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彼の幸せ
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ルーベンスは逃げるように部屋へ入っていたアイリスを見送った。
不用意にあんなことを言うからいけないのだ。
言わなかったのではない。言えなかったなんて。
ガチャリと鍵のかかる音まで聞いてルーベンスはその場を立ち去った。
今日は不本意で思わぬことばかりだ。
待ち望んだ日がやってきたことよりも、それを彼女も望んでくれたことが嬉しい。それはきっと彼女にはわからない。
祝いの席には遠慮したロルフを呼んでもう一度飲みなおそうとルーベンスは食堂を覗いた。
先ほどまでの祝いの雰囲気は残っているが、テーブルの上は片付けられたあとだ。空のグラスと二本ほどのワインが置いてある。
そこに妹二人が残っていた。
何事か話をしながら楽しそうに過ごしていると本当に双子のように見えてくる。
「兄様。もう戻ってきたの?」
「早いね」
「ミュシャもミレーも早く寝ろよ。寝起き悪いんだから」
「兄様にお祝いを言おうかなと思ったのよ。
おめでとう。兄様」
「正直王子様との結婚はちょっとって言ってたからもうちょっと先延ばしするかもとは思ってたの。それがこの速度で完済。本気を感じたわ」
「知ってたな?」
「もちろん。兄様をびっくりさせたいって言ってたから、微力ながら協力を」
妹たちはいたずらが成功したのが嬉しそうだ。
「びっくりはした」
心臓が止まるかと思ったという意味で。
「あの兄様が慌てて走り出すとか思い出しても笑える」
ルーベンスは顔をしかめた。数日前のことではあるが、あれほど焦ったことはない。
そろそろ同居されるんですか? と娼館の出入りの商人に言われて、ルーベンスにはなんのことかわからなかった。
怪訝そうな雰囲気を感じたのか商人は青ざめて慌てて帰っていった。
誰と誰が同居するのか。その問の答えはアイリスしかいないが、同居するような話をしたこともなければ、新しく暮らすための準備もしていない。
完済してからと約束しているのだから、そのうちに丸め込んで家具の買い出しでも行こうかと思っていた程度だ。
つまりはルーベンスから同居という言葉になるものはない。
そうなればアイリス側になにかあったのだ。
他の仕事についていたロルフを呼び出し、調べさせてすぐに判明する。アイリスの隠すというほどでもないという自然な動きが逆にルーベンスに察知させづらくさせていたのだ。
アイリスが私物の整理というものを超えて、家財一式も売り払っている。
どこか別のところに行く準備をしているように。
焦って彼女の部屋に行けば、本人はきょとんとした顔をしていた。
欲しいものを買うためにというのは嘘ではなさそうだったが、欲しいものは言ってくれなかった。
今となればそれは当たり前だ。
自分で自分を買い戻してからでないとだめだから。
減額しようとしても、代わりに払うと言ってもそう言って困った顔をするのだ。
自分で負った借金でもないのに。
望んで売られたわけでもないのに。
そうルーベンスが言っても覆りはしなかった。
もう誰にも金で買われたなんて言われたくない。そう言うほどの傷がある。それを癒すのは自力での完済しかない。そう思って待っていた。
待つことくらいしかできなかった。
「……兄様?」
「どうしたの?」
「なんでもない。ロルフを呼んでもう一度飲むが二人も飲むか?」
「少しだけ付き合うわ」
「私は明日休みにしよっかな。呼んでくるね!」
ミュシャはロルフにご執心だ。当のロルフは困っているが、嫌でもないらしい。立場だの年の差だのごちゃごちゃ言っているがそのうちに捕獲されるだろう。
「兄様、侯爵のことは気をつけてね。わからないと思うけど、どこからたどり着くかわからない」
「会わせないよ。王子としての婚姻もしない。それなら身内だけでも許されるだろ」
「あとはお父様がなんていうか」
ため息をつくミレー。ルーベンスもため息をついた。
父である国王はアイリスに対してかなり後ろめたいらしい。どうにかして補填したいのだが、当のアイリスはいりませんときっぱり拒否していた。ショックを受けて固まっていたのはルーベンスとしては面白かった。しかし、それのせいで余計意固地になっているようにも思える。
「臣籍降下は許すでしょうけど、なんか変なのついてくると思うわ」
「どうせなら平民になりたい」
アイリスも同じことを言うであろう。そんなルーベンスにミレーは呆れたように視線を向けた。
「無理言うな、ですわよ。お兄様」
「わかっているよ」
王家の血を継ぐというのは一生変わらない。王家としては変に消失されては困るのだ。
「連れてきた―っ!」
「ミュシャ様っ! 走らないでください」
騒がしい声が聞こえてきた。
「なにかあったら協力しますので」
そう言ってミレーはミュシャに小言を言いに行った。淑女たるものと言われて、しゅんとするミュシャ。ロルフは触らぬ神にたたりなしとでも言いたげにルーベンスに近寄ってきた。
「殿下、おめでとうございます」
「ありがとう。とはいうものの本当はアイリスが祝われるべきなんだよな」
「そちらはあとで言うつもりです。
そういえば準備していた件はどうしますか?」
「職人を急がせるのは気が進まないが、来週中には用意してもらいたい」
「殿下が了承を得られたと言えば、勝手に頑張るでしょう。
それに合わせて店も押さえておきます」
「任せた」
「はい。では、あちらの仲裁をしてきます」
揉めている妹二人の仲裁をロルフに任せてルーベンスは椅子に座った。よく見る光景だが、遠くない未来にアイリスも加わるのだろう。
この日常に。
そう思えば口元が緩む。
それを見た三人がこそっと幸せそうでよかったと言い合ったことに気がつくことはなかった。
不用意にあんなことを言うからいけないのだ。
言わなかったのではない。言えなかったなんて。
ガチャリと鍵のかかる音まで聞いてルーベンスはその場を立ち去った。
今日は不本意で思わぬことばかりだ。
待ち望んだ日がやってきたことよりも、それを彼女も望んでくれたことが嬉しい。それはきっと彼女にはわからない。
祝いの席には遠慮したロルフを呼んでもう一度飲みなおそうとルーベンスは食堂を覗いた。
先ほどまでの祝いの雰囲気は残っているが、テーブルの上は片付けられたあとだ。空のグラスと二本ほどのワインが置いてある。
そこに妹二人が残っていた。
何事か話をしながら楽しそうに過ごしていると本当に双子のように見えてくる。
「兄様。もう戻ってきたの?」
「早いね」
「ミュシャもミレーも早く寝ろよ。寝起き悪いんだから」
「兄様にお祝いを言おうかなと思ったのよ。
おめでとう。兄様」
「正直王子様との結婚はちょっとって言ってたからもうちょっと先延ばしするかもとは思ってたの。それがこの速度で完済。本気を感じたわ」
「知ってたな?」
「もちろん。兄様をびっくりさせたいって言ってたから、微力ながら協力を」
妹たちはいたずらが成功したのが嬉しそうだ。
「びっくりはした」
心臓が止まるかと思ったという意味で。
「あの兄様が慌てて走り出すとか思い出しても笑える」
ルーベンスは顔をしかめた。数日前のことではあるが、あれほど焦ったことはない。
そろそろ同居されるんですか? と娼館の出入りの商人に言われて、ルーベンスにはなんのことかわからなかった。
怪訝そうな雰囲気を感じたのか商人は青ざめて慌てて帰っていった。
誰と誰が同居するのか。その問の答えはアイリスしかいないが、同居するような話をしたこともなければ、新しく暮らすための準備もしていない。
完済してからと約束しているのだから、そのうちに丸め込んで家具の買い出しでも行こうかと思っていた程度だ。
つまりはルーベンスから同居という言葉になるものはない。
そうなればアイリス側になにかあったのだ。
他の仕事についていたロルフを呼び出し、調べさせてすぐに判明する。アイリスの隠すというほどでもないという自然な動きが逆にルーベンスに察知させづらくさせていたのだ。
アイリスが私物の整理というものを超えて、家財一式も売り払っている。
どこか別のところに行く準備をしているように。
焦って彼女の部屋に行けば、本人はきょとんとした顔をしていた。
欲しいものを買うためにというのは嘘ではなさそうだったが、欲しいものは言ってくれなかった。
今となればそれは当たり前だ。
自分で自分を買い戻してからでないとだめだから。
減額しようとしても、代わりに払うと言ってもそう言って困った顔をするのだ。
自分で負った借金でもないのに。
望んで売られたわけでもないのに。
そうルーベンスが言っても覆りはしなかった。
もう誰にも金で買われたなんて言われたくない。そう言うほどの傷がある。それを癒すのは自力での完済しかない。そう思って待っていた。
待つことくらいしかできなかった。
「……兄様?」
「どうしたの?」
「なんでもない。ロルフを呼んでもう一度飲むが二人も飲むか?」
「少しだけ付き合うわ」
「私は明日休みにしよっかな。呼んでくるね!」
ミュシャはロルフにご執心だ。当のロルフは困っているが、嫌でもないらしい。立場だの年の差だのごちゃごちゃ言っているがそのうちに捕獲されるだろう。
「兄様、侯爵のことは気をつけてね。わからないと思うけど、どこからたどり着くかわからない」
「会わせないよ。王子としての婚姻もしない。それなら身内だけでも許されるだろ」
「あとはお父様がなんていうか」
ため息をつくミレー。ルーベンスもため息をついた。
父である国王はアイリスに対してかなり後ろめたいらしい。どうにかして補填したいのだが、当のアイリスはいりませんときっぱり拒否していた。ショックを受けて固まっていたのはルーベンスとしては面白かった。しかし、それのせいで余計意固地になっているようにも思える。
「臣籍降下は許すでしょうけど、なんか変なのついてくると思うわ」
「どうせなら平民になりたい」
アイリスも同じことを言うであろう。そんなルーベンスにミレーは呆れたように視線を向けた。
「無理言うな、ですわよ。お兄様」
「わかっているよ」
王家の血を継ぐというのは一生変わらない。王家としては変に消失されては困るのだ。
「連れてきた―っ!」
「ミュシャ様っ! 走らないでください」
騒がしい声が聞こえてきた。
「なにかあったら協力しますので」
そう言ってミレーはミュシャに小言を言いに行った。淑女たるものと言われて、しゅんとするミュシャ。ロルフは触らぬ神にたたりなしとでも言いたげにルーベンスに近寄ってきた。
「殿下、おめでとうございます」
「ありがとう。とはいうものの本当はアイリスが祝われるべきなんだよな」
「そちらはあとで言うつもりです。
そういえば準備していた件はどうしますか?」
「職人を急がせるのは気が進まないが、来週中には用意してもらいたい」
「殿下が了承を得られたと言えば、勝手に頑張るでしょう。
それに合わせて店も押さえておきます」
「任せた」
「はい。では、あちらの仲裁をしてきます」
揉めている妹二人の仲裁をロルフに任せてルーベンスは椅子に座った。よく見る光景だが、遠くない未来にアイリスも加わるのだろう。
この日常に。
そう思えば口元が緩む。
それを見た三人がこそっと幸せそうでよかったと言い合ったことに気がつくことはなかった。
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