死ぬほど、むしろ夏は死ぬと思いながらも作った良い思い出です。……ほんとーに。日替わりのソースの仕込とか、デミソースの呪いとかあります。まあ、もう作らないのでいいでしょう。
さて、フライパンはどこにあるんでしょうか。初日に使っていたのは見ていたのですが、どこに入っているかまでは覚えていません。
「フライパンは下にいれてる」
棚をぱたぱたと探しているのを見かねて、クルス様がこちらまで来て棚の場所を教えてくれました。
……少々近くないですか? ぎくりと体が固まってしまいます。
でも、彼は気がついていないのかしゃがんで取り出して、そのまま渡してくれます。
……上目遣いにやられました。
「あ、ありがとうございますっ!」
変に声がうわずった気がします。あー、心臓に悪いですよ。
「そんなに意気込まなくてもいいよ。じゃあ、オムレツは任せた」
ど、どーして頭ぽんぽんしていくのですかっ! どこの少女漫画の住人ですかっ! いえ、漫画の住人ではあるのでしょうけど。そう言えば主人公もやってましたね。
クルス様は当たり前のような顔で、ヤカンを持っていきます。
「昨日のと同じでいいんだろ?」
「はい」
小さな事ですけど、覚えていてくれるのは嬉しいものです。
フライパンをコンロの上に乗せて、冷蔵庫から卵とバターを取り出します。牛乳とか生クリームとかいれるともっと良いんですが、なさそうですね。
そこは腕でカバー……出来ますかね。
お皿も用意して、いざ、開始です。
卵の黄身は残念ながら、薄い黄色でした。……紫とか出てきても食べる気減退するので、いいんですけどね。せっかく異世界来ているのに、と言う気持ちもありまして複雑です。
フライパンにバターを落として、火にかけます。
溶いた卵液をフライパンに入れます。菜箸でかき混ぜてまとめます。ええ、菜箸あったんです。箸文化があるのかは不明ですが。
焦げず、しかしつるんとした理想にはほど遠いものが出来上がりました。お皿に乗せました。これはあたしの分ですかね。次はもっと上手に出来るといいんですが。
二つ目はわりと上手にできました。
機嫌良くお皿にのせて。
「綺麗に作るんだな」
かなり近い背後から声が聞こえました。
振り返るのはやめておきました。
「得意ですからね。他はあまり、できませんよ」
予防線くらいは張っておきますよ。クルス様、意外と料理出来るんですもの。がっかりされたくありません。
「怪我しないならそれでいい」
もしや、心配されてました?
振り返った時には背中しか見えませんでした。
お皿、二つとも持っていっていっているあたり気がつくというか……。
フライパンは鉄のようだったので軽く洗って乾かしておきました。すぐにさびますからね。
「あのう、誰かと長く一緒に暮らしていたりしました?」
テーブルには昨日買ったパンがカゴに盛られていたり、フォークがきちんと準備されてあったりするんですよ。
もう座って食べるだけとか素敵じゃないですか?
「は? ああ、師匠とか兄弟弟子とかとは結構長く住んでたな。雑用として」
「手慣れてるなと思いまして」
「手伝わないと、ものすごく、うるさかった」
ものすごく、に力が入ってますね。嫌そうな顔ですけど、生活力はないよりあった方がいいですし。
「色々出来る方がいいと思いますよ」
普通に言ったつもりですが、なぜか、赤面されました。照れる要素どこにありました?
色々個人的感情を抜きにして考えると同居相手としては良いと思いますね。ええ、推しだって事だけが無理な原因でしょう。
隣に座るのも無理ですが、正面もちょっと目があって困りますね。
「あ、おいしい」
謎の卵のオムレツは味が濃いめでした。これ、なんの卵なんでしょうね。モンスターなんていない世界設定ですから固有種なのでしょうけど。
パンもクロワッサンに似たものを購入しました。意外に思いましたけど、トースターのようなものはないみたいです。温め直しもしてないので、ちょっとしんなりしてますけどバターの味がしますね。
贅沢というか、カロリーが。
……ほっとくと確実に太りますね。
「今日は、どうすればいいですか?」
労働が大事です。
「そうだな。洗濯は自分でしたいだろう? 風呂もシャワー程度ならともかく、湯を張るなら動かして見ないとわからないから、そのあたりだな」
薪割りめんどくさいとぼやいてますけど、一応は湧かしてくれるみたいです。ちょっと楽しみです。
そのあとはちょっとした質問などもしながら食事を終えました。
……クルス様は青がお好きだそうですよ。本日の収穫です。
先に色々準備したいとのことで、食事の片付けは任されました。
そこまでは、普通にお話し出来ていたと思います。
ただ、部屋を出る前に少しだけ振り返って。
「おいしかったよ」
なんて、少し照れたように言われればたいしたことないですとか、もにょもにょと返すことしかできませんでした。
あー、しんどいーっ!
昨日、夕食後の記憶がないので座ったまま寝たようです。では、クルス様が運んでくれたということですよね。
他に誰もいないので。
……。
言葉になりません。
それ以上の思考をぶん投げました。どんな方法だとしてもなにかこう、恥ずかしいですよっ!
思わずかけてあった毛布をぎゅっとします。
ですが、この毛布クルス様の匂いがするとか考える自分がとても嫌になります。前より好きですよね。これ、確実に。
心底、絶望します。
やはり生身の推しはヤバイです。
しばらくは一緒の生活なんて出来る気がしません。死ぬ気で平常心を保っている振りしないといけません。
そのうち慣れる、んでしょうか?
「むりー」
ま、まあ、初日、翌日くらいは仕方ないですよね……。今日から頑張りましょう。
一ヶ月先も同じ事いいそうな気がしますけど。
あたしの事情はさておき、寝てしまった人を運んで、毛布かけてくれるくらいの優しさってどの程度なんでしょうね?
兄弟だと放置されますね。短期間ですが、彼氏もいたことはありましたが、確実に起こされるでしょう。
別れた原因は仕事です。仕事と俺、どっちが大事なんだって聞かれる機会なんて早々ありません。
仕事と言ったので別れました。養ってくれるなら色々検討しましたけどね。そんな話ではなかったので、自分で自分を養う必要があるのです。
三次元にちょっと見切りをつけたのがあのあたりですか。転職しろよと思いますが、あの業界の正社員というのは……。
あのままいたら、きっといつまでも2次元、2.5次元から帰ってきそうにありません。
ある意味ここも2次元ですね……。推しがいる世界って尊いです。
……いえ、現実としてそこにいるのですから、比べるのも同じように見るのも本当は良くないんでしょう。
区別をつけて、ちゃんと見ないといけないんだと思います。
今は無理ですけど。
あたしの方の気持ちはさておいて、クルス様は本当にどうお思いなんでしょうね。
何かよくわからないけど、好意を持たれているって若干気持ち悪い気がしています。しかも初対面です。一目惚れとでも言っておいたら誤魔化せますか?
あまり間違ってませんし。初登場のときにキュンとしましたからね。
……いえ、区別つけましょう。そこから考えていかないと折り合いつけれそうな気がしません。
とりあえず、顔でも洗ってきましょう。寝起きでいつもよりもダメな気がします。
昨日、それなりに片付けて正解でした。
洗面台の近くに纏めて置いていたものを小さなカゴに入れ直します。雑貨屋には顔を洗う石鹸とか、化粧水や乳液ぽいもの、歯ブラシなんかもありました。文明的で結構なことです。小さな容器に軟膏が詰めてあるタイプでしたがリップクリームもあったのはちょっと驚きでした。爽やかなレモン風の匂いがするものを購入しました。
改めて考えると結構散財させてますよね。いつ頃なにか返せるようになるのでしょうか……。
なんだか、いらないと言われそうな予感もしますが、そのままにしておくのも問題です。出来ることなら逆に貢ぎたかったくらいですっ!
……それはまあ、あとで考えましょう。今は生活にも慣れることで邪魔しないことが一番な気がしますし。
しょんぼりとした顔のあたしが鏡の向こうで見返してきます。
この鏡、ぼんやりとしたままですよね。少し拭いてみたんですが、気合い入れないと曇りは取れそうにありません。
そのうち挑戦してみることにしましょう。
さて、さっぱりとはしましたが、着替えは部屋なのでもどることにしました。
お風呂などの小屋から部屋に戻るといいますか、二階の階段の所までの間に部屋がいくつかあります。
そのうちの玄関から一番遠い、つまり小屋への通路側に近いところがクルス様の部屋のようなんです。
「んー?」
通路から家に入ってすぐに遭遇しましたから。扉から出たてでした。半分閉じているような目がものすっごくねむそうです。
そして、昨日と同じでした。
「……おはようございます」
少々、余計なことを言わないようにする自制心が必要でした。
「おはよう」
寝起きのぼんやりしたような声が貴重ですね。
そして、今日も誰だっけ? みたいな視線を向けられるんですよね。朝が弱いのか夜更かししたのかわかりません。
パジャマ着るわりにボタンは上まで閉めないんですかね。
鎖骨。
いえ、なんでもありません。
「あっ」
しまったと言う顔をして部屋に戻られましたね……。認識されるまでに1分くらいかかりましたか。
気持ち的に、あたしも部屋に駆け込んでしまいたいですね。
部屋に戻り、着替えました。
地味な紺色のワンピースはふくらはぎの半ばくらいまでの丈です。白いエプロンをつけたらお仕着せ感ありです。髪も三つ編みにしておきます。眼鏡はつけるか悩みましたが、一応、つけておきましょうか。
それでもなにか冷静さが帰ってこなかったので、昨日の荷物を片付けることにします。
地味目のワンピースが今、着ているのもあわせて三枚。可愛い花柄のものが一枚。パジャマもありましてクローゼットが半分くらいは埋まりますね。
ええと下着類は引き出しに……。
「うぎゃあっ!」
昨日の服の中に本日一番の衝撃が入っていました。
買ってきた下着の中に見覚えのないものが入ってましたっ!
いえ、見覚えはありましたね。
でも、断ったんですっ!
な、なぜ断ったすけすけがここにっ!
引き出しの奥に沈めておきました。
見られたら恥ずかしいと言うレベルではございません。死にたくなります。いえ、失踪するかもしれません。
少なくとも数日は逃げ回りそうな気が。
他にもちょっと布地の面積が少なそうなものも入ってました……。
いらない、いらないですよっ! そんなサービスっ!
……おばちゃん、恐るべし。
朝から大変な消耗をしたような気がします。
げっそりした気分で階段を下ります。室内用の靴として用意したスリッパもどきがかぽかぽしますね。かかと抜けてこける日が来そうな気がします。
ばたんとどこかの扉が閉まった音がしました。
室内の防音はちゃんとしてますけど、廊下はわりと音が響くようになっているみたいです。
リビングの方を覗いても誰もいませんでした。
そういえば、毛布そのままにしてましたね。たたんでソファの上に乗せておきます。
あとでお礼言わないといけませんね。
クルス様はダイニングの方にもいませんでした。
ヤカンにお湯を沸かします。コンロの使い方くらいは覚えました。ただ、火が直接出るのではなく、その部分だけ熱が発生するものです。
この家、火元になるような魔動具は一切ありません。暖炉はあるんですが、あまり使われた形跡もないんですよ。
火事になるとしたらクルス様の煙草くらいでしょうか。
しかし、室内はそんなに煙草の匂いはしないので外でしか吸わないのかもしれませんね。その割に外にいるのも見てないんですけど。
そういえば煙草ってどうやって火をつけてるんでしょう。ライターやマッチのようなものを見かけてません。
そんな事を考えつつティーポットとマグカップを用意します。あたしは昨日買ったもの。クルス様愛用のものは青でした。
扉が開いた音が聞こえました。
「おはようございます」
あまり意識せず扉の方に顔を向けて挨拶したんです。
「……おはよう」
なにかものすごく間がありました。
あたしを見て、誰、という顔ではないんですけど、瞬きの数は多かった気がします。
「現実感ないな」
小さく呟かれましたけど、どういう意味でしょうか。
何でもないと言いたげに首を横に振られましたから、気にしないことにします。説明したくないことくらいいくらでもありますし。
「昨日は、すみませんでした。寝てしまって」
「次はちゃんと部屋に戻るように」
全く何とも思ってないような口調にちょっとほっとしました。
「お茶用のお湯くらいしかまだ暖めてなくて。今日はなに食べます?」
「卵は早めに食べた方がいい」
そうでした。薄い青のタマゴ、しかもこぶし大と興味をひかれ注目してたら買っていただきました。黄身が何色なのか興味があります。タマゴの親鳥には遭遇してませんが、青かったりするでしょうか。
割れるし、日保ちしないからといつもは買わないとあとで聞きました。
……本当に昨日は色々、買っていただきました。止める間もなかったので、ちょっと困ったりもしましたけど。
「オムレツは得意ですよ。死ぬほど練習させられました」
ひとまずは特技がいきるとよいのですが。勤務先がお昼はオムライス出すお店だったんですよ。半熟のオムレツをチキンライスの上に乗せる系統の。
死ぬほど、むしろ夏は死ぬと思いながらも作った良い思い出です。……ほんとーに。日替わりのソースの仕込とか、デミソースの呪いとかあります。まあ、もう作らないのでいいでしょう。
さて、フライパンはどこにあるんでしょうか。初日に使っていたのは見ていたのですが、どこに入っているかまでは覚えていません。
「フライパンは下にいれてる」
棚をぱたぱたと探しているのを見かねて、クルス様がこちらまで来て棚の場所を教えてくれました。
……少々近くないですか? ぎくりと体が固まってしまいます。
でも、彼は気がついていないのかしゃがんで取り出して、そのまま渡してくれます。
……上目遣いにやられました。
「あ、ありがとうございますっ!」
変に声がうわずった気がします。あー、心臓に悪いですよ。
「そんなに意気込まなくてもいいよ。じゃあ、オムレツは任せた」
ど、どーして頭ぽんぽんしていくのですかっ! どこの少女漫画の住人ですかっ! いえ、漫画の住人ではあるのでしょうけど。そう言えば主人公もやってましたね。
クルス様は当たり前のような顔で、ヤカンを持っていきます。
「昨日のと同じでいいんだろ?」
「はい」
小さな事ですけど、覚えていてくれるのは嬉しいものです。
フライパンをコンロの上に乗せて、冷蔵庫から卵とバターを取り出します。牛乳とか生クリームとかいれるともっと良いんですが、なさそうですね。
そこは腕でカバー……出来ますかね。
お皿も用意して、いざ、開始です。
卵の黄身は残念ながら、薄い黄色でした。……紫とか出てきても食べる気減退するので、いいんですけどね。せっかく異世界来ているのに、と言う気持ちもありまして複雑です。
フライパンにバターを落として、火にかけます。
溶いた卵液をフライパンに入れます。菜箸でかき混ぜてまとめます。ええ、菜箸あったんです。箸文化があるのかは不明ですが。
焦げず、しかしつるんとした理想にはほど遠いものが出来上がりました。お皿に乗せました。これはあたしの分ですかね。次はもっと上手に出来るといいんですが。
二つ目はわりと上手にできました。
機嫌良くお皿にのせて。
「綺麗に作るんだな」
かなり近い背後から声が聞こえました。
振り返るのはやめておきました。
「得意ですからね。他はあまり、できませんよ」
予防線くらいは張っておきますよ。クルス様、意外と料理出来るんですもの。がっかりされたくありません。
「怪我しないならそれでいい」
もしや、心配されてました?
振り返った時には背中しか見えませんでした。
お皿、二つとも持っていっていっているあたり気がつくというか……。
フライパンは鉄のようだったので軽く洗って乾かしておきました。すぐにさびますからね。
「あのう、誰かと長く一緒に暮らしていたりしました?」
テーブルには昨日買ったパンがカゴに盛られていたり、フォークがきちんと準備されてあったりするんですよ。
もう座って食べるだけとか素敵じゃないですか?
「は? ああ、師匠とか兄弟弟子とかとは結構長く住んでたな。雑用として」
「手慣れてるなと思いまして」
「手伝わないと、ものすごく、うるさかった」
ものすごく、に力が入ってますね。嫌そうな顔ですけど、生活力はないよりあった方がいいですし。
「色々出来る方がいいと思いますよ」
普通に言ったつもりですが、なぜか、赤面されました。照れる要素どこにありました?
色々個人的感情を抜きにして考えると同居相手としては良いと思いますね。ええ、推しだって事だけが無理な原因でしょう。
隣に座るのも無理ですが、正面もちょっと目があって困りますね。
「あ、おいしい」
謎の卵のオムレツは味が濃いめでした。これ、なんの卵なんでしょうね。モンスターなんていない世界設定ですから固有種なのでしょうけど。
パンもクロワッサンに似たものを購入しました。意外に思いましたけど、トースターのようなものはないみたいです。温め直しもしてないので、ちょっとしんなりしてますけどバターの味がしますね。
贅沢というか、カロリーが。
……ほっとくと確実に太りますね。
「今日は、どうすればいいですか?」
労働が大事です。
「そうだな。洗濯は自分でしたいだろう? 風呂もシャワー程度ならともかく、湯を張るなら動かして見ないとわからないから、そのあたりだな」
薪割りめんどくさいとぼやいてますけど、一応は湧かしてくれるみたいです。ちょっと楽しみです。
そのあとはちょっとした質問などもしながら食事を終えました。
……クルス様は青がお好きだそうですよ。本日の収穫です。
先に色々準備したいとのことで、食事の片付けは任されました。
そこまでは、普通にお話し出来ていたと思います。
ただ、部屋を出る前に少しだけ振り返って。
「おいしかったよ」
なんて、少し照れたように言われればたいしたことないですとか、もにょもにょと返すことしかできませんでした。
あー、しんどいーっ!
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