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聖女と隠者と聖獣
噂の聖女と隠者
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王国の森の奥に小さな家がある。
小さな可愛い家の周りには菜園や花壇があり綺麗に整えられていた。魔物も現れるような森の中で場違いのように。
そこには白い髪の聖女と隠者が住むという。
そんな噂が皇女の耳届いたのはミリアルドと別れて半年も立ったころだった。
半年過ぎても未だ帝国へと戻れていないルー皇女はユークリッドへ噂を確かめるように命じた。
帝国との国境すれすれというところにその場所はあった。
ユークリッドは全く迷いもしなかったのは、最初に教会に尋ねていったからだ。既に神託が降されその場所が仮の聖地として認定されていた。
聖女の名はミリア、その護衛がもう一人住んでいるときちんと教えてくれさえした。護衛というのは名を言われていないがおそらくナキであろうとはユークリッドにもわかった。
その二人に粗相のないようにと教会から念押しされたあたり、西方のお方の処理が速すぎてその興味と熱意に引くぐらいだった。
ユークリッドは守護者との付き合いもあるので一瞬の熱量がこのぐらいになることは見たことがある。なにそれ面白いと言いだした後がめんどくさかった記憶しかない。
なお、その時は北方のお方とのことだった。妻との馴れ初めだったのだが、苦労しかしなかった。
しばらくは大変になるであろうナキとミリアには同情を禁じ得ない。
聖地巡礼禁止という立札が森の入口にあった。がおーっとクマの絵も描いてあって、妙に威圧感がある。
獣道よりもう少し人の出入りがありそうな道に同様の立札が点々としている。
魔物注意だの、迷子になるから戻れだの。
依頼は受けませんと最後に書いてあったのでよほど困っているのかとユークリッドは微妙な気持ちになってくる。
実際森の奥から来たものに5人すれ違っている。話のタネに立ち寄ったという商人から目深にフードをかぶったものまで層がかぶってない。
「残念ながら聖女様は不在らしいですよ。ご利益のあるお守りはまだ売ってました」
「……かたじけない」
ユークリッドは行き交った商人とおぼしき男にそう声をかけられた。妙に聞き覚えのある声のような気がしてもう一度、顔を確認したが見覚えはない。
なにかと言いたげな男になんでもないと詫びユークリッドは先に進むことにした。
場違いなと噂されている庭と家は思ったより小さい。村の小さな家というものが、森のど真ん中にある違和感は確かにある。
「今日は、何の日?」
庭の周りを囲むような柵の向こうにうんざりしたような顔のナキがいた。
うんざりとした表情ではあるが、ナキは家に招き入れてくれた。門前払いをするほどではなかったらしい。
てきぱきとお茶と炒った豆をお茶請けに出して、ユークリッドが立ちっぱなしだったことに気がつく。
「勝手に座っていいのに。どうぞ、お座りください」
「勝手にやってきた身の上なのでな。家の主の許可なく何かしようとは思わぬ」
「皆が皆、そう思ってくれればいいんだけどね。で、お姫様を放ってこんなとこまでなにしにきたわけ?」
聖女が噂になっており、ルー皇女の依頼でここまで来たことをユークリッドが告げると重くため息をつく。
「ミリアもその件で教会に呼ばれてる。クリス様も同伴だから、無事には帰ってくるはずだけど」
「そうか。ずいぶん、こざっぱりとした部屋だな」
言葉を飾らずに言えばなにもない部屋だ。テーブルとイス、それから異彩を放つものくらいしかない。奥に続く扉の向こうには台所があるらしい。お湯の入ったヤカンをそちらから持ってきたのだから。
「生活は借りた隠れ家で、こっちは来客用。最低限のものしか用意してないよ」
「ふむ。しかし、その賽銭箱みたいなものとお守りみたいなものは」
「小銭稼ぎかな。クリス様の抜け毛が多くて、丸めて毛玉にして布の中に」
ナキはご利益があるといいよねと気楽に詐欺をしている。
お守りは白と赤がある。白いほうが白猫ならば、赤いほうはなんだろうか。赤いものは彼らと一緒の時にはなかったのだが。しいて言えばミリアの髪色だが、まさかと思うが。
「その赤いほうは?」
「毟った」
ナキの言葉からちらりと怒りの残りを感じる。問題は何を毟ったんだろうか。ユークリッドは聞かないほうがいい気がしてきた。
その件についてはこれ以上突っ込まないぞと決めて、スルーする。ナキもそれについてはいう気もないのか、何事もなかったようにお茶を飲んでいた。
若かりし頃、相当やらかしたとユークリッドは自認している。だが、ナキはそれを上回るなにかをしているように思える。
もっとも帝国の冒険者ギルドにしてみれば、どちらも問題児であることに変わりはなかったのだが、正直にそれを言う者はいなかった。
ずずっと茶をすする音がしばし響いて、ぽりぽりと豆を噛む音も加わる。
平和そうではある。このまま茶を飲んで帰っていいだろうかとユークリッドが思うくらいに。それで帰れば、ルー皇女が暴れるのは目に見えているので最低限は情報収集が必要だろう。
「……ミリア殿は今は白い髪と聞いたが、本当か?」
「正式に西方のお方の聖女になるってなったら色が変わった。印象はだいぶ違うから知っている人以外にはバレそうにないかな」
「そんな簡単に変わるものか?」
「簡単ではなかったんだけどそこは企業秘密ってことで。
こっちも聞きたいところがあるけど、どのくらいいるわけ?」
「一泊はさせてもらえるとありがたい」
「ここで良ければ。向こうはなんか程よく散らかった実家みたいな感じで人を入れたくない」
「承知した」
やはり年なので、野宿は避けたい。
ナキは頬杖をついて、ユークリッドを眺めた。
「で、そっちはどんな感じなわけ?」
「うむ。ミリア殿がいない時に伝えたほうが良いことから始めるがよいか?」
それに否はなかった。
エディアルド皇子は、廃嫡されたらしいというのはナキも知っていた。商人からそんな噂を聞いたようだ。国家間の安寧を脅かしたとして自ら望んで退いたと噂されている。
実態はもう少し違う。それもきっとナキは知っている。情報を軽々しく口にしない程度の分別があるのはよいことだが、それをされると必要なことさえ聞き出せない。
ユークリッドはナキの表情を見るが、自分が浮かべるのと似た曖昧な微笑に頭が痛くなる。
言いたくはないが、日本人的だ。本音をどこまで仕舞い込んでいるかは読めない。
「殿下は麗しい女性になったとも聞いているが、知っているか?」
「お仕置きでそうしたとは聞いたよ。実物は見てないけど、どうなの?」
「我が主が言うには、そろいもそろって美人で腹が立つだそうだ。
今は長年見つからなかった皇女だとして殿下は後宮に入れられた。側近も同様に」
「普通ならまだ楽そうなのに美人になったか」
「うむ?」
「この世界、女性への差別強いじゃないか。強かにやり合う人たちもいるだろうけど、美しいだけって無力だよ」
「ああ。後宮なら問題なかろう?」
「男のころの癖が抜けてないなら、地雷原でタップダンス踊るようなものなんじゃない? 素で、その意識もなく、見下すんだから」
「……うむ。冥福を祈っておこうか」
「そうだね」
あっさりとナキは同意した。そこになんらかの感情の揺れはない。本当に興味がないという態度である。
ユークリッドにはそれが不審に思えた。
「んー? なに?」
「皇子に思うところはないのか?」
「へ? ああ、俺は何もしないことに決めたから。
結局のところ、俺は部外者で最後にきて最後に、ミリアを助けることを決めただけ。それより前には関わりがない。だから、裁定するのは違うと思う。
もちろん、ミリアが望むならば叶えてあげるけど、今はそんなつもりも余裕もないようだし」
口元だけの笑みが、ひどく酷薄に見えたのはユークリッドの気のせいだろうか。穏やかで争うことを嫌う男ではあるが、それだけではない。
冒険者ギルドが、破棄する書類を誤ってユークリッドに送ってきたのは一か月ほど前のことだ。他の書類に紛れて破棄すべきものを誤送という体裁をとっていたが、それを知らせたかったのだろう。
皇女とその側近の近くにいるかもしれないというのは落ち着かなかったと推測できる。こちらはちゃんとしたという建前も必要だ。
異常なスキルを扱う者がいるという噂は聞いたことがあった。それも一瞬で消え失せた。今思えば、ギルドが火消しをしたのだ。かつて、ユークリッドがやりすぎてしまったことの再現は避けたかったに違いない。
異界から来てすぐに調子に乗ったユークリッドは目立ちすぎて、有力貴族に目をつけられ相手をやっつけてしまった。それも冒険者ギルドに所属中に。事後処理があれは大変だったと思い出す。それが縁で、今の主との付き合いができたのだからけがの功名ということにしてある。
ナキはそういうことをしそうにないが、その保証はない。昔のユークリッドはただのどこにでもいそうなおっさんだったのだ。若造ならより懐柔しやすいと嘗められる可能性が高い。
ナキならばそれなりにいなしそうな気もするが、逆鱗に触れる可能性もある。
そんなもの触れないほうがいいに決まっている。本人が事を荒立てることを望まないなら放置したい。
冒険者ギルドのそんな思惑が透けている。そのわりに動向もスキルの把握もきっちりしていたが。
「他は?」
手元の空のカップを弄びながらナキは問う。
「うむ。先の話の続きとなるが皇太子が廃嫡され、次期皇帝への争いが激化しそうだとしばらく王国に滞在することになっている。表向きは、皇女が気に入ったのでしばらく滞在したいと陛下にわがままを言ったということになっている。
自由! と浮かれて遊んでいるというのも嘘ではないが」
「……それはお疲れ様」
「ミリアルド嬢は、公式には廃嫡されたエディアルド様について行ったことになっている。二人で幸せに暮らしましたという幻想は帝国には必要だ。
ご本人は嫌がるかもしれないが、そこは理解いただけそうだろうか」
「嫌そうな顔はするだろうけど、了承すると思うよ。」
淡々と返された言葉のため、ナキはある程度は想定はしていたのだろう。あるいは、ミリアがそう予想して話をしていたか。
言葉とは裏腹にものすごく嫌そうな顔をしている自覚はナキにはないに違いない。
本心を言えば、嫌すぎるだろう。
「でも実態がなくて困らない?」
「それはよく似たものを夫婦に仕立てて、数年過ごさせる予定とのことだ。
きちんと褒賞を与えての仕事で、無理やりではないぞ」
「そう。
赤毛の娘さんたちは?」
「弱きものに立ち寄るべき家をという理念でローラ皇女が指揮したことになって設立している。同じ女性として、同情して手厚く看病している」
「それ、本物の皇女様?」
「むろん。あーひまーと遊んでいるなら働けと第三皇子にどやされたと聞く。同胎なので、皇位継承に使える。他の皇子は親族を使って同じようにしようとしているが、どうなることか」
「人気取りに活用されてる……」
「そうでもせねば、中身がばれるであろう。それは崩壊への足がかりだ」
皇太子が正気を失い、愛しい人に似たものを連れてきては傷つけていたと広まれば帝室への信頼が揺らぐ。皇太子が立派であったからこそ、その落差がより深い傷になるだろう。
美しく取り繕う。その取り繕った下が、地獄であったとしてもそれを表に出してはならない。
綻びはいつか漏れるだろうが、今は困る。帝国内では魔物の大量発生が増加していて、色々不安定なのだ。この機会にと隣国がちょっかいを出してくるのも想定されているが余力はあるとは言い難い。
それもあって皇帝は皇女を他国に嫁がせる気になったのだろう。
「まあ、僕も情勢が不安定になるのは困るからいいけど」
ナキは相変わらず、いいけどというほどの表情ではない。不満を隠さないというよりはやはり零れ落ちているといったところだろうか。
なにがというわけではないが、見るものに多少の不安を抱かせる態度ではある。
最もユークリッドのように同郷でなければ見分けられない程度ではあるのだが。
「お茶のお代わり用意するよ」
そう言って、ナキは立ち上がった。気分転換をしたいというところだろうか。戻ってきたときには別のお茶請けを用意していた。
ユークリッドも知っている駄菓子だったが、どこから手に入れたのか謎だった。ここは森の奥である。近くの町に買い出しに行くのも骨が折れそうだ。
「あ、これ? 商人たちが手土産で色々持ってくるんだ。お守りの仕入れのついでみたいなとこだけど」
「もっと良いものを用意すればいいのではないか?」
「有名なものとかあったけど、断ったらそんな話が流れて結局これになった」
「……うむ。商魂たくましいの」
「ほんとね」
ナキは苦笑いしている。断るにも悪いと思うくらいの価格設定が絶妙なのだろう。聖女様への心証はよくしておいたほうが、後々良いことがある。そう思えるのだろう。
「クリス様が崇められている。なんか商売の幸運の証みたいなんだって?」
「商売がうまくいくとは聞いたことがあるな」
ナキの苦笑いの理由は白猫だったらしい。ユークリッドも苦笑いしそうだった。あの白猫は聖獣ということを忘れそうになる。
私可愛い子猫ですけど何か? と言う顔で、あざとい。そして、わかっていても負ける。
「それで、王国内はどうなってるの? それこそミリアに聞かせたくないこといっぱいありそうだけど」
「そちらは隠し立てするほうがまずかろう。
王太子であるシリル殿下とエリゼリア嬢の婚姻は覆せなかったのでそのまま決行することになったくらいか。一月後だ」
「覆せなかったというのもおかしい気がするんだけど。
そもそも、そのエリゼって子を正妃にしたかったからミリアはいらないって言われたんだろ?」
「王位というものは罪深いようでな。シリル殿下は、欲を出した。ルー皇女に白い結婚を持ちかけた。王位を継ぐまでの間に王太子妃になってほしいと。
むろん、断った。今はシリル王子を無視して積極的に王の孫たちを振り回している」
表向きは、幼い私の相手をさせるのは不敬でしょうと断っていた。最初に子供ではないかと言われた恨みが滲んでいるとユークリッドは睨んでいる。
ナキはふぅんと興味なさそうな返答のようで、不快が滲んでいた。おそらく、同じ日本人でなければ気がつかないほどのものだ。
エディアルド皇子への興味のなさとは種類が違う。
「皇女様が楽しそうで何よりだ。
じゃあ、しばらくはいるってことね。だったら、頼みがある」
「皇女には伝えておこう」
「しばらく雇ってくれない?」
きょとんとしたユークリッドにナキは楽し気に身分証を提示した。
「用意してもらったけど、潜入先を決めてなかったんだ」
それは帝国でよく使われるものだった。
小さな可愛い家の周りには菜園や花壇があり綺麗に整えられていた。魔物も現れるような森の中で場違いのように。
そこには白い髪の聖女と隠者が住むという。
そんな噂が皇女の耳届いたのはミリアルドと別れて半年も立ったころだった。
半年過ぎても未だ帝国へと戻れていないルー皇女はユークリッドへ噂を確かめるように命じた。
帝国との国境すれすれというところにその場所はあった。
ユークリッドは全く迷いもしなかったのは、最初に教会に尋ねていったからだ。既に神託が降されその場所が仮の聖地として認定されていた。
聖女の名はミリア、その護衛がもう一人住んでいるときちんと教えてくれさえした。護衛というのは名を言われていないがおそらくナキであろうとはユークリッドにもわかった。
その二人に粗相のないようにと教会から念押しされたあたり、西方のお方の処理が速すぎてその興味と熱意に引くぐらいだった。
ユークリッドは守護者との付き合いもあるので一瞬の熱量がこのぐらいになることは見たことがある。なにそれ面白いと言いだした後がめんどくさかった記憶しかない。
なお、その時は北方のお方とのことだった。妻との馴れ初めだったのだが、苦労しかしなかった。
しばらくは大変になるであろうナキとミリアには同情を禁じ得ない。
聖地巡礼禁止という立札が森の入口にあった。がおーっとクマの絵も描いてあって、妙に威圧感がある。
獣道よりもう少し人の出入りがありそうな道に同様の立札が点々としている。
魔物注意だの、迷子になるから戻れだの。
依頼は受けませんと最後に書いてあったのでよほど困っているのかとユークリッドは微妙な気持ちになってくる。
実際森の奥から来たものに5人すれ違っている。話のタネに立ち寄ったという商人から目深にフードをかぶったものまで層がかぶってない。
「残念ながら聖女様は不在らしいですよ。ご利益のあるお守りはまだ売ってました」
「……かたじけない」
ユークリッドは行き交った商人とおぼしき男にそう声をかけられた。妙に聞き覚えのある声のような気がしてもう一度、顔を確認したが見覚えはない。
なにかと言いたげな男になんでもないと詫びユークリッドは先に進むことにした。
場違いなと噂されている庭と家は思ったより小さい。村の小さな家というものが、森のど真ん中にある違和感は確かにある。
「今日は、何の日?」
庭の周りを囲むような柵の向こうにうんざりしたような顔のナキがいた。
うんざりとした表情ではあるが、ナキは家に招き入れてくれた。門前払いをするほどではなかったらしい。
てきぱきとお茶と炒った豆をお茶請けに出して、ユークリッドが立ちっぱなしだったことに気がつく。
「勝手に座っていいのに。どうぞ、お座りください」
「勝手にやってきた身の上なのでな。家の主の許可なく何かしようとは思わぬ」
「皆が皆、そう思ってくれればいいんだけどね。で、お姫様を放ってこんなとこまでなにしにきたわけ?」
聖女が噂になっており、ルー皇女の依頼でここまで来たことをユークリッドが告げると重くため息をつく。
「ミリアもその件で教会に呼ばれてる。クリス様も同伴だから、無事には帰ってくるはずだけど」
「そうか。ずいぶん、こざっぱりとした部屋だな」
言葉を飾らずに言えばなにもない部屋だ。テーブルとイス、それから異彩を放つものくらいしかない。奥に続く扉の向こうには台所があるらしい。お湯の入ったヤカンをそちらから持ってきたのだから。
「生活は借りた隠れ家で、こっちは来客用。最低限のものしか用意してないよ」
「ふむ。しかし、その賽銭箱みたいなものとお守りみたいなものは」
「小銭稼ぎかな。クリス様の抜け毛が多くて、丸めて毛玉にして布の中に」
ナキはご利益があるといいよねと気楽に詐欺をしている。
お守りは白と赤がある。白いほうが白猫ならば、赤いほうはなんだろうか。赤いものは彼らと一緒の時にはなかったのだが。しいて言えばミリアの髪色だが、まさかと思うが。
「その赤いほうは?」
「毟った」
ナキの言葉からちらりと怒りの残りを感じる。問題は何を毟ったんだろうか。ユークリッドは聞かないほうがいい気がしてきた。
その件についてはこれ以上突っ込まないぞと決めて、スルーする。ナキもそれについてはいう気もないのか、何事もなかったようにお茶を飲んでいた。
若かりし頃、相当やらかしたとユークリッドは自認している。だが、ナキはそれを上回るなにかをしているように思える。
もっとも帝国の冒険者ギルドにしてみれば、どちらも問題児であることに変わりはなかったのだが、正直にそれを言う者はいなかった。
ずずっと茶をすする音がしばし響いて、ぽりぽりと豆を噛む音も加わる。
平和そうではある。このまま茶を飲んで帰っていいだろうかとユークリッドが思うくらいに。それで帰れば、ルー皇女が暴れるのは目に見えているので最低限は情報収集が必要だろう。
「……ミリア殿は今は白い髪と聞いたが、本当か?」
「正式に西方のお方の聖女になるってなったら色が変わった。印象はだいぶ違うから知っている人以外にはバレそうにないかな」
「そんな簡単に変わるものか?」
「簡単ではなかったんだけどそこは企業秘密ってことで。
こっちも聞きたいところがあるけど、どのくらいいるわけ?」
「一泊はさせてもらえるとありがたい」
「ここで良ければ。向こうはなんか程よく散らかった実家みたいな感じで人を入れたくない」
「承知した」
やはり年なので、野宿は避けたい。
ナキは頬杖をついて、ユークリッドを眺めた。
「で、そっちはどんな感じなわけ?」
「うむ。ミリア殿がいない時に伝えたほうが良いことから始めるがよいか?」
それに否はなかった。
エディアルド皇子は、廃嫡されたらしいというのはナキも知っていた。商人からそんな噂を聞いたようだ。国家間の安寧を脅かしたとして自ら望んで退いたと噂されている。
実態はもう少し違う。それもきっとナキは知っている。情報を軽々しく口にしない程度の分別があるのはよいことだが、それをされると必要なことさえ聞き出せない。
ユークリッドはナキの表情を見るが、自分が浮かべるのと似た曖昧な微笑に頭が痛くなる。
言いたくはないが、日本人的だ。本音をどこまで仕舞い込んでいるかは読めない。
「殿下は麗しい女性になったとも聞いているが、知っているか?」
「お仕置きでそうしたとは聞いたよ。実物は見てないけど、どうなの?」
「我が主が言うには、そろいもそろって美人で腹が立つだそうだ。
今は長年見つからなかった皇女だとして殿下は後宮に入れられた。側近も同様に」
「普通ならまだ楽そうなのに美人になったか」
「うむ?」
「この世界、女性への差別強いじゃないか。強かにやり合う人たちもいるだろうけど、美しいだけって無力だよ」
「ああ。後宮なら問題なかろう?」
「男のころの癖が抜けてないなら、地雷原でタップダンス踊るようなものなんじゃない? 素で、その意識もなく、見下すんだから」
「……うむ。冥福を祈っておこうか」
「そうだね」
あっさりとナキは同意した。そこになんらかの感情の揺れはない。本当に興味がないという態度である。
ユークリッドにはそれが不審に思えた。
「んー? なに?」
「皇子に思うところはないのか?」
「へ? ああ、俺は何もしないことに決めたから。
結局のところ、俺は部外者で最後にきて最後に、ミリアを助けることを決めただけ。それより前には関わりがない。だから、裁定するのは違うと思う。
もちろん、ミリアが望むならば叶えてあげるけど、今はそんなつもりも余裕もないようだし」
口元だけの笑みが、ひどく酷薄に見えたのはユークリッドの気のせいだろうか。穏やかで争うことを嫌う男ではあるが、それだけではない。
冒険者ギルドが、破棄する書類を誤ってユークリッドに送ってきたのは一か月ほど前のことだ。他の書類に紛れて破棄すべきものを誤送という体裁をとっていたが、それを知らせたかったのだろう。
皇女とその側近の近くにいるかもしれないというのは落ち着かなかったと推測できる。こちらはちゃんとしたという建前も必要だ。
異常なスキルを扱う者がいるという噂は聞いたことがあった。それも一瞬で消え失せた。今思えば、ギルドが火消しをしたのだ。かつて、ユークリッドがやりすぎてしまったことの再現は避けたかったに違いない。
異界から来てすぐに調子に乗ったユークリッドは目立ちすぎて、有力貴族に目をつけられ相手をやっつけてしまった。それも冒険者ギルドに所属中に。事後処理があれは大変だったと思い出す。それが縁で、今の主との付き合いができたのだからけがの功名ということにしてある。
ナキはそういうことをしそうにないが、その保証はない。昔のユークリッドはただのどこにでもいそうなおっさんだったのだ。若造ならより懐柔しやすいと嘗められる可能性が高い。
ナキならばそれなりにいなしそうな気もするが、逆鱗に触れる可能性もある。
そんなもの触れないほうがいいに決まっている。本人が事を荒立てることを望まないなら放置したい。
冒険者ギルドのそんな思惑が透けている。そのわりに動向もスキルの把握もきっちりしていたが。
「他は?」
手元の空のカップを弄びながらナキは問う。
「うむ。先の話の続きとなるが皇太子が廃嫡され、次期皇帝への争いが激化しそうだとしばらく王国に滞在することになっている。表向きは、皇女が気に入ったのでしばらく滞在したいと陛下にわがままを言ったということになっている。
自由! と浮かれて遊んでいるというのも嘘ではないが」
「……それはお疲れ様」
「ミリアルド嬢は、公式には廃嫡されたエディアルド様について行ったことになっている。二人で幸せに暮らしましたという幻想は帝国には必要だ。
ご本人は嫌がるかもしれないが、そこは理解いただけそうだろうか」
「嫌そうな顔はするだろうけど、了承すると思うよ。」
淡々と返された言葉のため、ナキはある程度は想定はしていたのだろう。あるいは、ミリアがそう予想して話をしていたか。
言葉とは裏腹にものすごく嫌そうな顔をしている自覚はナキにはないに違いない。
本心を言えば、嫌すぎるだろう。
「でも実態がなくて困らない?」
「それはよく似たものを夫婦に仕立てて、数年過ごさせる予定とのことだ。
きちんと褒賞を与えての仕事で、無理やりではないぞ」
「そう。
赤毛の娘さんたちは?」
「弱きものに立ち寄るべき家をという理念でローラ皇女が指揮したことになって設立している。同じ女性として、同情して手厚く看病している」
「それ、本物の皇女様?」
「むろん。あーひまーと遊んでいるなら働けと第三皇子にどやされたと聞く。同胎なので、皇位継承に使える。他の皇子は親族を使って同じようにしようとしているが、どうなることか」
「人気取りに活用されてる……」
「そうでもせねば、中身がばれるであろう。それは崩壊への足がかりだ」
皇太子が正気を失い、愛しい人に似たものを連れてきては傷つけていたと広まれば帝室への信頼が揺らぐ。皇太子が立派であったからこそ、その落差がより深い傷になるだろう。
美しく取り繕う。その取り繕った下が、地獄であったとしてもそれを表に出してはならない。
綻びはいつか漏れるだろうが、今は困る。帝国内では魔物の大量発生が増加していて、色々不安定なのだ。この機会にと隣国がちょっかいを出してくるのも想定されているが余力はあるとは言い難い。
それもあって皇帝は皇女を他国に嫁がせる気になったのだろう。
「まあ、僕も情勢が不安定になるのは困るからいいけど」
ナキは相変わらず、いいけどというほどの表情ではない。不満を隠さないというよりはやはり零れ落ちているといったところだろうか。
なにがというわけではないが、見るものに多少の不安を抱かせる態度ではある。
最もユークリッドのように同郷でなければ見分けられない程度ではあるのだが。
「お茶のお代わり用意するよ」
そう言って、ナキは立ち上がった。気分転換をしたいというところだろうか。戻ってきたときには別のお茶請けを用意していた。
ユークリッドも知っている駄菓子だったが、どこから手に入れたのか謎だった。ここは森の奥である。近くの町に買い出しに行くのも骨が折れそうだ。
「あ、これ? 商人たちが手土産で色々持ってくるんだ。お守りの仕入れのついでみたいなとこだけど」
「もっと良いものを用意すればいいのではないか?」
「有名なものとかあったけど、断ったらそんな話が流れて結局これになった」
「……うむ。商魂たくましいの」
「ほんとね」
ナキは苦笑いしている。断るにも悪いと思うくらいの価格設定が絶妙なのだろう。聖女様への心証はよくしておいたほうが、後々良いことがある。そう思えるのだろう。
「クリス様が崇められている。なんか商売の幸運の証みたいなんだって?」
「商売がうまくいくとは聞いたことがあるな」
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私可愛い子猫ですけど何か? と言う顔で、あざとい。そして、わかっていても負ける。
「それで、王国内はどうなってるの? それこそミリアに聞かせたくないこといっぱいありそうだけど」
「そちらは隠し立てするほうがまずかろう。
王太子であるシリル殿下とエリゼリア嬢の婚姻は覆せなかったのでそのまま決行することになったくらいか。一月後だ」
「覆せなかったというのもおかしい気がするんだけど。
そもそも、そのエリゼって子を正妃にしたかったからミリアはいらないって言われたんだろ?」
「王位というものは罪深いようでな。シリル殿下は、欲を出した。ルー皇女に白い結婚を持ちかけた。王位を継ぐまでの間に王太子妃になってほしいと。
むろん、断った。今はシリル王子を無視して積極的に王の孫たちを振り回している」
表向きは、幼い私の相手をさせるのは不敬でしょうと断っていた。最初に子供ではないかと言われた恨みが滲んでいるとユークリッドは睨んでいる。
ナキはふぅんと興味なさそうな返答のようで、不快が滲んでいた。おそらく、同じ日本人でなければ気がつかないほどのものだ。
エディアルド皇子への興味のなさとは種類が違う。
「皇女様が楽しそうで何よりだ。
じゃあ、しばらくはいるってことね。だったら、頼みがある」
「皇女には伝えておこう」
「しばらく雇ってくれない?」
きょとんとしたユークリッドにナキは楽し気に身分証を提示した。
「用意してもらったけど、潜入先を決めてなかったんだ」
それは帝国でよく使われるものだった。
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